トラブル隠し発覚による不信感の増大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 23:17 UTC 版)
「福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯」の記事における「トラブル隠し発覚による不信感の増大」の解説
しかしながら、2002年に東京電力原発トラブル隠し事件が発覚し、その余波は増設計画にも影響を与えた。2002年3月5日、2003年度を間近に控える中で東京電力は「一日も早く実施したい」にも関わらず、増設を1年延期することとなった。この時点で延期は6度目であったが、佐藤栄佐久の姿勢は事件の発覚を受けて益々硬化していた。 トラブル隠しが表面化する少し前の2002年上半期、福島県は佐藤栄佐久の肝いりでエネルギー政策検討会を設け、原子力発電に賛成、反対の専門家を招聘して県として独自に原子力政策の検証を実施した。その際、双葉町が増設誘致決議を実施した1991年の前年である1990年に、同町の固定資産税が1億2000万円余りの減収になっていることに気付いた。佐藤栄佐久は県内全市町村に独自産業、産品の創出を促す政治方針を掲げていたが「双葉町議会は黙って座っているだけで固定資産税が入ってくる道を選んでいたのだ」と解釈し、不信感はこの時点で相当に増幅されていった。 なお事件の発覚を受け地元4町もそれまでの推進姿勢を転換し、2002年9月に増設の動きを凍結した。2007年、双葉町議会は2007年に増設凍結を解除したが、4町で構成する県原子力発電所所在地協議会では解除しなかった。このため東京電力は年度末を迎える度に「立地地域の理解を得るに至っていない」の言を繰り返さざるを得なくなり、毎年運転開始時期を1年ずつ繰り延べし続け、2009年4月で13回にも達した。2010年には14回目の延期が行われた。 なお、2000年代に入ると東京電力の設備投資額は1993年の1兆6800億円の3分の1あまりの水準で推移しており、2010年に出されたリリースによれば本発電所の増設を織り込んだ2010年度からの経営計画でも往時の半分程度、年7800億円程度であった。2010年時点での計画としては東通原子力発電所での増設計画や本発電所での高経年化対策と合わせて、2019年に原子力発電比率を48%まで高める計画を立てていた。更に、2010年度入社の新卒採用計画では、増設計画を見込んで運転・保守要員を増員するため、2009年度実績の805名に比較し265名増の1070名を採用する予定を立てている。
※この「トラブル隠し発覚による不信感の増大」の解説は、「福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯」の解説の一部です。
「トラブル隠し発覚による不信感の増大」を含む「福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯」の記事については、「福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯」の概要を参照ください。
- トラブル隠し発覚による不信感の増大のページへのリンク