機動隊
機動隊(グレー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:25 UTC 版)
「ボナンザブラザーズ」の記事における「機動隊(グレー)」の解説
プレイヤーの攻撃を防ぐシールドを持った大柄な警備員。シールドは手前と奥の移動中以外常に横を向けている。こちらを発見すると警笛を鳴らして執拗に追跡し、警棒で攻撃してくる。追跡範囲は広く、階層を超えて追跡してくることもある。
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機動隊(白)
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同じくシールドを持った警備員。こちらは武装が拳銃になっており、発見するとシールドを構えつつ射撃を行う。追跡は行わない。
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機動隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:20 UTC 版)
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機動隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:39 UTC 版)
前身となった部隊については「警視庁予備隊」を、他道府県警の同種部隊については「機動隊」を参照 第一機動隊 警備交通部時代の中央区隊を前身としており、近衛歩兵連隊跡に所在し、当初は兵舎の一部をそのまま隊舎として使用していた。また警視庁本部庁舎内警備にもあたっていたこともあって、「警視庁近衛連隊」あるいは「直参旗本」と通称される。 「警視庁機動隊」隊長ともなり得る第一機動隊長には経験豊富なベテラン警視正(本部の主要課長級相当)が就く(他のほとんどの隊長は署長経験者の警視)。 1956年、本隊内に特科車両中隊が設置され、1968年には特科車両隊と改称したが、1969年に分離独立して第八機動隊となった。 所在地:千代田区北の丸公園4番1号 第二機動隊 方面予備隊時代の第七方面予備隊を前身として、海抜ゼロメートル地帯が多くを占める江東地域に所在していることから、水害警備に動員される機会が多く、装備・訓練ともに充実していることから「河童の二機」と通称される。あさま山荘事件では、隊長が殉職、中隊長が重傷を負った。 1970年10月14日には「ボート・アクアラング小隊」が発足し、1972年8月31日には水難救助隊として増強改編された。 所在地:墨田区横川橋5-2→墨田区横川五丁目7番2号→江戸川区臨海町一丁目2番2号 第三機動隊 警備交通部時代の南部区隊を前身として、当初は旧陸軍輜重第一連隊跡地に所在していたため、特に春風が強い季節には、輜重連隊時代から練兵場に溜まった馬糞が大量の埃となって降り注いでいたことから、これを「誇り」とかけて、「ほこりの三機」と通称される。 輜重連隊以来の広い訓練場に恵まれたこともあって陸上競技に長けており、第三予備隊時代には陸上競技大会3連勝を達成して優勝パレードを敢行し、以後、対抗陸上競技大会は行われなくなった。また1963年3月に誕生した警視庁ラグビー部は本隊に設置されていた。 所在地:目黒区大橋二丁目17番16号 第四機動隊 警備交通部時代の西部区隊を前身とする。1952年の早稲田大学事件を端緒として多くの警備出動に参加したが、特に安保闘争での東大生圧死事件ではマスコミの指弾を受け、「泣く子も黙る四機動」や「殺しの四機」と称されており、学生運動全盛期の頃は全共闘を始め過激派学生から恐れられていた。しかしその後も警備を着実に遂行したことが評価され、いつしか警察内部でも「鬼の四機」と称されるようになった。 陸上競技が盛んで、特に近代五種がお家芸だった。 所在地:新宿区市谷本村町42番→立川市緑町3567番地(第五・第八機動隊と同居していたが独立) 第五機動隊 方面予備隊時代の第五方面予備隊を前身としており、1963年に移駐するまでは文京区小石川に所在していたことから、周囲に大学が多く、また昇任試験の合格率も比較的高いことから、「学の五機」と通称された。 東大紛争では安田講堂正面を担当していた。日大紛争で殉職した西条警部も五機の所属である。 所在地:文京区小石川→新宿区市谷本村町42番→新宿区市谷本村町6番1号(第四・第八機動隊と同居していたが独立) 第六機動隊 70年安保闘争への対応策の一環として、1969年1月10日に新編された。特殊部隊(SAT)の前身部隊であるSAPもここに所属していた。臨港地帯からニックネームは「潮」もしくはシンボルマークから「若鹿」。 所在地:品川区西大井5-7-7→品川区勝島一丁目3番18号 第七機動隊 70年安保闘争への対応策の一環として、1969年1月10日に新編された。シンボルマークのライオンからニックネームは「若獅子」。 通常の機能別部隊のほか、水難救助部隊が編成されている。また創設直後より、第一中隊第三小隊はレンジャー小隊とされており、現在では、他の隊の銃器対策部隊のかわりに銃器レンジャーが、また機動救助隊を兼務する山岳救助部隊として山岳レンジャーが設置されている。 所在地:調布市小島町536→調布市上石原三丁目5番地→府中市朝日町三丁目16番地の8 第八機動隊 70年安保闘争への対応策の一環として、第一機動隊の特科車両隊を分離独立させて1969年1月10日に編成された。隠密行動に長ける事からニックネームは「忍び」もしくは隊番号の“八”から「蜂」。 上記の経緯より、当初は特科車両が中心の部隊だった。爆弾が投げ込まれた事がある(土田・日石・ピース缶爆弾事件)。 所在地:新宿区市谷本村町42番→新宿区若松町14番1号(第四・第五機動隊と同居していたが独立) 第九機動隊 70年安保闘争への対応策の一環として、1969年8月26日に新編された。当初は2個中隊編成だったが、1970年1月21日に4個中隊編成を完了した。ニックネームは「疾風」もしくはシンボルマークから「若鷲」。通常の機能別部隊のほか、水難救助部隊が編成されている。雑踏警備で名を馳せたDJポリスは九機の所属だった。 所在地:江東区新砂一丁目7番20号 特科車両隊 第一機動隊の特科車両隊が分離独立して第八機動隊となったのに伴い、その特科車両部門を更に分離独立させて、1969年7月1日に編成された。他の機動隊と同様に治安警備、災害警備、雑踏警備等諸般の警備警戒、各種犯罪の予防検挙にあたるほか、各種車両で他の機動隊の支援を行う。「警察の機甲部隊」ともいわれ、特型警備車や各種災害支援車両(広域レスキュー車)などを装備している。また隊舎内に技術開発センターを設置して資機材の開発にあたっているほか、隊員にも各種資格や技術を持ったものが多い。 ニックネームは「技術」もしくは「支援」。あさま山荘事件では、放水作戦を指揮していた中隊長が殉職している。 所在地:新宿区市谷本村町7番1号
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