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佐々淳行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/15 22:49 UTC 版)
佐々 淳行(さっさ あつゆき、1930年(昭和5年)12月11日 - )は、日本の警察官僚出身の評論家。
- ^ 佐々はフレデリック・フォーサイスの小説『第四の核』に「日本のスパイキャッチャー」として実名で登場している。
- ^ 2008年(平成20年)5月8日付『朝日新聞』、「(掘る)「石原銀行」の危機:7 論点かすみ、都民蚊帳の外」。
- ^ 参議院議員・紀平悌子は姉。他に尚子という妹がいたが、1942年(昭和17年)2月に3歳で病死している(2007年(平成19年)12月7日付『朝日新聞』、首都圏版夕刊連載「新聞と戦争」。)
- ^ 警察三級試験に3600人中2位で合格。
- ^ 第一次安保闘争末期警備に従事。1961年(昭和36年)8月、アナスタス・ミコヤンソ連第一副首相来日警備に従事。
- ^ ケネディ大統領暗殺事件調査のため渡米。帰国後は東京オリンピックの際の警備や亡命者の処遇を担当した。
- ^ 1967年(昭和42年)5月、香港暴動の発生に際して、領事として在留邦人保護を担当。1968年(昭和43年)1月、ベトナム出張でサイゴン滞在中、テト攻勢に遭遇し、青木大使のもとで在留邦人保護にあたる。
- ^ 1968年(昭和43年)6月29日に帰国。
- ^ 当時、全学共闘会議などによる騒乱が続く中、第二次反安保闘争の吹き荒れる「警察戦国時代」であった。これに対処するため、佐々の実質仲人である秦野章・警視総監が中心となって、警備実施の指揮ができる警察官僚を集め組織強化を行っていたことから、半ば強引な人事となったと、佐々は著作で述べている。警備第1課長としては、戦術的後退や挟撃作戦などの発案、隊員の受傷防止のための個人防御装備の開発、警備車両の充実化など、後の機動隊の基礎を固め、また、連合赤軍あさま山荘事件で有名になった特型警備車「防弾装甲放水車」の配備を断行したと著書に記している。
- ^ 在任中、金大中事件、シンガポールシージャック事件、文世光事件に対応した。
- ^ 在任中、三菱重工爆破事件、ジェラルド・フォードアメリカ大統領来日警備、エリザベス女王来日警備、ひめゆりの塔事件、クアラルンプール事件など日本赤軍によって起こされた一連の日本航空ハイジャック事件などに対応した。
- ^ 防衛白書担当。
- ^ 後の人事教育局長に相当。以後、政府委員として、退官時まで国会の各委員会で答弁。
- ^ 在任中、ブルーインパルス機墜落事件、大韓航空機撃墜事件などに対応。
- ^ 在任中、厚木基地NLP問題、池子住宅地区への住宅建設問題、三宅島新空港建設問題などに対応。
- ^ 在任中、警察時代の上司でもある後藤田正晴・内閣官房長官の下で、大島三原山噴火やなだしお事件、東芝機械ココム違反事件、昭和天皇の大喪の礼、防衛費1%枠撤廃閣議決定などに対応した。
- ^ 日本国際救援行動委員会(JIRAC)の理事長として、クルド難民救援活動、カンボジア帰還民救援活動、カンボジア地雷撤去活動、カンボジアにおける学校建設などの救援活動、ロシア極東地区における福祉施設などに対する救援活動、阪神大震災での救援活動などに従事した。
[続きの解説]
固有名詞の分類
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- 「危機管理・記者会見」のノウハウ―東日本大震災・政変・スキャンダルをいかに乗り越えるか (文春文庫) 佐々 淳行 文藝春秋
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