トラベラーズの再分離まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 05:53 UTC 版)
「シティグループ」の記事における「トラベラーズの再分離まで」の解説
「共同CEO」の制度は、シティコープ側の合併了解を取り付けるためにワイルが提案したものだったが、これは多くの報道機関やアナリストから非現実的であるとして非難された。前米国財務長官のロバート・ルービンが2社の仲介のため役員に招請されたが、社内の衝突の結果、リードが経営から追われることになった。同様に、3人の共同CEOがコーポレート&インベストメントバンク担当、2人の共同CEOがコンシューマ・グループ担当となっていた。3人とは、トラベラーズ出身のジェームズ・ダイモンとデリック・モーン(Deryck Maughan)、シティコープ出身のビクター・メネゼス(Victor Menezes)である。この三頭政治は「The Noah's ark school of management」と揶揄され、長続きしなかった。 トラベラーズ出身の経営陣は、同社のクロスセリング戦略をシティグループに持ち込もうとした。シティバンクのリテール従業員は、年金商品や投資信託を売るために、証券・保険関係の資格を取得させられた。しかし、米国におけるリテール銀行業務は、こうした戦略にそぐわないものだった。CFOのトッド・トンプソン(Todd S. Thomson)が「リテール支店は大抵、預金を集めて、より高い利回りで運用するための業務を担っていた」と述べているように、コンシューマ部門内部は他の金融機関のように統合されておらず、それぞれの分野がスタンドアローンで業務をしている状態だった。 コーポレート&インベストメント部門の統合は、コーポレートバンカーとインベストメントバンカーの何れが主に顧客対応にあたるのかなどで対立が続き、さらに困難を極めた。共同CEOの一人であるジェームズ・ダイモンはこの混乱の中でシティグループを去り、代わってシティと競合関係にあるJPモルガン・チェースのCEOとなっている。 2000年11月と2001年8月シティグループは、消費者金融最大手のアソシエイツ・ファースト・キャピタルと、メキシコ最大の銀行であるバナメックス(Banamex)をそれぞれ買収した。後者は「大手金融機関が全て外資に奪われる」という危惧からメキシコ国内で大いに議論を呼んで、バナメックスの支店に爆弾が置かれるという武力抗議まで見られた。西海岸では2002年11月にゴールデン・ステート・バンコープ(Golden State Bancorp)を58億ドルで買収した。シティグループは傘下の損害保険部門トラベラーズをスピンオフして、その代金の一部をゴールデンの買収に使った。 トラベラーズ損保は2004年にセントポール・カンパニーズと合併し、セントポール・トラベラーズとなった。シティグループはその後も生命保険・年金業務を続けていたが、2005年にはこの部門もメットライフに売却することを決定した。シティグループは未だに多くの保険商品の「販売」を取り扱っているが、シティグループそれ自体は保険会社機能(引受・運用)は失っている。 トラベラーズ部門の売却以降も、シティグループは赤い傘のロゴを使用していたが、この商標権も2007年2月にセントポール・トラベラーズに売却され、同社は再びトラベラーズとなった。同時に新しい「シティ」ブランドとロゴを、バナメックスとプライメリカを除く全子会社で使用開始した。
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