トラブル続きの晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:29 UTC 版)
先述の通り1968年に「中村プロダクション」を設立したが、社内にしっかりとした金の管理をできる者がいなかったことに加えて、錦之助の人を信用しすぎる人柄も相まって次第に経営が傾いていく。結局1982年2月に15億円もの莫大な借金を抱えて事務所は倒産し、萬屋の別荘や自宅も人手に渡った。 事務所倒産から3ヶ月後に出演した歌舞伎公演の最中に倒れ、首の筋肉が麻痺する重症筋無力症と診断されて入院。さらに同年8月には呼吸困難に陥り胸腺腫摘出手術をし、長期入院を経て同年11月退院。翌1983年に重症筋無力症を克服し、1984年のドラマ「時代劇スペシャル 子連れ狼」で一年半ぶりに仕事を再開。悪いことは続き1990年には、右目角膜剥離を発病。また、この間に自身の不倫が発覚、三男が亡くなった(後述)。 1996年に、翌年放送予定のNHK大河ドラマ『毛利元就』の尼子経久役での出演が決まり製作発表の会見に臨むも、後日咽頭癌を発症し同役を降板した。その後舌の付け根を大きく切除する手術を受けて、舞台に立つことを夢見てリハビリに励んだ。しかし1997年3月10日午後2時41分、入院先の千葉県柏市の国立がんセンター東病院で肺炎のため死去。64歳没。
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