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“WEBマガジン 日本の廃道” (2005年7月). 2020年8月17日閲覧。 “横須賀トンネルマップ (PDF)”. 横須賀市観光情報サイト「ここはヨコスカ」. 横須賀集客促進実行委員会 (2013年10月). 2020年9月4日閲覧。 “横須賀トンネルカードマップ2018 (PDF)”. 横須賀市観光情報サイト「ここはヨコスカ」. 横須賀集客促進実行委員会 (2018年1月). 2020年9月4日閲覧。
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ぶかどん臨時別冊増刊号『A5版の夢―貸本漫画小論!』(1977年7月のコミックマーケット6で頒布。貸本漫画に関する資料系同人誌) 全国三流劇画共斗会ギ「三流劇画ミニマップ」(迷宮『漫画新批評大系』第2期1号&2号掲載。1号は1977年12月、2号は1978年4月発行) 個人的なことにもなるが、迷宮として漫画批評誌『漫画新批評大系』を出していた七七年の時点において少女漫画とエロ劇画は、新たな可能性を持つ漫画ジャンルとして取り組みを始めることにもなっていった。七七年十二月に出た『漫画新批評大系』(第2期/VOL.1/迷宮77)において、ぼくは「戦後少女マンガの流れ」の連載を開始し、同時に川本耕次と共に「三流劇画ミニマップ」を“三流劇画共闘会議”名で掲載した。(中略)たぶん、ここから三流劇画ブームはスタートしていったはずなのである。(中略)迷宮の中で三流劇画、エロ劇画に積極的に関わっていたのは川本耕次、青葉伊賀丸、そしてぼくだ。川本はこの年の六月頃には『別冊官能劇画』の編集者となり、業界につながりが出来、迷宮と深い関わりのあった村上知彦が編集に携わる『プレイガイドジャーナル』に企画を立ち上げるなどの動きが重なっていく。亀和田武の人脈による『本の雑誌』でのマンガ評の三流劇画の扱いも含め、サブというよりカウンター的意識を持っていたミニメディアとの結びつきが力を与えていくことになる。『別冊新評 SF新鋭7人集』で同人誌の世界にページを割いてくれたS編集長に「三流劇画」の世界を作らせてくれと言ったのはぼくだが、時期尚早ということで、石井隆を出した後ならという確約をとれたのは秋頃だったという記憶がある。──米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月 221-223頁 みのり書房『官能劇画』1977年〜1978年 みのり書房『Peke』1978年9月創刊号〜1979年2月休刊号(全6号)※大徳哲雄との共同編集 みのり書房『月刊OUT』1978年8月号特集「吾妻ひでおのメロウな世界」 みのり書房『月刊COMIC AGAIN』1979年5月創刊号ほか おいらが作ったのは『Peke』という漫画誌なんだが、SFとか鬼太郎とかCOMとか、まぁ、そんな感じです(笑)。この時期、おいらが同人誌で煽った三流劇画というのがメディアに注目されるようになり、大阪で出ていた情報誌『プレイガイドジャーナル』の1978年8月号で座談会が行われるんだが、そこではおいらの肩書きは「新創刊誌の準備中」となってますね。おいらも特にSFやニューウェーブ系漫画をやりたかったわけじゃなく、エロ劇画でも良かったんだが、たまたま会社がアニメで当てたので、その連続性の企画を宛てがわれたわけですね。まぁ『Peke』というのは、あまり売れなくて半年で潰れるんだが、おいらへそ曲がりなので、最後の号の表紙にデカデカと「廃刊号」と入れ、編集後記で大見得切ったわけだ。アジテーションは得意だから(笑)。で、あまり売れないと言ってもそれなりには売れていたわけで「止めないで」という葉書が5000通ほど届いたらしい。経営者が葉書の山に仰天して、でも、おいら、もう会社辞めちゃってるし、廃刊しちゃったしで、後の祭り(笑)。そこで後釜として作られたのが『月刊COMIC AGAIN』です。コレは『COM』の編集をやっていたというオジサンをどっかから連れてきて、創刊号がCOM特集Part2(Part1は『Peke』の廃刊号)というのだから、実質的な復刊ですね。実はおいら、立上げ当時の『月刊COMIC AGAIN』の記事ページの編集まかされて手伝っていたんだが、他にも、別冊新評という出版社で企画していた「三流劇画の世界」という本にかかわるわけだ。──ネットゲリラ「昭和ポルノ史 番外編 おいらの自伝です その4」(2010年10月10日配信) - ウェイバックマシン(2011年11月16日アーカイブ分) 新評社『別冊新評 三流劇画の世界』1979年4月発行(複数のペンネームを使い分けて構成、ルポ、評論、コラムなどを米沢嘉博らと共に担当) 今だから言えるが、ペンネームは6人分だが書いたのは3人。ぼくと川本と青葉である。構成も手伝っている。そんなこともあって「編集後記」では「この特集で筆者の数の不足は否めないが、すぐれた劇画論、作家論を生むためにはもう少し時間が必要かもしれない。この本がそういった意味で今後の資料になればよいが」と編集長にグチられている。これ以前、エロ劇画に触れたものはごくわずかしかない。69年の『えろちか』と74年の『宝島』の特集がそれであり、陽の当たらないジャンルマンガ誌をここまで徹底して取り扱ったのはこの特集雑誌が初めてであり、そうして最後でもあった。この本では75年の創刊ラッシュから、77〜78年の最盛期の状況まで、概要を見渡すことができる。──米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月 225頁 コミケット周辺に集まっていた人間がみんな社会人になり、あるいは編集者に、あるいは作家に、それぞれ連動しながら動いていたのだが、同人誌時代にやった「三流劇画ミニマップ」の余波が、その頃になっていろいろと出て来る。まず、大阪で出ていた情報誌『プレイガイドジャーナル』の1978年8月号で三流劇画をテーマとした座談会があり、翌年には『別冊新評』という雑誌で「三流劇画の世界」という特集が出る。三流劇画の世界は、米澤氏と私でずいぶんたくさんの原稿書いてます。他にほとんど書き手がいなかったので仕方ない。またTVでも人気番組『11PM』で特集が組まれたりと、マスコミ挙げていろいろと騒々しい事になるんだが、その本が出る頃には当人たちはとっくに、次のネタに取り掛かっていたりするわけです。──川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』筑摩書房〈ちくま新書〉2011年 38頁 1979年の4月の日付で出た『別冊新評・三流劇画の世界』には座談会が載っていて、そこには失業中の私も出席しているのだが、そこでは「ロリコン系のエロ劇画誌を作ってみたい」と発言しているわけです。また、その直前、みのり書房で私が作っていた『Peke』の最終号編集後記では『Little Pretenders 小さなおすまし屋さんたち』(ミリオン出版/1979年1月)という写真集について触れている。次に来るのはロリコンだとそう考えていたのだ。──川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』筑摩書房〈ちくま新書〉2011年 178-179頁 迷宮'79『さべあのま作品集 シングル・ピジョン 漫画新批評大系叢書Vol.3』(1976年4月4日初版/1979年4月8日第5版) アリス出版『少女アリス』7〜15号(1979年〜1980年。吾妻ひでお「純文学シリーズ」担当) アリス出版『ガール&ガール』(1979年頃) 近藤昌良『街には女の子たちがいっぱい』(群雄新社/笠倉出版社 1981年5月) 責任編集・監修=蛭児神建『ロリコン大全集』(群雄社出版/都市と生活社 1982年5月31日)吾妻ひでお、内山亜紀、米沢嘉博、蛭児神建、高取英、谷口敬、杉浦日向子、さべあのま、早坂未紀、青山正明、近藤昌良、孤ノ間和歩、千之ナイフ、赤井孝美、女子高生など多彩な人材が集ったロリコンブームの集大成本。初版2万3千部は完売し、1982年末までに4万部を発行した。本書は第1次ロリコンブームの中心人物である蛭児神建が責任編集・監修という名目だが、実質的には川本耕次と元ふゅーじょんぷろだくと編集部の小形克宏(緒方源次郎)によって編集された。主に少女写真やコミックのほか、ロリコン用語の基礎知識(米沢嘉博)、女子高生座談会、少女愛の社会学・考現学を多角的に分析した評論などが掲載されている。付録にロリーポップ着せ替え人形、ろりろりシール、ロリコンカセットレーベル、蛭児神の同人誌『幼女嗜好』出張版付き。吾妻は当時のロリコン漫画界の諸相を任侠映画風に描き出した『仁義なき黒い太陽 ロリコン編』という「女の子がひとりも出てこない、おっさんばかり出てくる、嫌がらせのような(笑)作品」を寄稿した(川本談)。 私は『東京おとなクラブ』のエンドウ編集長のバイクのケツに乗って、82年の東京を突っ走った。新宿御苑前にあるマンションを訪れると、そこはコミック評論誌『ぱふ』の編集部だ。怪しげな男たちが車座になっている。中心であぐらをかくヒゲ面の男が「がっはっはっ」と豪傑笑いした。「いまやロリコンの時代だからよ〜、その決定版を出そうってのよ。『ロリコン大全集』だ!!」。なんでも川本耕次サンというエロ雑誌界の重鎮だそうな。正座して真面目に話を聞いてるのは慶應大学の学生たちだという。その一人が「よろしくお願いしますっ!」と頭を下げて、サッと名刺を差し出した。へえ、学生が名刺を持ってるのか? と驚いたが、そこには〈『突然変異』編集長〉の肩書が。あっ! と思った。『突然変異』を変態ミニコミ雑誌だと椎名誠が朝日新聞の雑誌評で叩き切って、同誌の学生編集者らが『週刊プレイボーイ』で猛反論、椎名に決闘状を叩きつけるという事件があったのだ。さぞコワモテの輩かと思えば、目の前の青白くひょろっとした青年は柔和な笑みを浮かべている。「青山正明」という名前だった。川本サンは神田にある群雄社という出版社でエロ本を作っていた。当時はビニ本、自販機本の全盛時だ。ビニ本とはビニールで包まれたヌード写真集で、自販機本は自動販売機で売られていたエロ雑誌のこと。自販機のガラス面にマジックミラーが貼られていて、児童が前を通る昼間は鏡だが、夜になるとあら不思議、光のマジックで中が見える!? 煽情的な表紙のエロ雑誌は適当なヌードグラビアと活版ページで構成されている。ザラ紙のその埋め草記事を書く仕事を任されて、私は群雄社に出入りするようになった。「明日までに8ページ、よろしく!」といきなり言われ、〈夏場のアウトドアSEX必勝マニュアル〉みたいないい加減な記事をたったひと晩で書き飛ばすのだ。──中森明夫「新人類&おたく誕生前夜──急カーブを曲がろうとしていた──“80年安保”が存在したのではないか? 政治闘争ではない。それは、文化、いやカルチャーにおける叛乱=氾濫だった」新潮社『新潮45』2012年5月号「特集/30年前と30年後」34頁 群雄新社『ありす』1982年11月創刊号〜1983年7月休刊号(全3号) 群雄社出版『アリス倶楽部―少女愛を探求する世紀末アンソロジィ』1983年10月創刊号(群雄社倒産のため続刊されず)不純文学短編小説「天国にちょっとだけ近い場所」掲載。編集人=川本耕次/発行人=明石賢生 三和出版『ロリコンHOUSE』→『ロリくらぶ』(1984年12月創刊号から1989年8月終刊号まで監修) セピア色の少女たち―アンティーク・ポストカード・コレクション(シティ出版 1986年4月) 米澤嘉博に花束を(虎馬書房 2008年) - 米澤英子らとの共著。エッセイ「劇画アリスと少女アリスの日々」を執筆。
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本多弘之 編『他力救済の大道 - 清沢満之文集(現代語訳)』 草光舎、2000年。 - 本多が編纂した清沢満之文集。現代語訳は森芳樹・森英子・高梨修・田中重光に依頼し、本多が監修したもの。「解説」(P.146 - 181)は本多による著作である。 本多弘之監修 『知識ゼロからの親鸞入門』 幻冬舎、2009年。 本多弘之編 『安田理深 唯識論講義』上巻、春秋社、2012年。 本多弘之編 『安田理深 唯識論講義』下巻、春秋社、2012年。
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