斎藤道三編とは? わかりやすく解説

斎藤道三編

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 16:10 UTC 版)

国盗り物語」の記事における「斎藤道三編」の解説

国主なりたいものだ」などと、さながら狂人のような夢を抱いて洛中現れた男がいた。男の名は松波庄九郎かつては僧門に身を置き妙覚寺本山比類なき学識謳われたものの、退屈な僧院の生活を厭って寺を飛び出し還俗して牢人となったほどなくして九郎京洛有数油問屋身代まるまる手に入れるものの、自らの望み捨てることはできなかった。望みとは、国主なりいずれは天下をも手にしたいという件の狂人の夢である。余人聞けば嘲笑されるような妄望であったが、この男は学は内外極め兵書武術にも通じさらには公家及ばぬ芸道の才も備え万能ともいえる才覚恵まれていた。庄九郎油問屋捨てることを決意し野望満ちたその目は東に向けられた。豊沃田地恵まれ、京に近く東西交通要地にある美濃国。この国を征したものは天下征する確信した九郎は、己の智謀をもって美濃一国盗み取る国盗り」に挑むことにする。 遠く鎌倉の世より美濃封じられ土岐氏は、守護大名という地位の下で偸安の生活に耽り惰弱柔媚の沼に沈んでいた。美濃土を踏んだ九郎旧知の伝を辿り守護である土岐政頼の弟の頼芸に拝謁する。頼芸はあふれんばかりの多芸の才を持つ庄九郎気に入り臣下加えていたく寵愛した。頼芸は数年前に兄との相続争い敗れて以来郊外の館で逼塞する身であったが、庄九郎鮮やかな策謀政頼国外へ追い払い、頼芸を守護の座に就かせることに成功する。頼芸の信頼はいよいよ高まり、庄九郎美濃国実権を握るべく、謀略謀略重ねて政敵排除し、自らの権力基盤固めていった。うかつに手を出せば毒牙にかかりかねぬその謀才は美濃の侍達を震えあがらせ、庄九郎は「」という蔑称とともに恐れられた。 かくして美濃重臣地位就いた九郎であったが、美濃侍の多く得体知れぬ他所者専横的に振る舞う様を苦々しく見ていた。やがて庄九郎が得意の謀略で旧政頼派の首魁抹殺するや彼らの憤懣爆発し、庄九郎失脚追い込まれる。庄九郎は再び出家することを宣言して京へ帰ることとなるが、ほどなくして尾張大名織田信秀大軍率いて美濃攻め込み、庄九郎はそれを機会美濃戻り巧み采配を振るって織田軍を撃退する。庄九郎は「海内一の勇将」と讃えられ、期を同じくして起こった水害でも見事な復興指揮をとって絶大な支持得た。もはや庄九郎悪し様に罵る者はなくなり、庄九郎は頼芸の薦め世継絶えていた守護代斎藤氏名跡を継ぐ。すでに穏やかな領地経営領民慕われていた庄九郎美濃を去る際に一時名乗った法名から「道三さま」と尊称されており、「斎藤道三」の名が世に響くこととなる。美濃実権を手にした庄九郎は、美濃を己の思う国に作り変えるべく、政体刷新とりかかった美濃社会厳然として根を下ろす門閥主義廃し、能さえあれば出自問わず下層民をもさかんに取り立てた。さらに巨大寺社握られていた物品専売特権打ち破り経済振興奨励して自由な商業行為認める「楽市楽座」を実現させようとした。庄九郎政治思想そのまま中世秩序破壊に繋がるものであり、この男の敵とは亡霊のように残存する中世秩序そのものといえた。庄九郎自身革命を望む天が遣わした申し子豪語し旧弊成力に大鉈振るい果断に改革進めていった。 国内抵抗あらかた鎮圧すると、庄九郎半ば置き捨てられていた稲葉山城大改築加え諸国類のない巨大城郭生まれ変わらせた。天嶮に恵まれ四方国々睥睨する城を手に入れた九郎は、永く待ち続けた気運がいよいよ到来したことを確信する美濃の侍連は近隣大名軍拡ぶりを目の当たりにして強力な指導者求めていた。領民達はもとより九郎穏当な領地経営歓迎している。翻って守護たる頼芸は酒色惑溺するばかりで人望失っており、もはや誰憚ることなく野望成し遂げる時が来たと判断した九郎は、頼芸を美濃から追放して守護の座を奪いとった。ついに念願の「国盗り」を完成させた庄九郎は、戦国大名斎藤道三として美濃国君臨することとなる。 還俗して寺を出て二十年余、美濃の「国盗り」は成就させたものの、しかし天下を取るという野望はもはや幻でしかなかった。庄九郎、いや道三はすでに大きく齢を重ね天下窺うなどという時間はもはやその身には残されてはいなかった。かねてより」と畏怖されてきた男も、いまや老境達する年を迎えようとしていた。

※この「斎藤道三編」の解説は、「国盗り物語」の解説の一部です。
「斎藤道三編」を含む「国盗り物語」の記事については、「国盗り物語」の概要を参照ください。


斎藤道三編

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 16:10 UTC 版)

国盗り物語」の記事における「斎藤道三編」の解説

斎藤道三松波庄九郎) 『道三編』の主人公かつては法蓮房」の法名で京の日蓮宗妙覚寺本山の僧をしていたが、国主となり末には天下手に入れるという野望抱いて還俗美濃守護職土岐氏仕えて頭角現し類まれな謀才を存分に振るってのし上がりついには土岐氏追い払って美濃一国盗みとった。その卓抜した謀才は、うかつに手を出せば喰いついて離れぬという「」の蔑称とともに畏怖され、美濃並びに諸国大名を慄えあがらせた。 妙覚寺の僧時代には「智恵第一法蓮房」と呼ばれ、「学は顕密奥旨極め弁舌は富僂那にも劣らず」とまで讃えられた秀才。さらに舞もでき鼓も打て、笛を唇にあてれば名人の域と言われ果ては刀槍弓術までこなしてそれらも神妙無比の域に達している。大名としての力は天下諸侯中でも抜きん出ており、政治・軍事問わず辣腕振るい時代大きく塗り替える革新的な政策数多く施行した。さらに経済政策においては中世的な寺社勢力による専売制破り自由な物品流通認める「楽市楽座」の自由経済制を実施しようとした。これら道三の斬新な政策多くは、後に娘婿である信長受け継がれ完成されることとなる。 強烈な自信家で己の行動疑念いたもの片鱗持たず自身のなすことならばたとえどのような悪行であろうとも、その精神の中ですべてを正当化してしまう。元は僧でありながら神仏小馬鹿にし、どころか在天諸仏菩薩我が身悪事加護を願うふてぶてしさ持っている。僧であった頃からの習慣悪行をなす折には自我偈を唱え一種罪障消滅法として題目念誦する癖がある。一方で常人十倍欲望の強い男であるもののそのために愛憎強く家来には家族のように愛情注ぎ女人惑溺するがごとく愛し領民達もよく慰撫して善政行い慕われた。当人善か悪かなどといった範疇自分置いているつもりはなく、善悪超越した一段上の自然法爾」の次元我が精神を住まわせていると考えている。 長年世継義竜との間に確執抱えていたが、長良川の戦いでついに戦に及ぶこととなり、寡兵率いて自ら戦場臨んで敗死した。出陣先立って自身最後悟った道三は美濃一国を譲るという遺書信長送り自身果たせなかった天下取りの夢を託した現在の研究では、油売りから美濃国主に成り上がった道三の出世物語は、道三一代のものではなく道三とその実父・松波庄五郎父子二代に渡るものと考えられている。本作においては土岐頼芸守護職就任あたりまでが父である松波庄五郎事跡に当たる(詳細松波庄五郎の項目を参照)。 赤兵衛 本作創作人物。道三の従僕。元は妙覚寺寺男であり、小悪事ばかり繰り返す寺のもて余しであったが、道三が還俗するに従って共に寺を出た以後道三の部下として手足のごとく忠実に働き、ひと度声をかければ何処からでもその悪相運んでくる。道三が美濃地位築いて後は「西村備後守」の名を与えられ家老格として仕えた長良川の戦い直前、道三の幼少二児伴って美濃落ち延び、道三と自らのかつての古巣である妙覚寺送り届けたその後は道三の遺言に従って二児出家させ、自身従者として頭を丸めてとなったお万阿 京の東洞院二条にある畿内有数油問屋奈良屋」の女主人入婿亭主早く亡くして若後家となるが、持ち前商才生かして店を上手く維持してきた。奈良屋身代狙った道三は、盗賊殺された荷頭の仇を討ったことを口実として奈良屋現れ巧み自己演出で彼女の心を見事につかむ。その聡明さからほどなく道三の野心気づくものの、かえってそのあくの強さ惹かれて身も世もなく恋い焦がれるようになり、ついに婿に迎えた爾来道三は本職顔負け商才発揮して油屋身代拡大させるものの、天下取りの野望捨てることができず、天下手に入れた末に正室迎えると説得しお万阿残して奈良屋を去る。以後の道三は折にふれて帰京する度にお万阿律儀接し敵対勢力誘拐された時などは危険を顧みずに自ら救出向かった寡婦同然境遇に置き、自分野望犠牲にしてしまった彼女に憐憫の情抱き続けその生涯数多く置いた妻妾中でもお万阿を最も愛した荏胡麻油から菜種油へと油事業転換機に店を畳みその後嵯峨天竜寺近郊に庵を構えて「妙」の法名で尼となる。道三の死を聞いて後はその霊弔って日々送り晩年は見る者の心も洗い流すような清らかな老尼となった長井利隆 美濃実力者土岐頼芸側近美濃きっての大寺常在寺住職務め弟の日護房がかつて妙覚寺で道三と学友同士であったことから道三を知り、道三の美濃での仕官世話をした。道三が眼を見張るような策謀で頼芸を守護就けることに成功する及んでその才気感服し老齢で子もないことから道三を養子迎え長井氏家督譲り渡した。その心内で道三の野心薄々感づいていたが、美濃国戦国乱世荒波乗り越えて生き残るためには毒物かも知れぬが高い才覚を持つ道三に舵取り任せるより他ないと考え自身剃髪して隠居した史実では利隆には長井長弘という息子がおり、道三の父である松波庄五郎殺害された。庄五郎その後長井氏家督乗っ取り、「長井新左衛門尉」と名乗ることとなる。 土岐頼芸 美濃守護大名土岐政頼の弟。兄との相続争い敗れた後、郊外鷺山に館を与えられ逼塞し、以後毎日遊芸明け暮れて生活していた。しかし長井利隆連れてきた道三を知りその多種多芸な才に魅了され閑暇持て余してたことから無聊慰め役として臣下加える。道三が魔術的な策謀自身守護職就けたことによって改めて道三に傾倒し無二の能臣として大い寵愛した。その日常は懶惰極め昼夜問わず酒色耽るばかりの生活を送っている。唯一の取り柄画才で、その筆によるの絵は「土岐」と呼ばれて京の好事家の間で珍重されているが、画才なければ何のためにこの世存在してかわからないよう人物怠惰多情であるという頼芸の人物見抜いた道三は、酒色惑溺させて政務から遠ざけ自身美濃国実権握った抵抗勢力大半押さえていよいよ権力基盤固めると、道三はそれまで忠臣仮面俄に剥ぎ取って野心の牙をむき、頼芸を国外追放して国盗り」を完成させた。その後尾張織田信秀保護され美濃尾張休戦協定によってほんの一時美濃へ戻るものの、再び両国の関係が悪化するすぐさま追い立てられ越前落ち延び朝倉氏庇護を受けそこで生涯終えた深芳野 頼芸の寵姫この世のものとも思えぬ神々しいまでの美貌持ち主で、その美しさ美濃中で知らぬ者のないほどのもの。初対面で我もなく見とれてしまった道三は頼芸からこの愛妾をも奪い取ることを決意しほどなく座興賭け事の品として深芳野を得る。すでにその時深芳野は頼芸の子宿しておりほどなく義竜生むこととなるが、道三は義竜を頼芸の子であると感づきながらも自身の子として育て、頼芸を追い払った後に頼芸の胤である義竜飾り雛のように守護据え自身後見人として美濃実権握った。 頼芸が道三によって追放された後は道三の許可を得ることなく落飾し、川手正法寺尼僧となった。頼芸に対してさしたる愛情持っていたわけではなかったが、自身正室にせず妾の地位留めた道三の仕打ち密かに怨み続け、やがてその怨念出生の秘密知った義竜にのり移り、道三の身の破滅を招くこととなる。 織田信秀 尾張戦国大名信長の父。尾張守護代である清州織田氏傍系出身であったが、実力領地切り取って宗家圧倒する勢威を得、尾張半国の支配者となった稀有軍略と謀才に恵まれ尾張国内のみならず近隣の国にも兵を出して巧緻戦術勢力拡大し、「尾張の虎」の異名をとった。美濃にも幾度も侵攻したが、常に道三の機略前に敗退させられ敗北被り続けた。しかしその戦術眼は尋常なものではなく、道三も侮れ相手として一目置いていた。 合戦果てについに和睦を図ることを決め息子信長と道三の娘の濃姫との縁談申し入れるが、婚姻の成立後にほどなく卒中で斃れて急死する信長天才性を早くから見抜き重臣達から廃嫡の声が上がりながらも後継者地位据え続けた

※この「斎藤道三編」の解説は、「国盗り物語」の解説の一部です。
「斎藤道三編」を含む「国盗り物語」の記事については、「国盗り物語」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「斎藤道三編」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「斎藤道三編」の関連用語

1
国盗り物語 デジタル大辞泉
90% |||||

斎藤道三編のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



斎藤道三編のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国盗り物語 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS