昭和天皇の戦後巡幸
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昭和天皇の戦後巡幸(しょうわてんのうのせんごじゅんこう)は、戦後(第二次世界大戦における日本の降伏後)の混乱期と復興期に当たる1946年(昭和21年)2月から1954年(昭和29年)8月までの間に、第124代天皇の昭和天皇が行幸して各地を巡った(巡幸)ことである。
注釈
出典
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- ^ 陛下、お尋ね申し上げます 1988, p. 310.
- ^ a b 陛下、お尋ね申し上げます 1988, p. 311.
- ^ 陛下、お尋ね申し上げます 1988, p. 312.
- 1 昭和天皇の戦後巡幸とは
- 2 昭和天皇の戦後巡幸の概要
- 3 沖縄県について
戦後巡幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)
詳細は「昭和天皇の戦後巡幸」を参照 1946年(昭和21年)2月の神奈川県を皮切りに、1954年(昭和29年)8月の北海道まで、8年半をかけて沖縄県を除く46都道府県に行幸し、国民と接した。 1946年(昭和21年)8月、GHQ(SCAP)による戦後改革が進行する中、昭和天皇は敗戦国の国民として打ちひしがれた日本人を励ますため、日本史上において対外戦争の敗北という点で共通した、1282年前に遡る飛鳥時代での白村江の戦い(天智天皇2年8月/663年10月)の例を挙げ、「朝鮮半島に於ける敗戦の後、国内体制整備の為、天智天皇は大化の改新を断行され、その際思い切った唐制(当時の中国王朝)の採用があった。これを範として今後大いに努力してもらいたし」と語った。 1947年(昭和21年)5月1日の取材に対し、昭和天皇は「戦災者や引揚者、遺族は戦争の犠牲者で、一番気の毒に思っているので激励したいと思う」とし、今後も巡幸を続ける考えを明らかにした。同年6月には、福島県の磐城炭鉱磐城鉱業所で、初めて炭鉱に入って裸の鉱夫を激励した。 天皇は各地で熱狂的な奉迎を受けた一方、ガソリン不足が深刻な中で大規模な車列を組むことや、極東軍事裁判の渦中において「天皇制存続キャンペーン」をしているというGHQ民生局からの批判もあり、この余波で宮内府長官ら主要幹部が交代する事態となったことから、1948年(昭和23年)に巡幸は中断された。しかし、各地から行幸の要請が宮内府(当時)に殺到し、1949年(昭和29年)1月1日に日の丸(国旗)掲揚の制限が解除されたことや、随行人員規模を四分の一程度に縮小することで、同年5月から再開された。 北海道への行幸は、日本共産党の活動が活発であったことや、朝鮮戦争及び日本の主権回復の過渡期にあってソ連の動向を含む北方情勢が不安定であるとの懸念により、吉田茂首相がなかなか同意せず、1954年(昭和29年)8月に最後の訪問地として実現した。同年6月の警察法改正により、国会での乱闘や警察法改正無効事件が惹起され、混乱の中での行幸となった。北海道では、行幸の途上、陸上・海上自衛隊の部隊が天皇に栄誉礼や観艦式さながらの敬礼で出迎え、一方、共産党は「天皇制」(皇室制度)反対運動を行い、また室蘭の労働組合は赤旗と日の丸を同時に振って歓迎した。
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