店・企業とは? わかりやすく解説

店・企業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/16 08:36 UTC 版)

万能町」の記事における「店・企業」の解説

成立後間もない大正6年1917年10月)『陰陽八郡郡勢一班』によると、所得千円上の者はみられず、国税営業税二十円以上納入者として、請負業武井久造)、料理業(錦亭、後に道笑町二丁目編入)の名がみえ、他に会社として山陰果実株式会社、西伯米券倉庫株会社伯耆農業倉庫)が記されている。 大正7年1918年)には、米子商事合資会社仲立業出資金三千円、古沢次郎)、小泉履物製造工場職工数十人)、同12年には山陰タクシー自動車商会サン自動車商会、同14年には日本産業貯蓄銀行米子支店次々と設立されている。 大正11年1922年10月)『西伯之資力』によると、地価二百円以上納入者として、小泉清三郎履物製造九百九十六円八十八銭)、河原仁十(魚類問屋業、四百七十円五十四銭)の二人がみえ、所得税納入者は十七人、国税営業税納入者として次の十七人の名記されている。 田子三郎四百七十四円) 加藤豊吉(百二十五円小泉清三郎(百二十一円河原仁十(七十円) 大生合名会社六十七円) 岡房市(五十円福島啓太郎(三十円) 山崎久作(二十円) 常田孝治十九円) 赤井熊太郎十八円) 藤丸スマ十五円) 北村正一十五円) 坂本えい(十一円) 大村勝次郎(十二円) 山本隆一(九円) 出島鉄郎(八円) 原田栄太郎(八円) 一方大正12年1923年5月)『地方案内-三町国税商工名鑑』によると、次の21人が挙げられている。 出島鉄郎薬種堀井精(売薬大島熊太郎菓子安食三郎呉服赤井熊太郎材木器具坂本えい(古着履物北村正一金物原田栄太郎自転車鍍金) 岡房市(建築請負河原仁十(生魚魚類問屋業) 加藤豊吉(煉瓦土管セメント加藤四郎席貸業) 大村勝次郎(果物・卵) 田子三郎米穀柳谷よし(飲食物山崎久作(味噌・酒・醤油山本隆一(薪炭吹野フユ(酒・飲食物藤丸スマ(酒・煙草福島啓太郎(地) 後藤秀三郎(米穀昭和3年1928年)、西伯郡資力調査会編『西伯詳覧』には、前年度における営業収益税納入者と税額記している。 加藤豊吉(百五十八四十銭) 入瀬善太郎三十三円六十銭) 永見ヨシ三十二円二十銭) 原田芳雄二十円五十六銭) 吹野正次(二十六円六十銭) 川上久三郎二十三円八十銭) 北村正一十九六十銭) 山崎久作(十九円) 森川やす(十八二十銭) 奥田浅一(十七三十六銭) 赤井熊太郎十六八十銭) 周幸太郎十五八十二銭木村清太郎十五六十八銭) 堀井精(十四円) 米田はる(十四円) 中島悟棲(十一六十二銭大村フス十一四十八銭) 大島熊太郎十一二十銭) 山本実次(十一二十銭) 世良田鉄郎十一二十銭) 昭和9年1934年3月米子商工案内-よなご―』(米子商工会議所編)によって、戦前商工業具体的状況をみる 株式会社米子運送店(運送倉庫業資本金万円、代表・青戸次郎上田合名会社果実青物販売問屋出資金五千円上田得茂) 合資会社後藤米穀店米穀販売業出資金五千円後藤秀三郎) 合資会社田子三郎商店米穀販売業出資金六百円、田子三郎合資会社田中組土木請負貸家業出資金五千円

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店・企業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 14:43 UTC 版)

尾高町」の記事における「店・企業」の解説

明治30年代1897年1906年)の当町営業状況をみると(『帝國實業名鑑』、『米子みやげ』、『伯耆国実業人名録』)、 坂口合名清酒醤油醸造、酒銘柄正宗・曙・沢の月、醤油銘柄日の出青柳朝顔支店松江鳥取、境、国内北海道まで海外台湾まで販路坂口平兵衛金穀貸付野坂寛治著『米子界隈』205-206頁によると、「米子事業といえば坂口家事業直結する程に先代兵衛翁は事業家であった銀行電気漁業製氷一つとしてその主動力でないものはない。特に家業製糸業日本有数であり、醤油醸造地方王者一人である。従って先代兵衛翁の事業熱と精進キビシさ、われら若輩後塵を拝するだになかなか遠い。風容は、現平兵衛氏を二三まわり大きくすると、そのまゝ故翁の像が出来上る堂々さであった。」という。 松本五兵衛「安来屋」薬種絵具野坂寛治著『米子界隈214頁によると、「薬店松本兵衛氏は、渡村から出た通人であった。」という。 庄蔵野沢屋」(乾物卸・海産干物類) 今井兼文「郁文堂」(書籍印刷野坂寛治著『米子界隈215頁によると、「文明開化書籍から―。今井書店がいよいよ堅実に営業して、いよいよ隆昌である。店舗の上側は以前活版所があった所、それが店の裏側に退き、更に今の所後退し、退く度に発展した三代前の今井兼文翁は岡山県の人、米子に落付いて商売学問とを併せ進展された。村上伯父始めて止めた書籍活版引継いでキッキョ経営されたから、一方は裏へ、一方は表で共に隆昌伝えて三代である。現兼文翁、又父祖はずかしめず、松江鳥取支店開いて堅陣布く然して女店員採用したのは、山陰道において先駆である。」という。 出雲商会支店広瀬絣製造販売金三郎「速成舎」(活版業) 大谷ツネ子旅館金山太郎吾妻堂」(米子名物戎おこし、その他菓子製造盆栽各種勝田伝六(足袋製造卸小売神庭常吉「角(かど)神庭」(和洋紙・学校用品化粧品絵具染料吉岡太郎吉岡」(会席料理村上常三(山陰貯蓄銀行代理店度量衡器) 三由徳次郎呉服反物小間物市松人形平田カツ酒類米穀販売生糸製造) 砂垣徳太郎興文堂」(松陽新報取次販売和洋帳簿製造石田太郎(麹もやし製造米穀・荒物) 家麻次郎書籍古物販売貸本別所常次郎(履物足袋小売) 藘川政吉「藘川堂」(書画骨董大谷栄八(養蚕用諸機械・綿卸) 神庭スエ漆器陶器嫁入道具古島治郎八(塗物・漆金銀細工嫁入道具)などである。 明治終わり頃に新小路筋が整備されたが、明治初め頃にかけて、前記営業者のほか 竹内吉造(繭生糸商) 大阪法橋米子支店倉庫柳行李保母車・小麦粉など) 名嶋幸太郎牛乳販売並に米子駅後藤駅構内人力車取締永瀬久之助(蝋燭油類井沢国華堂(菓子製造カステラ巣籠露の玉) 瀧和斎(指物専門大谷印刷所(もとは旅館)が開業した大正12年1923年)刊の『地方案内』によると、 石谷義輝古物波多野嘉助酒類販売原田正吉(米穀類) 富田まん(菓子大谷由雄(魚類荒物渡部清太郎仏具勝部太郎呉服古着神庭太郎砂糖・紙・化粧品吉川次郎乾物海産物仲田捨隆(呉服太物中村節三(洋服三井豆腐店などが加わる。 昭和期に入ると営業合名合資会社組織にする商店現れたり、営業品目変えた店、新開業の店もみられる昭和9年1934年)刊の米子商工案内によって、それらの事情をみると、今井郁文堂度量衡・理化学機械取り扱い大谷印刷所オフセット印刷営業伸ばし野沢屋は鑵詰・洋酒類・饂飩玉すだれ製造加えた安来屋は薬種絵具よりも近代的な建設資材店に営業変えセメント・タイル・煉瓦煙突風呂釜左官材料となった新開業の店では、 中西薫太郎三喜堂」(印刷大森源蔵醤油田中広美(製菓) 箔栄次郎「池上事」(菓子饅頭川西製菓のほか酒醤油販売鷲見二郎渡辺信子松田屋」 (呉服渡部好一(洋服仕立三村生糸製糸西村甚吉トランク柳行李青木刺繍店(小間物化粧品小泉増蔵履物製造中島徳正「正確堂」 (時計眼鏡貴金属藤岡良三郎(和洋家具建具製造曽我部亀次(漆器和洋家具婚礼用品松田ミツ荒物・乾物衣笠徳太郎(仁済園・造花葬祭業三保熊太郎電気器具ラジオ煙草吉岡重恭「十金堂」 (化粧品神庭三郎和洋紙) 宮廻亀六「宮亀事」 (仕立料理林原とめ「つるや」 (料理福井勇「正的亭」 (料理野坂直一梅月」 (料理)などである。 新小路筋での製造業料理業などの出店目立っている。会社組織のものは営業税不明であるが、個人名義のものでは、永瀬商店七十五円余、別所商店二十円余、神庭常吉商店八十七円、安来五十三円波多野商店勝田商店三十七円余、渡部仏具二十八円余、中島正確堂二十二円などである。 昭和61年1986年)の国勢調査による事業所建設業三、製造業二、卸小売飲食六十八、サービス業十八となっている。

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店・企業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 17:36 UTC 版)

明治町 (米子市)」の記事における「店・企業」の解説

明治35年1902年)に、山陰鉄道米子駅設置され、駅から米子港への道路明治43年1910年)に拡張整備されると、列車乗降客鉄道貨物鉄道関係土木建築などに関わる業者が、次第駅前地区営業所を持つようになった大正12年1923年)刊の『地方案内』よると、駅前には、旅館では柏木大阪屋岡田屋など。運送関係では石田運送米子海陸運送米子運送加藤運送米子運融陸送部などがあり、その他、料理土産品人力車自動車など営業みられる昭和に入ると、土木請負狩野組、運送では前記のほか、米子合同運送長野組、共立組も営業自動車関係では、井沢自動車新見タクシー平和タクシー、米吾自動車部高田自動車武田自動車、丸二自動車松田自動車などが営業し大正末から市内電車営業して人力車業はだんだん圧迫された。 駅前西地区大正中期進出した山十製糸は、広い敷地をもつ大製糸工場であったが、製糸不況から昭和中期には撤退し、その跡に戦時中米子製鋼所移った建設関係では、大正時代からの加藤豊商店浅野セメント特約店煉瓦土管セメントなど取扱)、北村鉄工機械建具・金物鉄道工事下請)が営業。その他、長尾製材児玉家具店、原酒店、吹野製氷店がある。 旅館では、前記のほか川上、永見、真田の各旅館食堂関係では、更科本店花月食堂、カフェータカラ、文化食堂、米吾食堂。その他後中善雄(「尾張屋鉄道用品洋雑貨)、若島商店(錦海佃煮)などの雑貨食料品土産品店も出店した。昭和3年1928年伯備線開通もあって、駅前地区への商工業者進出増加した

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店・企業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 14:23 UTC 版)

旭町 (白河市)」の記事における「店・企業」の解説

1丁目 会津屋 松島 - 松島家は明治から昭和期にかけて包装用品問屋会津屋」を営んだ。 大竹肉店 菊池味噌白河信用金庫 東支ほっともっと白河旭町店(弁当屋マイスター 鷲尾燃料2丁目 あい調剤薬局旭店 奥州白河 太鼓のぼお(ラーメンケイビ 白河支店 ふとんハウス若松屋食品ところてんこんにゃく製造、卸)

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