紀平悌子
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紀平 悌子(きひら ていこ、1928年2月2日 - 2015年7月19日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)、元日本婦人有権者同盟会長[1]。旧姓佐々。
- ^ a b 『日本婦人有権者同盟年表 参政権と歩んだ40年』 1985, p. 208.
- ^ 佐藤むつみ. “『法と民主主義』2003年8・9月号”. 日本民主法律家協会. 2023年10月2日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1967年3月17日付朝刊、15頁、「美濃部氏 後援団体の結成総会 政党の上に市民組織」。
- ^ a b “ヒロシマの記録1962 4月”. ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社. 2023年10月2日閲覧。
- ^ 『経済展望』1967年6月号、経済展望社、「敗軍の将・松下正寿氏はどこへ行く」。
- ^ 女性の政治参加拡大に尽力 紀平悌子さんが死去 熊本日日新聞 2015年7月19日閲覧
- ^ 紀平悌子「三島由紀夫の手紙」(週刊朝日 1974年12月13日号連載手記)
- ^ 『決定版 三島由紀夫全集題42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
紀平悌子
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三島の亡き妹・美津子と同級生だった縁もあり、三島と交際していた時期があった。実弟の佐々淳行は、新左翼による暴徒鎮圧に従事していた警視庁警務部参事官時代に三島と知り合い、東大安田講堂事件の際には彼らを飛び降り自殺させないようにヘリコプターで催眠ガスを撒いてくれと三島から警視庁に電話が来たという。
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