活動史
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1940年代東宝争議(1948年(昭和23年)8月19日):東宝で発生した労働争議に対処するため、警視庁予備隊(機動隊の前身)が初めて出動した。 1950年代血のメーデー事件(1952年(昭和27年)5月1日):皇居前広場で発生した大規模な暴動に対処するため、警視庁予備隊が出動した。 平和台事件(1952年(昭和27年)7月16日):福岡県福岡市の平和台野球場において、プロ野球パシフィック・リーグ公式戦、西鉄ライオンズ対毎日オリオンズの試合が、毎日の露骨な遅延行為によってノーゲームとなったことに不満を持った西鉄ファンが暴徒化した事態に対処するため、福岡県警察及び隣県の機動隊員約300名が暴徒の鎮圧と選手及び球団関係者の救助、護衛に投入された。 二重橋事件(1954年(昭和29年)1月2日):皇居一般参賀の警備のために警視庁予備隊が出動したが、二重橋において参賀者の将棋倒しが発生し、16名が死亡した。この事件は雑踏警備を重視するきっかけとなった。 伊勢湾台風(1959年(昭和34年)9月26日):警視庁機動隊が応援派遣された。 60年安保闘争 1960年代70年安保闘争 羽田事件(1967年(昭和42年)10月-11月):新左翼による佐藤栄作首相ベトナム訪問阻止暴動に対処するため、警視庁機動隊が出動した。投石により多数の隊員が負傷し、大盾が装備されるきっかけとなった。 佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争(1968年(昭和43年)1月15-21日):アメリカ海軍の原子力空母エンタープライズの寄港に反対する新左翼暴動に対処するため、福岡県警察、熊本県警察、佐賀県警察、長崎県警察の機動隊が出動した。 成田デモ事件(1968年(昭和43年)2月-3月):成田空港問題をめぐり新左翼学生らと成田市街で衝突。 日大紛争(1968年(昭和43年)):日本大学で発生した大学紛争において、警視庁機動隊員1名が殉職した。 新宿騒乱(1968年(昭和43年)10月21日):東京都新宿区で発生した新左翼暴動に対処するため、警視庁機動隊が出動した。 東大安田講堂事件(1969年(昭和44年)1月16-19日):加藤一郎東京大学総長代行の要請により、8000名以上の機動隊員が、東京大学安田講堂を占拠していた全学共闘会議学生らを排除して、学生ら633名を検挙した。 1970年代三島事件(1970年(昭和45年)11月25日):陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に人質を取って立て篭もった楯の会会員を警視庁機動隊が検挙した。 コザ暴動(1970年(昭和45年)12月20日):アメリカ統治下の沖縄コザ市で発生したアメリカ軍に対する暴動に対処するため、琉球警察機動隊が出動した。 東峰十字路事件(1971年(昭和46年)9月16日):成田空港予定地の代執行が行われた際に、千葉県へ応援派遣されていた神奈川県警察特別機動隊員3名が殉職した(成田空港問題)。 沖縄ゼネスト(1971年(昭和46年)11月10日):アメリカ統治下の沖縄浦添市で発生した沖縄返還協定に反対するゼネストにおいて、琉球警察機動隊員1名が殉職した。 渋谷暴動事件(1971年(昭和46年)11月14日):東京都渋谷区で発生した沖縄返還協定批准阻止闘争において、関東管区機動隊新潟中央小隊員1名が殉職した。 あさま山荘事件(1972年(昭和47年)2月19日):長野県軽井沢町の山荘に人質を取って立て篭もった連合赤軍の検挙に際して、派遣されていた警視庁機動隊の、第二機動隊隊長と特科車両隊中隊隊長の幹部二名が狙撃され殉職した。 米陸軍相模総合補給廠における反戦デモ警備(1972年(昭和47年)9月4日):ベトナム戦争への武器・装備・弾薬等の搬出を阻止すべく、反戦デモ群衆が暴徒化し、暴徒約1500人が基地直近の相模原警察署前に集結。投石等により署の窓ガラスが破壊されたため、機動隊により鎮圧作戦が行われ、6人を公務執行妨害罪で逮捕した。 上尾事件(1973年(昭和48年)3月13日):埼玉県上尾市の国鉄高崎線上尾駅において、国鉄労働組合(国労)の展開した順法闘争によってダイヤが大きく乱れ、超満員状態の列車が足止めされていた駅構内で乗客が発生させた暴動に対処するため、埼玉県警察機動隊員約700名が出動した。 首都圏国電暴動(1973年(昭和48年)4月24日):国鉄労働組合(国労)の展開した順法闘争によってダイヤが大幅に乱れ、足止めされた乗客が首都圏各地の駅構内で発生させた同時多発暴動に対処するため、警視庁は機動隊の全力出動を発令した。 創価学会本部襲撃事件(1974年(昭和49年)10月4日):創価学会が主体となって、日蓮正宗総本山大石寺に建立された正本堂の位置付けと国立戒壇に対する考え方の違いをめぐって悪化していた創価学会と妙信講の対立から、妙信講青年部員ら70人が東京・信濃町の創価文化会館を襲撃。創価学会からの要請で機動隊が出動し、妙信講側の1人が負傷、12人が逮捕された。 成田空港管制塔占拠事件(1978年(昭和53年)3月26日):成田空港の管制塔を占拠した新左翼に対処するため、機動隊員が出動した。 1980年代山一抗争:一和会会長宅に突入した山口組と銃撃戦を行う。 10.20成田現地闘争(1985年(昭和60年)10月20日):千葉県成田市の三里塚交差点で、極左集団と警視庁機動隊が衝突。241名を公務執行妨害等で現行犯逮捕した。成田空港反対運動終期の、大規模な反対派と警察部隊の衝突であった。 昭和天皇大喪の礼(1989年(平成元年)2月24日):全国から機動隊が警備のために派遣された。 1990年代明仁天皇即位の礼(1990年(平成2年)):全国から機動隊が警備のために派遣された。 西成暴動(1990年(平成2年)10月2-7日):日頃の警察の態度と、抗議時の警察の対応に憤慨した労働者達が大阪府警察機動隊と衝突。多数の検挙者を出した。 阪神・淡路大震災(1995年(平成7年)1月17日発生):全国から機動隊が被災者の捜索・救助などのために派遣された。救助技術や装備の不足により救助活動が難航した体験が、広域緊急援助隊創設のきっかけとなった。 地下鉄サリン事件(1995年(平成7年)3月20日):警視庁機動隊が救助活動や除染活動を行った。 オウム真理教強制捜査の警備(1995年(平成7年)3月22日):山梨県上九一色村の、教団施設サティアンへの強制捜査では、防毒マスクが用意された。 2000年代サッカー・ワールドカップ警備(2002年(平成14年)):フーリガンの暴動の予防。 西成暴動(2008年(平成20年)6月13-18日):西成警察署において取調べを受けた労働者が、警察官に暴力を受けたと主張した。西成警察署は否定したが、これが発端となり労働者達と大阪府警察機動隊が衝突。放水車も出動し18名を逮捕したが、警察官も18名が負傷した。 2010年代東日本大震災(2011年(平成23年)3月11日発生):全国から機動隊が被災者の捜索・救助・交通整理などのために派遣された。 2014 FIFAワールドカップ・アジア予選後の渋谷駅前雑踏警備(2013年(平成25年)6月4日):警視庁第九機動隊巡査のユーモアを交えた呼びかけが「DJポリス」と称賛され、有名になった。雑踏警備の功績としては初めて警視総監賞が授与された。 2015年トルコ総選挙在外投票での乱闘(2015年(平成27年)10月25日):在外投票が行われていた駐日本トルコ大使館前において、トルコ人とトルコ国籍を持つクルド人の間で乱闘が発生。警視庁機動隊が投入され事態の収束に当たり、在外投票終了まで大使館周辺の警備を行った。 高江ヘリパッド問題(2016年(平成28年)7月18日):アメリカ海兵隊北部訓練場のヘリパッド移設に反対し道路や出入り口を不法に占拠する人々を排除するため、警視庁を初め全国から機動隊が派遣され排除に当たった。
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活動史
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累計出動件数は、2001年には100件、そして2012年には300件を数えている。 上記の通り、発足翌々年のダイヤモンド・グレースやナホトカといった石油流出事故に早速投入されている。2011年の東日本大震災対応では、被災地における油や有毒物質の防除作業のため、のべ122日間出動した。また2016年の熊本地震でも2隊が出動した。 2018年の石油タンカー・サーンチーの衝突事故の際には、奄美大島や沖縄諸島に漂着した燃料油とみられる油の処理へのアドバイスを行い、これは鹿児島県のマニュアルにも反映された。 2020年8月10日から23日まで、第4機動防除隊が、モーリシャス沖のわかしお座礁石油流出事故で流出した重油の拡散防止などの助言活動を実施。宇宙航空研究開発機構(JAXA)から提供された衛星画像により、重油の漂着状況を分析したり、回収した重油処理の実演を行った。
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活動史
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「フランス国家警察特別介入部隊」の記事における「活動史」の解説
創設直後の1985年12月にナントで発生した重罪院立てこもり事件で早速出動した。また1987年の直接行動幹部の検挙や、1993年5月にヌイイ=シュル=セーヌで発生した保育園立てこもり事件での出動により、国民の間でも有名になった。 2012年3月のミディ=ピレネー連続銃撃事件では、家宅捜索に抵抗した殺人容疑者宅を包囲、32時間後に突入。約4分間の激しい銃撃戦の後、容疑者が窓からバルコニーへ出たところを狙撃手が射殺。突入側は2名が軽傷。 また2015年1月9日のユダヤ食品店人質事件や同年11月13日のバタクラン劇場占拠事件(パリ同時多発テロ事件)では、パリ警視庁のBRI-BACと共同で突入を行っている。
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活動史
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マヨン山は17世紀から21世紀初頭までの400年に50回も噴火している。 記録に残る最も破壊的な噴火は1814年2月1日に起こった。溶岩流が山から10kmのカグサワという街を埋めて1,200人以上の死者を出した。現在、当時の街があった場所には教会の鐘楼しか残っていない。 1984年9月の噴火では、最初の小規模な噴火で住民が避難してから数週間後に大噴火が起きたが犠牲者は出なかった。避難していた住民たちが帰宅を望んだが、フィリピン火山地震研究所 (PHIVOLCS) のレイモンド・ブノンパヤンとアメリカ地質調査所 (USGS) のクリス・ニューホールという2人の火山学者が噴火はまだ終わっていない可能性があるとして避難解除を認めず、結果的に多くの人々を救った。この2人は1991年のピナトゥボ山噴火でも協力している。 1993年には突然の大噴火による火砕流で70余名の犠牲者を出した。 2000年、および2006年8月にも噴火を起こした。2006年の噴火では、11月の台風21号とあいまってラハールという現象が発生し、死者620名、行方不明710名、倒壊家屋約9000戸という被害を出している。 2009年にも噴火し、12月14日には住民への避難勧告がなされている。 2013年5月7日に起きた噴火では、マヨン山を登っていた観光客ら計20人のうち、5人(観光客4人、ガイド1人)が落ちてきた岩に当たり犠牲となっている。 2014年9月15日、警戒レベルを上から3番目に引き上げ、1万人に避難指示が出た。9月17日に溶岩が流れ出し、5万人に避難勧告が出た。 周辺地形 周辺地形 マヨン山とカグサワの教会の廃墟 1984年9月23日、上空15,000mまで噴煙を上げ、火砕流を発生させた
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「コブラ (特殊部隊)」の記事における「活動史」の解説
創設直後の1973年9月28日には、さっそく、パレスチナ・ゲリラによる人質事件が発生した(マルヒェック人質事件)。オーストリア政府は冒険を避けて解放策を採ったため、現場に出動した憲兵コマンドーには出番がなかったものの、これで一躍有名になった。 1975年に、ジャッカルとパレスチナ解放人民戦線のテロリストがウィーンの石油輸出国機構(OPEC)本部を襲撃した際も (OPEC siege) 、憲兵コマンドーは出動したものの、やはりオーストリア当局は介入作戦に踏み切れず、既に3人の犠牲者が出ていたにも関わらず、オーストリア政府は身代金を支払い、カルロスとテロリストは逃亡した。 1996年には、アエロフロート・ロシア航空のTu-154で、ナイフで武装したナイジェリア人がハイジャックを試みた。しかし同機には犯人護送中のGEK隊員4人が便乗しており、ハイジャック犯は速やかに制圧された。これは対テロ部隊が飛行中の飛行機で事件を解決した唯一の例であり、ウラジーミル・プーチン大統領はGEK隊員に勲章を贈った。
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活動史
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1980年にはジャックされたスクールバスに突入し、銃器を使用することなく事件を解決した。またベルギー中を震撼させたブラバントの殺人鬼への対処にも出動している。 1980年代半ばには、戦闘的共産主義者細胞(CCC)への対応に忙殺された。また1990年には、ダイアナ妃のベルギー訪問に先立って、アントウェルペンのIRA暫定派(PIRA)アジトに踏み込み、小火器や爆発物を押収した。 1996年には、コルトレイクにて、フランス国家警察特別介入部隊(RAID)の摘発を逃れてベルギーに密入国しようとした武装イスラム集団(GIA)が地元警察と銃撃戦になり、人質をとって立てこもったため、ESIが突入作戦を実行し、テロリストを拘束して人質を救出した。 2015年には、シャルリー・エブド襲撃事件に関与したテロリストに対し、フランス国家憲兵隊治安介入部隊(GIGN)と共同で突入作戦を行ない、2名を射殺、1名を拘束した。 2016年の連続テロ事件の直前には、テロ容疑者を拘束しようとした連邦警察の刑事が銃撃を受けたため、DSUの即応部隊(QRF)が出動し、籠城したテロリストは狙撃手に射殺された。
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1977年にパレスチナゲリラによる「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」が発生。この事件において、GSG-9 はソマリアのモガディシュに着陸した航空機に強行突入を行い、わずか5分で犯人を制圧、人質全員を無事救出した。この事件は人質全員を無事救出したことから「モガディシュの奇蹟」とも呼ばれている。この活躍により、GSG-9は一躍有名になった。 1973年から2013年の40年間で、GSG-9は1,700件以上もの作戦を実施していた。しかし一般的なイメージと異なり、このうち銃器を使用したのは7回に過ぎず、多くの場合は、緻密に作戦を立案・実施して容疑者の選択肢を奪うことにより、発砲せずに事態を収束させていた。一方で、この期間に、作戦中に3人の殉職者が出た。このうち2人は、2004年にイラクで独大使館員を護衛中に車両がRPG-7の直撃を受け、戦死したものである。 2009年海賊事件が多発する東アフリカ・ソマリア沖でドイツ船籍が海賊に乗っ取られた事件でも、独政府は拘束されていたドイツ船員らを救うためにGSG-9第2中隊を派遣したが、作戦実行の2日前に中止された。海賊の見張りが6人から35人に増え急襲への備えが行われていたことや、共同して作戦立案や演習を行った米国側から「危険な作戦だ」との助言を受けたことが理由とされる。 パリ同時多発テロ事件を受けてドイツも対テロ部隊の強化に動き、2015年12月にGSG-9を補完する新組織「BFE+(ドイツ語版、英語版)」(証拠収集と逮捕チーム)を設立。2016年中に250人規模へ拡充することを計画している。
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「捜査介入部 (フランス国家警察)」の記事における「活動史」の解説
パリ警視庁のBRI(BRI-PP)は、1964年に捜査介入班として創設された直後から銀行強盗や押し込み強盗などを相次いで検挙し、その件数は1971年の時点で既に数百件に達していた。ジャック・メスリーヌの検挙(1973年)および脱走後の捕捉・射殺(1979年)は、メスリーヌの悪名もあって有名になった。またBRI-BACはパリ警視庁の部隊ではあったものの、実際にはパリ圏外であっても、GIPNでは対応困難な事案が発生した場合には、内務大臣の指令を受けて全国規模で展開していた。実際、初出動も、1973年8月17日にブレストで発生した人質事件であった。 1985年には、BRI-PP/BACの指揮官OBであるロベール・ブルッサール上級警視正の指導のもと、国家警察総局(DGPN)直属の特殊部隊として特別介入部隊(RAID)が創設されていたが、2009年7月31日には国家警察介入総隊(FIPN)が設置されて、BRI-BACの作戦指揮はRAIDやGIPNと統合されることとなった。2015年1月9日のユダヤ食品店人質事件や同年11月13日のバタクラン劇場占拠事件(パリ同時多発テロ事件)では、BRI-BACとRAIDが共同で突入を行っている。
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活動史
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1979年 1月26日 三菱銀行人質事件が発生。零中隊が出動。銀行内に突入し、近距離からけん銃で犯人を射撃することより、人質を救出した。犯人は病院に搬送後、死亡が確認された。突入の際、零中隊の隊員は部隊の存在を秘匿するため、アサルトスーツ(突入服)の代わりにトレーニングウェアを着用しており、犯人への射撃には、S&W社製45口径けん銃を使用した。事件後の記者会見では、零中隊指揮官であった警部も、「第二機動隊ハイジャック対策部隊」の肩書で同席していた。 1987年 後藤田正晴内閣官房長官と佐々淳行内閣安全保障室長が、陸上自衛隊習志野演習場においてSAPの訓練を視察。この視察は報道関係者を一切伴わず、非公式に行われた。 1990年 8月 湾岸戦争が発生。SAPが邦人救出用の民間航空機に同乗してサウジアラビアに派遣され、邦人退避警護を行った。 1995年 3月22日 一連の凶悪事件を発生させたオウム真理教の本部(山梨県上九一色村)への強制捜査にSAPが出動。 6月21日 函館空港で全日空機ハイジャック事件が発生。SAPが羽田空港から航空自衛隊のC-1輸送機で緊急派遣され、翌22日に北海道警察の機動隊員、捜査員らの機内突入と犯人逮捕を支援した。これが、SAPの存在が認められた最初の事件となった。なおSAPが羽田空港で輸送機に機材を搭載し、離陸した様子は、TBSの報道班が収録、放送したVTRによって確認されている。また、この輸送機は航空自衛隊の八雲飛行場に着陸し、SAPはこの飛行場から函館空港に向かったといわれている。 9月 オウム事件捜査の教訓により、SAPの経験者7名が警備部から刑事部捜査第一課特殊犯捜査係(SIT)に配属される。この人事異動の目的は、SAPの突入技術をSITに取り入れることであった。 1996年 4月1日 警察庁から都道府県警察に通達「特殊部隊の再編強化について」と「銃器対策部隊の編成について」が出される。 5月8日 既存の各特殊部隊が公式部隊として強化、再編成され「Special Assault Team」通称SATという部隊名を定め、警察庁において隊旗授与式が行われた。授与式では國松孝次警察庁長官が各隊の隊長に隊旗を授与した。SATは総員200名体制で警視庁、大阪府警察、北海道警察、千葉県警察、神奈川県警察、愛知県警察、福岡県警察に編成された。また公式部隊化と再編成に伴い正規の予算計上が可能となったため、装備は最新のものに更新された。 12月17日 在ペルー日本大使公邸占拠事件が発生。警視庁SATが原寸大の模擬日本大使館を造り、人質救出訓練を繰り返す。神奈川県警察SATも隊員をドイツに派遣、GSG-9から訓練を受ける。 2000年 5月3日 西鉄バスジャック事件が発生。福岡県警察、大阪府警察のSATが出動。広島県警察機動隊に指導を行い、突入を支援した。この事件では、初めて閃光弾を使用することにより犯人を逮捕した。また同年、警視庁SATの所属が第六機動隊から警備部警備第一課に移され、機動隊から独立した組織となった。 2001年 大阪府警察SATの所属が第二機動隊から警備部警備課に移され、機動隊から独立した組織となった。 2002年 5月10日 警察庁が警視庁SATの訓練映像を公開。 2003年 9月16日 名古屋立てこもり放火事件が発生。現場を支援するため、警察庁は愛知県警察SATに待機命令を出した。 2005年 9月6日 沖縄県警察にSATが新設され、沖縄県警察学校において隊旗授与式が行われた。授与式には漆間巌警察庁長官、沖縄県警察SAT隊長と隊員約20名が参加した。なお隊員はマスク(目出し帽)で顔を隠し、ヘルメットの防弾バイザーを下ろした状態であった。また同年、他の部隊も増員しSATは総員250名体制となった。 10月20日 北海道において北海道警察と陸上自衛隊が合同訓練を実施。北海道警察SATと見られる部隊が訓練に参加した。なお北海道警察では、SATが訓練に参加したとの公表はしていない。 2006年 SATをさらに増員。総員300名体制となった。 2007年 4月20日 町田市立てこもり事件が発生。警視庁SATが出動し、特殊犯捜査係(SIT)の突入を支援した。 5月17日 愛知長久手町立てこもり発砲事件が発生。愛知県警察SATが出動。犯人の銃撃で重傷を負った警察官を愛知県警察SITが救出した際、犯人が再び拳銃を発砲。この発砲により、SITの後方支援を担当していたSAT隊員(当時23歳)が被弾し、病院搬送後に死亡した。SAT隊員が出動現場で殉職したのは、この事件が初めてである。 6月5日 警察庁は、愛知長久手町立てこもり発砲事件において愛知県警察SATとSITの連携が課題となった事を受け、全国警察本部の本部長を集め、東京都内の専用施設において警視庁SATとSITの合同訓練を実施した。また6月に警察庁は、SATの活動を支援する特殊部隊支援班(通称スリーエス)を創設した。特殊部隊支援班は、都道府県警察刑事部との連携や警察本部長の補佐、警察庁との連絡調整を担当する組織である。 7月5日 東京都内の訓練施設において、警視庁SATの訓練が報道機関に初めて公開された。 8月16日 大阪府警察SATとみられる部隊が、同年開催の世界陸上大阪大会に向けた総合警備訓練に参加。なお大阪府警察はSATの訓練参加を公表しておらず、参加部隊は銃器対策部隊と発表した。 12月14日 ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件が発生。福岡県警察SATが出動。長崎県警察銃器対策部隊と合同で犯人の捜索に当たり、自殺した犯人の遺体を発見した。 2010年 9月6日 神奈川県横浜市内の県警第一機動隊訓練場において、神奈川県警察SATが同年11月開催のAPEC首脳会談に向けた合同警備訓練に参加した。 11月26日 石川県志賀原子力発電所において、外国人工作員の襲撃を想定した警備訓練が報道機関に公開され、石川県警察銃器対策部隊と愛知県警察SATが参加した。 2012年 11月22日 愛知県豊川市の豊川信用金庫蔵子支店において、人質立てこもり事件が発生。愛知県警察SATがSITと共に出動。この事件は発生から約13時間後にSITが突入し、サバイバルナイフを持って立てこもっていた犯人を逮捕、人質4名を救出した。 2013年 5月11日 福島県の東京電力福島第二原子力発電所において、武装工作員の襲撃を想定した訓練が報道機関に公開され、福島県警察銃器対策部隊と千葉県警察SAT、海上保安庁特殊警備隊などが参加した。 2015年 3月 宮城県仙台市で開催された国連世界防災会議の警備にSATが出動。 12月22日 警察庁は東京都内の訓練施設において、警視庁SATと神奈川県警察SATの合同訓練を公開した。訓練は2016年5月開催の第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)を控え行われたもので、SAT同士の合同訓練の公開は創設以来初である。 2016年 3月28日 東京都江東区において、警視庁SATが突入訓練を報道機関に公開した。 2017年 5月16日 愛知県小牧市の警察施設において、愛知県警察SATがテロリストの制圧訓練を報道機関に公開した。 11月8日 福岡県北九州市のマンションにおいて、男が室内犬を猟銃で射殺し立てこもる事件が発生。福岡県警察SATが福岡県警察銃器対策部隊と福岡県警察SITと共に出動。 2018年 2月16日 東京都江東区の首都高速道路上において、警視庁SATがテロリストの制圧訓練を報道機関に公開した。訓練施設以外での公開は初となる。 2019年 5月9日 大阪府大東市の警察施設において、大阪府警察SATがテロリストの制圧訓練を報道機関に公開した。
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1991年8月27日にアラバマ州タラデガ連邦刑務所で囚人による暴動が発生した。刑務官5人が人質となったため、事件発生から10日後、HRTは指揮官ディック・ロバーツの命令により突入、囚人を制圧し人質を救出した。この際には、1発の発砲もなされず、重傷者を出すこともなかった。この功績により、ディック・ロバーツはBR1(Big Red One)として知られるようになった。しかし1992年8月のアイダホ州ルビーリッジにおける白人至上主義・孤立主義者(ウィーバー一家)に対する法執行(ルビーリッジの悲劇)、また1993年4月のテキサス州ウェーコにおけるブランチ・ダビディアンに対する法執行(ウェーコの悲劇)において、BR1の作戦指揮に疑義が呈されたことから、まもなく更迭された。 特にウェーコの悲劇は、HRTを含めてFBIの威信を大きく傷つけたことから、1994年4月、新任のフリー長官の指示により、本部の内部部局である刑事・サイバー対策部に重大事件対応群(CIRG)が創設された。これは、従来の内部部局や地方支分部局の垣根を超えて、重大な事件に集中的に対応する組織であり、HRTや各地方支分部局のSWATチーム、更に交渉人チームは、その戦術作戦課(Tactical Operations Section)のもとで統合運用されるようになった。
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活動史
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1988年 - ソウルオリンピックの期間中、日韓を結ぶカーフェリーのうち日本船籍のものには海上保安官が警乗を行うことになり、所轄の第7管区のほか、海警隊からも数人が参加した。 1989年 - 東シナ海を航行中のパナマ船籍の鉱石運搬船内で船員が暴動を起こす事件が発生し、所轄の第11管区とともに海警隊も出動して暴動を鎮圧。 1990年 - プルトニウム輸送船を護衛する為に海警隊の隊員を選抜し、警乗隊を創設した際に、アメリカ海軍のNavy SEALsから指導を受けた。 1992年 - フランスから日本へのプルトニウムを輸送した運搬船あかつき丸に警乗隊が警乗護衛を行った。 1996年 - 海警隊と警乗隊が統合され、大阪特殊警備基地が設置される。 1996年 - ハワイ南方沖の公海上を航行中のホンジュラス船籍のマグロ漁船内で、韓国人船員ら計11名が殺害される事件が発生した際に、第三管区海上保安本部の巡視船「しきしま」「うらが」の2隻とSSTが出動した。 1998年 - 東京晴海埠頭で行われた観閲式で、SSTが訓練展示(容疑船へのリペリング降下)を行い、初めて報道陣の前に姿を現す。 1999年 - 能登半島沖不審船事件の際に、SSTは追跡中の巡視船「ちくぜん」に乗船して、不審船停船後の強行臨検に備えていた。 1999年 - マラッカ海峡で海賊に襲撃され、行方不明となった日本法人の所有する貨物船「アロンドラ・レインボー」の捜索に出動。 2000年 - 東シナ海を航行中のシンガポール船籍の貨物船で船員が暴動を起こす事件が発生。SSTが出動して暴動事件に対応した。 2001年 - アメリカ同時多発テロの発生により、横須賀を出航するアメリカ空母「キティホーク」の上空からヘリコプターに搭乗して警備を行う。 2001年 - 九州南西海域工作船事件に際して出動し、第十管区海上保安本部の巡視船「はやと」船内で準備をしていた。 2002年 - 江の島虚偽通報事件に際して、所轄の第三管区とともにSSTも出動して工作員の制圧に備えて準備をしていた。 2002年 - FIFAワールドカップ開幕直前に、釜山沖において、韓国海洋警察特別攻撃隊 (SSAT) と、SSTがテロ対策合同訓練を行う。なお訓練の模様は報道機関に公開された。 2003年 - オーストラリア東岸沖でPSI加盟国による合同臨検(船舶検査)演習「パシフィックプロテクター」が実施され、SSTは容疑船への降下、制圧を担当した。その際に、海上自衛隊の幹部から「急襲、武器使用、制圧、被疑者の選択といった一連の行動が洗練され、完璧である」と高い評価を受けた。 2008年 - 洞爺湖サミット開催前に、神戸港において、爆破テロを想定した警察との合同テロ対策訓練にSSTが参加し、船舶に立て籠もったテロリスト役の制圧を行った。なお、この合同訓練には兵庫県警察の銃器対策部隊と爆発物処理班が参加した。 2008年 - 「シーシェパード」が日本の調査捕鯨船の活動を妨害し、乗務員が負傷する事件が発生。この事件を受け海上保安庁は日本鯨類研究所の調査捕鯨船「第二勇新丸」にエコテロリスト対策として海上保安官が乗船し、警備を担当したと発表した。この海上保安官は情報誌に掲載された記事ではSST隊員とされている。 2009年 - 高知県室戸岬沖で、大量の覚醒剤を夜陰に乗じて室戸市の椎名漁港に密輸しようとした中国船籍の漁船が、海上保安庁に発見された。該船は巡視船からの停船命令を無視したため、SSTが急襲した。船を制圧したSSTは、同船員6人を立入検査忌避罪で現行犯逮捕した。椎名漁港には密輸の受け入れ役だった在日中国人と暴力団員が待ち受けており、この暴力団員らは通報を受けて警戒を実施していた高知県警察が逮捕した。 2010年 - 海上保安庁観閲式で武装船を想定した訓練が初公開された。 2013年 - 東京電力福島第二原子力発電所において、テロリストの襲撃を想定した警察との合同テロ対策訓練にSSTが参加し、船舶に立て籠もったテロリスト役の制圧を行った。なお、この合同訓練には千葉県警察の特殊部隊 (SAT)と福島県警察の銃器対策部隊が参加した。 2014年 - 10月5日早朝、小笠原諸島周辺の日本領海内で赤サンゴを密漁する中国漁船(中国漁船サンゴ密漁問題)に対処するため、巡視船「しきしま」にてブリーフィングを行った後、ヘリコプターからのリペリング降下で漁船に突入、包丁や銛等で激しく抵抗する乗組員を制圧して横須賀へ連行したと報じられた。海上保安庁は本件に関して「回答を差し控える」としている。 2019年 - 大阪湾において、旅客船内での化学テロを想定したテロ対策訓練にSSTが参加し、負傷者の搬送や除染などの手順を確認した。
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活動史
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過去に出動した事件を表示するには右の [表示] をクリックしてください。 警視庁SIT、大阪府警察MAAT及び道府県警察刑事部の突入班が出動した主な立てこもり事件は以下のとおりである。 1992年 町田市民家立て籠もり事件が発生。警視庁SITが出動。犯人を制圧逮捕し、人質を救出した。 1995年 東京都大田区において、幼児人質篭城事件が発生。警視庁SITが出動。捜査第一課・蒲田警察署刑事課と共に突入し、犯人を逮捕、人質を救出した。 1998年 東京証券取引所において、籠城事件が発生。警視庁SITが出動。犯人が捜査員の説得に応じて投降したため、突入は行われなかった。 2000年 東京都千代田区麹町において、暴力団と右翼団体の発砲抗争事件が発生。警視庁SITが出動。 2002年 12月 静岡県三島市において、人質立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、静岡県警察に支援を行った。 なお、犯人は捜査員の説得に応じて投降し、逮捕された。 京都府京都市の京都中央信用金庫において、人質立てこもり事件が発生。京都府警察刑事部捜査第一課特殊犯捜査係(略称不明)が出動。捜査員が説得により犯人を投降させ、人質を救出した。 2003年 2月 東京都渋谷区において、男性がホテルの一室に立てこもる事件が発生。警視庁SITが出動。この事件の際、初めてラペリング降下を使用した突入・検挙が行われた。 6月 東京都板橋区の都営住宅において、猟銃立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動。犯人が立てこもる部屋に突入し身柄を確保した。突入の際、隊員2名が犯人に銃撃され、重傷を負った。 2004年 5月 大阪府大阪市において、人質立てこもり事件が発生。大阪府警察MAATが出動。突入により犯人を逮捕、人質を救出した。 栃木県宇都宮市において、立て篭もり事件が発生。警視庁SITが出動し、栃木県警察の突入部隊を支援した。栃木県警察では機動隊の銃器対策部隊と刑事部の機動捜査隊が突入を担当した。この事件の後、栃木県警察は捜査第一課にSIT(TSIT)を編成した。 千葉県松戸市において、人質立てこもり事件が発生。千葉県警察ARTが出動。突入により犯人を逮捕、人質を救出した。 9月 千葉県市原市において、人質立てこもり事件が発生。千葉県警察ARTが出動。突入により犯人を逮捕、人質を救出した。 2007年 4月 指定暴力団極東会組員による町田市立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動。この事件ではSITが突入する前に組員の男性が自殺を図り、拳銃で自分の頭部を撃ち、重傷を負った。 5月 愛知立てこもり事件が発生。愛知県警察SIT出動。説得に応じて投降した犯人を逮捕した。 なお、この事件では、愛知県警察特殊部隊(SAT) 及び大阪府警察MAATも支援で出動し、特殊部隊(SAT) に所属する隊員1名が犯人の銃撃を受け死亡した。 8月 愛知県刈谷市において、人質立てこもり事件が発生。愛知県警察SITが出動。包丁を所持した犯人に対して説得をおこなったが応じなかったため、突入により人質を救出し、犯人を逮捕した。 9月 愛知県豊明市において、立てこもり事件が発生。愛知県警察SITが出動し、立てこもっていた男性の身柄を確保した。 なお、男性はエアソフトガンを持ち自宅に立てこもっていたことから、刑事法の構成要件に該当しなかった。このため、逮捕等の刑事処分は受けていない。 2008年 2月 東京都府中市において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、立てこもっていた男性の身柄を確保した。 3月 茨城県土浦市において、土浦連続殺傷事件が発生。茨城県警察SITが出動。この事件の際、捜査員は「SIT」と記載された帽子を被り、私服姿であった。 4月 東京都日野市において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、立てこもっていた男性の身柄を確保した。 6月 埼玉県川越市において、立てこもり事件が発生。埼玉県警察STSが出動。拳銃を所持して自動車内に立てこもっていた男性が自殺を図ったため、同県警察機動隊のRATSと合同で強行突入を行い、男性の身柄を確保した。男性は病院搬送後、死亡が確認された。 7月 愛知県内の東名高速道路において、バスジャック事件が発生。愛知県警察SITが近隣で誘拐事件の訓練中に事件が発生し出動。美合パーキングエリア付近で追いつき、立てこもっていた少年の身柄を機動捜査隊と供に確保した。 愛知県新城市において、立てこもり事件が発生。愛知県警察SITが出動し、立てこもっていた男性の身柄を確保した。 8月 大阪府東大阪市において、立てこもり事件が発生。大阪府警察MAATが出動。事件発生後の約5時間後に突入し、刃物を所持して立てこもっていた男性の身柄を確保した。 9月 東京都板橋区において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、刃物を持って立てこもっていた女の身柄を確保した。 東京都江戸川区において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、刃物を持って立てこもっていた男の身柄を確保した。 2009年 1月 栃木県足利市において、けん銃使用の殺人未遂事件が発生。犯人が埼玉県上尾市内で駐車場のトラックに潜伏していたため、埼玉県警察STS、RATSおよび栃木県警察SITが合同で強行突入し、犯人の身柄を確保した。 なお、捜査員が突入した際、犯人は右手にけん銃を握ったまま、トラックの寝台で眠っていたと報道されている。 東京都江戸川区において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 警視庁は特殊詐欺対策として、SIT及び機動捜査隊を捜査に投入する方針を発表。SITを投入する理由は、特殊詐欺で、現金の受け渡し場所を転々とさせる手口が目立ち、身代金目的誘拐と同様の捜査手法が有効と判断されたためである。 11月 神奈川県横浜市南区において、立てこもり事件が発生。神奈川県警察SISが突入したが、男性は拳銃で頭部を撃ち自殺を図っており、搬送先の病院で死亡が確認された。また、この事件では女性の突入隊員の姿も確認されている。 2010年 6月 東京都板橋区において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 10月 大阪市西成区に所在するノミ賭博場の家宅捜索の際、胴元が立てこもったため、大阪府警察MAATが出動。鉄製のドアを爆破して捜査員突入の支援を行った。 愛知県一宮市において、立てこもり事件が発生。愛知県警察SITが出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 11月 茨城県水戸市の茨城県庁舎において、立てこもり事件が発生し、茨城県警察SITが出動。男性は刃物を所持し、捜査員に対して「自殺する」などと主張したため、閃光弾を使用して男性の身柄を確保した。 東京都羽村市のマンションにおいて、奈良県警察の捜査員がマンション5階に住む男性を詐欺容疑で逮捕しようとしたところ、男性がベランダから逃走し、3階の部屋に立てこもったため、警視庁SITが出動。突入により男性を逮捕した。その後、男性の身柄は奈良県警察の捜査員に引き渡された。 埼玉県新座市のマンションにおいて、立てこもり事件が発生し、埼玉県警察STSが出動。刃物を持って立て篭もっていた女性の身柄を確保した。 岩手県雫石町の町営住宅において、立てこもり事件が発生し、岩手県警察SITが出動。刃物を持って立て篭もっていた男性の身柄を確保した。 2011年 6月 札幌市南区において、立てこもり事件が発生。北海道警察捜査第一課特殊犯(名称不明)が出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 7月 栃木県野木町の短期賃貸マンションにおいて、警視庁SITが突入し潜伏していた立川6億円強奪事件の主犯格の一人で元暴力団幹部の男性の身柄を確保した。事前に犯人が拳銃を所持しているとの情報があり、実際に回転式拳銃2丁と実弾28発を所持していた。 9月 東京都国分寺市において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 11月 大阪市中央区に所在するバカラ賭博場の家宅捜索の際、店員が立てこもったため、大阪府警察MAATが出動。鉄製のドアを爆破して捜査員突入の支援を行った。 千葉県千葉市において、路線バス人質立てこもり事件が発生。千葉県警察ARTが出動し犯人を逮捕、人質を救出した。当時のフジテレビの報道によれば、突入の際、ARTの捜査員は、背中に灰色文字で「ART」と記載された紺色のベストを着用していたほか、私服捜査員は実在する新聞社の腕章を着用して偽装していた。 2012年 2月 大阪府高槻市において、立てこもり事件が発生。大阪府警察MAATが出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 3月 東京都世田谷区において、自殺志願者による立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 10月 東京都世田谷区において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、刃物(日本刀)を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。男性は現場で自殺を図っており、死亡が確認された。 11月 愛知県豊川市の豊川信用金庫蔵子支店において、人質立てこもり事件が発生。愛知県警SITが出動し、事件発生から約13時間後に突入。サバイバルナイフを持って立てこもっていた犯人を確保し、人質を救出した。 12月 東京都港区において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 2013年 3月 神奈川県愛甲郡愛川町において、立てこもり事件が発生。神奈川県警察STSが出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。なお人質(子供)救出の際、女性隊員の姿も確認されている 4月 愛知県稲沢市において、立てこもり事件が発生。愛知県警察SITが出動し、刃物を持ってアパート屋根に立てこもっていた犯人を催涙弾を使用して確保し、人質を救出した。また、確保する際に捜査員は上空に向けて2発、犯人の足元近くに1発の威嚇射撃を行った。 6月 愛知県名古屋市の雑居ビルにおいて、立てこもり事件が発生。愛知県警察SITが出動し、立てこもっていた男性の身柄を確保した。 2014年 1月 愛知県春日井市において、立てこもり事件が発生。愛知県警察SITが出動し、銃器を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 福岡県大牟田市において、人質立てこもり事件が発生。福岡県警察SITが出動。突入により犯人を逮捕、人質を救出した。 3月 群馬県高崎市において、立てこもり事件が発生。群馬県警察捜査第一課特殊犯が出動し、刃物を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。 5月 保釈されたパソコン遠隔操作事件の被告人に対し警視庁SITが尾行を実施。被告人が偽装工作に用いたスマートフォンを荒川河川敷に埋める現場を目撃。警察はこのスマートフォンを回収し、被疑者は保釈を取り消された。 7月 岡山県美作市において、立てこもり事件が発生。岡山県警察捜査第一課特殊犯が出動し、けん銃を持って立てこもっていた男性の身柄を確保した。男性は現場で自殺を図り、後に死亡が確認された。 2015年 2月 東京都渋谷区において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、屋上からリペリング降下を行い突入して男性の身柄を確保した。なお男性はベランダからプリンターやゴルフバッグなどを放り投げ、モデルガンで警察官を威嚇していた。 4月 大阪市西成区のアパートにて立てこもり事件が発生。事件発生から約13時間後に大阪府警察MAATが突入し、男性の身柄を確保した。なお、この男性は事件発生当日に同区内の郵便局にて、他人名義の通帳を利用し預金を引き出そうとした容疑が持たれている。 5月 宮城県大崎市の農協店舗において、立てこもり事件が発生。宮城県警察SITが出動、突入して男性の身柄を確保した。なお男性は店舗内にガソリンのような液体をカウンターに撒いていた。 東京都町田市において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、突入して男性の身柄を確保した。なお男性はベランダから刃物などを投げつけ、「自殺する」などと言って警察官を威嚇していた。 6月 東京都杉並区において立てこもり事件が発生。警視庁SITが出動し、刃物を所持していた男性の身柄を確保した。なお男性は「自殺する」「火をつける」などと言って警察官を威嚇していた。 8月 愛知県岡崎市のコンビニエンスストアにおいて、人質立てこもり事件が発生。愛知県警察SITが出動し、事件発生から約7時間後に突入。包丁を持って立てこもっていた犯人を確保し、人質を救出した。 2016年 2月 千葉県佐倉市内の教会において、人質立てこもり事件が発生。事件発生から約8時間後に、千葉県警察ARTが閃光弾を使用して教会に突入し、人質を救出、犯人を逮捕した。 4月 東京・千代田区の9階建ての雑居ビルの4階あった特殊詐欺グループのアジトにラペリングで突入し、被疑者らグループのメンバー11人を逮捕した。SITは特殊詐欺専従捜査班、通称「ステルスチーム」を7年前から運用し、捜査にあたっていた。 8月 和歌山県和歌山市で発生した発砲事件に和歌山県警SITと応援派遣された大阪府警MAATが出動。発砲事件の被疑者らしき男が和歌山駅前のホテルに潜伏しているとの情報を受け、両隊で突入するも既に男は部屋から逃走していた。 その後男は和歌山県警の追跡を振り切って同市の住宅街のアパートに立て籠り膠着状態となる。警察は慎重に説得を続けたが、立て籠りから17時間後に男が突如自らの腹部を銃撃して自殺を図り説得に当たっていた大阪府警MAATによって身柄を確保された。なお、男は病院に搬送されたが2時間後に死亡が確認された。 9月 福島県福島市のアパートにおいて、人質立てこもり事件が発生。事件発生から約7時間後に、福島県警察SITが閃光弾を使用しアパートに突入、犯人を逮捕し人質を救出した。 東京都立川市のアパートにおいて、立てこもり事件が発生。事件発生から約3時間後、警視庁SITが男の部屋に突入し、ボウガンを持っていた男を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。 神奈川県横浜市の団地において、立てこもり事件が発生。事件発生から約3時間後、神奈川県警察SISが男の部屋に突入し、刃物を持って立てこもっていた男を逮捕した。 2017年 1月 神奈川県大和市のマンションにおいて、立てこもり事件が発生。「死んでやる」などと警察に通報し立て込もっていたが、事件発生から約7時間後、神奈川県警察SISが部屋に突入し、包丁を持って立て込もっていた女を逮捕した。部屋には女の母親もいたが、無事保護された。 4月 福岡県篠栗町のアパートにおいて、立てこもり事件が発生。事件発生から約9時間後、福岡県警察SITが部屋に突入し、ライフル銃を持って立てこもっていた男を逮捕した。 5月 東京都台東区のマンションにおいて、人質立てこもり事件が発生。ストーカーの男が元交際相手の母親を人質にして立てこもった。事件発生から約3時間後に母親が刺され、その2分後に警視庁SITが特殊閃光弾等を用い、玄関とベランダから突入し男を逮捕。人質と、突入時に自殺を図った男は命に別状なし。 9月 大阪府豊中市のマンションにおいて、立てこもり事件が発生。事件発生から約7時間半後、大阪府警察MAATが突入し、包丁を持って立てこもっていた男を逮捕した。部屋には男の祖母もいたが、無事保護された。 2018年 6月 東京都渋谷区の居酒屋において、立てこもり事件が発生。警視庁SITが店内に突入して酩酊状態の男を逮捕した。なお男は外に向け花火を発射したり炊飯器などを投げ落とすなどし抵抗していた。 7月 東京都中央区のホテルにおいて、立てこもり事件が発生。事件発生から約4時間後、警視庁SITが突入し、路上に向けハンガーなどを投げ落としていた男を逮捕した。 2020年 4月 福岡市南区大橋のうなぎ店において、立てこもり事件が発生。事件発生から約6時間後、説得に応じて男が店外に出たところを福岡県警察SITが逮捕した。店内には女児2名もいたが、無事保護された。 2021年 6月 埼玉県さいたま市のネットカフェにおいて、立てこもり事件が発生。約32時間後に埼玉県警察STSが突入。男を逮捕し、人質を無事救出した。 2022年 1月 東京都渋谷区代々木の焼き肉店において、人質立てこもり事件が発生。事件発生から約3時間後、店の裏口から人質となっていた店長を救出し、警視庁SITが閃光弾を使用して突入。男を現行犯逮捕した。 埼玉県ふじみ野市で66歳の男が自宅に弔問に訪れた医療関係者を猟銃で銃撃し、うち1名を人質に取る立てこもり事件が発生。事件発生から約11時間後に埼玉県警察STSが閃光弾を使用して突入し自宅に立てこもっていた被疑者の身柄を確保した。人質となっていた44歳の医師は心肺停止状態で発見され病院へ搬送されたが死亡が確認された。他、医療関係者2名が重軽傷を負った。詳細は「ふじみ野市散弾銃男立てこもり事件」を参照 6月 埼玉県川越市のインターネットカフェ「快活クラブ 川越脇田新町店」の個室ブースで女性店員を人質にして男が立てこもる。約5時間後に埼玉県警STSが突入し人質を救出、男を逮捕した。男は2012年に豊川信用金庫蔵子支店に13時間立てこもる事件を起こしていた。
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活動史
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「カンガルー (音楽)」の記事における「活動史」の解説
1982年にヤマハのアマチュア・バンド・コンテストEastWestに出場。強豪が揃うシニア部門で最優秀グランプリを獲得したほか、キーボードの新垣郁子と柵木ひとみがベストキーボード賞を受賞した。1983年にビクター音楽産業からアルバム『STEPPIN'』でデビュー。同年に行われたシャカタクの来日公演では前座を務めた。カンガルーとシャカタクはともにキーボードが主導する音楽性である事から、以後良くも悪くも「和製シャカタク」等と言われるようになる。 翌1984年は、グループに桑沢エミ、福原みどりの二人のヴォーカル&コーラスを加入させた。この年はビデオ映像と同期させた当時としては先進的なライブを行うなどして話題を振りまいたり、前年に柵木ひとみが松本伊代のバックバンドの一員だったのがきっかけで、双方がレコード会社が一緒と言うことも手伝って、彼女のコンサートツアーにカンガルーとして支援を行うなど活躍の場を広げていった。 1985年、桑沢エミが脱退、福原みどりを主としたヴォーカル・フュージョン的な音楽性へ変化を遂げる。1986年、ヴォーカルナンバーの歌詞を英語から日本語に切り替え、シングル「A NIGHT IN NEW YORK」および同名アルバムは、インストナンバー以外は全編日本語詞で発表された。「A NIGHT IN NEW YORK」はCM曲としてテレビで頻繁に流れ、世間に知られる良い機会となった。しかし、同年に解散(なお、グループの中心的存在だった柵木ひとみは解散後結婚し、「小堀ひとみ」と名を替えている)。
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活動史
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2008年Blue Man Group IN TOKYOの打楽器奏者として同グループで演奏を行なう。この時より本格的にプロ活動を開始。 2014年BABYMETALのライヴサポートバンド「神バンド」に参加。同グループのワールドツアーに参加し、イギリス・アメリカ等のワンマン公演やHEAVY MONTRÉAL等の大型海外フェスに出演。又、同グループでのレディー・ガガのオープニングアクト公演に参加し、全米を回る。 元メガデスのギタリスト、マーティ・フリードマンのバックバンドに参加。同グループの公演でLOUD PARK 2014への出演を果たす。 BABYMETALのO2 ブリクストン・アカデミーでのライブに参加。ここでの緩急自在の歴史的名演は、LIVE IN LONDON -BABYMETAL WORLD TOUR 2014-に収録されている。 2015年BABYMETALライヴサポートバンド、神バンドのメンバーである藤岡幹大と共に、セッションバンドMMMとして東京・高円寺にてライブを行う。 同、神バンドのメンバーである大村孝佳と共に、フジテレビ系列「ヨルタモリ」番組内にて「AMEDEATH」のドラマーとして演奏・出演。 LIV MOON、再始動ライブよりサポートドラマーとして参加。 RENO(ex.ViViD)のソロプロジェクト初ワンマンライブにサポートドラマーとして参加。 SONORアーティストの一員に加わった事により、それに伴いコマキ通商株式会社と池部楽器店の協力の下、自身初のドラムセミナーを開催。 11月30日、高円寺ShowBoatにて藤岡幹大・BOHと共にセッションライブを行う。終演後、同メンバーでのセッションバンド 「仮BAND」を結成。 2016年2月21日、仮BAND名義では初となる公演を渋谷JZbratにて敢行。同公演はスペシャルメンバーとして桑原あいが参加。同時に仮BANDのCD制作が発表され、この日オリジナル曲を1曲披露した。 12月26日、大村孝佳ソロバンドのメンバーとして、代官山UNITでのGacharic Spinとのツーマンライブに出演。 2017年4月26日、仮BANDの初音源となるミニアルバム「仮音源-DEMO-」がベルウッド・レコードより発売。 Spark7 東京・大阪公演にメンバーとして出演。 11月19日、Beyond Vape Japan オリジナルデバイスお披露目イベントに仮BANDとして出演。 12月2日、日本武道館にて開催された「Pile Live at Budokan -Pile feat. ラブライブ!-」に出演。 2018年日本ケンタッキー・フライド・チキン製品「ホット&スパイシーチキン」のCM動画「第三のチキン、現る」篇にて、ドラム演奏を担当。 iOS、Android用ゲームアプリ「グリモア〜私立グリモワール魔法学園〜」のキャラクターソングプロジェクト「リバースレコードプロジェクト シーズン2」第一弾楽曲 双美心(CV.浅倉杏美)「CROSSING POINT」にてドラム演奏を担当。 音楽×演劇×格闘技の公演作品「魔界」の劇中曲を収録した1stアルバム「THE MAKAI「鬼哭の章」」にてドラム演奏を担当。 4月23日、クラブチッタ川崎にて開催された藤岡幹大 Memorial Live「My Little God」に出演。 「RENO TOUR 2018 IMAGE」にツアーメンバーとして参加。 「LM.C TOUR 2018 IN FUTURE」にツアーメンバーとして参加。 10月29日、TSUTAYA O-WESTにて開催された「Legend Guitarist 異伝 Vol.2 ~Le Voyage~」に出演。 11月7日、仮BANDとしては初の映像作品となるLIVE DVD「藤岡幹大 My Little God at CLUB CITTA' KAWASAKI」発売。 2019年バンダイナムコエンターテインメントより発売のPlayStation 4、Xbox One、Windows用ゲームソフト「エースコンバット 7 スカイズ・アンノウン」にてドラム参加。 1月19日、洲本市文化体育館大ホールにて開催された藤岡幹大 追悼記念公演「The Hill Of Wisteria」に、大村バンドのメンバーとして出演。 大村孝佳デビュー15周年ツアー「Takayoshi Ohmura 15th Anniversary Live Tour 2019 METAL NATION」に、ツアーメンバーとして参加。 12月14日、北とぴあつつじホールにて開催されたLIV MOON 10th Anniversary LIVE 2019「Emotions」にドラマーとして参加。 2020年日本コロムビア創立110周年記念公演「コロちゃんフェス supported by animelo mix」テーマソングの「夏休みが来るまえに」にてドラム演奏を担当。 MAGES.より発売のNintendo Switch、PlayStation 4用ゲームソフト「この素晴らしい世界に祝福を!~この欲望の衣装に寵愛を!~」主題歌「It's so fine!」にてドラム演奏を担当。 1月29日、仮BANDのミニアルバム「二枚目」をリリース。 6月18日、配信ライブ「PSYCHO DAZE BASS 2020 有料生配信ライブ~MASAKI VS IKUO~」に出演。 6月20日、配信ライブ「仮BAND 配信ライブ」開催。 8月23日、配信ライブ「仮BAND 配信ライブ vol.2 Streming+」を開催。 11月8日、配信ライブ「仮BAND 配信ライブ vol.3 Streming」を開催。 11月28日、保谷こもれびホール メインホールにて開催されたISAO Debut 20th Anniversary Concert「Symphonic Spark7」にドラマーとして参加。 12月3日、日本青年館ホールにて開催された「中島愛 キャラクターソング・ライブ ~FULL OF LOVE!!~」にドラマーとして参加。
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活動史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:39 UTC 版)
活動期は、古い方から順番に「古期外輪山」「新期外輪山」「中央火口丘」の3つに大別される。 詳細は「箱根火山の形成史」を参照
※この「活動史」の解説は、「箱根山」の解説の一部です。
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活動史
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「国家憲兵隊治安介入部隊」の記事における「活動史」の解説
GIGNは創設当初より頻繁に活動しており、1974年から1985年までに650回以上出動し、500名以上の人質を救出、1,000名以上の犯罪者・テロリストを拘束した。一方、この期間に、5名の隊員が訓練中に殉職している。上記の通り、国家憲兵隊のほうが国家警察よりも広い地域を管轄していることもあり、GIGNの出動回数は、国家警察の同種部隊である特別介入部隊(RAID)の3倍に及ぶとされている。 またフランス軍の一部として、軍事的な作戦を実施する場合や海外での作戦行動に備えて、第1海兵歩兵落下傘連隊や第2外人落下傘連隊との連携も重視されている。
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活動史
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「特別警備隊 (海上保安庁)」の記事における「活動史」の解説
特別警備隊が対応した主な事件は以下のとおりである。 1983年3月21日、アメリカ海軍の原子力空母「エンタープライズ」が佐世保に入港した際、日米安保に反対する極左過激派(中核派等)による海上暴動が発生。活動家の投擲した火炎瓶等により、第七管区へ応援派遣され海上警備に従事中であった巡視船「いず」の特別警備隊員が負傷した。また、「いず」特別警備隊が乗船していた巡視艇等に対し[要出典]、活動家が乗船している漁船数隻が激しい衝突を繰り返したため、接舷移乗により、公務執行妨害容疑で活動家5名及び漁船乗組員1名を現行犯逮捕した。 1989年8月、東シナ海を航行中のパナマ船籍の鉱石運搬船内で船員が暴動を起こす事件が発生し、所轄の第11管区の巡視船艇に加えて「くにさき」の特別警備隊も投入され、暴動船に乗船して事態を収拾、那覇港まで乗船して警備にあたった。 2004年、尖閣諸島の領有権を主張する中国人活動家7名が尖閣諸島の領海内に侵入。海上保安庁の制止を振り切って魚釣島に不法上陸後、尖閣神社を破壊したため、特別警備隊が沖縄県警察の警察官とともに合同捜査を敢行し[要出典]、活動家を密入国(入管難民法違反)の現行犯で逮捕した。逮捕後、犯人らは沖縄県警察に引き渡されたが、尖閣諸島を日本固有の領土として領土問題を否認した小泉純一郎内閣の意向を受けて検察が不起訴処分を決定。犯人は処分の確定と同時に入国管理局を通じて中国へと強制送還され、事件は終結した。
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活動史
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「特別警備隊 (警視庁)」の記事における「活動史」の解説
行幸啓の警衛、国葬や大衆運動の警備、災害時の救助活動等に従事して集団警備力を発揮し、「昭和の新選組」「警官の華」の通称で広く市民からも親しまれた。1936年7月25日に上野動物園からクロヒョウが脱走した事件では2個中隊が出動し、朝日新聞に「新撰組二個中隊出動」と報じられている。 また同年の二・二六事件の直前には、軍の不穏な動きに対し、特別警備隊に機関銃を装備して対抗することも検討されていたが、実現しないままに事件発生を迎えた。この事件では警視庁も占拠されてしまったが、もし警察が実力をもってこれに対抗した場合、警察と軍隊が正面から衝突することによる人心の混乱が懸念されたことから、陸軍・憲兵隊自身による鎮圧を求めることになり、特別警備隊を含む警察はもっぱら後方の治安維持を担当した。 その後、第二次世界大戦が激化し、日本本土空襲が始まると、特別警備隊は空襲のつど被災地へ出動して、警備・救護にあたった。その後、1944年4月12日、勅令第243号により主要な府県に警備隊が設置されることとなり、同年4月21日付で警視庁警備隊が発足し、特別警備隊はこれに発展的に解消して廃止された。
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活動史
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「シャンバラ (バンド)」の記事における「活動史」の解説
1988年に国内外でおよそ100カ所にわたるライブを敢行したカシオペアは、翌1989年初頭からバンドでの活動を休止させ、メンバーそれぞれの個人活動期間に入った。櫻井哲夫と神保彰はミュージシャンを集めて、カシオペアの音楽性とは全く正反対な日本語によるボーカルバンド、シャンバラを結成し、アルバム『SHAMBARA』をレコーディングする。バンドだけに単発的なプロジェクトではなく、しかもこれは当時隆盛を誇ったMZA有明によるイベントプロジェクトとして企画された大々的なものであった。当時20歳代全般にわたるカシオペア・ファンとMZA有明の顧客層が重なったからである。先述のアルバム『SHAMBARA』は同年7月20日に発売。同日と翌日には、MZA有明で発売記念ライブをする(9月にも同所で2DAYSライブを敢行)。また、サウンドだけでなく、ヴィジュアル面にも力を入れ、そのヴィジュアルプロデューサーにはファッションデザイナーの山本寛斎を招き、氏の服をステージ衣装にしたり、ライブのステージセットなどもデザインして貰った。 しかしながら、このシャンバラ・プロジェクトには、残ったカシオペアのメンバーで、リーダーである野呂一生と向谷実が異議を唱える。「シャンバラの今後の継続的な活動は、直に迫るカシオペアの活動再開に支障を与える」として2人に活動停止を要請。これに対し、櫻井と神保はカシオペアの活動と両立出来ると主張。野呂・向谷と櫻井・神保の両陣営は最後まで平行線を辿って物別れになり、櫻井と神保はこの年をもってカシオペアを脱退してしまう。そして2人は翌1990年、企画色が強いシャンバラのプロジェクトの活動母体となる、カシオペアと同じフュージョンシーンのユニット、ジンサクを結成。ジンサク活動の年はシャンバラは活動しなかったが、メンバー入れ替えによる新編成を計画していることなどは発表していた。しかし、諸事情により結局はそのまま自然消滅してしまい、2人の活動は以後ジンサクに専念していった。
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