1970年1月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:20 UTC 版)
「アイ・ミー・マイン」の記事における「1970年1月」の解説
1969年10月にリンゼイ=ホッグは、ドキュメンタリー映画の編集を終えた。完成した映画の中には、ハリスンがスターのために「アイ・ミー・マイン」を演奏するシーンや、ハリスン、マッカートニー、スターが演奏している間に、レノンとオノが踊るシーンが含まれていた。これらのシーンが比較目立つことから、映画に付随するサウンドトラック・アルバムに収録するためにレコーディングを行なう必要があった。 1970年1月3日にハリスン、マッカートニー、スターは、EMIスタジオでプロデューサーのジョージ・マーティンと共にレコーディングを行なった。前年9月に個人的にバンド活動から離脱したレノンは、オノとともにデンマークで休暇を過ごしていたため、セッションには不参加となった。 ベーシック・トラックは、ハリスンがアコースティック・ギターとガイド・ボーカル、マッカートニーのベース、スターのドラムという編成で16テイク録音された。本作のセッションについてビートルズの歴史家であるマーク・ルイソン(英語版)は、「テイク6の後にジャム・セッションに興じたり、テイク12の前にハリスンがバディ・ホリーの『ペギー・スーの結婚(英語版)』の楽しいカバー演奏をした効率的なセッション」と説明している。テイク15の前に、ハリスンは同時期にデイヴ・ディー・グループを脱退したデイヴ・ディーをレノンに引っ掛けて、以下のような冗談を言った。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}You all will have read that Dave Dee is no longer with us. But Mickey and Tich and I would just like to carry on the good work that's always gone down in number two. (みなさまはすでにお聞きのことと思いますが、デイヴ・ディーが私たちの元を去りました。しかしながらミッキーとティック、そして私は、これまで優秀ながら2番手と見なされてきた仕事を今後も粛々と続ける所存であります。) テイク16にオーバー・ダビングされた要素のうち、ボーカル、2つのディストーションを効かせたエレクトリック・ギターとアコースティック・ギターのパートはすべてハリスンが演奏し、ハモンドオルガンとエレクトリックピアノはマッカートニーが演奏した。この時点での曲の演奏時間は1分34秒だった。その後、エンジニアのグリン・ジョンズによってアルバム『Get Back』のミキシングが行なわれ、同作に収録された本作にはテイク16の前のスタジオ内での会話が含まれていた。1996年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』には、このテイク16が収録された。
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