トラベラーズ・グループとの合併
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「シティグループ」の記事における「トラベラーズ・グループとの合併」の解説
トラベラーズ・グループは、シティコープとの合併当時では、CEOのサンフォード・ワイル(通称サンディ・ワイル)の指導下で金融複合企業体を形成していた。そのルーツはコントロール・データ・コーポレーションの金融子会社だったコマーシャル・クレジットである。業績不調だった同社をワイルは自己資金700万ドルで買い取り、コストカットと経営改革の後に株式公開に成功した。その2年後、既に生命保険会社ALウィリアムズと証券会社スミス・バーニーの買収を通じてコングロマリットとなっていたプライメリカが、ワイルにより買収された。新会社は商号に「プライメリカ」ブランドを引き継ぎ、傘下企業の種々の金融サービスを関連させて販売する「クロスセリング」戦略をとった。非金融部門はスピンオフされた。 1992年9月、不動産投資の損失に追い込まれていた保険会社トラベラーズ・インシュアランスは、プライメリカと戦略的提携を締結し、1993年12月に経営統合する運びとなった。統合により、商号はトラベラーズ・インク (Travelers Inc.) となり、損害保険・生命保険・年金業務までカバーするようになる。また、トラベラーズの象徴だった赤い傘のロゴマークがすべての事業に冠されるようになった。この間、トラベラーズはシェアソン・リーマン—リテール証券・資産運用会社で、ワイルが1985年まで代表を務めていた—を買収、既に傘下に収めていた証券部門のスミス・バーニーと合併させた。さらに1997年11月、トラベラーズ・グループ(1995年4月に再改称)はソロモン・ブラザーズを90億ドルで買収した。 シティコープとトラベラーズの合併は1998年に行われたが、この合併は非合法なものだった。というのも、グラス・スティーガル法(世界恐慌時に金融混乱を受けて制定された法律)の規制が残っており、銀行が保険会社と一体化することは禁じられていたためである。シティ/トラベラーズ顧問弁護団はグラス・スティーガル法を研究し、「(合併の許認可権を持つ)連邦準備制度理事会は、2年間の猶予期間に保険部門を売却することを条件に銀・保合併を認めることができる」という条項を発見した。CEOらはこの2年後の期限までに法律を「変える」ことができると考えた。結局1999年に法律は改正され、グラム・リーチ・ブライリー法の成立によりグラス・スティーガル法は無効となった。もっとも、皮肉なことに、シティグループはやがて自らその保険事業の大部分を売却することになる。『フォーチュン』誌2000年3月号には「Reed: Reflections on a Culture Clash」との見出しが躍って、リードは辞職した。 シティコープとトラベラーズの合併当時、ワイルがトラベラーズ会長を務め、ジョン・リードがシティコープ会長を務めていた。2社の合併は、「銀行・保険のワンストップショッピングの実現」を意義に、ワイルがリードに持ち掛けたものだった。しかし結局はトラベラーズがシティコープを買収する形での合併となった。ディーラーとして金融機関を点々とした後M&Aを繰り返しトラベラーズを成長させたワイルと、従軍後マサチューセッツ工科大学に学びシティコープの経営に打ち込み続けてきたリード。経営手法においてもキャリアパスにおいても全く異なる2人の経営者は、合併当初「共同CEO」として共に代表の座に就いた。
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