三省堂 大辞林 |
パナマ [Panama]
〔「巴奈馬」とも書く〕
(2) (1) の首都。パナマ運河の太平洋側の入り口の東に位置する港湾都市。
(3)「パナマ帽」の略。
(4)「パナマ草」の略。
カクテルレシピ |
パナマ
|
![]() |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||
ウィキペディア |
パナマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/05 20:13 UTC 版)
- パナマ共和国
- República de Panamá
-


(国旗) 国章 - 国の標語 : Pro Mundi Beneficio
(ラテン語: 世界の福利のために) - 国歌 : 地峡賛歌

-
公用語 スペイン語 首都 パナマ市 最大の都市 パナマ市 独立
- 日付スペインより
1821年11月28日通貨 バルボア(B./)(PAB) 時間帯 UTC -5(DST: なし) ISO 3166-1 PA / PAN ccTLD .pa 国際電話番号 507
パナマ共和国(パナマきょうわこく)、通称パナマは、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の境に位置する共和制国家である。北西にコスタリカと、南東にコロンビアに接し、北はカリブ海に、南は太平洋に面する。首都はパナマ市。
南北アメリカと太平洋、大西洋の結節点に当たる地理的重要性から、スペイン人の到達以来貿易や人の移動や国際政治において大きな役割を果たす場所となっており、その役割の重要性のため、中米地峡を貫くパナマ運河が通っている。
目次 |
国名
正式名称は、República de Panamá(スペイン語: レプブリカ・デ・パナマ)。通称はPanamá。
公式の英語名は Republic of Panama (リパブリック・オブ・パナマ)。通称は Panama。
日本語ではパナマ共和国と呼ぶ。通称パナマ。漢字では「巴奈馬」と表記される。
国名の由来はインディオ(インディヘナ)のクエバ人の言葉で、「魚が豊富」を意味する言葉から来ているとされている。
歴史
詳細は「パナマの歴史」を参照
先コロンブス期
ヨーロッパ人の来航以前の現在のパナマの地には、主にチブチャ族をはじめとする人々が居住していた。スペイン人が到来する直前の、16世紀初頭の現在のパナマに相当する地域には20万人から200万人の人間が居住していたとされている[2]。
スペイン植民地時代
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」も参照
1501年、ヨーロッパ人としてはじめてスペインの探検家ロドリーゴ・デ・バスティーダスがパナマを「発見」し、カリブ海側ダリエン湾のポルト・ベーロに上陸した。翌1502年には、クリストバル・コロンがモスキートス湾沿岸を探検している。これ以降、自らがインドに到達したと誤解したコロンによってパナマに住んでいた人々はインディオ(インド人)と呼ばれるようになった。
1508年、カスティーリャ王フェルナンド5世が、パナマをスペインの探検家ディエゴ・デ・ニクエサに与えた。その後、1513年にバスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(スペイン語 Vasco Núñez de Balboa)が太平洋側に到達した(ヨーロッパ人による太平洋の「発見」)。翌1514年には総督としてペドラリアス・ダビラが派遣され、1519年にはパナマ市が建設された。
パナマにも他のアメリカ大陸の植民地と同様にアフリカから黒人奴隷が連行され、インディオは疫病と奴隷労働によって大打撃を受けたが、イスパノアメリカ植民地の交通の要衝、スペイン人の居住都市として1671年1月28日にイギリスの海賊ヘンリー・モーガンによる焼き討ちにあうまで繁栄を極めた。
1530年代、バルボアの下で経験を積んだフランシスコ・ピサロはパナマを拠点にインカを征服した。また、ペルー及び近隣植民地からスペイン本国への輸送ルートは、ほとんどがパナマを経由した。例えば、ポトシ銀山の銀は海路で太平洋側のパナマ市まで輸送された後、陸路でカリブ海側のポルトベロまで運ばれ、そこから再び海路でスペインに送られるなど、16世紀はじめにスペインはパナマ周辺地域の支配権を確立した。後にパナマはペルー副王領の一部となり、1718年にはヌエバ・グラナダ副王領に編入された。
16世紀から17世紀には、フランシス・ドレークやヘンリー・モーガンをはじめとする英国の海賊がしばしば輸送拠点を襲撃したり、搬送物を略奪する等の行為を繰り返したりした。
スペインからの最初の独立
「近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」も参照
1808年に半島戦争が勃発し、フランス帝国のナポレオン・ボナパルトが兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否し、独立のための戦いが始まった。ベネズエラのカラカス出身の解放者シモン・ボリーバルは不屈の闘争の末に、1819年8月にボヤカの戦いに勝利してヌエバ・グラナダを解放すると、1821年にはカラボボの戦いに勝利し、ベネスエラの解放を不動のものにした。同年11月28日、パナマはスペインから独立し, 自発的に決めてボリーバルの主催する大コロンビアの一部となってきた。1826年にはボリーバルの呼びかけで米州の相互防衛と将来的な統一を訴えるパナマ会議がパナマ市で開催されたが、この会議は失敗に終わった。コロンビアによる支配への不満から反乱が発生するようになった。
1830年にボリーバルが失脚してベネスエラのホセ・アンオニオ・パエスがベネスエラ共和国のグラン・コロンビアから独立を宣言すると、それまで「南部地区」と呼ばれていたキトとグアヤキルとクエンカもエクアドル共和国として独立を宣言したために、大コロンビアは解体した。1831年に大コロンビア解体後に、ヌエバ・グラナダ共和国は建国され、パナマはその時にヌエバ・グラナダ共和国の一部であった。こうしてボリーバルの目指したラテンアメリカ統合の夢と共にグラン・コロンビアは崩壊し、解放者は敗北して死んだ。
1846年にアメリカ合衆国は、パナマにおけるヌエバ・グラナダ共和国(ほぼ現在のコロンビア共和国に相当)の主権を承認することでパナマ地峡の通行権を獲得した。アメリカ合衆国が米墨戦争でメキシコから北半分の領土を奪い、1848年にカリフォルニアでゴールド・ラッシュが始まった1840年代以降、アメリカ合衆国東部の人々はオレゴン、カリフォルニア等のアメリカ合衆国西岸への移住にパナマ地峡を利用し、交通の要衝としてのパナマの重要性は高まった。1848年、アメリカ合衆国の会社が、パナマ・コロン地峡横断鉄道の敷設権を獲得した。1850年に着工したパナマ・コロン鉄道敷設工事は、1855年に完了した。
1855年にパナマはヌエバ・グラナダから自治権を獲得した。1863年、グラナダ連合でリオ・ネグロ憲法が制定され、八州が独自の外交権を持つ分権的な連邦国家コロンビア合衆国が成立すると、パナマも連邦の一州として実質的な独立を達成したが、1866年に再びコロンビアによる直接支配が復活した。パナマではコロンビアに対する反乱が頻発するがいずれも失敗に終わった。
スエズ運河建設に携わったフランス人技師レセップスは、コロンビアから運河建設権を買い取り、1881年から1889年までパナマ運河建設を進めたが、様々な問題発生により建設は中止された。この過程で運河建設のために各国から労働者が導入された。
1885年の自由党の反乱を鎮圧した保守党のラファエル・ヌニェスによって1886年にリオ・ネグロ憲法の放棄と新憲法が制定され、中央集権色の強いコロンビア共和国が成立した。こうして一時的に不安定なコロンビアにも保守党による支配権が確立したが、1894年にヌニェスが死去すると、1899年に自由党のカウディーリョだったラファエル・ウリベ・ウリベ将軍が蜂起し、千日戦争が勃発した。この内戦は1902年まで続き、およそ10万人の死者を出した。
一方、アルフレッド・マハンの影響や、1898年の米西戦争を契機にアメリカ合衆国では、太平洋と大西洋をつなぐ運河が中米に必要であるとの考えが浸透した。また、1901年にマハンの教えを受けたセオドア・ルーズベルトがアメリカ合衆国大統領に就任し、アメリカ合衆国は太平洋と大西洋をつなぐ運河を中米に建設することになった。アメリカ合衆国では、中米における運河建設計画としてニカラグア案とパナマ案が提示され、1902年、レセップスが設立した新パナマ運河会社から運河建設等の権利を買い取るパナマ案が議会で採用された(スプーナー法)。
コロンビアからの第二の独立
アメリカ合衆国はパナマ運河を建設することを千日戦争で疲弊したコロンビア共和国上院に拒否されたため、パナマの持ち得る経済効果、ならびにラテンアメリカ地域における軍事的重要性から分離・独立を画策した結果、1903年11月3日にコロンビアから独立を果たした。初代大統領にはマヌエル・アマドールが就任したが、新たに制定された憲法ではパナマ運河地帯の幅16kmの主権を永遠にアメリカ合衆国に認めるとの規定があり、以降パナマはアメリカ合衆国によって事実上支配されることになった。運河地帯の主権を手に入れたアメリカ合衆国によって運河建設は進み、1914年にようやくパナマ運河は開通した。
このように、パナマは主権が極めて制限された形で独立し、アメリカ合衆国はパナマの支配者の如く振舞ったが、パナマのナショナリズムの高まりに連れて、1930年代頃からアメリカ合衆国も譲歩せざるを得なくなった。ニカラグアでのサンディーノ戦争により、フランクリン・ルーズベルト大統領が善隣外交を導入した。親米派のエリートから主導権を奪って就任したアルモディオ・アリアス大統領は1936年にハル・アルファロ条約を締結し、パナマ運河将来的返還など、パナマの保護国としての地位からの脱出を図った。
1940年に就任したアルモディオの弟のアルヌルフォ・アリアス大統領はよりポプリスモ的であり、大統領権の強い1941年憲法を制定し、アメリカ合衆国との対立のために枢軸国との友好政策や、人種差別政策など親ファシズム政策を採ったが、この政策は合衆国の不興を買い、1941年にクーデターで失脚した。後を継いだデ・ラ・グアルディア大統領は合衆国との友好関係を強化し、第二次世界大戦中には敵性外国人となった日本人、ドイツ人、イタリア人が追放され、土地は没収された。
第二次世界大戦中にアントニオ・レモンによってそれまでの警察隊が国家警備隊に再編され、事実上の軍隊となり、以降のパナマの政治に大きな影響力をふるうようになった。1952年に大統領に就任したレモンは対外的には親米政策を採る一方、国内では国家警備隊の暴力を背景にした力の政治を推進したが、1955年に暗殺された。
1960年には中間層の民衆の間にナショナリズムが高揚し、運河返還要求を軸にした反米運動が盛んになった。1964年では運河地帯でパナマ国旗の掲揚がアメリカ合衆国人に拒否されたことをきっかけに暴動を起こしたパナマ人学生がアメリカ軍によって射殺された国旗事件が発生し、この事件によってパナマと合衆国は一時国交を断絶した。
1968年に発生したクーデターによりアルヌルフォ・アリアス大統領は失脚し、国家警備隊の司令官だったオマール・トリホス将軍が大統領に就任した。ペルーのベラスコ将軍に影響を受けていた[3]トリホス将軍は反対派を徹底的に弾圧したが、その一方で寡頭支配層や合衆国に対して一歩も妥協しないそのカリスマ性によってたちまち市民の心を掴んだ。国粋主義的な政策で合衆国との交渉に臨んだトリホス将軍は1977年にジミー・カーター合衆国大統領と新運河条約を結び、1999年の運河の主権返還を書面で認めさせた。
1981年のトリホス将軍の死後、国家警備隊は拡張され、1983年にパナマ国防軍に再編された。トリホス将軍の下で諜報任務に就いていたマヌエル・ノリエガが事実上の軍のトップとなったが、ノリエガは合衆国とキューバのカストロ政権やリビアのカダフィ政権など世界化各国の反米政権との二重スパイであり、さらにはコロンビアの麻薬組織メデジン・カルテルと深い関係にあったことが問題視され、1989年のアメリカ合衆国によるパナマ侵攻によって失脚した。
ノリエガの失脚後、政治への深い介入が問題になっていたパナマ国防軍は解体され、1990年に国家保安隊として再編された。
アメリカ合衆国からの第三の独立
1999年12月31日にトリホス将軍が結んだ新運河条約により、パナマに運河地帯の主権が返還された。アメリカ合衆国からの第三の独立[4]によって、パナマは全土に主権を及ぼす国家となった。
2004年5月には、民主革命党から故オマール・トリホスの息子マルティン・トリホスが大統領に就任した。
2009年5月3日の大統領選挙では、民主変革党の党首リカルド・マルティネリが貧困対策や治安改善、インフラ整備のための民間投資誘致などを掲げて支持を集め、得票43.68%で当選した。
政治
詳細は「パナマの政治」を参照
大統領を元首とする共和制国家である。首相は設置していない。大統領は行政府の長であり、任期は5年。連続再選は認められていない。現行憲法は1972年憲法であり、1983年に大きな改正を経て現在に至っている。
立法権は一院制の議会に属しており、定数は78名、任期は5年。
司法権は最高裁判所に属している。
主要政党としては民主変革党(民主改革党とも)、民主革命党、パナメニスタ党(旧アルヌルフィスタ党)などが挙げられる
1999年12月31日まで、国土の中心に位置するパナマ運河地帯はアメリカ合衆国の主権下にあったが、パナマに主権が返還されたことによってパナマ政府は全土に主権を及ぼすようになった。
地方行政区分
詳細は「パナマの行政区画」を参照
パナマは9つの区分に分けられており、県制(provincia)を用いている。西からボカス・デル・トーロ(スペイン語 Bocas del Toro)・チリキ(Chiriquí)・ベラグアス(Veraguas)・エレーラ(Herrera)・ロス・サントス(Los Santos)・コクレ(Coclé)・パナマ(Panamá)・コロン(Colón)・ダリエン(Darién)である。このほかにコマルカ(Comarca)と呼ばれる先住民族の自治区が4ヶ所存在する。
行政区分は基本的に1903年の建国当初から変更されていない。
主要都市
- シウダー・デ・パナマ(パナマ市。英語ではパナマシティ)
- コロン
- バルボア
- クリストバル
- ダビッド
- サンティアゴ ・デ・ベラグアス
地理
詳細は「パナマの地理」を参照
北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の接続点にあり、コロンビア国境付近の高地はアンデス山脈に関係している。国土はパナマ運河によって二分されており、国土の約78%が山地と丘陵であるように全体的に山脈が多く、低地では熱帯雨林が多い。運河にはガトゥン湖などの湖も存在する。東のコロンビアからはオリエンタル山脈が、西のコスタリカからはダバサラ山脈が延びている。西部の中央山系には高山と火山が集中しており、最高峰は隣国コスタリカの近くのバル火山(3,475m)である。最長の川はチュクナケ川(231km)であり、流れは太平洋岸のサン・ミゲル湾に注ぐ。パナマ市の東に広がるダリエン地方には、ユネスコ世界遺産にも登録されているアメリカ大陸に残された最大規模の熱帯雨林と湿地帯が広がっている。国土北西部のボカス・デル・トロ諸島の島々は、どれもサンゴ礁に囲まれている。その他にもカリブ海側のサン・ブラス諸島や、ラス・ペルラス諸島など幾つかの島嶼が存在する。
気候は熱帯性気候で、季節は12月半ばから4月までの乾季と5月から12月半ばまでの雨季に分かれる。雨季の午後には激しい雨が降り、年間降水量は2,000mmから3,000mmに達する。
かつては国土の9割以上を森林が占めていたものの、2000年には森林面積が39%にまで低下した[5]。国土の23%は様々なタイプの自然保護区に指定されており、世界全体でも10位以内に入る自然保護大国でもある。
軍事
詳細は「パナマの軍事」を参照
1989年のパナマ侵攻の結果、それまで国防を担っていたパナマ国防軍は1990年に解体され、国家保安隊が創設された。そのため現在パナマに軍隊は存在しない。
国家保安隊は国家警察、海上保安隊、航空保安隊より構成される。
経済
詳細は「パナマの経済」を参照
アメリカ合衆国の通貨米ドルにすべてを依拠し、自国の通貨主権を放棄している。中央銀行(パナマ国立銀行)は存在するが、紙幣発行権を持たない。バルボアという通貨があるが、バルボア紙幣は存在しない。流通している紙幣は米ドル紙幣のみである。それは常に1バルボア=1米ドル固定であり通貨が米ドルと等価であるからである。硬貨はパナマ独自のものが発行されているが、米国セント硬貨も等価で併用されている。そのため、コスタリカと共に中米で最も経済的に進んだ国であり、伝統的に金融業が経済の中心である。他のラテンアメリカ諸国に比べて安定していたこともラテンアメリカの金融センターとして発達した理由の一つである。第三次産業の従事者が全体の7割にものぼる。
国土の大半が山脈であることから平地農業が廃れてきている。
熱帯性気候であり、年間降水量が2,000mm以上と非常に多いため、エネルギーの半分近くを水力発電で賄っている[6]。
パナマ船籍の外国商船からの収入も多い(便宜置籍船)。
鉱業
パナマの鉱業は小規模ではあるが、金と塩については経済的に採算が取れている。2003年時点の金の採掘量は1.6トン、塩は2.3万トンである。金はダリエンの砂金が著名であるが、ベタキジャやベラグアスの鉱山開発も進んでいる。塩は岩塩ではなく、塩田を利用したものである。サンタマリア川とチコ川に挟まれた都市アグアドゥルセに大規模な塩田が立地する。
このほか、アスベスト、銀、鉄、銅、マンガンの埋蔵が確認されている。
国民
詳細は「パナマの国民」を参照
住民はヨーロッパ人とインディオ(インディヘナ)との混血であるメスティーソが60%、アフリカ系パナマ人が14%、ヨーロッパ系パナマ人が10%、先住民(アジア系モンゴロイド)が10%、その他が1%である。パナマにはインカ文明、アステカ文明、マヤ文明のような高度に発達した先コロンブス期の文明は存在しなかったが、それでもインディオが国民の内約10%を占めるのはメキシコの国民に占めるインディオ比と同水準であり、ラテンアメリカ域内では先住民系の人口の占める比率が大きい国となっている。
黒人(アフリカ系パナマ人)は植民地時代にアフリカからパナマに連行された人々の子孫であるアフロ・コロニアルと、19世紀から20世紀にかけてジャマイカ、トリニダード、マルティニーク、グアドループなどから鉄道や運河の建設のために移住した人々の子孫であるアフロ・アンティーリャスに分けて統計されている。
白人(ヨーロッパ系パナマ人)は植民地時代に移住したスペイン人の子孫の他、19世紀に鉄道や運河の建設、監督のためにイタリア人、イギリス人、アメリカ合衆国人などが移民した。
パナマの人口の10%を占めるインディオ(インディヘナ)にはクナ人、ネーベ人、エンベラー人、ブグレー人、オウナン人、テリベ人、ブリブリ人、ボゴタ人などの諸集団が存在し、1953年にクナ・ヤラー自治区が、1983年にエンベラー・オウナン自治区、1996年にマドゥンガンディ自治区、1997年にノーベ・ブグレー自治区が創設された。
その他にマイノリティとしてユダヤ人、中国人(華僑)、インド人(印僑)、トルコ人などが挙げられる。
言語
スペイン語が公用語であり、大多数の国民が母語としている。その他にもアフロ・アンティーリャスなどにはジャマイカ英語をはじめとする英語を母語とする人々が存在する他、クナ語など先住民の言語を母語とする人々も存在する。英語はまた、都市部の高学歴層や観光地で使用される。
宗教
宗教はローマ・カトリックが85%、プロテスタントが13%、その他(仏教、ヒンドゥー教、ユダヤ教、バハーイー教など)が2%である。
教育
詳細は「パナマの教育」を参照
6歳から11歳までの6年間の初等教育が無償の義務教育期間となり、その後の6年間の前期中等教育と後期中等教育を経て高等教育への道が開ける。国公立の教育機関は初等教育から高等教育までほぼ無償である。2000年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は91.9%である[7]。
代表的な高等教育機関としては、パナマ大学(1935年)、パナマ工科大学(1981年)などが挙げられる。歴史的にパナマのエリートは子弟をアメリカ合衆国や西ヨーロッパ諸国の学校で学ばせたため、パナマ国内の高等教育機関は中間層の子弟のための機関となり、それゆえにエリート層と対立するパナマの学生は1964年1月の国旗事件など、高揚するパナマ・ナショナリズムの担い手となった。
文化
詳細は「パナマの文化」を参照
パナマの文化はインディヘナの文化の上に、アフリカ系の文化とヨーロッパ系文化の伝統が強く影響して築き上げられている。
音楽
1980年代にジャマイカのレゲエの影響を受けてスパニッシュ・レゲエが生まれた。スパニッシュ・レゲエは1990年代にプエルトリコに伝播してレゲトンとなった。
世界遺産
パナマ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件、自然遺産が2件あり、コスタリカにまたがって1件の自然遺産が登録されている。詳細は、パナマの世界遺産を参照。
|
パナマのカリブ海沿岸の要塞群:ポルトベロとサン・ロレンソ - (1980年、文化遺産) |
ダリエン国立公園(1981年,自然遺産) |
タラマンカ山脈=ラ・アミスター保護区群とラ・アミスター国立公園 - (1983年、1990年拡大、自然遺産) |
パナマ・ビエホとパナマの歴史地区 - (1997年・2003年に合同・拡大登録、文化遺産) |
|
コイバ国立公園とその海洋特別保護地域(2005年、自然遺産) |
祝祭日
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 | Año nuevo | |
| 1月9日 | 殉教者の日 | 1964年、当時の運河地帯での暴動の死者を偲む | |
| 移動祝祭日 | カルナバル | Carnaval | |
| 移動祝祭日 | 聖金曜日 | Santo Viernes | |
| 移動祝祭日 | 聖週間 | Semana Santa | |
| 8月15日 | パナマ市建設記念日 | 首都圏のみ休日 | |
| 11月2日 | 万霊節 | 死者を弔う | |
| 11月3日 | コロンビアから分離独立の日 | separacion de colombia | |
| 11月4日 | 国旗の日 | Día de la Bandera | |
| 11月5日 | コロンの日 | Día del Colón | コロン市のみ休日 |
| 11月10日 | ロス・サントス市独立の第一声記念日 | ||
| 11月28日 | スペインからの独立記念日 | Día de la Indipendencia | |
| 12月8日 | 母の日 | Día de la Madre | |
| 12月25日 | クリスマス | Navidad |
スポーツ
野球
近隣のキューバやプエルトリコ、ドミニカ共和国、ベネズエラと同様にアメリカ合衆国の強い影響を受けたため、伝統的に野球が盛んである。ニューヨーク・ヤンキースの守護神マリアノ・リベラ、ヒューストン・アストロズの主砲カルロス・リーらが有名である。
ボクシング
ボクシングも人気のあるスポーツであり、2007年に世界ボクシング協会(WBA)の本部がパナマ市に移転した。現在までに20人以上の世界チャンピオンを輩出し、特に著名な選手としてロベルト・デュランが挙げられる。
脚註
- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ 国本伊代/小林志郎/小澤卓也 『パナマを知るための55章』 明石書店 2004/08 p.264
- ^ 中川文雄、松下洋、遅野井茂男『世界現代史34 ラテンアメリカ現代史II』山川出版社 p.190
- ^ 国本伊代/小林志郎/小澤卓也 『パナマを知るための55章』 明石書店 2004/08 pp.192-196
- ^ 国本伊代/小林志郎/小澤卓也 『パナマを知るための55章』 明石書店 2004/08 p.17
- ^ 国本伊代/小林志郎/小澤卓也 『パナマを知るための55章』 明石書店 2004/08 p.17
- ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/pm.html
参考文献
- 国本伊代/小林志郎/小澤卓也 『パナマを知るための55章』 明石書店 2004/08
- 滝本道生『中米ゲリラ戦争』毎日新聞社 1988/10 (ISBN 4-620-30653-3))
- 二村久則/野田隆/牛田千鶴/志柿光浩『世界現代史35 ラテンアメリカ現代史III』山川出版社 2006
関連項目
外部リンク
- 政府
- パナマ共和国大統領府 (スペイン語)
- 在日パナマ大使館 (日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - パナマ (日本語)
- 在パナマ日本国大使館 (日本語)
- 観光
- その他
|
||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||
固有名詞の分類
関連した本
- パナマを知るための55章 エリア・スタディーズ 小林 志郎 明石書店
- コロンビアとパナマを旅する―石畳の街を訪ねて 今中 賢一 文芸社
- パナマ運営拡張メガプロジェクト―世界貿易へのインパクトと第三閘門運河案の徹底検証 小林 志郎 文眞堂



