広瀬絣
名称: | 広瀬絣 |
ふりがな: | ひろせかすり |
芸能工芸区分: | 工芸技術 |
種別: | 染織 |
選択年月日: | 1972.04.10(昭和47.04.10) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 広瀬絣は、久留米絣と同じく、絣の手括【くく】り、藍染めによる糸染め、投抒【ながひ】の手機【てはた】による織りなど伝統的な技法が守られているが特に「横綜台【よこへだい】」と、絵模様をたてに八倍にひきのばした型紙を使っての絣模様の作り方に、他にみられない特色があり、またそれによって織り上った絣の絵ぎわに独特の風趣をもつものである。 明治三十年代の最盛期には年産十万反を数えた広瀬絣も、その後大正四年広瀬町の大火により打撃を受け、産地として急速に衰退するに至ったが、その特色ある製作技法は、わが国木綿絣の歴史を知る上に極めて貴重である。広瀬絣の技術者は現在藍染めの天野圭を中心に、他五名が絣括り・織りの伝統的技法を守り、年間約百反を製作している。 |
広瀬絣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 08:24 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動広瀬絣(ひろせがすり)は、島根県安来市広瀬町(旧能義郡広瀬町)で製造されている絣。倉吉絣、弓浜絣とともに山陰の三絵絣の一つとされる。大柄の絵絣が特徴。
概要
1824年に町医者の妻の長岡貞子が米子町(現・米子市)から染色の技術を広めたのを始まったとされており[1]、広瀬藩の保護を受けた[2]。同藩の絵師堀江友声[3]の図案で織られたという[4]。「広瀬の大柄、備後の中柄、久留米の小柄」と評された[5]。
1962年には県の無形文化財に指定[1]、1970年には伝承するために伝習所を設立[1]、1985年には広瀬絣センターを設立した[1]。
特徴
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脚注
外部リンク
広瀬絣と同じ種類の言葉
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