人気作家
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『なんとなく、クリスタル』の発表以降、幅広い人気と知名度を獲得した。文芸誌で作品を執筆するのみならず、音楽、ファッション、自動車、航空会社、ディスコ、レストランやホテルの分野について、全国紙や各種週刊誌、ファッションや自動車専門誌などで幅広く執筆活動を行う。またメンバーズマガジン「田中康夫のtrend paper」の発行や、マイケル・ジャクソンなどの本の翻訳など、幅広い活躍を見せた。 さらに1980年代から2000年代においては、いわゆる流行作家として「笑っていいとも」や「OH!エルクラブ」をはじめとする多数のテレビやラジオへのレギュラー出演などを行った。 1991年には湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。こうした声明には、田中は元来否定的だったが、声明文を「我々は」や「私たちは」ではなく「私は」とし、個人の連帯とすることで参加した。 1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生する。友人も多く、さらに小説『オン・ハッピネス』(1994年、新潮社)の舞台でもある神戸市の被災に衝撃を受け、ボランティア活動に従事した。また「活動を続けるうちに神戸と自らは多面性を持つ点で共通しているのではないかと思うようになった」とも述懐している。またその後、ボランティア活動を『神戸震災日記』にまとめ刊行する。 1998年「神戸市民投票を実現する会」の代表に就任。阪神・淡路大震災後のボランティア活動を通じて、神戸市の公共事業関連の問題を知り、神戸空港建設反対運動を行うが、反対運動かなわず神戸空港は完成してしまう。 2010年のワクチン接種緊急促進事業において助成された子宮頸がんワクチンについて、子宮頸がんそのものを予防する効果が証明されておらず、深刻な副作用の発生率が他の予防接種と比べて異常に高いと主張し、ワクチンの接種を推奨する日本産科婦人科学会などを批判している。著書『33年後のなんとなく、クリスタル』においても、子宮頸がんワクチンの啓蒙活動に取り組んでいた登場人物の由利が、副作用の被害について知り、衝撃を受けるシーンが存在する。
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