大コロンビア
大コロンビア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 06:59 UTC 版)
1819年12月、ボリバルはアンゴストゥーラ議会(スペイン語版、英語版)でヌエバ・グラナダ共和国の大統領と軍指揮官になった。ボリバルは議会にヌエバ・グラナダとベネズエラを合併した新しい国家の創設を要請した。直ちに現在のベネズエラ・コロンビア・パナマ・エクアドルを合わせた地域がコロンビア共和国(後世呼ばれる大コロンビア)として宣言された。しかし、ベネズエラとキトとグアヤキルは依然としてスペインの支配下であった。 1820年にボリバル軍とスペインの間で6ヵ月の休戦条約が結ばれるが、休戦期間終了後間もなく、ボリバルとスペイン軍の間で戦闘が起こる。 ベネズエラに侵攻したボリバルは1821年6月のカラボボの戦い(英語版)で勝利し、故郷カラカスを奪還する。ボリバルは、1821年5月に開催された大コロンビアの憲法起草のためのククタ議会(スペイン語版、英語版)に招集され、初代コロンビア共和国の大統領として指名を受けた。そして国内が一応固まる様子をみせると、内政はそれまで副官を務めていたヌエバ・グラナダ人の副大統領フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル以下に任せて、ボリバルは大コロンビア領に理論的には含まれるもののまだスペインの統治下にあるキト、そして王党派の牙城ペルー方面の解放に向かった。
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