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ナイジェリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/21 16:36 UTC 版)

ナイジェリア連邦共和国
Federal Republic of Nigeria
ナイジェリアの国旗
国旗
国の標語: Unity and Faith, Peace and Progress
(英語: 統一と信頼、平和と前進)
国歌: 起て同胞、ナイジェリアの呼び出しに遵って
ナイジェリアの位置
公用語 英語(事実上#言語参照)
首都 アブジャ
最大の都市 ラゴス
政府
大統領 グッドラック・ジョナサン
副大統領 ンナムディ・サンボ
面積
総計 923,768km231位
水面積率 1.4%
人口
総計(2004年 154,729,000人(8位
人口密度 149人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 25兆1,411億[1]ナイラ (₦)
GDPMER
合計(2008年 2,154億[1]ドル(50位
GDPPPP
合計(2008年 3,154億[1]ドル(53位
1人あたり 2,133[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスより
1960年10月1日
通貨 ナイラ (₦)(NGN
時間帯 UTC +1(DST: なし)
ISO 3166-1 NG / NGA
ccTLD .ng
国際電話番号 234

ナイジェリア連邦共和国(ナイジェリアれんぽうきょうわこく)、通称ナイジェリアは、アフリカ西部に位置する連邦共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。北にニジェール、北東にチャド湖を挟みチャド、東にカメルーン、西にベナンと国境を接する。南は大西洋ギニア湾に面し、かつては「奴隷海岸」と呼ばれた。首都はアブジャ。最大の都市はラゴス

アフリカ最大の人口を擁する国であり、乾燥地帯キャラバン貿易を通じてイスラム教を受容した北部と、熱帯雨林地帯でアニミズムを信仰し後にヨーロッパの影響を受けキリスト教が広がった南部との間に大きな違いがある。また、南部のニジェール川デルタでは豊富に石油を産出するが、この石油を巡って内戦や内紛が繰り返されるなど、国内対立の原因ともなっている。

目次

国名

正式名称は英語: Federal Republic of Nigeria (- nījĭr'ēə)。通称 Nigeria。

日本語による表記は、ナイジェリア連邦共和国。通称、ナイジェリア

国名の由来は、国内を流れるニジェール川より。ニジェール川の語源は、遊牧民トゥアレグ族により、この川がニエジーレン (n'egiren) 「川」、またはエジーレン (egiren) 「川」と呼ばれていたことによる。これがフランス人に伝えられ、ラテン語で「黒」を意味するニジェール (niger) と転訛した。

ニジェール (Niger) とナイジェリア (Nigeria) は本来は同じ地域を指しているが、旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際に、現在のように別の国を指すこととなった。

歴史

16世紀のベニン王国の象牙のマスク。

紀元前5世紀から2世紀にかけて、国土の中央部のジョス高原において土偶で知られる初期鉄器文化であるノク文化が繁栄した。

9世紀頃、国土の南東部、ニジェール川三角州の付け根付近にあたるイボ=ウクゥにおいて青銅器製品を多量に伴うすばらしい王墓が造られた。この地方では、イボ族その他イビビオ族のように指導者のない集団による人口の多い村々のネットワークが、アフリカ固有の平等主義民主主義の概念によって管理されていた。10世紀 - 15世紀頃に、国土の南西部には、青銅製などのすばらしい彫刻で知られるイフェ王国と、ソープストーンの塑像で知られるエシエ文化が栄えた。これらの大胆なフォルムの彫刻は後に19世紀ヨーロッパに紹介され、20世紀美術に多大な影響を与えた。14世紀から18世紀にわたって南部にベニン王国が繁栄した。彼らは15世紀末に来航したポルトガル人から銃を取り入れ軍事力と王権を強化した。

密林によって外部の文化から阻まれた南部と異なり、北部ではキャラバン交易(サハラ交易)を通じ北アフリカから物資や文化の伝播があり、イスラム教を受容した。チャド湖周辺には12世紀から13世紀ごろアフリカのキャラバン交易路の利益と軍事力でカネム・ボルヌ帝国が全盛を迎えた。この王家は19世紀まで続いた。また同じくチャド湖の西方にハウサ諸王国都市国家群が繁栄し、なかでも19世紀にはフラニ族のイスラム神学者ウスマン・ダン・フォディオが都市国家ゴビールで改革運動を開始したが、国から追い出されると遊牧生活のフラニ族たちと協力してジハードを起こし、ソコトの街を首都に、北部一帯にフラニ帝国(ソコト・カリフ国)を建国した。

植民地時代

ナイジェリアの植民地化は、1472年にポルトガル人ラゴスを建設し、奴隷貿易の拠点とした時から始まった。17世紀から19世紀を通じて、ポルトガル人、イギリス人を主体とするヨーロッパの貿易商人たちが、南北アメリカ大陸へ送る奴隷の増加に伴い海岸に多くの港を建設し、彼らはナイジェリアの海岸部を「奴隷海岸」と呼んだ。19世紀にはイギリス軍が奴隷売買を禁止し、商品貿易に取ってかわられた。1886年にイギリス政府はジョージ・トーブマン・ゴールディ卿らによる貿易会社を「王立ニジェール会社」とし諸特権を与え、ナイジェリア一帯の支配を開始した。19世紀末にベニン王国は周囲のハウサ人ソコト帝国ヨルバ人オヨ王国もろともイギリスに滅ぼされて、ナイジェリアは植民地化された。1903年にはフラニ帝国も滅亡し、イギリスとフランスに分割された。1901年ニジェール会社は北部ナイジェリア保護領と南部ナイジェリア保護領の二つの保護領に再編成され、1914年一つの保護領に統合された。

独立以降

反乱を起こしたビアフラ共和国の版図。ビアフラ戦争では100万人以上の死傷者が出た。

留学生たちを中心に第二次世界大戦前から独立への動きはあったが、第二次大戦後ナショナリズムが高まり、1960年、それぞれが広範な自治権を有する北部州西部州東部州の3地域の連邦制国家として、完全独立を果たす。独立時は、イギリス女王を国家元首として頂く英連邦王国であったが、1963年に連邦共和国憲法を制定し、大統領制に移行した。それと同時に、西部州から中西部州を分割し、全4地域になる。

しかし、議会では3地域の代表が激しく対立しあい、人口の多い北部優位は動かず、それが南部との対立を深め、内政は混迷を深めていった。この混乱の結果、1966年軍部によるクーデターが勃発、ヤクブ・ゴウォン軍事政権が樹立された。ゴウォン政権は連邦政府への中央集権化を図るため、地方を12州に再編したが、これに反発した東部州は1967年、東部州の有力民族であるイボ族を中心にビアフラ共和国を建国し独立を宣言した。これによって内戦(ビアフラ戦争)になるが、1970年、イボ族の敗北で終結した。

1975年、軍の民政移行派(オルシェグン・オバサンジョ、ムハメド将軍らを含む)によるクーデターが成功し、1976年ムハメド将軍は暗殺され、1977年、オバサンジョは最高軍事評議会議長に就任、新憲法を制定、1979年、大統領選挙でシェフ・シャガリが当選し、文民大統領が誕生した。しかし、多くの国民は民政化後かえって汚職や経済が悪化したと感じた。

1983年の次回選挙でオバフェミ・アウォロウォが勝ったにもかかわらず、ムハンマド・ブハリ将軍軍政派によるクーデターで再び軍政に戻る。彼は経済再生を約束したが、強圧的な体制を敷きかえって経済は悪化した。1985年再度クーデターが起きイブラヒム・ババンギダ将軍が実権を掌握。彼は最初人権を重視すると約束したが次第に圧制に移行した。また為替自由化などの経済改革はナイジェリアの通貨暴落を招き、何度もクーデター未遂を引き起こした。

1990年の新憲法で1992年の大統領選挙が約束され、疑問視されつつも実現したが、ババンギダは不正があったと主張しやり直させた。1993年6月の再選挙で実業家モシュード・アビオラが勝利しまたもババンギダは不正を主張したが、8月引退し一旦文民出身の側近に政権を任せた後、その3か月後の1993年11月、1980年代の2回のクーデターにもかかわったとみられるサニ・アバチャ将軍が実権を掌握した。

サニ・アバチャは1998年の民政移管を約束したが、その一方で政党集会出版を弾圧し、多くの政治家や民主運動家や政敵を牢獄に送り、ナイジェリアに圧政を敷き新憲法制定を延ばし続けた。彼はアフリカ随一の地域大国らしく振舞うべく、リベリアの長い内戦を終わらせ民政移管するプロセスに参加し、軍によるクーデターが起こった際はただちにリベリアに軍を派遣し文民政権を守った。これによってアバチャにナイジェリアの民政移管を期待したものもいたが、1998年やっと約束どおり告示された大統領選挙では候補者はアバチャ一人だけであった。しかし選挙直前にアバチャは心臓麻痺で死去した。後を継いだアブドゥルサラミ・アブバカールの政権のもと、1999年に新憲法が制定され、民政へ移行。かつてのクーデター軍人オルシェグン・オバサンジョが、初の民主的選挙で、大統領に当選した。2003年の選挙でも再選した。しかし彼は民主派の希望でもあった司法長官ボラ・イゲが2001年に暗殺された件にかかわったといわれるほか、ナイジェリアの汚職腐敗が彼の時代になって最悪になったといわれ、国民の感情は好悪半ばしている。オバサンジョは腐敗政治家を次々逮捕しているが依然政府の腐敗は深刻で、多くの頭脳流出を招いている。

2006年、オバサンジョ大統領の3選を可能にする憲法改正が否決され、2007年2月、アブバカル副大統領が大統領選挙の候補者名から除外され、4月、アブバカルの立候補を最高裁が容認した。2007年4月23日、選挙管理委員会は大統領選挙で、国民民主党のウマル・ヤラドゥアが当選したと発表したが、国際選挙監視団は不正投票があったとして有効性を疑問視した。2007年8月14日、ナイジェリアの中央銀行は2008年の8月から100ナイラを1ナイラとするデノミネーションを実施する事を発表した。2010年5月5日、ヤラドゥアが病死し、副大統領のグッドラック・ジョナサンが大統領に就任した。

グッドラック・ジョナサンの就任期間は、ヤラドゥアの任期の残り1年を受けてのものであったため、2011年再び大統領選挙が実施。グッドラック・ジョナサンは、イスラム教徒が多い北部出身のムハンマド・ブハリ元最高軍事評議会議長を下して再選を果たした。しかし、この選挙結果を受けてカドゥナ州など北部地域で暴動やキリスト教施設等への襲撃が発生。多数の死者や避難民が生じた[2]




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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ ナイジェリア大統領選めぐる暴動、死者500人超か(AFP.BB.NEWS)2011年04月25日13:53
  3. ^ 「新書アフリカ史」第8版(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)p501
  4. ^ 「アフリカ 苦悩する大陸」ロバート・ゲスト著 伊藤真訳 2008年5月15日 東洋経済新報社 p136
  5. ^ 松本仁一『カラシニコフI』朝日新聞出版、2008年7月30日 p.177
  6. ^ IMF
  7. ^ 国民経済計算
  8. ^ 「ビジュアル データ・アトラス」同朋舎出版 p354 1995年4月26日初版第1刷発行
  9. ^ 「アフリカ 動き出す9億人市場」ヴィジャイ・マハジャン著 松本裕訳 英治出版 p108-110 2009年7月20日発行
  10. ^ E・カリ「多言語状況データベース ナイジェリア」、〈アジア・アフリカの多言語状況データベース〉東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
  11. ^ 中村博一「第13回「世界の教科書展」特集「ナイジェリアの教育と教科書」」文教大学教育研究所
  12. ^ 外務省
  13. ^ NHK-BS1きょうの世界2月10日放送回より
  14. ^ 戸田真紀子『アフリカと政治』、第5章「ナイジェリアの宗教紛争」
  15. ^ イスラム教徒らがキリスト教徒の村を襲撃、8人死亡 ナイジェリア 2010年07月18日 10:44 AFPBB
  16. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ni.html 2009年10月18日閲覧
  17. ^ 砂野幸稔「アフリカ文化のダイナミズム」『ハンドブック現代アフリカ』岡倉登志:編 明石書店 2002/12
  18. ^ a b 小林信次郎「アフリカ文学 黒人作家を中心として」『ハンドブック現代アフリカ』岡倉登志:編 明石書店 2002/12


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