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柄谷行人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/09 04:31 UTC 版)
柄谷 行人(からたに こうじん、1941年8月6日 - )は日本の文芸評論家、思想家。本名は柄谷 善男(よしお)。兵庫県尼崎市出身。
筆名は夏目漱石の小説『行人』にちなむ、と一般に言われるが、本人は否定。トイレで「kojin」という語感と響きから偶然に思いついたという[1]。
「国家」「資本」「ネーション」とは区別されるものとして、近年では「アソシエーション」という言葉を強調している。それにもとづき、2000年6月にはNAM(New Associationist Movement)を立ち上げる(2003年1月解散)。
2003年にMIT出版から『Transcritique on Kant and Marx』[9]を刊行。
2004年に岩波書店から定本柄谷行人集(全5巻)[10]を刊行。英語やその他の言語に翻訳された著作・論文のみを選定し、今までの仕事を「定本」としてまとめた。
2006年に岩波新書から『世界共和国へ』[11]を出版。なお「世界共和国」という言葉はカントの『永遠平和のために』(1795)からとられている。
2007年10月アメリカスタンフォード大学での講演をYouTube[12]で見ることができる。
2010年6月岩波書店から『世界史の構造』を出版した。
- ^ 「文学と運動-2000年と1960年の間で」(インタビュー)2001年『文学界』1月号
- ^ 選考者は江藤淳・大江健三郎・野間宏・安岡章太郎
- ^ 吉本隆明は、1980年代〜90年代、自分を批判した浅田彰、柄谷行人や蓮實重彦に対して、他者や外部としての「大衆」をもたず、知の頂を登りっぱなしで降りてこられない(親鸞でいうところの「還相」の過程がない)「知の密教主義者」として、「知的スノッブの三バカ」「知的スターリニスト」と激烈に応答した(『情況への発言全集成3(洋泉社2008)』p200p278p338)柄谷行人に関しては、1989年時点で、「せっかくブント体験をもってるのに」「最低のブント崩れ」とも評している(『情況への発言全集成3(洋泉社2008)』p226参照)。ただし2005年になって、吉本は「今は、どう動くかを考える段階、考えて具体的なものをだすべき段階」「いつまでもつまらない世代論を論じている場合じゃない。そんなことにはあまり意味がない」として、まだ「若くて政治運動家としての素質もやる気がある」人間として唯一柄谷行人の名を挙げ、「やってほしいこと、やるべきこと」の注文をつけている(『時代病』(ウェイツ, 2005)あとがきp204参照。なお親鸞の「還相」を、吉本隆明は2002年『超戦争論』においては、「視線の問題」である、としている。吉本は、「親鸞が還相ということでいっているのは、物事を現実の側、現在の側から見る視線に加えて、反対の方向からー未来の側からといいましょう、向こうのほうから、こちらを見る視線を併せ持つってことだというふうに僕は考えています。こちらからの視線と、向うからの視線、その両方の視線を行使して初めて、物事が全面的に見えてくるというわけです。」と述べている(『超・戦争論』(2002アスキーコミュニケーションズ)下巻pp230参照)
- ^ 「朋輩中上健次」『文学界』1992年10月
- ^ これら漱石に関する論考は、2001年平凡社ライブラリー版『漱石論集成』にほぼ全て収められている)
- ^ 「内面への道と外界への道」:『畏怖する人間』収録
- ^ 『内省と遡行』(1980連載)『形式化の諸問題』(1981)等。三浦雅士が『現代思想』編集から離れたときには『「現代思想」と私』(1981.12)という短いエッセイを捧げている
- ^ 1973『畏怖する人間』収録
- ^ 多くは『ダイアローグ』のⅠ・Ⅱに収録されている
- ^ 「意識と自然」からの思考― 三浦雅士との対談『ダイアローグⅣ』
- ^ 「政治化した私」をめぐって― 大岡昇平との対談『ダイアローグⅢ』
- ^ 「誤状況論」『文学環境論集 東浩紀コレクションL』2007
- ^ 『批評空間』については、公式サイト内のページで全目次を閲覧できる。“編集雑誌”. 柄谷行人. 2011年6月23日閲覧。
- ^ 『ヒューモアとしての唯物論』収録
- ^ 署名したものにはいとうせいこう、川村湊、島田雅彦、高橋源一郎、田中康夫、津島佑子、中上健次、吉田司らがいる。
- ^ 「どうか、皆さん、国家と資本が煽動する愚かな興奮の中に呑み込まれたり、右顧左眄・右往左往することはやめてもらいたい。そうすれば、三、四年後に確実に後悔するだろうから。その逆に、「戦後」に向けて、着々と準備をすることを勧めたい」(出典:批評空間WEBサイト)。なおこれには、大塚英志による批判がある。大塚は『小説トリッパー』2001年冬季号に掲載された「それはただの予言ではないか──「戦時下」の「文学」について──」(のちに角川文庫・『サブカルチャー反戦論』に再録)という文章において、柄谷の「今は右往左往せず、戦後に備えた方がいい」という主旨の呼びかけに対し、「戦時下の今こそ、言葉を発するのが文学者としての責務ではないか」と述べている(角川書店の『同時多発テロ以後のガイドブック』でも大塚は同様の発言をしている)。
- ^ 「「努力目標」としての近代を語る」『新現実05』2008での大塚英志の表現。p39参照。なお大塚は、柄谷のNAM解散断行を肯定している。一方、批評空間社の共同出資者であり、『批評空間』の執筆者であった鎌田哲哉らが、NAM・柄谷行人に批判的・総括的な視点・運動の再生という視点(鎌田は2003年4月発行の『重力02』において、「運動が崩壊したときに本当は運動が始まる。「重力」出版会議が始動して、年に何冊か本が出て、Qで流通するようになったらかっこいい」と述べている(P41)。)から『重力03 Q-NAM問題』を出版しようと2003年秋から試みるが、2009年現在、実現されていない。鎌田のNAM・柄谷批判としては、WEB上で『京都オフライン議事録・西部柄谷論争の公開[1]』(2003.11)を、結論が未完ではあるが読むことができる。そのなかで議事録が一部公開されている。なお、解散直前のNAMに関しての柄谷の詳細な言及は、2002年11月韓国嶺南(ヨンナン)大学での講演記録[2]雑誌『緑色評論』のwebで読むことができる。
- ^ 『『The Parallax View』(MIT)2006 『思想』2004年8月号に『視差的視点』として翻訳あり
- ^ この点に関しては、柄谷自身による朝日新聞におけるジジェクの『パララックス・ビュー』の書評で簡潔な反論を試みており、自身のサイトに再録している。http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-49.html 【初出】:2010.3.7 朝日新聞書評欄
- ^ また、トルコ人批評家アフメット・オズによる柄谷行人インタビュー(『at プラス02』(2009、p101)に詳しくこのジジェクの指摘に関する実情が掲載されている。
- ^ 柄谷・板部の対談「カントとマルクス―『トランスクリティーク』以後へ」『群像』2001.12
- ^ 2004年10月27日朝日新聞『プラネタリーな抵抗』
- ^ 『ある学問の死-惑星思考の比較文学へ』みすず書房2004
- ^ 『近代文学の終わり・柄谷行人の現在』2005インスクリプト収録
- ^ 「早稲田文学」(第9次)は柄谷論文の掲載号(2004.5)から2005年5月の第9次休刊まで、「近代文学の終わり」という特集のもとに、刊行を続けた。
- ^ 「Re-membering Jacques Derrida」2005年2月『新潮』
- ^ 他に鵜飼哲・浅田彰がシンポジウム出席者/ 京都大学現代思想自主ゼミ主催:2005年2月『新潮』に「Re-membering Jacques Derrida」として採録
- ^ そのキャッチコピーは「変わりますが変わりません」だった
- ^ 2006・2007年度書評委員「お勧めの三点」[3][4]:朝日新聞
- ^ 『丸山真男とアソシエーショニズム』「思想」2006.8
- ^ 座談会「『世界共和国へ』をめぐって」『at』4号[5]:2006
- ^ 『エコロジー神話の功罪』ほたる出版、「エントロピー論から見た農業」『at』6号[6]「温暖化の脅威を語る気象学者のこじつけ論理」『at』11号2008[7]
- ^ 『at』6号2006「『世界共和国へ』に関するノート」(2)p137脚注の部分に柄谷による槌田敦の提言の詳しい要約がある
- ^ 2008年8月、現行の大学改革に関して、書評に絡み、「アメリカでは、大学教育をより効率的にするために、ムダと見える学問、特に、人文学を切り捨ててきた。日本でもその真似(まね)をしている。(…) 本書の原題は「暗黒時代が近づいている」という意味であるが、暗黒時代とは、ローマ帝国が滅んだあとのゲルマン社会で、ローマの文化がすぐに忘却されてしまったことを指している。そのような事態が現在おこりつつある、という著者の予感に、私は同意する。それをひきおこしているのは、いうまでもなく、グローバルな資本主義である。」[8]と述べている。
- ^ 全学連主流派を牽引していたのが安保ブント・世界初の共産党からの独立左翼と言われる。
- ^ 山口二郎、中島岳志との対談「現状に切り込むための「足場」を再構築せよ」p30参照『論座』2008.10
- ^ 山口二郎、中島岳志との対談「現状に切り込むための「足場」を再構築せよ」p29参照『論座』2008.10
- ^ 『天馬空を行く』(1985)は1976年夏アメリカ・ニューヘイブン(エール大学所在地)出発のヨーロッパ旅行を小説化したものである。ポール・ド・マンも実名で登場している。文庫版は柄谷が解説を書いている。
- ^ 筒井康隆『笑犬樓よりの眺望』(新潮社1994)「中上健次が死んだ」
- ^ ちなみに過去在籍メンバーは、渡部直己、絓秀実、松本健一、立松和平、高橋源一郎、平石貴樹、尾辻克彦、赤瀬川隼、ねじめ正一、島田雅彦、など)。東京堂書店セミナーで顔を合わせた時に結成。
- ^ 李孝徳『表象空間の近代』、ハルオ・シラネ・鈴木登美編『創造された古典』など。石原千秋はこれを「つくられた系」の議論と呼んでいる。
- ^ 『ダイアローグ』参照
- ^ (福田 1993) pp.201-202
- ^ (福田 1993) pp.217-218
- ^ (福田 1993) p.219
- ^ (福田 1993) p.218
- ^ もっとも柄谷と福田の仲は険悪というわけではない。たとえば柄谷は福田の著書である『奇妙な廃墟』(ちくま学芸文庫)に解説を寄稿している他、今日に至るまで雑誌上や『批評空間』で対談するなど、むしろ良好といえるほどである。
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