坂口家
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「坂口平兵衛 (4代)」の記事における「坂口家」の解説
(鳥取県米子市尾高町) 祖父・2代平兵衛(実業家、政治家)明治39年(1906年)2月生 - 昭和61年(1986年)2月没 祖母・真佐子(島根県平民、島根県多額納税者、農業、実業家、政治家大村貞蔵六女、実業家大村義雄の妹)明治41年(1908年)6月生 - 没。島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身。 父・3代平兵衛(実業家)昭和5年(1930年)2月生 - 平成24年(2012年)6月没 母(奈良県吉野郡吉野町、山林地主北村又左衛門(元北村林業会長)の二女)昭和7年(1932年)3月生 - 母の姉は白鶴酒造相談役の嘉納信治に嫁し、灘の名門嘉納家の大閨閥にもつながっている。 弟・吉平(実業家・山陰放送社長)昭和34年(1959年)9月生 - 妹昭和38年(1963年)12月生 -
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坂口家
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「坂口平兵衛 (3代)」の記事における「坂口家」の解説
(鳥取県米子市尾高町) 祖父・平兵衛 (初代)(鳥取県平民、鳥取県多額納税者、大地主、実業家、政治家)安政元年(1854年)6月生 - 昭和8年(1933年)7月没 父・2代平兵衛(実業家、政治家)明治39年(1906年)2月生 - 昭和61年(1986年)2月没 母・真佐子(島根県平民、島根県多額納税者、農業、実業家、政治家大村貞蔵六女、実業家大村義雄の妹)明治41年(1908年)6月生 - 島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身。真佐子は江戸小紋の研究で一家をなし、昭和47年(1972年)に東京作家クラブから第9回文化人間賞を贈られている。平成19年(2007年)12月から平成20年(2008年)1月にかけて、広島と東京で、米子市が収蔵する「素鳳コレクション」の特別展「春よこい 雛人形物語展 坂口真佐子コレクション」が開催された。 妻(奈良県吉野郡吉野町、山林地主北村又左衛門(元北村林業会長)の二女)昭和7年(1932年)3月生 - 妻の姉は白鶴酒造相談役の嘉納信治に嫁し、灘の名門嘉納家の大閨閥にもつながっている。 長男・4代平兵衛(実業家・坂口合名会社社長、米子商工会議所会頭)昭和33年(1958年)3月生 - 二男・吉平(実業家・山陰放送社長)昭和34年(1959年)9月生 - 長女昭和38年(1963年)12月生 -
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坂口家
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「坂口平兵衛 (2代)」の記事における「坂口家」の解説
(鳥取県米子市尾高町) 家系 “坂口氏”は藩政時代“沢屋”と称し綿、木綿仲買業を営んでいた。米子の木綿問屋・仲買には18世紀から19世紀において変動があったが、幕末の木綿買付問屋は約30軒あった。 元治元年(1864年)の米子地方木綿問屋37人の中には沢屋平兵衛、沢屋仁右衛門、沢屋清太郎の3人が名を連ねている。米子の商家ではまず中堅クラスだった。 坂口財閥といえば、戦前は全国的にもよく知られた存在だった。山陰において財閥とよばれたのは、この鳥取・米子の坂口家だけであろう。坂口家は単に資産家、豪族というだけでなく、さまざまな事業を興し、積極的に手をひろげていった。後に大企業に成長する源流も幾つか手掛けている。この坂口家の積極的な経済活動が、地元経済をリードしたから、米子が“山陰の大阪”と呼ばれるようになったともいえる。 実父・平兵衛 (初代)(鳥取県平民。鳥取県多額納税者、大地主、実業家、政治家) “古老に聴く弓浜半島”(日本海新聞、昭和15年(1940年))に「一代で米子の大富豪となった初代の坂口平兵衛さんも若い時は籠を背に負い“綿はないかいなー”と一軒一軒朝早くから弓浜の農家を草鞋ばきで歩いたものだ」との話が出ている。 坂口家は、江戸時代後期に、“沢屋”の屋号で綿・木綿の仲買商を始めた。以後醤油の醸造、薬用人参の販売などを行うが、「坂口財閥」と呼ばれるように家業を発展させたのは、初代平兵衛である。平兵衛は明治18年(1885年)・19年(1886年)から地価の暴落に着目して、土地の買収に乗り出し、次いで養蚕製糸業、そして明治27年(1894年)には米子銀行を設立した。次が鉄鋼業で、官営の旧広島藩製鉄所の払い下げを受け、広島県の中国山脈部に散在する15の工場で砂鉄を原料に錬鉄、玉鋼の生産を始めた。さらに米子に製鋼所をつくり、錬鉄からルツボ法を用いて工具鋼、刃物鋼を生産。「鳩印」の商標で市場に出し、これが民間におけるルツボ鋼の嚆矢(こうし)と高い評価を受けた。 従来からの家業の方も、酒、醤油の醸造、砂糖、綿製品、石油の取引を営む坂口商店を合名会社に組織し、扱い商品を拡大していった。さらに水力発電の必要に着目し山陰電気を創設、日野川水系に発電所の建設を始めた。明治42年(1909年)、平兵衛は渋沢栄一を団長とする渡米実業団に製糸業者の代表として参加し、3か月にわたりアメリカを視察した…。 米子市長を務めた野坂寛治によると、「米子の事業といえば、坂口家の事業と直結する程に先代平兵衛翁は事業家であった。銀行・電気・漁業・製氷…一つとしてその主動力でないものはない。特に家業の製糸業は日本で有数であり、醤油醸造も地方王者の一人である。(中略)商機をつかみ果断決行。トテモドエライ事を父祖から聞かされていたから、笑顔でわれら子供にわかるように話して頂いても、万事近よれなかった。今日でも、石橋和訓氏描く肖像の前では、冗談も云えない。」という。 養父・豊蔵(実業家) 明治5年(1872年)1月生 - 昭和5年(1930年)6月没 養母・とみ(島根、石橋孫八の長女、島根県多額納税者・農業・政治家石橋正彦(平田町長)の姉)明治9年(1876年)2月 生~没 姉・寿(実業家坂口二郎(ユニチカ初代社長、旧姓揖野)の妻)同四女(実業家加藤幹夫(元協和発酵工業社長)の妻)加藤幹夫の父加藤辨三郎は、協和発酵の社長、会長を務めた同社の育ての親である。 弟・純三 妻・真佐子(島根県平民、島根県多額納税者、農業、実業家大村貞蔵の六女、実業家大村義雄の妹)島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身。真佐子は江戸小紋の研究で一家をなし、昭和47年(1972年)に東京作家クラブから第9回文化人間賞を贈られている。平成19年(2007年)12月から平成20年(2008年)1月にかけて、広島と東京で、米子市が収蔵する「素鳳コレクション」の特別展「春よこい 雛人形物語展 坂口真佐子コレクション」が開催された。当時のニュース によれば、「この人形コレクションは、米子市の坂口家六代目夫人であった坂口真佐子さんが半生をかけて集められた2000点におよぶコレクションである。その中から、貴重な逸品ぞろいの雛人形、御所人形、お雛道具など約160点余りを公開した。」 長男・3代平兵衛(実業家)昭和5年(1930年)2月生 - 平成24年(2012年)6月没 同妻(奈良県吉野郡吉野町、山林地主北村又左衛門(元北村林業会長)の二女)妻の姉は白鶴酒造相談役の嘉納信治に嫁し、灘の名門嘉納家の大閨閥にもつながっている 長女(医師で実業家の坂口幸雄(医学博士・サンマリタン耳鼻咽喉科医院院長、エフエム山陰の元社長、旧姓松本)の妻) 二男・允彦(実業家)同妻(実業家米原穣(元日本海テレビジョン放送社長)の二女、実業家・政治家米原章三(元鳥取県議会議長・鳥取商工会議所会頭)の孫) 二女(長田博孝の妻) 三男・朝彦(実業家)同妻(桜井三郎右衛門の娘) 三女・都子(坂口都子クッキングスクール主宰) 四女・陽子(奥出雲の山林大地主田部長右衛門 (23代)(元島根県知事)の長男で実業家田部長右衛門 (24代)(元山陰中央テレビジョン放送会長)の妻、田部代表取締役社長) 五女(坂口紀之の妻) 六女(白井為興の妻) 孫清太郎(実業家) 吉平(実業家)など 義弟・坂口昇(実業家) 従兄弟・坂口宏(実業家)- 実業家坂口武市の長男 その他の親戚相澤英之(官僚、政治家) 司葉子(女優) 庄司保親(実業家) 木佐徳之助(政治家) 三好英之(実業家、政治家)など
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坂口家
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「坂口平兵衛 (初代)」の記事における「坂口家」の解説
(鳥取県米子市尾高町) 祖父・佐吉(商人)佐吉は、嘉永5年の米子惣町孝行者の人別書上において該当者7人の筆頭にその篤行が記されている。 父・平吉郎(商人、鳥取県平民) 母・よし(鳥取県平民、問善右衛門三女)天保2年7月生 弟豊蔵(鳥取県平民、実業家) - 平兵衛は晩年に豊蔵を養子にした。 明治5年(1872年)1月生 - 昭和5年(1930年)6月没同妻・とみ(島根県平民、石橋孫八長女) 惣五郎(鳥取県平民、実業家、政治家) 明治3年(1870年)11月生 - 没 妻・もと(鳥取県平民、井上熊太郎長女)安政2年3月生 男・清太郎(後の2代平兵衛、実業家、政治家)明治39年(1906年)2月生 - 昭和61年(1986年)2月没 女・寿(生母鳥取県人都田たみ、実業家坂口二郎(ユニチカ初代社長)の妻) 女・由子(生母都田たみ) 男・純三 養子豊蔵 二郎(旧姓揖野、娘寿の夫、実業家) 武市(井上豊次郎の二男、鳥取県平民、実業家、政治家) 孫晋一郎(養子豊蔵長男)明治26年(1893年)11月生 - 没 平吉郎(後の3代平兵衛、実業家)昭和5年(1930年)2月生 - 平成24年(2012年)6月没
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坂口家
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坂口家は仙徳の次男仙寿が継ぐが、30歳で死去。その後八世安井知得仙知が改易して弟子の荻野虎次郎に三世を継がせ、阪口仙得とする。この虎次郎は七世仙知の子とも言われるが定かでない。またこの時には「坂」でなく「阪」の字を当てた。(白木助右衛門「棋家系譜」)
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