日光東照宮伝来後
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本作はその後も日光東照宮で蔵せられており、8代将軍徳川吉宗が本阿弥家に命じて編纂させた名刀の目録である『享保名物帳』にも本作について記載されている。1815年(文化11年)に発生した火災により多くの名刀が焼失したが、家康の愛刀であった備前長船勝光・ 宗光作の脇指、三郎国宗太刀と並んで本作も宝庫から無事に運び出されて助かった。数多くある家康の愛刀の中でも本作は特に重要視されており、日光東照宮の御神体同様に、終戦まで御内陣の奥深くに鎮座されていた。 1910年(明治42年)4月20日に古社寺保存法による旧国宝に指定されている。また、1951年(昭和26年)6月9日には文化財保護法に基づく新国宝に指定される。
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