幾何から解析へ —14世紀から20世紀前半とは? わかりやすく解説

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幾何から解析へ —14世紀から20世紀前半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:35 UTC 版)

円周率の歴史」の記事における「幾何から解析へ —14世紀から20世紀前半」の解説

「円に内接外接する多角形に基づく近似」から「級数利用した近似」への移行は、インドでは1400年頃から1500年代起きヨーロッパで1600年代日本では1700年代起きた14世紀 1400年頃 インド南西部現在のケーララ州)では、14世紀以降天文学数学が花開き当時世界最先端研究が行われた。ケーララ学派総称される学者たちは、三角関数逆三角関数 (sin, cos, arctan) のマクローリン展開天文計算利用した。これらの級数はニーラカンタ(英語版)(Nīlakaṇṭha, 1445頃–1545頃)の時代には知られており、ニーラカンタの発見とされることがある。しかし、ニーラカンタの天文学書『アールヤバティーヤ・バーシャ』によると、sin の展開式は彼より前の時代学者業績であるという。その学者とは、サンガマグラーマ(現:イリンジャラクダ)のマーダヴァ(Mādhava, 1340頃–1415頃、マラヤーラム語名:マーダバン)である。以下の式も、マーダヴァ発見とされることが多い: θ = tan ⁡ θ − tan 3 ⁡ θ 3 + tan 5 ⁡ θ 5 − tan 7 ⁡ θ 7 + ⋯ {\displaystyle \theta =\tan \theta -{\frac {\tan ^{3}\theta }{3}}+{\frac {\tan ^{5}\theta }{5}}-{\frac {\tan ^{7}\theta }{7}}+\cdots } これは次と同等である: arctanx = xx 3 3 + x 5 5x 7 7 + ⋯ {\displaystyle \arctan x=x-{\frac {x^{3}}{3}}+{\frac {x^{5}}{5}}-{\frac {x^{7}}{7}}+\cdots } この級数は、ヨーロッパで1670年代ジェームズ・グレゴリーゴットフリート・ライプニッツにより再発見され、一般的にはグレゴリー級数ライプニッツ級数などと呼ばれる。 [値] (10 ?) 一説に、マーダヴァは上式で θ = π/6 として得られる π = 12 ( 1 − 1 33 1 + 1 5 ⋅ 3 21 73 3 + ⋯ ) {\displaystyle \pi ={\sqrt {12}}\left(1-{\frac {1}{3\cdot 3^{1}}}+{\frac {1}{5\cdot 3^{2}}}-{\frac {1}{7\cdot 3^{3}}}+\cdots \right)} の21項を計算し、π ≈ 3.14159 26535 9 を得た。これは小数点以下10目まで正しい(12目を四捨五入し11近似値としては全11正しいが、11目「8」は未確定)。別の資料によると、彼の近似値は 2,827,433,388,233/900,000,000,000 で、3.14159 26535 92222… に当たる。マーダヴァ円周率10得たとすると、祖沖之の7以来、約1000年ぶりの世界記録更新である。上記級数30項目まで使えば円周率15決定でき、42項目まで使えば20決定できるこの他にもケーララ学派円周率評価利用できるいくつも結果得ていて、その気になれば比較簡単に円周率桁数伸ばせ立場にあった実際R. Gupta は、マーダヴァが約17まで計算した予想している。しかし、記録は見つかっておらず、現時点では想像の域を出ない。 [法] ケーララ学派による円周率の近似級数に基づくもので、剰余項考察している。他地域ではこの200年後(ニーラカンタから数えて100年後)にまだ正多角形外周に基づく計算をしていることを考えると、極めて先進的だった。円周率の計算法として新しいというだけでなく、無限や極限を扱う新し数学への大きな一歩だった。 15世紀 1424年 [値] (16) ペルシャ天文学者数学者ジャムシード・カーシャーニー(アラビア語名: アル=カーシー)は、当時使われていた円周率の近似値不正確さに不満を抱き天文計算必要十分精度円周半径の比を決定したい考えた1424年の『円周論』において、彼はアルキメデス方法拡張して805,306,368 (= 3 × 228) 角形用い計算行い60進数による次の評価得た:6; 16,59,28,1,34,51,46,14,49,46 < 2π < 6; 16,59,28,1,34,51,46,14,50,15 ここで、6; 16,59,… は 6 + 16/60 + 59/602 + … を表す(彼は後に計算再検討して下界末尾46 から 45改めたという)。現代的な表記直せば:3.14159 26535 89793 23084… < π < 3.14159 26535 89793 25482… 彼は近似値 2π = 6; 16,59,28,1,34,51,46,14,50採用し10進表示 π = 3.14159 26535 89793 25与えた。これは小数点以下16目まで正しく末尾17目も真の値に近い。記録に残る当時最良円周率の近似値であり、この世界記録1596年ルドルフ・ファン・コーレン小数点以下20を示すまで172年間、破られなかった。この業績は、西洋では1920年代まで知られていなかった。 1500年頃 [学] ケーララ天文学者ニーラカンタが、円周率無理性指摘した彼の著書『アールヤバティーヤ・バーシャ』には、こうある:「直径何らかの長さの単位計測されて、その単位の比として表されるなら、その同じ単位によって円周同様に計測することはできない。よってまた同様に円周何らかの単位計測可能であるのなら、直径はその同じ単位によっては計測できない。」 ケーララ学派円周率級数表示知っていたため、この認識自然に生じたのだろう。 [値] (9) ニーラカンタの『タントラ・サングラハ』には、エレガントな分数表示 π ≈ 104348/33215 が含まれる。これは 22/7, 355/113 と同様の最良近似分数(より小さ分子分母でこれより誤差少な近似値作れない)で、小数点以下9目まで正しい。 16世紀 1503年 アルキメデスの『円の計測について』と『放物線の面積について』のラテン語訳が、ベネチア出版された。 1543年 ニコロ・フォンタナ・タルタリア (Tartaglia) が、アルキメデス一部著作ラテン語訳ベネチア再出版した。 1544年 アルキメデス著作原文が、初めまとめて出版された。出版地はバーゼルで、ラテン語訳付きだった。これによりヨーロッパで彼の業績広く知られるようになり、円周率研究もこれを出発点として本格的に再開された。この時点での西洋円周率研究紀元前アルキメデス時代からあまり進歩していなかったが、これ以降急速に発展する1579年 [値] (9) フランソワ・ビエタが、円に内接外接する393,216角形周の長さから 3.14159 26535 < π < 3.14159 26537 という評価をした。ビエタはさらに、無限乗積 x 1 = 1 2 ,   x n + 1 = 1 + x n 2 {\displaystyle x_{1}={\sqrt {\frac {1}{2}}},\ x_{n+1}={\sqrt {\frac {1+x_{n}}{2}}}} 2 π = ∏ n = 1x n {\displaystyle {\frac {2}{\pi }}=\prod _{n=1}^{\infty }x_{n}} を示し π の計算試みた1585年 [値] オランダのアドリアン・アンソニス(英語版)が 333/106 < π < 377/120 と評価し両端平均に近い値として 355/113 を得た。これは、約3.14159 292 である。 1593年 [値] (15) フランドルのアドリアーン・ファン・ローメン(英語版)(ラテン語名:ローマヌス)が、『数学的観念序説多角形法』の中で 3.14159 26535 89793 05 < π < 3.14159 26535 89793 15 に当たる評価与え、π ≈ 3.14159 26535 89793 1 とした。これは小数点以下15目まで正しい。アル=カーシー世界記録16 (1424) にはわずかに及ばなかったが、この時点ヨーロッパ最良近似値であり、ビエト結果 (1579) の改良となっている。ただし、円周率真の値は上記区間含まれておらず、厳密な評価ではない。計算は正 15 × 224(= 約2.5億)角形用いるものだった。彼は21歳年上のファン・コーレンと親交があり、円周率興味持ち始めたのは彼の影響らしい。 1596年 [値] (20) ルドルフ・ファン・コーレンドイツ語読み:ファン・コイレン)が、『円について』で円周率小数点以下20決定した。ファン・コーレンはまず、正 5 × 225(= 約2億)角形、正 4 × 228(= 約10億角形、正 3 × 231(= 約60億)角形用いて円周率それぞれ121618まで求めた。さらに、正 15 × 231 (= 32,212,254,720) 角形に基づき次の評価与えた:3.14159 26535 89793 23845 < π < 3.14159 26535 89793 23847 上界下界平均取って π ≈ 3.14159 26535 89793 23846 とすれば結果的に20正しい。しかし、ファン・コーレンの態度厳格で、上記結果19のみ有効であると正しく指摘した最後に彼は π の20示した:3.14159 26535 89793 23846 < π < 3.14159 26535 89793 23847 この計算は、辺の数をさらに2倍にした正 15 × 232 (= 64,424,509,440) 角形に基づく。ファン・ローメンの15計算 (1593) の改良であり、アル=カーシー16記録 (1424) を上回る新しい世界記録達成だった。 ファン・コーレンはヒルデスハイム生まれホラント(現:オランダ西部)に移住したフェンシング数学教師だった。高等教育受けていなかったが、円積問題円周率を巡る数学上論争巻き込まれ1590年50歳)頃から円周率興味持ち始めたらしい。 17世紀 1610年頃 [値] (35) ファン・コーレンは、1610年亡くなるまでのいずれか時点で、正 262(= 約461京1686兆)角形使って π の35目までを正しく評価した。この結果は、1621年弟子のスネリウスの著書『キュクロメトリクス:円の計測について』で公表されたほか、本人の墓(生前1602年購入した記録がある)に刻まれた。墓石後代滅失したが、碑文スケッチ残っており、2000年復元された。かつてドイツでは、彼の名に因んで円周率ルドルフ数 (Ludolphsche Zahl) と呼んだ1621年 [法][値] オランダヴィレブロルト・スネルラテン語名: スネリウス)が、円周の長さ評価式を与える。 3 sin ⁡ θ 2 + cos ⁡ θ < θ < 2 sin ⁡ θ + tan ⁡ θ 3 {\displaystyle {\frac {3\sin \theta }{2+\cos \theta }}<\theta <{\frac {2\sin \theta +\tan \theta }{3}}} この式と円に内接外接する6 角形から 3.14022 < π < 3.14160 と評価した。この式の証明クリスティアーン・ホイヘンスによって与えられ、さらにホイヘンスによって改良され結果正六角形用いただけで 3.14159 26533 < π < 3.14159 26538 と評価できるまでになった。 スネリウスはファン・コーレンの弟子だった。彼の方法なら、ファン・コーレンが正 262 角形使って得た35は、230 角形考えるだけで得られるという。その気になれば、計算記録更新できる立場だった。しかし、彼は別の分野活躍しており、すでに35あった円周率有効数字をさらに伸ばすために時間を割くことはしなかった。 1630年 [値] (38) オーストリア出身天文学者数学者クリストフ・グリーンベルガー(英語版)は、スネリウスの手法を用いて円周率小数点以下39目までを計算し1630年出版され自著三角法基礎』の中で公表した39目は 7 だが、彼はそれを 6 と 9 の間だと正しく評価した桁数という意味では38目まで確定させたことになる。 1655年 [法] イギリスジョン・ウォリス無限乗積 π 2 = ∏ n = 1 ∞ ( 2 n ) 2 ( 2 n − 1 ) ( 2 n + 1 ) {\displaystyle {\frac {\pi }{2}}=\prod _{n=1}^{\infty }{\frac {(2n)^{2}}{(2n-1)(2n+1)}}} を示したビエタの公式のように根号が無いため計算しやすいが、収束はとても遅い。 同じくイギリスのブラウンカーが、連分数用いた公式 4 π = 1 + 1 2 2 + 3 2 2 + ⋯ ⋯ + ( 2 n − 1 ) 2 2 + ⋯ {\displaystyle {\frac {4}{\pi }}=1+{\cfrac {1^{2}}{2+{\cfrac {3^{2}}{2+{\cfrac {\cdots }{\cdots +{\cfrac {\left(2n-1\right)^{2}}{2+\cdots }}}}}}}}} を示した。この公式により π が無理数であることが分かる1663年 [値] 村松茂清が『算俎』を著し、円に内接する正 2n 角形 (2 ≤ n ≤ 15) の辺の長さから π ≒ 3.1415 92648 77769 88692 48 とし、小数点以下7まで正しい値を求めた。ファン・コーレンなどの計算には遠く及ばないものの、近似値として単に 3.16 という値を示すのみであった塵劫記』や、中国など通じて入ってくる算書に頼り切ってきたそれ以前和算から一歩踏み出し日本初め数学的な方法円周率計算し発表した和算家村松である。和算において、円周率はじめとするに関する研究は「円理」と呼ばれ一定の発展見せたが、例え外接多角形との「はさみうち」によって何目まで正しいかを論証する、といったような基本的な数学的発展さえわずかであったのが「和算の限界であった円周率#和算における円周率取り扱い)。 1665年 [学] イギリスの政治哲学者トマス・ホッブズ円積問題の解を公表しウォリスとの間で論争になる。ホッブズは死ぬまで厳密解近似解違い理解できずに論争続けた1671年 [法] スコットランドジェームス・グレゴリーにより、グレゴリー級数 arctan ⁡ x = ∑ n = 0 ∞ ( − 1 ) n 2 n + 1 x 2 n + 1 = x − 1 3 x 3 + 1 5 x 51 7 x 7 + 1 9 x 9 − ⋯ {\displaystyle \arctan x=\sum _{n=0}^{\infty }{\frac {(-1)^{n}}{2n+1}}x^{2n+1}=x-{\frac {1}{3}}x^{3}+{\frac {1}{5}}x^{5}-{\frac {1}{7}}x^{7}+{\frac {1}{9}}x^{9}-\cdots } が発見される。これとは独立1674年ゴットフリート・ライプニッツも同じ発見をしており、グレゴリー・ライプニッツ級数とも呼ばれるライプニッツは x = 1 を代入し、マーダヴァと同じ級数得た1681年 [値] 暦の作成にあたって円周率の近似値必要になったため、関孝和が正 131,072 角形使って小数16 位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.14159 26535 9微弱」というものだったが、エイトケン補外用いた途中計算では小数16 位まで正確に求めている。西洋エイトケン補外再発見されたのは1876年、ハンス・フォン・ネーゲルスバッハ(Hans von Nägelsbach)によってである。 1699年 [値] (72) イギリス人エイブラハム・シャープがグレゴリー・ライプニッツ級数x = 1 3 {\displaystyle x={\frac {1}{\sqrt {3}}}} を入れ、π を小数72 位まで求めた18世紀 1706年 [法][値] (100) イギリスジョン・マチンマチンの公式 π 4 = 4 arctan1 5arctan ⁡ 1 239 {\displaystyle {\frac {\pi }{4}}=4\arctan {\frac {1}{5}}-\arctan {\frac {1}{239}}} を発見する。さらに、この関係式にグレゴリー・ライプニッツ級数用いて小数100 位までの円周率求めた。 [文] ウィリアム・ジョーンズ初めて π を円周率の意味用いた1748年レオンハルト・オイラーも同じ記法を用いたことで円周率を π と表記することが広まった1719年 [値] (127) フランスのトーマス・ラグニーが、シャープ方法小数127 位まで計算を行う。 1722年 [値] 建部賢弘が『綴術算経』(てつじゅつさんけい)を著し、正 1024 角形用いて小数42 位まで求めた。「累遍増約術」(リチャードソン補外)を適用し関孝和計算比べて遥かに少な計算精度大い改善している。なお、ルイス・フライ・リチャードソンによる同手法提案1910年頃である。 1761年 [学] ドイツヨハン・ハインリッヒ・ランベルトによって π が有理数でないことが証明される18世紀中頃 [法] レオンハルト・オイラーによって、多くの π に関する式が発見されるオイラーは π 4 = 5 arctan1 7 + 2 arctan3 79 {\displaystyle {\frac {\pi }{4}}=5\arctan {\frac {1}{7}}+2\arctan {\frac {3}{79}}} を用いて、 たった1時間円周率小数20 位まで計算した1775年 [学] フランス科学アカデミーが、ギリシア三大作図問題永久機関についての論文審査拒否する決議をした。 1789年 [値] (137) スロベニア数学者ユーリイ・ヴェガ(英語版)は、マチンの公式用いて小数第 140 位まで値を求め小数137 位までが正しかった。この記録その後50年破られることがなかった。 1794年 [学] アドリアン=マリ・ルジャンドルによって π は有理数の平方根ならないことが証明される19世紀 1850年頃 - 1873年 [値] (527) イギリスウィリアム・ラザフォードとその弟子ウィリアム・シャンクスマチンの公式用いて桁数記録塗り替えた1852年ラザフォード小数441 位、シャンクス小数530 位まで計算し小数441 位までは両者計算一致していることでその計算正しさ確認できた。しかし、arctan 1/5 が小数530 位までしか正しくなく、シャンクス計算正しかったのは、小数第 527 位までであったその後シャンクス1872年小数707 位まで達したが、この誤り最後までつきまとった1882年 [学] フェルディナント・フォン・リンデマンによって π が代数的数でないことが証明される。これにより π の超越性証明され円積問題否定的に解決された。 1896年 [法] カール・ストーマー(英語版)は公式 π 4 = 6 arctan1 8 + 2 arctan1 57 + arctan ⁡ 1 239 {\displaystyle {\frac {\pi }{4}}=6\arctan {\frac {1}{8}}+2\arctan {\frac {1}{57}}+\arctan {\frac {1}{239}}} を発見する1897年 詳細は「インディアナ州円周率法案」を参照 [文][値] アメリカ合衆国インディアナ州下院で、医者のエドウィン・グッドウィンによる円積問題解決方法盛り込んだ議案246号が満場一致通過したグッドウィン方法から得られる値は π = 3.1604, 3.2, 3.232, 4 であり、このうち 4 については、公式に認められた最も不正確な円周率の値としてギネスブック記載された。この法案は各審議会通過していき上院承認求め段階にまで達した。しかし世論批判遭い2月12日上院によって議論無期限延期決められ法案成立目前却下された。 20世紀 1910年 [法] ラマヌジャンによって、級数表示 1 π = 2 2 9801 ∑ k = 0 ∞ ( 4 k ) ! ( 1103 + 26390 k ) k ! 4 396 4 k {\displaystyle {\frac {1}{\pi }}={\frac {2{\sqrt {2}}}{9801}}\sum _{k=0}^{\infty }{\frac {(4k)!(1103+26390k)}{k!^{4}396^{4k}}}} が発見される。この公式は、ジョナサン & ピーター・ボールウェイン兄弟によって1987年厳密に証明されるが、1985年にウィリアム・ゴスパーがこの公式を用いて円周率計算し、その正確さ示している。 1945年 [値] (540) ファーガソン (D.F.Ferguson) が小数540 位までを計算しウィリアム・シャンクス誤り指摘するシャンクス計算は約70年間も信用されていた。 このファーガソン計算までが手計算よるものだった。手計算時代誤りが起こることも多かったが、この時代数学成果は、現代計算機による円周率の計算においても非常に重要な役割果たしている。

※この「幾何から解析へ —14世紀から20世紀前半」の解説は、「円周率の歴史」の解説の一部です。
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