シャルリー・エブド襲撃事件とは? わかりやすく解説

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シャルリー・エブド襲撃事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 18:56 UTC 版)

シャルリー・エブド襲撃事件は、2015年1月7日11時30分 (CET) にフランスパリ11区の週刊風刺新聞『シャルリー・エブド』の本社にイスラム過激派テロリストが乱入し、編集長、風刺漫画家、コラムニスト、警察官ら合わせて12人を殺害した事件[1]、およびそれに続いた一連の事件[2]




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シャルリー・エブド襲撃事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:35 UTC 版)

ジネブ・エル・ラズウィ」の記事における「シャルリー・エブド襲撃事件」の解説

2015年1月7日『シャルリー・エブド』編集部イスラム過激派テロリスト乱入し風刺画家シャルブカビュジョルジュ・ウォランスキティニウスフィリップ・オノレのほか、ジャーナリスト警察官を含む12人が殺害された。ラズウィが休暇モロッコ戻っているときのことであった急遽フランス戻り1月11日にシャルリー・エブド襲撃事件および翌々日発生したユダヤ食品店人質事件犠牲者追悼する同時にテロリズム糾弾し表現の自由訴え全国規模大行進「共和国行進が行われた際には、同じよう辛うじて難を逃れた風刺画家リュズ、カトリーヌ・ムリス(フランス語版)、医療コラム担当パトリック・プルーとともに最前列立って行進した2月にラズウィとモロッコに住む夫で作家のジャウアド・エル・ベナイシに対す殺害呼びかけソーシャル・ネットワーク上で拡散した。「ファトワー必要ない、ただ殺せ」という呼びかけで、朱色の服を着せられ斬首刑処せられようとしているラズウィとベナイシの偽造写真掲載された。これを受けてさらにベナイシの住所勤務先情報Google マップなどを使って公開された。国際ジャーナリスト連盟、フランス・ジャーナリスト全国労働組合 (SNJ)、モロッコ報道機関全国労働組合がこれに抗議し、ラズウィおよびベナイシとの団結表明。ラズウィはすでにフランスで警察保護下に置かれていたが、モロッコに住むベナイシにも同様の措置講じるよう要求した『シャルリー・エブド』2月25日にようやく活動再開した後、新たに編集長就任したリス (ローラン・スーリソー)中心とする編集部との間に対立生じた職務全うしないという理由により解雇通知受け取った彼女は、再建後シャルリー官僚主義になった批判した編集部との話し合いにより解雇撤回されたが、リュズパトリック・プルー次いでラズウィも9月に「事態はまだそれほど明らかではないが、一緒に仕事をしたいと思っていた仲間失った今、私も過去決別して新たな人生歩みたい」、「『シャルリー・エブド』にはこれから誇りをもって堂々とフランス報道界の風刺伝統担い続けてほしい」として辞意表明したまた、すでにこれ以前に「シャルブがいないのに一生懸命働くなんて耐え難い」、「一行書かず一度判断下したことのないムスタファ(ムスタファ・ウラド(フランス語版))が殺されて、私が生きていることに罪悪感募らせている」と語っていた。

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シャルリー・エブド襲撃事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 08:41 UTC 版)

リュズ」の記事における「シャルリー・エブド襲撃事件」の解説

2015年1月7日『シャルリー・エブド』風刺画家らがイスラム過激派殺害される事件(シャルリー・エブド襲撃事件)が起こった詳細は「シャルリー・エブド」、「シャルリー・エブド襲撃事件」、および「Je suis Charlie」を参照 この日は編集会議が行われていたが、偶然に誕生日だったリュズは妻のカミーユ・エマニュエル(フランス語版)(ジャーナリスト) が誕生日祝ってくれたために遅刻して難を免れた1月11日にシャルリー・エブド襲撃事件および翌々日発生したユダヤ食品店人質事件犠牲者追悼する同時にテロリズム糾弾し表現の自由訴え全国規模大行進「共和国行進が行われた際には、最前列立って行進したが、一方でこうした政府主導デモにより『シャルリー・エブド』が「象徴として責任」を負わされ、政治的に利用される危険性があることを指摘した事件1週間後1月14日には所謂生存者の号」(シャルリー・エブド第1178号(フランス語版)) が発行された。「すべて赦される」という見出しのもと、「Je suis Charlieと書かれた紙を持って涙を流すムハンマド表紙画描いたのはリュズだった。 この前日、事件後に『シャルリー・エブド』一時的に編集部置いていたリベラシオン社でジェラール・ビアール、パトリック・プルーとともに記者会見臨んだ。「共和国行進」に各国首脳多数参加したことについては、言論弾圧する国からも参加があったことを皮肉り、「ブロガー牢屋入れて鞭打ちの刑に処するような国はシャルリーではない」と、イスラム教侮辱したとしてブロガーのライフ・バダウィを逮捕し鞭打ち1,000回の刑を言い渡したサウジアラビア批判したまた、『シャルリー・エブド』対す批判については、「ユーモア誰も殺さないすべての人間感情考慮しなければならないとしたら、もはや鉛筆捨てしかない」と語ったナイジェリアパキスタントルコアルジェリアチュニジアイランなどのイスラム諸国ではこのムハンマドの画に対す激し抗議デモ起こったリュズは、「たいていのイスラム教徒シャルリー・エブドのことなど気にもかけていないと思う。だから、イスラム教社会全体が(あの画で)侮辱されと言う人々(そんなふうに言う権利があると勝手に思い込んでいる人々)こそ、イスラム教徒バカ扱いしているのだ。われわれはイスラム教徒バカ扱いしない」と抗議している。 2015年4月リュズは、「もうムハンマド描かない」と発表し、「ムハンマドにはもう興味がない」と説明した2015年5月、「個人的な理由により、9月シャルリー・エブドを去る」と発表し、「もうシャルリーではなくなるが、これからもずっとシャルリーだ」と語った同じく2015年5月事件当日の様子その後苦しみ、そしてわずかなりとも希望見出すまでの経緯を画で綴ったCatharsis (カタルシス)』を発表。『フィガロ』紙は、この本は「悪夢重度不眠パラノイア神経症苦しみ解放糸口となった妻との愛の営み、そして何よりも画を描き続けることができるかどうかという不安」を語っているとし、『レクスプレス(フランス語版)』紙は、「非常に個人的な闘い・・・自分見失うまいとして闘い勝利を収めた一生存者の物語」と評した。この本は増刷重ね早くも発売1か月間に第3刷で9印刷されることになった2018年11月漫画家風刺画家として身を立てるためにパリ上京した当時のこと、リュズ才能最初に見出したカビュとの出会い親しかったシャルブほか『シャルリー・ヘブト』の他の風刺画家らとの思い出などを画で綴り、「なぜ描き続けるのか」と自らに問う画集Indélébiles (消えないもの)』を発表。「消えないもの」とは指に残るインクのしみであり、同時にまた『シャルリー・ヘブト』そして亡くなった風刺画家らの思い出である。

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シャルリー・エブド襲撃事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:39 UTC 版)

シャルリー・エブド」の記事における「シャルリー・エブド襲撃事件」の解説

詳細は「シャルリー・エブド襲撃事件」および「Je suis Charlie」を参照 2014年12月31日号(事件の前の週の号)の表紙には近未来小説服従』の作者であるミシェル・ウエルベック風刺画掲載された。この号にはまた、フランスではいまだに襲撃全くない」という見出しで、ジハーディスト戦士自動小銃AK-47を肩にかけて立ち「慌てるな!新年のあいさつだったら1月末まで間に合うぞ」と言っているシャルブ風刺画掲載されていた。 2015年1月7日パリ11区ニコラ・アペール通り10番地の『シャルリー・エブド』では編集会議が行われていた。 編集会議話題中心は、『シャルリー最新号の表紙飾っている人気作家ミシェル・ウエルベック小説服従』だった。2022年大統領選で、極右との決選投票制してイスラム政党候補当選するフランスイスラム化され、一夫多妻制認められ女性労働禁止され大学教師イスラム教徒なければならなくなる。主人公文学教授次第にその環境慣れていく――。文学人種主義エリック・ゼムール人種主義的・誹謗中傷的な発言多く2011年には人種差別扇動2018年にはイスラム教徒対す憎悪扇動有罪判決受けているジャーナリスト)、ドイツにおける反イスラムデモなどとの関連論じられた。ウエルベック評価する者もいれば、(イスラム教対す恐怖心煽り逆に極右)「ファシズムの台頭」を許すことになると懸念する者もあった。 この編集会議中に自動小銃持った男らが乱入編集長風刺画家コラムニストシャルブ風刺画家ジョルジュ・ウォランスキカビュフィリップ・オノレおよびティニウス経済学者コラムニストベルナール・マリス精神分析医コラムニストエルザ・カヤット校正担当者のムスタファ・ウラド、警察官のフランク・ブリンソラロおよびアフメド・ムラベ、ビルメンテナンス員のフレデリック・ボワソー、ジャーナリスト旅行記作家のミシェル・ルノーの計12人が死亡し、約20人が負傷した。この事件続いてモンルージュ警官襲撃事件ユダヤ食品スーパー襲撃事件起こり多発的なテロ事件発展したが、特殊部隊により計3名の犯人射殺された。 犯人アルジェリアフランス人のサイード・クアシ(Saïd Kouachi, 34)とシェリフ・クアシ(Chérif Kouachi, 32)の兄弟シェリフは度々有罪判決を受け、刑務所出入りするうちにイスラム過激派テロリスト知り合い翌々日パリ20区のポルト・ド・ヴァンセンヌで発生したユダヤ食品スーパー襲撃事件犯人アメディ・クリバリ(フランス語版)ともフルリ=メロジス刑務所出会っている。サイード・クアシは2011年イエメンアラビア半島のアルカイダ (AQPA) と関係のあるイスラム原理主義者らと軍事訓練受けている。後にアラビア半島のアルカイダが「預言者ムハンマド侮辱したことへの復讐だ」として犯行声明出したフランス国内では犠牲者追悼して1月8日正午一斉に黙禱行いノートルダム大聖堂哀悼の鐘を鳴らしたパリ市内には多く半旗掲げられた。 長年わたって『シャルリー・エブド』医療コラム担当し事件当日真っ先駆けつけ救命当たった救急医パトリック・プルーは翌8日BFM TV出演し、「(電話受けて)3分後に現場到着して救命当たったが、頭を撃たれていて、もうどうしようもなかった。(シャルブ倒れていた位置から、彼が)椅子から立ち上がろうとしたときに撃たれたのだと思われる立ち上がってかにして侮蔑して、武器奪い取ろうとしたに違いない。彼とは長いつきあいよく知っている……彼だったらそうした違いない仲間助けることができなかった」と泣き崩れ、「(犯人らは)シャルリー・エブドだけでなく民主主義破壊しようとしたのだ……新聞続けなければならない。やつらを勝たせるわけにはいかないのだから」と語った1月11日フランス各地で「Je suis Charlie私はシャルリー)」というスローガンのもと、テロリズム非難し表現の自由訴え大行進「共和国行進marche républicaine)」が行われ、その数は全国合計少なくとも370万人達したとの推計同国内務省発表したこのうちパリ行進加わったのは160万人超とみられ、英国デーヴィッド・キャメロン首相ドイツアンゲラ・メルケル首相欧州主要国中心とする40人超の各国首脳参加したほか、トルコアフメト・ダウトオール首相イスラエルベンヤミン・ネタニヤフ首相マフムード・アッバース パレスチナ自治政府大統領ロシアセルゲイ・ラブロフ外相らも参加した日本からは鈴木庸一駐仏大使政府代表して参加したブリュッセルロンドンなど周辺国都市でも追悼行進デモが行われた。 事件フランスで行われた世論調査では、この週刊新聞姿勢支持するという回答が57%、支持しないという回答が42であったまた、表現の自由には一定の制限課されるべきと考えるものも、インターネット上で半数ほど存在した歴史学者エマニュエル・トッド自著『シャルリとは誰かQui est Charlie ?)』の中で、この週刊新聞および襲撃事件後デモ参加した大衆行動は、表現の自由建前とした偽善的排外主義的な差別行為だと批判している。ただし、この著書は、統計取り方の問題もあり、フランスでは批判が多い。

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