戦後巡幸とは? わかりやすく解説

昭和天皇の戦後巡幸

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 05:02 UTC 版)

昭和天皇の戦後巡幸(しょうわてんのうのせんごじゅんこう)は、戦後第二次世界大戦における日本の降伏後)の混乱期復興期に当たる1946年昭和21年)2月から1954年(昭和29年)8月までの間に、第124代天皇昭和天皇行幸して各地を巡った(巡幸)ことである。


注釈

  1. ^ 巨摩郡は古代から続く地名であるが、自治体としては1878年(明治11年)にに分割されていた。
  2. ^ 昭和22年宮内府告示第18号に岐阜県は含まれていないが、行程中復路に含まれている。
  3. ^ 一進一退を繰り返す天皇の体調に対し、その後、日本国内には「自粛」ムードが広がった(該当項を参照)。

出典

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  2. ^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、17頁。ISBN 9784309225043 
  3. ^ 「被災者たちを御激励 陛下、埼玉懸を御視察」朝日新聞 1947年昭和22年)9月22日1面
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  19. ^ 『官報』第5937号「宮廷録事」、昭和21年10月28日(NDLJP:2962450/4
  20. ^ 『官報』第5938号「宮廷録事」、昭和21年10月29日(NDLJP:2962451/9
  21. ^ 『官報』第5939号「宮廷録事」、昭和21年10月30日(NDLJP:2962452/3
  22. ^ 『官報』第59340号「宮廷録事」、昭和21年10月31日(NDLJP:2962453/4
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  24. ^ 『官報』第5958号「宮廷録事」、昭和21年11月21日(NDLJP:2962472/4
  25. ^ 『官報』第5959号「宮廷録事」、昭和21年11月22日(NDLJP:2962473/8
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  31. ^ a b 『官報』第6176号「宮廷録事」、昭和22年8月15日(NDLJP:2962694/2
  32. ^ a b 『官報』第6179号「宮廷録事」、昭和22年8月19日(NDLJP:2962697/2
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  34. ^ 『官報』第6192号「宮廷録事」、昭和22年9月3日(NDLJP:2962711/3
  35. ^ a b c d 昭和22年宮内府告示第14号(『官報』第6217号、昭和22年10月3日)(NDLJP:2962738
  36. ^ a b c d 『官報』第6219号「宮廷録事」、昭和22年9月3日(NDLJP:2962711/3
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  39. ^ a b c d 『官報』第6232号「宮廷録事」、昭和22年10月22日(NDLJP:2962753/4
  40. ^ a b c d e f 『官報』第6261号「宮廷録事」、昭和22年11月26日(NDLJP:2962784/3
  41. ^ a b c d e 昭和22年宮内府告示第20号(『官報』第6258号、昭和22年11月22日)(NDLJP:2962781/2
  42. ^ a b c d e f g h 『官報』第6698号「皇室事項」、昭和24年5月16日(NDLJP:2963240/5
  43. ^ a b c d e f g 昭和24年宮内府告示第3号(『官報』第6696号、昭和24年5月13日)(NDLJP:2963238
  44. ^ 『官報』第6698号「皇室事項」、昭和24年5月16日(NDLJP:2963240/6
  45. ^ a b c d e f g 『官報』第6948号「皇室事項」、昭和25年3月11日(NDLJP:2963492/5
  46. ^ a b c d e 昭和25年宮内庁告示第3号(『官報』第6696号、昭和25年3月11日)(NDLJP:2963492
  47. ^ a b c d e 昭和26年宮内庁告示第13号(『官報』第7452号、昭和26年11月9日)(NDLJP:2964005/4
  48. ^ 陛下、お尋ね申し上げます 1988, p. 310.
  49. ^ a b 陛下、お尋ね申し上げます 1988, p. 311.
  50. ^ 陛下、お尋ね申し上げます 1988, p. 312.


「昭和天皇の戦後巡幸」の続きの解説一覧

戦後巡幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)

昭和天皇」の記事における「戦後巡幸」の解説

詳細は「昭和天皇の戦後巡幸」を参照 1946年昭和21年2月神奈川県皮切りに1954年昭和29年8月北海道まで、8年半をかけて沖縄県を除く46都道府県行幸し、国民接した1946年昭和21年8月GHQSCAP)による戦後改革進行する中、昭和天皇敗戦国国民として打ちひしがれた日本人を励ますため、日本史上において対外戦争敗北という点で共通した1282年前に遡る飛鳥時代での白村江の戦い天智天皇2年8月/663年10月)の例を挙げ、「朝鮮半島に於ける敗戦の後、国内体制整備の為、天智天皇大化の改新断行され、その際思い切った唐制当時中国王朝)の採用があった。これを範として今後大い努力してもらいたし」と語った1947年昭和21年5月1日取材対し昭和天皇は「戦災者や引揚者遺族戦争犠牲者で、一番気の毒に思っているので激励したいと思う」とし、今後巡幸続け考え明らかにした。同年6月には、福島県磐城炭鉱磐城鉱業所で、初め炭鉱入って裸の鉱夫激励した天皇各地熱狂的な奉迎受けた一方ガソリン不足が深刻な中で大規模な車列を組むことや、極東軍事裁判渦中において「天皇制存続キャンペーン」をしているというGHQ民生局からの批判もあり、この余波宮内府長官主要幹部交代する事態となったことから、1948年昭和23年)に巡幸中断された。しかし、各地から行幸要請宮内府当時)に殺到し1949年昭和29年1月1日日の丸国旗掲揚制限解除されたことや、随行人員規模四分の一程度縮小することで、同年5月から再開された。 北海道へ行幸は、日本共産党活動が活発であったことや、朝鮮戦争及び日本主権回復過渡期にあってソ連動向を含む北方情勢が不安定であるとの懸念により、吉田茂首相がなかなか同意せず、1954年(昭和29年)8月最後訪問地として実現した同年6月警察法改正により、国会で乱闘警察法改正無効事件惹起され、混乱の中での行幸となった北海道では、行幸途上陸上海上自衛隊部隊天皇栄誉礼観艦式さながら敬礼出迎え一方共産党は「天皇制」(皇室制度反対運動行い、また室蘭労働組合赤旗日の丸同時に振って歓迎した

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