1980年1月 1号機定期検査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 02:09 UTC 版)
「福島第一原子力発電所のトラブル」の記事における「1980年1月 1号機定期検査」の解説
証言者は平井憲夫、平井と一緒に作業に入った地元農家のS(匿名)という者で、原子炉建屋内での配管溶接作業前に溶接不良を防止するための清掃作業があり、平井の監督の下10数名で中に入った。汚染度はB区域であったが、Sともう一名が高線量被曝し、作業後何度もホールボディカウンタによる測定を実施しても当時の作業者の平均が1000カウントのところ、ほぼ全員が5000カウント以上、Sについては特に高く52万4866カウントであった。その日以来Sは炉内での作業から汚染度の低いエリアでの作業に配置転換されたが、人並みのカウントに戻るまでに3年4ヶ月を要した。更に、Sはその作業の日のホールボディの値を1986年に入って平井と恩田が聞き取りしに来るまで知らず、自身で初めて値を知ったのは32000カウントまで下がった時からだった。また、作業の日以降、だるさや頭痛、歯茎からの出血に悩まされたという。その後チェルノブイリ原子力発電所事故が発生して原子力発電への関心が高まったため、Sは高木仁三郎の紹介で大阪の病院で診察を受け、被曝症状の兆候が見られる旨診断されたが、この顛末を『週刊現代』1986年5月24日号で報じた上で東京電力に照会したところ、許容線量内の被曝量との答えだったという。
※この「1980年1月 1号機定期検査」の解説は、「福島第一原子力発電所のトラブル」の解説の一部です。
「1980年1月 1号機定期検査」を含む「福島第一原子力発電所のトラブル」の記事については、「福島第一原子力発電所のトラブル」の概要を参照ください。
- 1980年1月 1号機定期検査のページへのリンク