トラブル史とは? わかりやすく解説

トラブル史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 09:22 UTC 版)

8時だョ!全員集合の歴史」の記事における「トラブル史」の解説

この番組については、本質的に舞台コントとして入念に練り込まれ笑いこそが最大売りであり、アドリブ出演者起きアクシデント演出笑いを取る事は一貫してとしなかった。 ただし、16年間という長期間渡り生放送公開放送続けられ番組であったため、コントコント以外でも、放送中のトラブル・アクシデントや出演者を巡る出来事数多く発生している。本項ではこれらについて記述する1970年7月2日加藤交通事故起こし、約1か月謹慎この間仲本加藤いじられ役を代行1974年小田原市民会館オープニング終わってCM入った時に回り舞台動かし反転させて裏に控えていたセットを表へ出そうとしたが、スイッチ入れても全く動かず、何とか場をつなげようとしてちょうトイレ行こうとしていたピーターをいかりやが呼び止め予定されていた歌を歌うよう要請オープニング後のCM明け急遽歌のコーナーという異例放送となったが、ピーターの歌の間に回り舞台総点検、改めスイッチ入れた舞台動いてコントのコーナーに入ることが出来た1977年5月14日探検隊コントサブタイトルは「ドリフ地上最悪の山」)の途中ピストル火花小道具着火炎上。すぐに消し止められ負傷者無かったが、場内取手市民会館)の非常ベル鳴りその時点でコント中止となったスプレー塗装本番直前したためピストル火花がまだ乾燥しきっていない塗料引火したのが原因であった1980年9月、いかりやが声帯ポリープの手術を受けた都合で、13日20日放送に声を出さず出演した13日放送オープニングで仲本鉄琴で「ピンポンパンポーン」と鳴らした後、「長らく世間に迷惑をかけたいかりやが声を出せない」旨を知らせた。「8時だョ!」のかけ声加藤、「おいっすー!」「行ってみよう!」のかけ声前半コントツッコミ役は志村少年少女合唱隊司会仲本後半進行役は高木他メンバー持ち回りでいかりや役を代行した1981年2月18日仲本志村番組プロデューサー居作と共に競馬ノミ行為任意の事情聴取を受け書類送検されたことが発覚、約1か月渡り謹慎仲本居作略式起訴され罰金刑となる(志村賭け金小額だったこともあり起訴猶予処分)。この期間中、いかりや、加藤高木の3人で番組コント進行した仲本志村代わりに椅子などを使う形でコント進行し、場がしらける加藤松村和子の『帰ってこいよ』を歌っていた。また、この間新しギャグ加藤の「5秒前、4、3、2、1、デーン」と高木の「ピップエレキバン」が生まれたこの間視聴率平常比べ10%アップしていた(不祥事発覚後初放送同年2月21日放送時は47.6%であった)。また仲本志村復帰後、学校コントで「英語で“馬”は?」と聞かれ仲本が「もうやってません」と答え志村突っ込む自虐ネタもあった。 3月14日ゲスト坂道の上にある一軒家駆け上がるコント「陽の当たる急な坂道」で、細川たかしアキレス腱切断し長期入院余儀なくされた。後に復帰したものの、仕事量激減した細川後日欽ちゃんのどこまでやるの!?』にゲスト出演した際、萩本欽一に「仕事ないの?じゃあ毎回来る?」といわれ、同番組レギュラー出演することとなった。このことがきっかけで、当時シングル曲北酒場」を『欽どこ』で毎回歌うこととなり、それにより大ヒットとなった。「北酒場」および「欽ちゃんのどこまでやるの!?」も参照 6月27日前半コントの「脱獄コント」の際、大根志村そっくりの人形ギロチンで切るギャグ放送したが「残酷すぎる」との理由で、TBS系列各局に抗議電話殺到翌日新聞社会面報道された。 1983年6月4日前半コントの「民宿コント」で、爺さん役の加藤建てつけの悪い押し入れの襖を勢いよく閉めるとその衝撃で隣のトイレセットまでもが傾き中に入っている婆さん役の志村がその弾みで壁を突き破って外へ飛び出すという流れで、本来なら傾いた状態で止まるはずのトイレセットが完全に倒れうつぶせ倒れた志村直撃するになった志村はほぼ無傷済んでおり、やがて加藤高木持ち上げたセットの下から自力抜け出しその後コント続行された。 1984年6月16日生放送開始時刻直前2、3秒前)に、その日会場ホール入間市市民会館)が突然停電になり会場内照明消えという事態が起きた停電中は真っ暗な中で懐中電灯点灯させゲスト紹介した実際に停電になったのは会場内照明のみで、テレビカメラマイクロフォンなどの放送機材には、会場外の中継電源車から電力供給されていたため、完全に放送不能となる事態だけは回避された)。番組冒頭真っ暗になった会場映し「8時だョ!おっ!」の掛け声の後、通常通りタイトルロゴを出した。いったん電気復旧して、いかりやの「8時だョ!ちょっと遅れたかな?」と掛け声行った後にまた停電となったその時バックバンド一部ファンファーレ鳴り他メンバーはようやくステージ上ることができた。その後ID画像番組開始の遅れによるテロップ出しその間やむを得ずスポットライトステージ照らし、いかりやが「8時9分半だョ!」の掛け声掛けた後、少し早いペースで1番のみ演奏された。エンディング時では会場電源不備によるお詫びテロップ出した視聴率通常より10%アップした(26.2%)。この日の『オレたちひょうきん族』プロ野球中継のために休止しており、普段ひょうきん族流れていた視聴者層がたまたまチャンネル合わせていた視聴者多かった。この停電が安全・セキュリティ危惧及ぼし、後に同番組放送TBSGスタジオメインになったことについて影響したといわれる9月14日高木リハーサル中にアキレス腱断裂し、その後約4か月活動休止負傷翌日放送には番組冒頭ラジカセから再生され録音メッセージ放送された)。 スタッフの細かいミスもよくあり、公開放送ゆえにそれもそのまま放送されていた。1972年6月24日広島県東洋工業(現・マツダ体育館からの公開生放送エンディングが、タイムキーパー進行表を読み違えたために混乱した1984年10月27日放送で、前半コント終了音楽鳴っているにもかかわらず、なかなかセット撤収されず、やっとセット撤収しはじめた時にバンドのゲイスターズのメンバー走っている姿が放映された(スタッフミスで、終了数分前に座ってなくてはいけないが、連絡ミスメンバーの9割が遅刻。しかし、演奏開始には間に合う)。 また、セット転換時のミス仕掛け不具合については、高木仲本加藤志村アドリブギャグにして処理することも見られたが、生放送のため時間切迫させる要因になった時間切迫については、植木等ゲスト出演したでも、後半コント出演した植木予定になかったアドリブ挟んだために、いかりやが「だからそういうことするなって言ってるでしょ!」と植木たしなめたことがあったなど、非常にシビアであった。 このほか、過激な内容コントPTA問題視して番組抗議する事態が度々発生した上記火事騒動停電騒動仲本志村謹慎三大事件呼ばれている。またDVDTBSテレビ放送50周年記念8時だョ!全員集合 2005』の特典映像として火事騒動停電騒動1983年6月の「民宿コント」でのハプニング時のハイライト映像収録されている。

※この「トラブル史」の解説は、「8時だョ!全員集合の歴史」の解説の一部です。
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