1980年 – 1986年: 結成〜成功〜挫折とは? わかりやすく解説

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1980年 – 1986年: 結成〜成功〜挫折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 23:30 UTC 版)

フロック・オブ・シーガルズ」の記事における「1980年 – 1986年: 結成〜成功〜挫折」の解説

フロック・オブ・シーガルズ1980年マイク・スコア(英語版)(ボーカルキーボード)が中心となってリヴァプール結成された。マイク美容師で、デビュー後ガルウィングのような奇抜なヘアスタイル後年マイク冗談で「ウルヴァリンパクられた」と語っている)が話題となった結成時のメンバーは、ウィリー・ウー(ギター)、フランク・モーズリー(ベース)、そしてマイクの兄アリ・スコア(ドラムス)。「カモメ群れ」を意味するバンド名の由来ストラングラーズの曲「Toiler on the Sea」と小説かもめのジョナサン』。 ギターウーはすぐにバンド去りティーンエイジャーのポール・レイノルズ(英語版)が加入した兄弟げんかのせいでマーク・エドモンドソンがごく短期間代役としてドラムス叩いたこともあった。来るべきレコード会社からのオファー備えて彼らは、日々マイクヘアサロン2階レッスンしてはクラブでの演奏繰り出した1981年5月バンドBBCラジオ1で翌週ジョン・ピール番組向けにセッションレコーディングした。そしてミドルセックスにあったCheckmount Limitedマネジメントの下ジャイヴ・レコードからシングルリリースすることも決定した。ファーストシングル「(It's Not Me) Talking英語版)」と、セカンドTelecommunication英語版)」はいずれビル・ネルソンプロデュースし、「Telecommunication」はクラブチャートでヒット記録した。サードリリースはEPの「Modern Love is Automatic」で、7インチ12インチそれぞれ複数のバージョン存在した12インチはすぐに「Telecommunication」とのダブルAバージョンリイシュー英語版)され、これがアメリカ進出レコードとなった商業的なピークとなった1982年、元ゴングマイク・ハウレットプロデュースした4thシングルI Ran (So Far Away)(英語版)」は、オーストラリアで1位、アメリカニュージーランドトップ10記録する大ヒットとなった。続くシングルSpace Age Love Song英語版)」もヒットし、両曲を収録したファーストアルバムテレコミュニケイション英語版) 」はアメリカニュージーランドゴールドディスクカナダプラチナディスク獲得した第25回英語版)(1983年)のグラミー賞ではアルバム収録曲「D.N.A.(英語版)」が最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞を獲得したセカンドアルバムリッスン英語版)」から先行リリースされシングルWishing (If I Had a Photograph of You)(英語版)」は母国イギリスで初のトップ10ヒットとなったメモリアルデー週末1983年5月28日フロック・オブ・シーガルズザ・クラッシュメン・アット・ワークストレイ・キャッツらとUSフェスティバル参加した同年リッスン」からはデビューシングル「(It's Not Me) Talking」の再録バージョンを含む3曲のシングルリリースされたがマイナーヒットに終わったがっかりした彼らは異星人侵略などのSF的なテーマから方向転換し、より現実味があり人間的な感情訴え作品としてサードアルバム「The Story of a Young Heart英語版)」を完成させた。しかしシングルThe More You Live, the More You Love英語版)」のパワープレイも功を奏さず、アルバムセールス多くの国で前作より落ち込む結果となった。また続く2枚シングルNever Again (The Dancer)」と「Remember David」はチャート入りさえ果たせなかった。セールス低迷喘ぎながらもツアー続けるさ中、レイノルズ脱退し元クラシックス・ヌヴォー(英語版)のゲイリー・ステッドマンに交代したサウンドテコ入れとしてキーボードのクリス・クリサフィスも加入した両名とも4thアルバム「ドリーム・カム・トゥルー(英語版)」のレコーディング待たずして、事前ツアーが終わるとバンド去ってしまった。アルバムイギリスでは1985年アメリカ日本など他国では1986年リリースされたが、低迷拍車掛かりチャート・ランク圏外となってしまう。この結果バンド実質的な解散状態に陥ってしまった。

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