1980年-1985年: 成功およびスターダム
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「アラバマ (バンド)」の記事における「1980年-1985年: 成功およびスターダム」の解説
それは起こった。私たちが考える隙もない間に起こった…ある日私たちはマートルビーチにいて、数日後にはディック・クラークの『American Bandstand 』に出演していた。死ぬんじゃないかと思った。これはすごいことだ。次には全米放送のテレビで年間グループ賞となったのだ。 “ ” ランディ・オウエンが語るバンドの驚異的成功 次のシングル『My Home's in Alabama 』はさらに好評を受け、トップ20にランクインした。チャート入り後、テネシー州ナッシュビルで年1回行われる『カントリー・ラジオ・セミナー』でリーバ・マッキンタイアと共に新人として出演した。バンドとしてよりむしろスタジオ・ミュージシャンと共に演奏せねばならず、チャンスをうまく活かせなかった。にも関わらず、バンドはいくつかのレーベルの興味を惹き、1980年4月、RCAレコードと契約した。RCAでの最初のシングルでハロルド・シェドのプロデュースによる『Tennessee River 』は『ビルボード』誌のカントリー・チャートで初めて第1位を獲得し、以降30曲以上が連続で第1位を獲得することとなった。『Cashbox 』誌により年間新人ヴォーカル・グループ賞を受賞し、これがバンドにとって最初の受賞となった。1980年7月、長年にわたるバウリーでの演奏を辞めた。この時の成功はバンドにとっても驚きであった。 アラバマはRCAで自由に創作活動を行ない、『Tennessee River 』の後、重役や出版社の反対にも関わらず『Why Lady Why 』を発表した。この曲は彼らにとって2枚目の第1位獲得シングルとなった。小さなクラブでの演奏から、大規模なコンサート会場での前座まで幅広くにツアー公演を行なった。さらにジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』や『The Merv Griffin Show 』などのテレビ番組にも出演した。1981年2月、メジャー・レーベルから2枚目のアルバム『Feels So Right 』を発表し、『ビルボード』誌の総合チャートで第16位を獲得し、自身のアルバムで唯一3年以上トップ200にとどまり続けた。1981年2月、次の『Old Flame 』が第1位を獲得し、5月、『Feels So Right 』、10月、『Love in the First Degree 』が続いた。同年、アラバマは『ビルボード』誌から年間新人グループ賞に、『Radio & Records 』からは年間グループ賞に、アカデミー・オブ・カントリー・ミュージック(ACM)からは年間ヴォーカル・グループ賞に認定されるなど、音楽業界から高い評価を受けた。1981年、CMAアワード授賞式で演奏しただけでなく、インストゥルメンタル・グループ賞およびヴォーカル・グループ賞を受賞した。 彼らにとってこれまでにない成功をおさめたが、オウエンはツアー中に父親が亡くなったことが大きく影響し、私生活はうまくいかなくなっていった。 1982年2月、アルバム『Mountain Music 』をリリース 1982年5月、『Mountain Music 』、7月、『Take Me Down 』、10月、『Close Enough to Perfect 』とアルバム『Mountain Music 』からシングルカットされた3枚全てが第1位となった。同年、『Mountain Music 』、『Feels So Right 』が4倍プラチナに認定され、全米デビューからたった2年間で1982年終盤までに600万枚を売り上げた。1982年、クリスマス曲『Christmas in Dixie 』が『ビルボード』誌の2つのチャートで6年に亘りクリスマス・シーズンになるとランクインした。1982年、ソロ歌手が受賞するのが通例であったCMAアワードの最高賞エンターテイナー・オブ・ザ・イヤーでグループとして初めて受賞し、1984年まで連続で受賞した。また『Mountain Music 』でグラミー賞カントリー・ヴォーカル・デュオまたはグループ部門を受賞した。 1983年3月、アルバム『The Closer You Get... 』が出版2ヶ月でプラチナ認定され、グラミー賞カントリー・パフォーマンス賞を受賞した。このアルバムからのシングル『Dixieland Delight 』、『The Closer You Get 』、『Lady Down on Love 』がアメリカおよびカナダで第1位を獲得した。1984年1月、アルバム『Roll On 』が出版され、4枚のシングル『Roll On (Eighteen Wheeler) 』、『When We Make Love 』、『If You're Gonna Play in Texas (You Gotta Have a Fiddle in the Band) 』、『(There's A) Fire in the Night 』全てがアメリカおよびカナダで第1位を獲得した。1985年、アルバム『40-Hour Week 』からのシングル『40 Hour Week (For a Livin') 』、『Can't Keep a Good Man Down 』がアメリカとカナダで第1位を獲得し、アルバムからの1枚目のシングル『There's No Way 』はカナダでは惜しくも第1位に届かず第2位となった。『40-Hour Week 』はポップ・アルバム・チャートとクロスオーバーでヒットし、アラバマの最も人気のあるアルバムの1つとされている。1985年9月、『Christmas in Dixie 』を収録したクリスマス曲のアルバム『Alabama Christmas 』がアラバマにとっての初めてのCD盤として出版された。ナッシュビル・ネットワークの提供でテレビでもプロモーションが行なわれた。
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