日光東照宮陽明門とは? わかりやすく解説

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日光東照宮陽明門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 08:15 UTC 版)

日光東照宮」の記事における「日光東照宮陽明門」の解説

本節脚注特記した箇所以外、工藤 1989, pp. 4348よる。 日光東照宮陽明門は、建物全体おびただしい数の極彩色彫刻覆われ一日中見ていても飽きないということから「日暮御門」と称されている。門の名は平安京大内裏外郭十二門のうちの陽明門由来する陽明門は、表門から参道進み石段2つ上った先に南面して建つ。門の左右袖塀を介して東西廻廊につながる。門を入ると正面唐門で、その先には拝殿がある。 陽明門は他の社殿と同様、寛永13年1636年)の造替である。建築形式三間一戸楼門で、規模桁行間口)が約7メートル梁間奥行)が約4メートル、棟までの高さが約11メートルである。 屋根入母屋造瓦葺き東西南北の各面に唐破風付す正面唐破風下には後水尾天皇宸筆の「東照大権現」の勅額がある。組物上層三手先みてさき)、腰組は四手先で、上のみでなく、柱間にも密に組物を置く詰組とする。軒は二軒繁垂木ふたのきしげだるき)で扇垂木とする。初層の円柱で、礎盤削り出し礎石上に立つ。初層の柱間地覆腰貫飛貫(ひぬき)、頭貫固め頭貫上に台輪(だいわ)を乗せる礎盤形の礎石、貫の多用台輪使用詰組扇垂木など、細部禅宗様基調とする。、貫などの軸部材胡粉塗で白く仕上げ要所鍍金金具嵌める。初層には地紋彫を施す。 地紋彫は屈輪文(ぐりもん)の地の上丸文散らし丸文中には鳳凰孔雀二つ、竜、象、虎、牡丹などを表す。12本ののうち1本(背面西から2本目)のみは屈輪文が上下逆さになっており、「魔除け逆柱」と称されている。また、建物全て完璧に完成させるといずれ崩壊するという言い伝えから、一箇所だけわざと完璧にせず、崩壊を防ぐという意味もある。 初層中央間に黒漆塗に鍍金金具飾った両開き扉を吊り両脇間は表側一対随身像、裏側獅子一対安置する。 これらの像の周囲壁面胡粉塗に漆箔仕上げ牡丹唐草文の彫物飾り欄間飛貫頭貫の間)は黒漆塗の地に花鳥彫刻貼り付けている。その上方の組物出組で、斗(ます)や肘木漆箔とし、組物組物の間は菊花文の彫物入れる。初層の地覆腰貫飛貫頭貫などの平材はなどと同様、胡粉塗で、頭貫牡丹唐草文の地紋の上様々な姿態唐獅子彫物配する頭貫木鼻唐獅子であり、阿吽交互に配置する。その上四手先の組物は、斗や肘木黒漆塗とし、稜線部に金箔押し牡丹唐草文の沈金彫を施す。通肘木には鍍金木瓜金具を打つ。組物間の空間琵琶板)には中国先験仙人などの人物像彩色彫刻がある(詳細後述)。 組物四手先目の木鼻彩色唐獅子となり、その左右に牡丹を表す。初層の内部天井中央間(通路部分)が2面墨絵雲竜図となり、その周囲には彩色雲文がある。両脇間の天井は、東が天女2面、西が迦陵頻伽2面いずれも彩色で描く。初層両側面の外壁には金箔の地に彩色牡丹立木彫物があるが、これは当初のものではなく寛延2年1749年)から宝暦3年1753年)にかけての修理時に制作されたものである昭和49年1974年)の修理時に現在の牡丹図の下から、唐油彩色の錦花鳥図が発見された。唐油とは、桐油荏油などを顔料溶剤とした絵画技法である。 上層円柱頭貫でつなぎ、その上に台輪乗せる、貫、台輪等は初層と同様の胡粉塗とし、には松皮菱地紋彫がある。頭貫木鼻竜馬(りゅうば)となる。竜馬一見、竜と似ているが、前脚に馬のような蹄があることから区別できる頭貫は浪間に竜馬地紋彫を施し正面及び背面中央には大型蟠竜彫物がある。上層柱間装置は、正背面中央間を黒漆塗の桟唐戸とし、正背面両脇間および東面西面それぞれ変形花頭窓とし、鳳凰円文で飾る。中央間の桟唐戸前に変形花頭窓形のがある。桟唐戸左右に胡粉塗の昇り竜降り竜の彫物があり、正背面両脇間および東面西面花頭窓左右に胡粉塗の松竹彫物がある。 上層周囲には高欄めぐらす高欄四隅逆蓮柱頭用いた禅宗様である。この高欄羽目板には、唐子植物などの彩色彫刻がある(後述)。上層組物仕上げは初層と同様で、斗や肘木黒漆塗とし、稜線部に金箔押し牡丹唐草文の沈金彫を施す。出群青の上牡丹唐草鳳凰文を描く。組物間の空間琵琶板)には鳳凰彩色彫刻がある。上層組物には尾垂木上下2段入り上段尾垂木先は竜、下段尾垂木先は竜と似るが、異なった動物である「息」(読み方は「そく」または「いき」)とされている。 四隅では尾垂木3段になり、上段から順に竜、雲形、息となる。「息」という架空の動物の名は、宝暦3年1753年)にまとめられた『御宮並脇堂社結構書』(『宝暦結構書』)という資料出てくる。この資料東照宮内の建築装飾主題技法について詳細に記録した書物である。「息」という動物名はこの資料にしか見出せず、「息」の作例日光東照宮陽明門拝殿以外の場所にはほとんど見出せないことから、その正体は謎であり、読み方も「そく」か「いき」か不明のままである。「息」は外見上、竜とよく似ているが、角が1本であること、鼻が豚に似ていることなど、明らかに異なった図像特色もある。 日光東照宮社殿おびただしい数の彫刻装飾されており、陽明門のほか、表門回廊唐門拝殿本殿などにも数多く彫刻がある。総数は5173体で、そのうちの508体は陽明門にある。これらの彫刻単なる装飾ではなく徳川家康「神」として祀る社殿において、様々な象徴的意味担っている人物彫刻には中国伝説故事取材したものが多く鳥獣彫刻には霊獣霊鳥呼ばれる吉祥意味合いを持つものが多い。 初層組物間には人物像装飾彫刻がある。これらの題材はいずれ中国のもので、故事古代先験伝説上の仙人などを表している。組物間の彫刻は、正面背面に各7個、側面には各4個の計22個である。それぞれの題材以下のとおり便宜上、各面とも向かって右端の彫刻(1)として番号付した)。 正面(東から)(1)琴棋書画のうち弾琴2人)、(2) 琴棋書画のうち囲碁(3人)、(3)周公聴訴(5人)、(4) 周公聴訴(4人)、(5)孔子観河(5人)、(6) 琴棋書画のうち展書(5人)、(7) 琴棋書画のうち観画(5人) 背面西から(1)琴高仙人乗る)、(2)黄仁覧(竜に乗る)、(3)鍾離権(4)費長房(3人)、(5)王子喬乗る)、(6)梅福仙人鳳凰乗る)、(7)鉄拐仙人唐子含め2人東面北から(1)思遠(虎に乗る)、(2)四睡(3人+虎)、(3)福禄寿寿老人唐子含め3人+玄鹿)、(4)張良麒麟乗る西面(南から)(1)商山四皓しょうざんしこう、4人)、(2)虎渓三笑(3人)、(3)西王母東方朔(5人)、(4)三聖吸酸(3人) 初層頭貫木鼻唐獅子正面西端) 初層頭貫木鼻唐獅子背面東端梅福仙人 鉄拐仙人思遠 周公聴訴(周公旦訴え人々琴棋書画のうち「画」 初層背面東側獅子 初層背面見上げ 逆柱 上層背面 正面の7個の彫刻のうち4個は「琴棋書画」(きんきしょが)を題材したもので、残り3つ周公旦孔子まつわるのである。「琴棋書画」とは琴、囲碁、書(書道)、絵画4つ技芸を表す。これらは文人たしなむものとされ、文人理想の生活象徴するのである周公旦は周時代政治家で、陽明門彫刻は、彼が賢人見逃さないために、髪を洗っている時に人々との面会応じたという故事表している。陽明門の初層正面中央にある彫刻は、水盤前に髪を洗っている周公旦表し、その向かって右彫刻は、周公旦訴え聞いてもらおうとしている5人の人物表している。「孔子観河」は、『論語』の「子罕第九」にあるエピソードで、孔子が河の流れを見つめ、「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎(お)かず」と述べた場面表している。 背面の7個の彫刻はいずれ仙人題材したものである。仙人とは、中国の道教思想における理想的人物で、仙術超人的な術)を操る不老不死存在とされている。琴高仙人またがり、黄仁覧、王子喬梅福仙人それぞれ竜、鳳凰乗った姿で表される背面中央の彫刻題材費長房とされているが、この彫刻中に費長房自身の姿はなく、空を見上げる3人の人物がいるのみである。これら3人の見上げ先に空を飛ぶ仙人がいるという設定になっている東面北端に虎に乗る思遠南端麒麟乗る張良彫刻がある。鄭思遠の左は「四睡図」で、天台山国清寺豊干禅師と、同寺に住した風狂隠者寒山・拾得が、禅師の手なずけた虎と一緒に眠っている図である。その左の彫刻七福神メンバーでもある福禄寿寿老人表したもので、寿老人連れてる鹿(玄鹿)もいる。 西面中国の伝説故事登場する人物題材としている。「商山四皓」は、秦代末期乱世避けて商山(陝西省商県)に隠棲した4人の高士すなわち東園公、綺里季、夏黄公、甪里先生(ろくりせんせい)を指す。「皓」は「白」の意で、4名とも眉や髭が白かったことからこの呼称がある。 「虎渓三笑」とは、慧遠陶淵明陸修静の3名を表した図像である。東晋高僧慧遠は、廬山東林寺隠棲し、俗界との境である虎渓(川)を決し渡らないことを誓っていた。ある日慧遠のもとを陶淵明陸修静訪ねてやってきた。慧遠訪問終えて帰る陶淵明陸修静を見送る道すがら、彼らとの話に夢中になり、気がついたら3人とも虎渓越えていた。それに気付いた3人が大笑したというエピソードである。 西王母東方朔の図は「東方朔」と呼ばれるもので、東方朔西王母の園から長寿盗み出し800年長寿得たというものである三聖吸酸は大甕を囲む3人の人物蘇軾黄庭堅仏印)を表す。儒教蘇軾道教黄庭堅仏教仏印の3人が桃花酸という酢をなめたところ、3人とも「酸っぱい」と言ったという故事で、宗教立場違って真理一つであるという意味を表す。 以上の人彫刻にはそれぞれの含意があるが、特に正面位置する彫刻には重大な意味があり、正面中央の周公旦理想為政者像として、徳川家康その人イメージ投影したものとみなされる仙人の像は、家康肉体滅びても、その魂は永遠に生き続けることの寓意とみられ、家康葬った日光の地が仙境であることを含意するとの見方もある。後述の「唐子遊び」の像は、徳川政権下天下泰平寓意するとみられる上層高欄羽目板には「唐子遊び」と呼ばれる装飾彫刻がある。「唐子」とは、絵画工芸品題材として登場する中国の子供のことを指す。羽目板正面背面に各9面、側面には各6面の計30面である。30面のうち10面は植物などの図柄で、残り20面が「唐子遊び」である。それぞれの題材以下のとおり便宜上、各面とも向かって右端の羽目板(1)として番号付した)。 正面(東から)(1)孟母三遷2人)、(2)奏楽する4人の童子(3)踊る5人の童子(4)石拳をする8人の童子(5)司馬温公甕割(5人)、(6)鬼ごっこをする6人の童子(7)木馬遊びをする6人の童子(8)団扇を追う3人の童子(9)石拳をする5人の童子 背面西から(1)と遊ぶ5人の童子(2)木兎みみずく)、瑠璃鳥松竹(3)灌仏会かんぶつえ遊びをする5人の童子(4)山鵲万年青、竹、牡丹(5)雪だるま作る5人の童子(6)瑠璃鳥牡丹唐松(7)作る5人の童子(「動物いじめ」とも)、(8)山鵲唐松牡丹(9)木馬遊びをする2人童子 東面北から(1)山鳩牡丹(2)倒れた子を助け童子(3)冬に火鉢にあたる7人の童子(4)喧嘩をする5人の童子(5)椿(6)捕える3人の童子 西面(南から)(1)雀、大和、竹、(2)雀、大和たんぽぽ(3)(らん)、芙蓉(4)布袋和尚2人童子(5)牡丹唐松(6)野遊びをする2人童子 唐子彫刻群は、「孟母三遷」と「司馬温公甕割」以外は、具体的なエピソードを語るものではない。「司馬温公甕割」は、司馬温公幼少の時、誤って大甕落ちた友人を救うために、高価な甕を叩き割ったという故事を表す。花鳥彫刻のうち、「」は想像上で、鳳凰とよく似ているが、尾羽鳳凰のようにギザギザならない点で区別される山鵲中国など実在するで、「尾長鳥」と表記されることが多い。瑠璃鳥実在するスズメ目であるオオルリコルリのことだが、彩色なければ雀と区別しがたい。

※この「日光東照宮陽明門」の解説は、「日光東照宮」の解説の一部です。
「日光東照宮陽明門」を含む「日光東照宮」の記事については、「日光東照宮」の概要を参照ください。

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