トラブル一覧とは? わかりやすく解説

トラブル一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 02:09 UTC 版)

福島第一原子力発電所のトラブル」の記事における「トラブル一覧」の解説

下記報道公表されトラブル一部であり、小規模な事故建設当初から発生している。 「原子力事故」も参照 1973年6月25日 放射性廃液漏洩事故 発生時刻は16時32分で、原因作業員ミスであったこの際東京電力汚染土除去し残り廃液含んだ処理したが、従事した作業員被曝量安全基準超えるものではなかったとされる。しかし、大熊町への連絡は何も無く6月26日16時共同通信記者からコメント求められ初め知った東京電力26日14時10分に報告していたが、その時点で事故から22時間経過していたことを大熊町強く批判し、「地元ないがしろにし、場合によってはその信用失ってやむをえない」と述懐している。 1976年4月2日 2号機事故 構内火災発生した外部には公表されなかった。しかし田原総一朗宛てた内部告発により事故発生明らかになり、告発一か月東京電力事故発生認めた東京電力は「溶接火花掃除用布燃え移った」と説明したが、実際にパワープラントケーブル発火し偽装のため東京電力社員ダクトの傍でボロ布を燃やしたという噂が下請社員間で流れた同型のブラウンズフェリー(en)でケーブル火災による全交流電源喪失事故起こした直後だったこともあり、東京電力はこの火災後建屋全域ケーブル類に耐火塗装工事実施した江信は公式発表実際乖離例としてこの件を批判している。 1977年 墜落災害による死亡事故 江信によれば1977年にはタンク室で墜落災害による死亡事故発生しているという。しかもこの時、救出され被災者病院への搬送前にホールボディカウンター検査を通すことになり、作業員への取材によれば搬送数時間後のことだったが、東京電力直後搬送した発表したとしている。 1978年11月2日 3号機事故 日本最初臨界事故とされるが、公表されたのは事故発生から29年後の2007年3月22日になってからであった2007年頃、東京電力当時相次いでいた不祥事洗い出しをするため、過去の記録再調査行っていた。3月21日夜、東芝から東京電力3号機炉心中性子計測記録問題があった旨連絡入った報告によると、1978年11月、同記録計測限界を示す状態が約7時間半続いていたことが記されており、当時3号機当直員(東京電力社員)は「朝出勤したら制御棒抜けていたので入れなおすように指示した中性子数値上がってたように思う」と証言した原因制御棒水圧調節する戻り弁の操作ミスで、1978年11月事件の3ヵ月後に5号機、7ヶ月後には2号機同様の制御棒脱落起きていた。11月事故起きた時点情報水平展開ていれば後の事故は防げ可能性日本経済新聞指摘している。 1978年 硫化水素中毒事故(号機不明江信によれば放射能以外にも作業者に対する危険はあり、1978年には2次配管硫化水素による中毒事故起き、その理由として硫化水素ガス発生容易に予期出来にも関わらず現場に満足な検知器無かったためとしている。 1980年1月 1号機定期検査 証言者は平井憲夫平井一緒に作業入った地元農家のS(匿名)という者で、原子炉建屋内での配管溶接作業前に溶接不良防止するための清掃作業があり、平井監督の下10数名中に入った汚染度B区であったが、Sともう一名が高線量被曝し作業何度もホールボディカウンタによる測定実施して当時作業者の平均1000カウントのところ、ほぼ全員5000カウント以上、Sについては特に高く524866カウントであったその日以来Sは炉内での作業から汚染度の低いエリアでの作業配置転換されたが、人並みカウントに戻るまでに3年4ヶ月要した。更に、Sはその作業の日のホールボディの値を1986年入って平井恩田聞き取りしに来るまで知らず自身初めて値を知ったのは32000カウントまで下がった時からだった。また、作業の日以降、だるさや頭痛歯茎からの出血悩まされたという。その後チェルノブイリ原子力発電所事故発生して原子力発電への関心高まったため、Sは高木仁三郎紹介大阪病院診察を受け、被曝症状兆候見られる診断されたが、この顛末を『週刊現代1986年5月24日号で報じた上で東京電力照会したところ、許容線量内の被曝量との答えだったという。 1981年5月12日 2号機スクラム 1981年5月12日福島第一原子力発電所2号機にて復水器から原子炉冷却水を戻す「給水ライン」の電源装置に異常が発生高圧復水ポンプ給水ポンプ計4台が連鎖的停止し原子炉が戻らなくなるトラブル発生し最終的にスクラムかけられた。この際圧力容器内に溜まっている抜けないように主蒸気隔離弁が閉鎖されたが、この時に崩壊熱受けて増大する上記圧力一定以下に保つためのもう一種の弁、主蒸気逃がし安全弁開閉操作繰り返すことなく20近く開いたままとなり、発生した蒸気捨てられ続けたその間、運転員は一度停止したポンプ再起動し、給水回復させた。山崎久隆は、運転員の操作について一度異常で停止したことで信頼疑問のあるポンプ再起動させ、主蒸気逃がし安全弁開いて通常運転時の70気圧から25気圧まで減圧したことで、減圧沸騰により冷却水急速に蒸気となる可能性考慮するべきだったと主張水位燃料頂部より高い位置示しているというだけで、すぐ補充しなかった判断批判している。 また、このトラブル当時ECCS作動していた事実公表されず、1992年9月29日に同2号機にてスクラムトラブル発生した際、資源エネルギー庁マスコミ要求に応じて過去ECCS作動事故の一覧公開した際明らかとなった1992年9月トラブルでは生チャート事故の推移資料提供されていたため、市民団体追加情報公開求めたが「保存年限経過してしまっているので、何も残っていない」と回答し1981年当時東京電力国会議員宛に提出した資料だけが公開情報として残されたという。山崎久隆はトラブル隠しが行われた背景として、事故の前月の4月18日日本原子力発電敦賀発電所にて放射性廃液漏洩事故があったため、福島県議会事故当日である5月12日福島第一原子力発電所立入調査行っていた事実提示している。事故発生深夜0時17であったので報告時系列上に可能だったが、実際に東京電力調査団に「水位低下による原子炉停止があった」としか知らせず資源エネルギー庁にのみECCS作動事実分析結果添付無し報告したにすぎなかった。そのため、調査団敦賀事故問題になっていた廃液処分設備など中心に視察し7月1日議会答弁問題が無い旨で報告しくくっているという。 1982年11月 4号機定期検査 恩田勝亘平井憲夫取材したところでは、1982年1983年頃、4号機定期検査中に未熟な社員間違ったバルブ操作をして汚染水空調ダクト流出させたことがあり、高濃度汚染されダクト監督レベル作業者を集めて秘密裏処理したこともあるという。東京電力1982年11月指摘類似の事故があったことは認めているが、過渡被曝については認めていない。 1990年9月9日 3号機事故蒸気隔離弁を止めるピン壊れた結果原子炉圧力上昇して中性子束高」の信号により自動停止した。INESレベル21991年6月13日 1号機 格納容器気密試験漏洩率を隠蔽するため圧縮空気注入して国の定期検査偽装して合格した。これにより1号機1年間の運転停止処分となった1998年2月22日 4号機 定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間全体25分の1(1ノッチは約15cm)抜けた2000年7月 1〜6号機 過去自主点検検査記録などデータ改ざんが行われていたことが原子力安全・保安院への内部告発により発覚し2002年には東京電力データ改ざんなされていた事実認め社長南直哉当時首脳陣引責辞任した(東京電力原発トラブル隠し事件)。 2004年8月 全プラント再調査 8月13日、本発電所福島第二原子力発電所建設時使われコンクリート用の砂利納入した骨材製造会社元従業員による告白で、アルカリ骨材反応試験成績書捏造し品質保証すり抜けていた事実報道された(報道時には主として浜岡原子力発電所4号機建設での同様の問題報じられた)。原子力安全・保安院東京電力に対して事実関係調査コンクリート健全性にかかわる調査指示同年10月22日報告書提出された。その後11月11日12日渡り保安院によって全プラント目視調査圧縮強度測定実施された。アルカリシリカ反応試験係る規準整備されたのは1986年で、それ以降竣工した建物は雑固体廃棄物減容処理建屋で、骨材納入した5社の内東洋機工が捏造行っていた。事情聴取の他、第3者機関保有する成績書納入業者保有する成績書照合し健全性確認されたとしている。規準整備以前建設され建物について以前より自主的にコア採取促進膨張試験等定期的に実施しており、8月臨時試験9月目視検査行った結果設計基準強度上回っていることを確認した、としている。保安院11月に自ら実施した調査踏まえ東京電力報告を妥当と評価した再発防止策としては、試験成績書原本第3者機関から直接受領しサンプルすり替え対策として発送時に第3者機関職員による立会い確認をすることとした。 2010年6月17日 2号機 水位低下事故3号機プルサーマルのためMOX燃料導入しようとした矢先2号機水位低下する事故発生2011年3月11日 1・2・3・4号2011年3月11日発生した東北地方太平洋沖地震とその地震による津波で、外部からの電源発電所内の非常用ディーゼル発電機による電源双方を失う「全交流電源喪失」状態に陥り原子炉冷却機能が失われたため、炉心溶融等により大量放射性物質放出された。原子力安全・保安院による暫定評価最悪レベル7事故の詳細経緯については福島第一原子力発電所事故福島第一原子力発電所事故の経緯記事それぞれ参照

※この「トラブル一覧」の解説は、「福島第一原子力発電所のトラブル」の解説の一部です。
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