三島由紀夫とは?

三島 由紀夫 (みしま ゆきお)

19251970 (大正14年昭和45年)
小説家世界中著作翻訳されている戦後文学代表的作家市ヶ谷自衛隊割腹自殺
昭和期小説家劇作家東京都出身東大卒学習院時代16歳で「文芸文化」に「花ざかりの森」を発表するなど、早熟才能を著わし、東大在学中には文壇に入った。卒業勤め大蔵省を9ヶ月退職し、本格的作家生活を開始1949年昭和24)「仮面の告白」で注目集め、「禁色」「金閣寺」「サド侯爵夫人」など華麗絢爛たる三島文学を築いた。「楯の会」を組織するなど軍国主義的な行動も示し70年豊穣の海」を書き上げその日に、自衛隊市ヶ谷駐屯地に赴き決起訴えた後、割腹自殺

 年(和暦)
1928年 (昭和3年) ■初の普通選挙実施 3才
1932年 (昭和7年) 五・一五事件 7才
1936年 (昭和11年) 二・二六事件 11
1941年 (昭和16年) ■対英米宣戦布告 16才
1945年 (昭和20年) ポツダム宣言受諾 20才
1946年 (昭和21年) 日本国憲法公布 21
1951年 (昭和26年) サンフランシスコ講和条約 26
1953年 (昭和28年) テレビ放送開始 28
1956年 (昭和31年) 国際連合加盟 31
1960年 (昭和35年) 東京タワー完成 35
1960年 (昭和35年) 日米新安保条約調印 35
1964年 (昭和39年) 東京オリンピック 39
1968年 (昭和43年) GNP世界第2位 43
1970年 (昭和45年) 大阪万国博覧会 45


 人物

三島由紀夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/21 06:08 UTC 版)

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年大正14年)1月14日 - 1970年昭和45年)11月25日)は、日本小説家劇作家随筆家評論家政治活動家皇国主義者。血液型はA型[1][2]。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である[3][4]。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたTV番組に初めて出演した日本人でもある[5]




[ヘルプ]

注釈

  1. ^ 祖父・定太郎と『国際私法』を共著した福原鐐二郎(第14代学習院院長)の紹介もあったのではないかという推察もある[32]
  2. ^ しかし、三島が使用していた原稿用紙は36種類あり、その中には、翌年1942年(昭和17年)に梓が天下りした日本瓦斯木炭株式会社の社報用の原稿用紙や、農林省蚕糸局にいた時に入手したと思われる日本蚕糸統制株式会社の原稿用紙もあり、暴君を気取っていた梓も戦況が激しくなるに従い、次第に息子の形見のためにせっせと原稿用紙を調達していたことが推察されている[59][3][60]
  3. ^ ちなみに三島自身はペンネームの由来について次のように語っている。

    学生として本名ではまづいといふ先生の意見で、ペンネームを作ることになつた。私は伊藤左千夫といふやうな、万葉風の蒼古な名前がほしかつたが、結局、由紀雄と落ち着き、先生は夫のはうがいいと言はれて、さう改めた。それから何か座りのいい姓をと考へて、先生の机上にあつた何かの名簿を繰つて、三島といふのを探し出したのである。

    三島由紀夫「私のペンネーム」[63]

    なお、父親の梓は、ペンネームの由来について、倅が電話帳で適当に開いた頁が「三島」だったとしている[45]

  4. ^ 貰った希望賞品は、光吉夏弥編・筑摩書房刊の豪華本『文楽』となった[70]
  5. ^ 三島は『東文彦作品集』の序文で東との交友を振り返りつつ、当時を〈文学に集中できたむしろアリストテレス的静的な時代〉であったと語っている[77]
  6. ^ なお、三谷隆信の三女・正子は、鮎川義介の息子・鮎川弥一に嫁いだため、三谷邦子はのちに、鮎川純太の義理の伯母の立場となった。
  7. ^ 三島より2、3歳年長の斎藤吉郎は1942年(昭和17年)に一高を卒業してから東大に入り、友人らと雑誌『故園』を1943年(昭和18年)に発刊した[149]。『故園』第1号は、蓮田善明の「神韻のしらべ」が巻頭を飾り、三島の詩「春の狐」も掲載された[149]。斎藤の雑誌は終戦後『叙情』として発刊し、三島はその第1号に戦時中に創作した「絃歌――夏の恋人」を寄稿した。この詩には三谷邦子とのことを題材にしているのが看取される[149]
  8. ^ 野田宇太郎は当時を振り返る随想で、まだ学生の三島が有名な作家になりたいという野心を持って川端康成を訪問し、そのために自分をずっと利用していたと悪し様に語っているが[134]、野田の知らないところで、三島と川端との繋がりは学習院在学中の頃からあったという説もある[156]越次倶子が三島の母・倭文重に取材したところによると、1943年(昭和18年)、三島の詩や短編を読んだ川端から手紙(宛名は平岡公威)が突然来て、「名もない僕に大作家の川端さんが、お手紙を下さるなんて天にも昇る気持だ」と三島が大喜びし、はしゃいでいたという[156]。それから翌1944年(昭和19年)の『花ざかりの森』出版まで、三島は川端へ2、3度手紙を出し、本が出来上がると贈呈した[156]。三島は15歳頃に川路柳虹に師事していたが、川路が三島の文学的早熟に驚き、教えることがないと周囲に漏らしていたため、親交のあった川端にも三島少年の詩篇を見せた可能性もあり、それ以降、各所で発表される三島の作品に川端が注目していたと越次は推察し、それが三島の言う〈何か私を勇気づける事情〉のことだとしている[156]
  9. ^ 当時は物資不足で大学の学生服の新調はできず、三島は終戦までは、召集されて行った先輩の制服を借り、戦後は自分の学習院時代の制服を改造した窮屈なものを学生服にして講義を受けていた[116]
  10. ^ ちなみに、三島の母・倭文重も、娘時代に兄と2人でよく銀座(まだ関東大震災前の)の喫茶店に通っていた頃、芥川龍之介南部修太郎と一緒にいる目のぎょろぎょろした川端や、無精髭の横光利一を見かけていたという[30]
  11. ^ 彼らは、第五中学校の校内誌『開拓』に投稿していた文学仲間であった[184]
  12. ^ 中村稔によれば、三島はその会がおひらきになるまで居て、帰りは三島と渋谷駅まで一緒に帰ったと回想している[184]
  13. ^ 大蔵省時代のことを題材にした作品には、『大臣』『訃音』『鍵のかかる部屋』『日曜日』などがある[204][205][211][212]
  14. ^ 『序曲』は、河出書房杉森久英が企画し、埴谷雄高武田泰淳野間宏中村真一郎梅崎春生椎名麟三、佐沼兵助(寺田透)、船山馨島尾敏雄、三島の10名が編集同人となった同人雑誌だが、創刊号の1号で終刊した[214]。三島は創刊号に短編「獅子」を掲載した[44]
  15. ^ その後、この原稿を一旦取り戻し、書き直して4月27日に擱筆した[219]
  16. ^ のちに英訳された作品集『真夏の死 その他』は、1967年(昭和42年)5月にフォルメントール国際文学賞第2位を受賞し、この時、『午後の曳航』も候補作となった[236]
  17. ^ 玉利齊は、のちに社団法人日本ボディビル協会会長となった[229]
  18. ^ ジョン・ネイスンは、この時の右翼に対する恐怖感により、三島の思想が「右旋回」したと実弟・平岡千之の証言として書いているが[278]、千之はそのようなことを言った覚えはないと否定している[261]
  19. ^ 実際1961年度に川端康成が受賞する可能性もあったことも明らかになっている[293]
  20. ^ 大神神社境内には、この時三島が揮毫した「清明」が刻まれた記念碑がある[313]
  21. ^ なお、この刀は本物の関ノ孫六ではなく、三島は贋物をつかまされていたという疑いもあり、元の持主であった武道家・中村泰三郎はこれを神戸の刀剣店で4万円の値で買い、舩坂弘に5万円で売ったとされている[315]。三島はこの日本刀を死ぬまで本物の関ノ孫六だと信じきっていた[315]
  22. ^ 前年1966年(昭和41年)に、マスコミからノーベル文学賞受賞の予定談話まで要望され、それに応えた三島だったが、実際の受賞者はシュムエル・アグノンネリー・ザックスで、バツの悪い思いをした教訓で、この年には記者の追跡を避けて三島はバンコクに滞留していた[326]
  23. ^ 全共闘主催の討論会で最後に三島が語った全文は、

    天皇ということを口にすることも穢らわしかったような人が、この2時間半のシンポジウムの間に、あれだけ大勢の人間がたとえ悪口にしろ、天皇なんて口から言ったはずがない。言葉は言葉を呼んで、をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかにどんなふうに残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。これも問題提起にすぎない。そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい。

    三島由紀夫「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争[340]

  24. ^ 辻井喬は『癩王のテラス』の中の台詞、〈そしてお寺の名も、共に戦つて死んだ英霊たちのみ魂を迎へるバイヨンと名づけられた。バイヨン。王様はあの目ざましい戦の間に、討死してゐればよかつたとお考へなのだらう〉という言葉には、戦後に生き残った三島の心境が吐露されていると見ている[369]
  25. ^ 小島は10分ほど遅れて到着したが、三島の死後にお手伝いさんに確認したところ、三島はその日の朝、「今日は10時過ぎに出かける。そのあとで小島さんが来るからこれを渡すように」と指示して出ていったという[324]
  26. ^ 武田は三島の自決2か月前から、戦中の精神病院を舞台にした長編「富士」を『』に連載し、11月20日に脱稿したが、その内容が三島を彷彿とさせる患者(自分を宮様と自称し、皇族宅に乱入して「無礼者として殺せ」と要求し、最後は自決)が描写されていたため、担当編集者・村松友視は「この発表タイミングでは、『三島事件』をモデルにしたと読者に思われる」と懸念したが、武田はこの偶然に驚き、刊行後は、「三島のおかげで、この小説を書きあげることができた」と語った[382]
  27. ^ 1972年(昭和47年)4月に川端康成も自殺するが、その数日前、三島の父・梓は川端からの長文の手紙をもらったという。梓は、「川端さんのご性格のまったく意外な点が実によくあらわれていて興味をひかれました」とし、家宝として永く保存していくと語った[164]
  28. ^ この理論は既に1968年(昭和43年)11月16日に茨城大学講堂で行われた学生とのティーチ・インで明らかにされているが、その際には海上自衛隊を6:4に分割することを主張していた[432]
  29. ^ 「憲法研究会」のリーダーで、改正案討議の記録を保管していた班長・阿部勉の提案した「女帝を認める」(「女系」ではない)という意味についても、阿部は「皇統には複数の女帝がおられたんで、女帝は絶対だめだというような意見には反対だという意味ですよ、消極的な」と説明しており、「積極的な一つの主義として確立しろという意味ではない」と述べている[444]
  30. ^ 中上健次も対談で誤解に基づき、「たとえば三島由起夫〔ママ〕は被差別部落の血が流れてるよね」と発言している[474]
  31. ^ 光文社の雑誌『光』1948年12月号に掲載予定だったが、出版社の経営悪化により11月号で休刊となったため雑誌未発表となった[483]

出典

  1. ^ 斎藤銀次郎教授「慶応大学病院法医学部 解剖所見」(1970年11月26日)。日録 1996, p. 423
  2. ^ a b c d e f g h i 「第一章」(年表 1990, pp. 9-30)
  3. ^ a b c d 「第一回 三島由紀夫の誕生」(徹 2010, pp. 8-20)
  4. ^ a b c 特集まるごと「ノーベル文学賞 明らかになる“秘話”」(NHK News Web、2015年3月31日)
  5. ^ 「三島由紀夫」(キーン 2005, pp. 70-95)
  6. ^ a b 佐伯彰一「三島由紀夫 人と作品」(新潮文庫版『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』解説、1973年12月執筆)
  7. ^ a b c 「不思議な共感」「三島由紀夫の生まれ育った時代」(奥野 2000, pp. 9-34)
  8. ^ 「はじめに」(年表 1990, pp. 7-8)
  9. ^ a b c d 「第六回 舞台の多彩の魅力」(徹 2010, pp. 76-89)
  10. ^ a b 「各項〈作品解説〉」(太陽 2010, pp. 27-108ff)
  11. ^ 「第一部 あの“狂乱”の時代を振り返って」(板坂・鈴木 2010, pp. 19-48)
  12. ^ 「第一章 三島の自決はどう捉えられてきたか」(柴田 2012, pp. 15-34)
  13. ^ 「II 構造と反復」から「II 中上健次と三島由紀夫/あるいはオリュウノオバと本多邦繁」(青海 2000, pp. 123-277)
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m 『仮面の告白』(河出書房、1949年7月)。1巻 2000, pp. 173-364
  15. ^ 東文彦宛ての書簡」(昭和16年4月11日付)。十代 2002, pp. 38-40、38巻 2004, pp. 65-67
  16. ^ a b c d e f g h i j 「第二章」(梓 1996, pp. 31-47)
  17. ^ a b c d e 「II」(オール讀物 1987年5月号)。野坂 1991, pp. 77-154
  18. ^ a b c d e f 「祖先」(日録 1996, pp. 7-13)
  19. ^ a b c d e f g h i 「第二章 幽閉された少年」(猪瀬 1999, pp. 113-216)
  20. ^ a b 「わが友・平岡梓」(川島 1996, pp. 99-124)
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 「II 三島由紀夫の祖先を彩る武家・華族・学者の血脈」(越次 1983, pp. 71-140)
  22. ^ a b c 「第一章 原敬暗殺の謎」(猪瀬 1999, pp. 25-111)
  23. ^ 柳田国男『故郷七十年』(のじぎく文庫 神戸新聞総合出版センター、1959年11月。1989年4月)。橋川 1998, pp. 37-38
  24. ^ 文献 2001, p. 442
  25. ^ 「III」(オール讀物 1987年6月号)。野坂 1991, pp. 155-238
  26. ^ a b c d e f 平岡倭文重「暴流のごとく――三島由紀夫七回忌に」(新潮 1976年12月号)。群像18 1990, pp. 193-204、年表 1990, pp. 17,21,172,192
  27. ^ a b c d e f g 「平岡公威伝」(原稿用紙 昭和19年2月28日付)。26巻 2003, pp. 420-427
  28. ^ 「解説」(『日本の文学4 尾崎紅葉泉鏡花』1969年1月)。35巻 2003, pp. 323-337
  29. ^ 「第二部 追想のなかの三島由紀夫――(三)三島由紀夫以前」(佐伯 1988, pp. 234-307)
  30. ^ a b c 平岡梓・平岡倭文重「〈両親対談〉三島由紀夫は誰のものか」(文藝春秋 1973年11月号)。梓・続 1974, pp. 205-246
  31. ^ 田中美代子「解題――神官」(補巻 2005, p. 646)
  32. ^ a b 「第一章 作家の誕生まで」(佐藤 2006, pp. 23-38)
  33. ^ a b c d e 「わが思春期」(明星 1957年1月号-9月号)。29巻 2003, pp. 339-408
  34. ^ a b c d e f g 「第一部 土曜通信」(三谷 1999, pp. 11-133)
  35. ^ 「東文彦宛ての書簡」(昭和16年1月21日付)。十代 2002, pp. 17-20、38巻 2004, pp. 49-50
  36. ^ a b 「ラディゲに憑かれて――私の読書遍歴」(日本読書新聞、1956年2月20日号)。29巻 2003, pp. 146-149
  37. ^ 「年譜」(昭和8年)(42巻 2005, pp. 27-32)
  38. ^ a b c d e f g h i j 「第二部 平岡公威君の思い出」(三谷 1999, pp. 135-188)
  39. ^ a b c 「二・二六事件と私」(『英霊の聲河出書房新社、1966年6月)。34巻 2003, pp. 107-119
  40. ^ 「我が国旗」(昭和11年6月16日付)。36巻 2003, p. 466
  41. ^ a b c d e f 「第二章」(年表 1990, pp. 31-52)
  42. ^ a b c 「『詩を書く少年』のころ」(坊城 1971)。年表 1990, p. 26
  43. ^ a b 「詩を書く少年」(文學界 1954年8月号)。19巻 2002, pp. 283-300
  44. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 「作品目録」(42巻 2005, pp. 377-462)
  45. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 「第三章」(梓 1996, pp. 48-102)
  46. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am 私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日 - 5月23日号)。32巻 2003, pp. 271-323
  47. ^ 「悪の華――歌舞伎」(国立劇場歌舞伎俳優養成所での特別講演 1970年7月3日。新潮 1988年1月号)。36巻 2003, pp. 216-241
  48. ^ 「芝居日記」(1942年1月1日-1944年12月23日。1945年2月18日-1947年11月23日執筆。マリ・クレール 1989年10月号-1990年2月号)。26巻 2003, pp. 94-264
  49. ^ 「師弟」(青年 1948年4月号)。27巻 2003, pp. 40-45
  50. ^ 「凶ごと」(昭和15年1月15日付)。橋川 1998, pp. 41-42、37巻 2004, pp. 400-401
  51. ^ 「母を語る――私の最上の読者」(婦人生活 1958年10月号)。30巻 2003, pp. 648-661
  52. ^ 「川路柳虹先生の思ひ出」(西条八十の詩誌のため、1966年執筆)。(京都語文 1998年10月号)。34巻 2003, pp. 280-282
  53. ^ 「『恥』」(青 1953年10月号)。28巻 2003, pp. 198-200
  54. ^ a b c 十代 2002
  55. ^ a b 「あとがき――戯曲」(『三島由紀夫作品集6』新潮社、1954年3月)。28巻 2003, pp. 119-121
  56. ^ a b c 「戯曲の誘惑」(東京新聞夕刊 1955年9月6日、7日号)。28巻 2003, pp. 538-543
  57. ^ 「清水文雄宛ての書簡」(昭和16年9月17日付)。38巻 2004, pp. 542-547
  58. ^ 「年譜」(昭和16年1月21日)(42巻 2005, p. 63)
  59. ^ 工藤正義(三島由紀夫文学館)「三島由紀夫の原稿用紙」(15巻 2002月報)
  60. ^ a b c d e f g h i 「第二章 戦中・戦後の苦闘」(佐藤 2006, pp. 39-72)
  61. ^ 「清水文雄宛ての書簡」(昭和16年7月28日付)。38巻 2004, pp. 540-541
  62. ^ a b c d e f 清水文雄「『花ざかりの森』をめぐって」(『三島由紀夫全集1』月報 新潮社、1975年1月)。新読本 1990, pp. 22-24
  63. ^ a b c 「私のペンネーム」(東京新聞夕刊 1953年11月8日号)。28巻 2003, p. 210
  64. ^ a b c d 「あとがき――『花ざかりの森』」(『三島由紀夫作品集4』新潮社、1953年11月)。28巻 2003, pp. 112-115
  65. ^ 井上隆史「ペンネームの由来」(太陽 2010, p. 19)
  66. ^ a b 「東文彦宛ての書簡」(昭和16年11月10日付)。十代 2002, pp. 83-86、38巻 2004, pp. 98-101
  67. ^ 蓮田善明「編集後記」(文藝文化 1941年9月号)。再訂 2005, p. 116、群像18 1990, p. 76
  68. ^ 「惟神之道」(昭和16年9月22日付)。26巻 2003, pp. 88-90
  69. ^ 「大東亜戦争か 太平洋戦争か――歴史的事実なんだ」(サンデー毎日 1970年11月29日号)。36巻 2003, p. 658
  70. ^ 「東文彦宛ての書簡」(昭和18年1月11日付)。十代 2002, pp. 147-150、38巻 2004, pp. 135-137
  71. ^ 「年譜」(昭和17年3月)(42巻 2005, p. 73)
  72. ^ 「年譜」(昭和18年-昭和19年)(42巻 2005, pp. 79-98)
  73. ^ 「ドイツ語の思ひ出」(ドイツ語 1957年5月号)。29巻 2003, pp. 521-526
  74. ^ 対談「平野啓一郎が聞くドナルド・キーンの世界」(読売新聞 2007年7月31日、8月1日号)
  75. ^ 「大詔」(文藝文化 1942年4月号)。37巻 2004, pp. 708-709
  76. ^ 高橋新太郎「赤絵」(事典 2000, p. 441)
  77. ^ a b c 「序」(1970年10月25日執筆。『東文彦作品集』講談社、1971年3月。講談社文芸文庫、2007年4月)。36巻 2003, pp. 363-368
  78. ^ 「挽歌一篇」(昭和17年8月26日付)。37巻 2004, pp. 710-711
  79. ^ 「東文彦宛ての書簡」(昭和17年11月15日付)。十代 2002, pp. 136-141、38巻 2004, pp. 129-133
  80. ^ a b 保田與重郎「天の時雨」(臨時 1971)。福田 1996, pp. 167-192
  81. ^ 「『文芸文化』のころ」(『昭和批評大系2 昭和10年代』月報 番町書房、1968年1月)。34巻 2003, pp. 644-646
  82. ^ a b 荒木 1971西法太郎「三島由紀夫と神風連(壱)」(三島由紀夫の総合研究、2007年5月7日・通巻第143号)
  83. ^ a b 「第二章 学習院という湖」(島内 2010, pp. 57-92)
  84. ^ a b 「序章――雅の棘」(村松 1990, pp. 9-27)
  85. ^ 「東文彦宛ての書簡」(昭和16年9月25日付)。十代 2002, pp. 80-82、38巻 2004, pp. 97-98
  86. ^ 「年譜」(昭和17年4月4日)(42巻 2005, p. 74)
  87. ^ 「総務幹事日記」(昭和18年2月24日-8月2日)。補巻 2005, pp. 497-507, 676-680
  88. ^ 「神崎陽宛ての書簡」(昭和21年2月10日付)。38巻 2004, pp. 313-318
  89. ^ a b 富士正晴「蓮田善明宛ての書簡」(昭和18年5月3日付)。日録 1996, pp. 56-57
  90. ^ a b c d 林富士馬「死首の咲顔――三島由紀夫君追悼」(諸君! 1971年2月号)。追悼文 1999
  91. ^ a b c 「跋に代へて」(『花ざかりの森』七丈書院、1944年10月)。26巻 2003, pp. 440-444
  92. ^ 富士正晴「林富士馬の詩」(文藝文化 1943年8月号)。日録 1996, p. 57
  93. ^ 蓮田善明「古典の教育」(文學 1943年8月号)。日録 1996, pp. 57-58、北影 2006, pp. 49、橋川 1998, p. 45
  94. ^ 蓮田善明「平岡公威宛ての葉書」(昭和18年8月16日付)。日録 1996, p. 58、猪瀬 1999, p. 226、佐藤 2006, p. 45
  95. ^ 「東文彦宛ての書簡」(昭和18年4月4日付)。十代 2002, pp. 173-175、38巻 2004, pp. 154-155
  96. ^ a b 「東文彦宛ての書簡」(昭和18年8月20日付)。十代 2002, pp. 201-204、38巻 2004, pp. 173-175
  97. ^ 「東文彦宛ての書簡」(昭和16年9月16日付)。十代 2002, pp. 77-80、38巻 2004, pp. 94-96
  98. ^ 「東文彦 弔詞」(昭和18年10月11日付。新潮 1998年12月号)。十代 2002, pp. 211-213。26巻 2003, pp. 411-413
  99. ^ 「東徤兄を哭す」(昭和18年10月9日付。輔仁会雑誌 1943年12月25日・169号)。26巻 2003, pp. 406-410
  100. ^ a b 「第四章 三島事件前後の真相」(持丸 2010, pp. 125-189)
  101. ^ a b 「II 自己改造をめざして――『仮面』の創造」(村松 1990, pp. 123-149)
  102. ^ a b c d 「『盗賊』創作ノート」(1巻 2000, pp. 605-650)
  103. ^ a b c 徳川義恭宛ての書簡」(昭和18年9月25日付)。十代 2002, pp. 227-230、38巻 2004
  104. ^ 「昭和18年10月25日」(日録 1996, pp. 59)
  105. ^ a b c d 「IV 行動者――訣別」(村松 1990, pp. 469-503)
  106. ^ a b c d 「第一章 三島由紀夫と日本浪曼派」(北影 2006, pp. 22-92)
  107. ^ a b c d e 小高根 1970文學大系 1970, pp. 461-471(1968年9月号-11月号分)、再訂 2005, pp. 99-156、北影 2006, pp. 22-92
  108. ^ a b c 小高根二郎「善明と由紀夫の黙契」(新潮 1971年2月号)。追悼文 1999
  109. ^ 「第六章 命を賭けたライフワーク」「第七章 自決の朝」(島内 2010, pp. 243-326)
  110. ^ 「年譜」(昭和19年5月16日)(42巻 2005, pp. 91-92)
  111. ^ a b c d e 「十一 平明な主潮と太平洋戦争――2 『春の雪』と三島由紀夫」(小高根 1971, pp. 273-285)
  112. ^ a b c 「第三章 三島由紀夫の青春」(再訂 2005, pp. 99-156)
  113. ^ 伊東静雄「平岡公威宛ての書簡」(昭和19年11月22日付)。42巻 2005, p. 97、アルバム 1983, p. 17(現物写真)
  114. ^ a b c d e f 「伊東静雄宛ての書簡」(昭和23年3月23日付)。38巻 2004, pp. 200-202
  115. ^ a b c 「学習院の卒業式」(スタイル 1957年3月号)。29巻 2003, p. 499
  116. ^ a b 「学生の分際で小説を書いたの記」(文藝 1954年11月号)。28巻 2003, pp. 370-376
  117. ^ 「法律と文学」(東大緑会大会プログラム、1961年12月)。31巻 2003, pp. 684-686
  118. ^ 「私の小説作法」(毎日新聞 1964年5月10日)。33巻 2003, pp. 60-62
  119. ^ 「『花ざかりの森』出版のころ」(群像 1958年6月号)。30巻 2003, pp. 285-286
  120. ^ 「『花ざかりの森』のころ」(うえの 1968年1月号)。34巻 2003, pp. 615-618
  121. ^ 「三島由紀夫伝」(小林秀雄編『現代日本文学館42 三島由紀夫』文藝春秋、1966年8月)。橋川 1998, pp. 36-73
  122. ^ a b 秋山駿「『内部の人間』から始まった」(禁色・5三島研究2008年)。同時代 2011
  123. ^ 「平岡梓・倭文重宛ての葉書」(昭和20年1月18日付)。38巻 2004, pp. 816-817
  124. ^ 「三谷信宛ての書簡」(昭和20年1月20日付)。三谷 1999, pp. 32-33、38巻 2004, pp. 905-906
  125. ^ 「中河与一宛ての書簡」(昭和20年2月23日付)。38巻 2004, p. 711
  126. ^ 「平岡梓・倭文重宛ての葉書」(昭和20年1月17日付)。38巻 2004, pp. 815-816
  127. ^ 「私の遺書」(文學界 1966年7月号)。34巻 2003, pp. 153-156
  128. ^ 平岡公威「遺言」(昭和20年2月執筆)。現物写真は、アルバム 1983, p. 21、写真集 2000太陽 2010, p. 23
  129. ^ 「昭和20年1月-2月」(日録 1996, pp. 72-75)
  130. ^ 栗栖晋(突第10133部隊)「帰郷証明書」(昭和20年2月10日付)。三島由紀夫文学館所蔵。
  131. ^ a b c d e 太陽と鉄」(批評 1965年11月号-1968年6月号)。33巻 2003, pp. 506-584
  132. ^ a b c d e f g h 古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」(図書新聞 1970年12月12日、1971年1月1日号)。(新潮カセット版1989年4月、CD版2002年6月)。古林尚『戦後派作家は語る』(筑摩書房、1971年)、群像18 1990, pp. 205-228、40巻 2004, pp. 739-782
  133. ^ a b c 「三谷信宛ての葉書」(昭和20年4月21日付)。三谷 1999, pp. 88-90、38巻 2004, pp. 917-918
  134. ^ a b c d 野田宇太郎『灰の季節』(修道社、1958年5月)。再訂 2005, pp. 141-151、村松 1990, pp. 72ff
  135. ^ a b c 川端康成「平岡公威宛ての書簡」(昭和20年3月8日付)。川端書簡 2000, p. 11
  136. ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和20年3月16日付)。川端書簡 2000, p. 12、38巻 2004, p. 236
  137. ^ 「民族的憤怒を思ひ起せ――私の中のヒロシマ」(週刊朝日 1967年8月11日号)。34巻 2003, pp. 447-449
  138. ^ a b 「八月十五日前後」(毎日新聞 1955年8月14日号)。読本 1983, pp. 254-255、28巻 2003, pp. 525-527
  139. ^ 「清水文雄宛ての葉書」(昭和20年8月16日付)。38巻 2004, p. 604
  140. ^ 「神崎陽宛ての葉書」(昭和20年8月16日付)。38巻 2004, p. 313
  141. ^ 「三谷信宛ての書簡」(昭和20年8月22日付)。三谷 1999, pp. 112-113、38巻 2004, pp. 921-922
  142. ^ 「戦後語録」(昭和20年9月16日)。26巻 2003, pp. 560-562
  143. ^ 「野田宇太郎宛ての葉書」(昭和20年9月2日付)。38巻 2004, pp. 921-922
  144. ^ a b c 「I 青春――恋の破局」(村松 1990, pp. 78-97)
  145. ^ a b c d e 「終末感からの出発――昭和二十年の自画像」(新潮 1955年8月号)。28巻 2003, pp. 516-518
  146. ^ a b c d 「三島由紀夫と『鏡子の家』秘話」(湯浅 1984, pp. 105-128
  147. ^ 「会計日記」(昭和21年9月16日付)。補巻 2005, p. 522
  148. ^ a b c 田中美代子「解題――仮面の告白」(1巻 2000, pp. 680-681)
  149. ^ a b c d e 「III 死の栄光――『優雅』をこえて」(村松 1990, pp. 373-395)
  150. ^ a b 「ある晴れた日に」(ポリタイア 1973年8月号)。小島 1996, pp. 41-60
  151. ^ a b 平岡公威「斎藤吉郎宛ての書簡」(昭和21年1月9日付)。村松 1990, p. 373、小島 1996, pp. 57-58、日録 1996, pp. 86-87
  152. ^ 「第三部 三島由紀夫と戦後文学」(ネイスン 2000, pp. 87-127)
  153. ^ 「文学者の戦争責任の問題」(本多・上 2005, pp. 70-88)
  154. ^ a b 「III『人間』時代――鎌倉文庫 白木屋時代」(木村 1995, pp. 247-267)
  155. ^ 「川端康成印象記」(レポート用紙 昭和21年1月27日付。封筒表は「はじめて川端康成に会ふの記」)。26巻 2003, pp. 563-566
  156. ^ a b c d e f g 「IV 川端康成と三島由紀夫」(越次 1983, pp. 173-199)
  157. ^ 「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」(別冊文藝春秋 1956年4月・51号)。29巻 2003, pp. 204-217
  158. ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和21年4月15日付)。川端書簡 2000, pp. 31-34、38巻 2004, pp. 247-249
  159. ^ 「川端氏の『抒情歌』について」(民生新聞 1946年4月29日号)。26巻 2003, pp. 572-576
  160. ^ a b 臼井吉見中村光夫「対談・三島由紀夫」(文學界 1952年11月号)。佐藤 2006, pp. 57-58
  161. ^ a b c 「戦後派ならぬ戦後派三島由紀夫」(本多・中 2005, pp. 97-141)
  162. ^ a b c d e f 「作家白描――三島由紀夫」(木村 1995, pp. 143-168)
  163. ^ a b c 長谷川泉「川端康成」(旧事典 1976, pp. 101-102)
  164. ^ a b c d 「川端さんのこと」(梓・続 1974, pp. 115-127)
  165. ^ a b 「川端康成宛ての書簡」(昭和21年5月12日付)。川端書簡 2000, pp. 36-37、38巻 2004, p. 250
  166. ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和21年6月15日付)。川端書簡 2000, pp. 41-43、38巻 2004, pp. 253-254
  167. ^ 「第二回 果てしない試行錯誤」(徹 2010, pp. 21-35)
  168. ^ a b 「川端康成宛ての書簡」(昭和21年8月10日付)。川端書簡 2000, pp. 46-48、38巻 2004, pp. 255-257
  169. ^ a b c 「第三章 意志的情熱」(猪瀬 1999, pp. 217-320)
  170. ^ 清水文雄「三島由紀夫のこと」(文學界 1971年2月号)。群像18 1990, pp. 75-77
  171. ^ 「会計日記」(昭和21年11月17日付)。補巻 2005, p. 531
  172. ^ 「故蓮田善明への献詩」(おもかげ 1946年11月17日)。浪曼 1975冒頭に現物写真、37巻 2004, p. 762、再訂 2005, p. 152、島内 2010, p. 262
  173. ^ 伊東静雄「清水文雄宛ての書簡」(昭和21年11月14日付)。蓮田伝 1990, pp. 156-157
  174. ^ 「十三 戦後から死まで」(小高根 1971, pp. 313-356)
  175. ^ 佐藤春夫「林富士馬宛ての書簡」。(光耀 1946年10月・第2輯)。文學大系 1970, p. 463
  176. ^ 「清水文雄宛ての葉書」(昭和21年11月18日付)。38巻 2004, pp. 607-608
  177. ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和21年7月6日付)。川端書簡 2000, pp. 44-45、38巻 2004, p. 255
  178. ^ 「初対面」(川島 1996, pp. 11-40)
  179. ^ a b 「会計日記」(昭和21年5月-昭和22年11月)。補巻 2005, pp. 508-630
  180. ^ a b c 「三島と太宰」(臨時 1971)。「第三章 その出会い」(矢代 1985, pp. 36-50)
  181. ^ 「会計日記」(昭和21年12月14日付)。補巻 2005, p. 538
  182. ^ a b c d 「III 三島由紀夫と太宰治の接点」(越次 1983, pp. 141-172)
  183. ^ a b c d e 「練馬の一夜」(野原 1980, pp. 47-54)。日録 1996, pp. 93-95
  184. ^ a b c 「三島由紀夫氏の思い出」(ユリイカ 1976, pp. 202-205)。「第八章」(中村稔 2008, pp. 170-200)
  185. ^ a b 高原紀一「三島由紀夫の知られざる秘密――太宰治との一夜」(問題小説 1971年2月号)。越次 1983, p. 163
  186. ^ a b 「川端康成宛ての書簡」(昭和22年10月8日付)。川端書簡 2000, pp. 54-57、38巻 2004, pp. 261-264
  187. ^ 「跋」(『岬にての物語』 桜井書店、1947年11月)。26巻 2003, pp. 628-630
  188. ^ 「会計日記」(昭和22年6月27日付)。補巻 2005, p. 589
  189. ^ a b c d e 「林房雄論」(新潮 1963年2月号)。『林房雄論』(新潮社、1963年8月)。32巻 2003, pp. 337-402
  190. ^ 「会計日記」(昭和22年7月3日)。補巻 2005, p. 590
  191. ^ 「会計日記」(昭和22年7月11日付)。補巻 2005, p. 591
  192. ^ 「会計日記」(昭和22年7月15日付)。補巻 2005, pp. 591-592
  193. ^ 「会計日記」(昭和22年7月17日付)。補巻 2005, p. 592
  194. ^ a b 「川端康成宛ての書簡」(昭和22年7月17日付)。川端書簡 2000, pp. 50-53、38巻 2004, pp. 258-261
  195. ^ a b c d e 「第三章」(年表 1990, pp. 53-82)
  196. ^ 「あとがき」(『三島由紀夫短篇全集2 夜の仕度』講談社、1965年2月)。33巻 2003, pp. 406-407
  197. ^ 「I 青春――失われたものへの復讐」(村松 1990, pp. 98-119)
  198. ^ 林房雄「文芸日評」(新夕刊 1947年2月-10月)。林房雄『我が毒舌』(銀座出版社、1947年12月)。事典 2000, pp. 394
  199. ^ 「会計日記」(昭和22年9月13日付)。補巻 2005, pp. 606-607
  200. ^ 高見順中島健蔵豊島与志雄「創作合評」(群像 1947年11月号)。読本 1983, p. 288
  201. ^ 小久保実「主要参考文献の展望」(読本 1983, pp. 288-295)
  202. ^ a b 「林房雄宛ての書簡」(昭和22年11月4日付)。38巻 2004, pp. 773-776、太陽 2010, pp. 42-43
  203. ^ 「年譜」(昭和22年12月13日)(42巻 2005, p. 158)
  204. ^ a b c d e 和田謙三「平岡公威さんとの忘れ難き出会い」(18巻 2002月報)
  205. ^ a b 福田赳夫との対談「負けるが勝ち」(自由 1968年7月号)。サムライ 1996, pp. 171-204
  206. ^ a b c 長岡實「大蔵事務官平岡公威君」(臨時 1971)。年表 1990, pp. 63、42巻 2005, pp. 158-159
  207. ^ a b 「蔵相就任の想ひ出――ボクは大蔵大臣」(明窓 1953年4月・5月)。28巻 2003, pp. 73-76
  208. ^ 清水基吉宛ての書簡」(昭和23年3月23日付)。38巻 2004, p. 643
  209. ^ 「口もとにうかぶ微笑」(野原 1980, pp. 176-196)
  210. ^ a b c d 坂本一亀「『仮面の告白』のこと」(現代の眼 1965年4月号。文藝 1971年2月号に再掲載)。新読本 1990, pp. 42-46
  211. ^ 遠藤伸治「大蔵省」(事典 2000, pp. 470-471)
  212. ^ 清田文武「日曜日【成立】」(事典 2000, pp. 269-270)
  213. ^ a b c 埴谷雄高「三島由紀夫」(新潮 1956年12月号)。『鞭と独楽』(未来社、1957年。新装版1961年8月)、エスプリ 1971, pp. 198-202、読本 1983, pp. 10-13、群像18 1990, pp. 69-74
  214. ^ 越次俱子「序曲」(旧事典 1976, p. 204)
  215. ^ a b 「坂本一亀への書簡」(昭和23年11月2日付)。38巻 2004, pp. 507-508
  216. ^ a b c d e f g 「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540-561)
  217. ^ 天野知幸「火宅【研究】」(事典 2000, pp. 66)
  218. ^ 岸田国士先生」(東京タイムズ 1954年3月6日号)。28巻 2003, pp. 252-253
  219. ^ 「年譜」(昭和24年4月24日)(42巻 2005, p. 164)
  220. ^ a b c 武田泰淳「三島由紀夫氏の死ののちに」(中央公論 1971年1月号)。川西政明編『評論集 滅亡について 他三十篇』(岩波文庫、1992年6月)、読本 1983, pp. 49-53、群像18 1990, pp. 251-258、追悼文 1999
  221. ^ a b c d 「『仮面の告白』ノート」(『仮面の告白』月報 河出書房、1949年7月)。27巻 2003, pp. 190-191
  222. ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和23年11月2日付)。川端書簡 2000-10, pp. 59-61、38巻 2004, pp. 264-266
  223. ^ 松本徹「仮面の告白【反響】」(事典 2000, p. 70)
  224. ^ 「第三回 性の自己決定」(徹 2010, pp. 36-49)
  225. ^ 「あとがき――『愛の渇き』」(『三島由紀夫作品集2』新潮社、1953年8月)。28巻 2003, pp. 100-103
  226. ^ 「あとがき――『青の時代』」(『三島由紀夫作品集2』新潮社、1953年8月)。28巻 2003, pp. 103-106
  227. ^ 「『禁色』」(奥野 2000, pp. 254-279)
  228. ^ 高橋智子「鉢の木会」(事典 2000, pp. 562-563)
  229. ^ a b c d e f g h i j k l 「第三章 問題性の高い作家」(佐藤 2006, pp. 73-109)
  230. ^ a b 「第六章 その初演出」(矢代 1985, pp. 82-98)
  231. ^ 「『禁色』は廿代の総決算」(図書新聞 1951年12月17日号)。27巻 2003, pp. 474-476
  232. ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和25年3月18日付)。川端書簡 2000-10, pp. 65-66、38巻 2004, pp. 266-267
  233. ^ a b 「第五回 多面体としての性」(徹 2010, pp. 63-75)
  234. ^ a b c アポロの杯』(朝日新聞社、1952年10月)。27巻 2003, pp. 507-641
  235. ^ 「あとがき――『真夏の死』」(『三島由紀夫作品集4』新潮社、1953年11月)。28巻 2003, pp. 110-112
  236. ^ 「年譜」(昭和42年5月1日)(42巻 2005, pp. 289-290)
  237. ^ 「『潮騒』のこと」(婦人公論 1956年9月号)。29巻 2003, pp. 280-281
  238. ^ a b 「『潮騒』執筆のころ」(潮1965年7月号)。33巻 2003, pp. 478-480
  239. ^ a b c 「神島の思ひ出」(しま6号 1955年4月)。28巻 2003, pp. 455-457
  240. ^ 「あとがき」(『ラディゲの死』新潮社、1955年7月)。28巻 2003, pp. 497-498
  241. ^ 「解説」(『花ざかりの森・憂国――自選短編集』新潮文庫、1968年9月)。35巻 2003, pp. 172-176
  242. ^ a b 虫明亜呂無「『潮騒』『沈める滝』をめぐって」(『三島由紀夫全集9』月報〈同時代評から2〉1973年6月)。生涯 1998, p. 167
  243. ^ a b c d e 「実感的スポーツ論」(読売新聞 1964年10月5日-6日、9日-10日、12日号)。33巻 2003, pp. 157-170
  244. ^ 「作家の日記」(小説新潮 1955年7月号)。28巻 2003, pp. 501-503
  245. ^ 「ゴジラの卵――余技・余暇」(中央公論 1955年12月号)。28巻 2003, p. 667
  246. ^ 「第1章 肉体の飢渇」(肉体 2014, pp. 12-51)
  247. ^ a b c 「自己改造の試み――重い文体と鴎外への傾倒」(文學界 1956年8月)。29巻 2003, pp. 241-247
  248. ^ a b 「第七回 美の呪縛」(徹 2010, pp. 90-103)
  249. ^ 「陶酔について」(新潮 1956年11月号)。29巻 2003, pp. 304-311
  250. ^ 「私の健康」(週刊朝日 1962年7月27日号)。32巻 2003, p. 94
  251. ^ a b c d e 裸体と衣裳――日記」(新潮 1958年4月号-1959年9月号)。30巻 2003, pp. 77-240
  252. ^ 「『金閣寺』の狂気と成功」(奥野 2000, pp. 317-355)
  253. ^ a b c d e 「十一 瑤子夫人とUFOを目撃」(岡山 2014, pp. 71-74)
  254. ^ 「私のすぽーつ・セカンドウインド」(毎日新聞 1957年6月16日号)。29巻 2003, pp. 588-590
  255. ^ 「第4章 ボクシング――血の優雅」(肉体 2014, pp. 134-211)
  256. ^ 松本徹「問いつづける声」(新読本 1990, pp. 6-19)
  257. ^ a b c d e 「第四章 時計と日本刀」(猪瀬 1999, pp. 321-449)
  258. ^ 「第六章 『和漢朗詠集』の一句」(徳岡 1999, pp. 133-156)
  259. ^ 「美智子さまと三島由紀夫のお見合いは小料理屋で行われた」(週刊新潮 2009年4月2日号)。岡山 2014, p. 31
  260. ^ 「18 人の心」(村上 2010, pp. 109-114)
  261. ^ a b c 「III 死の栄光――二つの事件――脅迫と告訴」(村松 1990, pp. 305-324)
  262. ^ a b 「第八回 時代と向き合う『鏡子の家』」(徹 2010, pp. 104-117)
  263. ^ 『旅の絵本』(講談社、1958年3月)。29巻 2003, pp. 651-764
  264. ^ a b 「24 一九五七年夏、ニューヨークの三島由紀夫」(クロ 2007, pp. 184-190)
  265. ^ a b 「作中人物への傾斜」(ポリタイア 1973年10月号)。小島 1996, pp. 81-126
  266. ^ 「私の見合結婚」(主婦の友 1958年7月号)。30巻 2003, pp. 313-319
  267. ^ 「小高根二郎宛ての葉書」(昭和34年8月7日付)。38巻 2004, p. 220
  268. ^ 「『鏡子の家』そこで私が書いたもの」(「鏡子の家」広告用ちらし、1959年8月)。31巻 2003, p. 242
  269. ^ 「『鏡子の家』――わたしの好きなわたしの小説」(毎日新聞 1967年1月3日号)。34巻 2003, pp. 292-293
  270. ^ 「『鏡子の家』の不思議」(奥野 2000, pp. 357-369)
  271. ^ 佐伯彰一山本健吉平野謙江藤淳臼井吉見の座談会「1959年の文壇総決算」(文學界 1959年12月号)。村松 1990, pp. 279-280、猪瀬 1999, pp. 346-347
  272. ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和34年12月18日付)。川端書簡 2000-10, pp. 142-143、38巻 2004, pp. 291-292
  273. ^ 大島渚との対談「ファシストと革命家か」(映画芸術 1968年1月号)。39巻 2004, pp. 729-760
  274. ^ a b c d 「第四章 著名人の時代」(佐藤 2006, pp. 110-143)
  275. ^ a b 「私はいかにして日本の作家となつたか」(日本外国特派員協会 1966年4月18日)。没後20 1990, pp. 88-98、41巻2004-09
  276. ^ a b 「第四章」(梓 1996, pp. 103-164)
  277. ^ 「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」(週刊新潮 1961年2月27日号)。31巻 2003, pp. 534-535
  278. ^ a b c 「第六部 三島由紀夫と六〇年安保」(ネイスン 2000, pp. 207-263)
  279. ^ 「第3章 肉体のゆくえ」(肉体 2014, pp. 91-133)
  280. ^ 「第九回 世界の破滅に抗して」(徹 2010, pp. 118-131)
  281. ^ a b 「第十回 神への裏階段」(徹 2010, pp. 132-144)
  282. ^ a b 「『豊饒の海』について」(毎日新聞夕刊 1969年2月26日号)。35巻 2003, pp. 410-412
  283. ^ 「夢と人生」(『日本古典文学大系77 篁物語・平中物語・浜松中納言物語』月報 岩波書店、1964年5月)。33巻 2003, pp. 46-48
  284. ^ a b 「東洋と西洋を結ぶ火――開会式」(毎日新聞 1964年10月11日号)。33巻 2003, pp. 171-174
  285. ^ a b 「第五章」(年表 1990, pp. 117-160)
  286. ^ 「年譜」(昭和39年5月4日)(42巻 2005, p. 264)
  287. ^ a b 「川端康成」(キーン 2005
  288. ^ a b 「34 葬儀委員長川端康成とノーベル文学賞」(クロ 2007, pp. 260-266)
  289. ^ ノーベル賞と三島、川端の死【ドナルド・キーンの東京下町日記】(東京新聞、2013年10月6日)
  290. ^ 「三島ノーベル賞目前だった」(読売新聞 2014年1月4日号)。[1]
  291. ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和36年5月30日付)。川端書簡 2000, pp. 150-151、38巻 2004, p. 294
  292. ^ 三島由紀夫「1961年度ノーベル文学賞に川端康成氏を推薦する」(訳・佐伯彰一)(川端書簡 2000, pp. 238-239)
  293. ^ 川端康成 ノーベル賞選考で新資料(NHK「かぶん」ブログ・NHK科学文化部、2012年9月4日)
  294. ^ a b c 「製作意図及び経過」(『憂國 映画版』 新潮社、1966年4月)。34巻 2003, pp. 35-64
  295. ^ a b 藤井浩明「映画『憂国』の歩んだ道」(別巻 2006ブックレット内)
  296. ^ 「『天人五衰』の尼寺」(悼友 1973, pp. 17-35)
  297. ^ a b c d e f g h 「第六章」(年表 1990, pp. 161-218)
  298. ^ a b c 「第五章 文と武の人」(佐藤 2006, pp. 144-205)
  299. ^ a b 「序文」(論集I 2006)。36巻 2003, pp. 64-65
  300. ^ 第1回三島文学シンポジウム
  301. ^ a b c 「『われら』からの遁走――私の文学」(『われらの文学5 三島由紀夫』講談社 1966年3月)。34巻 2003, pp. 17-27
  302. ^ 安部公房「“三島美学”の傲慢な挑戦――映画『憂國』のはらむ問題は何か」(週刊読書人 1966年5月2日号)。群像18 1990, pp. 153-155
  303. ^ 「年譜」(昭和41年5月29日)(42巻 2005, p. 281)
  304. ^ 「第5章 剣道・居合・空手」(肉体 2014, pp. 212-246)
  305. ^ 「中間者の眼」(三田文学 1968年4月号)。橋川 1998, pp. 74-88
  306. ^ a b 「清水文雄宛ての書簡」(昭和41年6月10日付)。38巻 2004, p. 618
  307. ^ 秋山駿との対談「私の文学を語る」(三田文学 1968年4月号)。40巻 2004, pp. 7-42
  308. ^ 瀬戸内寂聴「奇妙な友情」(群像 1971, pp. 182-188)。佐藤 2006, pp. 173-174
  309. ^ 「瀬戸内晴美宛ての書簡」(昭和41年5月9日付)。補巻 2005, p. 217
  310. ^ a b c d e f 林房雄との対談『対話・日本人論』(番町書房、1966年10月。夏目書房、2002年3月増補再刊)。39巻 2004, pp. 554-682
  311. ^ 「回想の三輪明神」(悼友 1973, pp. 36-49)
  312. ^ a b c d 「第四章 憂国の黙契」(生涯 1998, pp. 233-331)
  313. ^ 名作&風景(1) 三島由紀夫『奔馬』と大神神社 2015年10月18日閲覧
  314. ^ 「習字の伝承」(婦人生活 1968年1月号)。34巻 2003, pp. 612-614
  315. ^ a b c 「十九 佩刀『関ノ孫六』の由来」(岡山 2014, pp. 103-108)
  316. ^ a b c d e f g h i j 「第一章」(梓 1996, pp. 7-30)
  317. ^ a b 舩坂弘『関ノ孫六――三島由紀夫、その死の秘密』(光文社カッパ・ブックス、1973年)
  318. ^ a b c 「青年について」(論争ジャーナル 1967年10月号)。34巻 2003, pp. 561-564
  319. ^ a b 「第十七章」(林 1972, pp. 233-247)
  320. ^ a b c d 「第二章 ノサップ」(彰彦 2015, pp. 71-136)
  321. ^ 「年頭の迷ひ」(読売新聞 1967年1月1日号)。34巻 2003, pp. 284-287
  322. ^ a b c 「奔馬」(新潮 1967年2月号-1968年8月号)。13巻 2001, pp. 397-
  323. ^ 「IV 行動者――『狂気』の翼」(村松 1990, pp. 421-442)
  324. ^ a b c d 「最後の電話」(ポリタイア 1973年6月号)。小島 1996, pp. 8-24、群像18 1990, pp. 78-88
  325. ^ a b 「インドの印象」(毎日新聞 1967年10月20日-21日号)。34巻 2003, pp. 585-594
  326. ^ a b 「第四章 バンコクでの再会」(徳岡 1999, pp. 86-107)
  327. ^ a b 「『朱雀家の滅亡』の三島由紀夫――著者との対話」(名古屋タイムズ 1967年11月13日号)。24巻 2002解題内
  328. ^ a b c d 文化防衛論」(中央公論 1968年7月号)。防衛論 2006, pp. 33-80、35巻 2003, pp. 15-51
  329. ^ a b 持丸博「楯の会と論争ジャーナル」(32巻 2003月報)
  330. ^ a b c 「第五章」(梓 1996, pp. 165-205)
  331. ^ 「三輪良雄への書簡」(昭和43年3月18日、4月17日付)。38巻 2004, pp. 927-931
  332. ^ a b c d 「IV 行動者――集団という橋」(村松 1990, pp. 443-468)
  333. ^ a b 「VI 民防活動の目標模索」(山本 1980, pp. 119-149
  334. ^ 高橋新太郎「楯の会」(旧事典 1976, pp. 246-247)
  335. ^ a b c 「VII 近目標・治安出動に燃える」(山本 1980, pp. 150-175
  336. ^ 「第四章 邂逅、そして離別」(保阪 2001, pp. 189-240)
  337. ^ 「川端康成氏にノーベル文学賞」(毎日新聞 1968年10月18日号)。三枝 1961アルバム 1983, p. 93
  338. ^ 井上隆史「豊饒の海【反響】」(事典 2000, pp. 337-339)
  339. ^ 若きサムラヒのために――政治について」(PocketパンチOh! 1969年5月号)。サムライ 1996, pp. 19-23、35巻 2003, pp. 58-60
  340. ^ a b c d 討論・三島由紀夫vs.東大全共闘―〈美と共同体と東大闘争〉』(新潮社、1969年6月)。40巻 2004, pp. 442-506
  341. ^ 仲代達矢「時代の証言者〈役者の条件20〉――三島由紀夫 肉体の美学」(読売新聞 2015年6月29日号)
  342. ^ a b 「VIII 遠・近目標混淆のなかで」(山本 1980, pp. 176-205
  343. ^ a b c 「小説とは何か 十一」(波 1970年5・6月号)。34巻 2003, pp. 737-742
  344. ^ a b 「第七章 神々の黄昏――『暁の寺』と国際反戦デー」(井上・遺作 2010-11, pp. 180-189)
  345. ^ a b c d 」(市ヶ谷駐屯地にて撒布 1970年11月25日)。36巻 2003, pp. 402-406
  346. ^ a b 「川端康成宛ての書簡」(昭和44年8月4日付)。川端書簡 2000-10, pp. 196-200、38巻 2004, pp. 306-309
  347. ^ 「第一章 その死をめぐって」(蓮田伝 1990, pp. 7-58)
  348. ^ 「小高根二郎宛ての書簡」(昭和43年11月8日付)。38巻 2004, pp. 221-222
  349. ^ 「年譜」(昭和44年11月3日)。42巻 2005, pp. 313-314
  350. ^ 「三島の死と川端康成」(新潮 1990年12月号)。「I 三島由紀夫――その死をめぐって 三島の死と川端康成」(西欧 1994, pp. 9-29)
  351. ^ 「『英霊の声』の呪詛と『荒野より』の冷静」(奥野 2000, pp. 391-420)
  352. ^ a b 「三島由紀夫の手紙」(坊城 1971
  353. ^ 「ドナルド・キーン宛ての書簡」(昭和45年2月27日付)。38巻 2004, pp. 447-449
  354. ^ a b 「独楽」(辺境 1970年9月号)。36巻 2003, pp. 311-315
  355. ^ 「狂気にあらず ■第十二回公判」(裁判 1972, pp. 215-220)
  356. ^ 「X 決起の黙契軋み出す」(山本 1980, pp. 223-242
  357. ^ a b 「国会を占拠せよ ■第二回公判」(裁判 1972, pp. 59-82)
  358. ^ 三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」(サンケイ新聞夕刊 1970年7月7日号)。防衛論 2006, pp. 369-373、36巻 2003, pp. 212-215
  359. ^ a b 「山本舜勝宛ての書簡」(昭和45年8月10日付)。38巻 2004, pp. 946-947
  360. ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和45年7月6日付)。川端書簡 2000-10, pp. 203-204、38巻 2004, pp. 309-310
  361. ^ a b c 「プロローグ――個人的な記憶」(ストークス 1985, pp. 3-30)
  362. ^ ドナルド・リチー「三島の思い出――最後の真の侍――」(9巻 2001月報)
  363. ^ 「知られざる家庭人・三島由紀夫」(女性自身 1970年12月12日号)。
  364. ^ 「第一章 哲学者の三島由紀夫論――7 三島事件の謎をめぐって」(伊藤 2006, pp. 50-57)
  365. ^ a b 中山仁「三島戯曲を演じる」(英霊の聲・8三島研究2010年)。同時代 2011
  366. ^ a b 村松英子「夏のある日」(英子 2007, pp. 112-123)
  367. ^ a b c 「第六章」(梓 1996, pp. 206-232)
  368. ^ a b 「清水文雄宛ての書簡」(昭和45年11月17日付)。38巻 2004, pp. 628-630
  369. ^ 辻井喬「三島由紀夫の復権」(3巻 2001月報)
  370. ^ 藤井浩明「私の勲章」(4巻 2001月報)
  371. ^ a b 横尾忠則『死の向こうへ』(光文社知恵の森文庫、2008年11月)
  372. ^ a b c 横尾忠則「三島由紀夫氏のこと」(『横尾忠則 画境の本懐(道の手帳)』河出書房新社、2008年3月)
  373. ^ 「第八章 〈神〉となるための決起」(柴田 2012, pp. 231-267)
  374. ^ 林・伊沢 1971
  375. ^ 「第10章 虚無の極北の小説――十一月二十五日」(井上・遺作 2010-11, pp. 245-250)
  376. ^ 川端康成「三島由紀夫」(臨時 1971)。群像18 1990, pp. 229-231
  377. ^ 川端康成(週刊サンケイ 1970年12月31号)。保阪 2001, p. 86
  378. ^ 「昭和45年11月25日」(日録 1996, pp. 412-422)
  379. ^ 「没後」(日録 1996, pp. 423-426)
  380. ^ 「関の孫六の刃こぼれ ■第八回公判」(裁判 1972, pp. 151-156)
  381. ^ 武田泰淳(週刊現代 1970年12月12日号)。年表 1990, pp. 230-231、保阪 2001, p. 86
  382. ^ 村松友視『夢の始末書』(角川書店、1984年8月)
  383. ^ 「武人としての死 ■第九回公判」(裁判 1972, pp. 157-196)
  384. ^ 「第六章 三島由紀夫の遺言状」(小室 1985, pp. 199-230)
  385. ^ a b c d e 「第八章」(年表 1990, pp. 229-245)
  386. ^ 「33 三島由紀夫の自決」(クロ 2007, pp. 251-259)
  387. ^ 「国を思う純粋な心に ■第五回公判」(裁判 1972, pp. 109-116)
  388. ^ a b 川端香男里・佐伯彰一の対談「恐るべき計画家・三島由紀夫」(川端書簡 2000, pp. 205-237後記)
  389. ^ 西法太郎「三島由紀夫と川端康成(補遺2)」(三島由紀夫の総合研究、2012年4月17日・通巻第636号)
  390. ^ 「第四章 その時、そしてこれから」(火群 2005, pp. 111-188)
  391. ^ 「昭和46年」(日録 1996, pp. 427-432)
  392. ^ 「年譜 昭和46年」42巻 2005, pp. 334-338
  393. ^ a b 「あとがき」(山本 1980, pp. 290-298)
  394. ^ 「年譜 昭和48年」42巻 2005, p. 340
  395. ^ 「昭和58年」(日録 1996, pp. 446-447)
  396. ^ 「年譜 平成3年」42巻 2005, pp. 358-359
  397. ^ 「日本とは何か」(大蔵省百年記念講演 1969年10月15日。文藝春秋 1985年12月号)。35巻 2003, pp. 678-701
  398. ^ 「他者の言説――中上健次と三島由紀夫/あるいはオリュウノオバと本多邦繁」(愛知短期大学 国語国文 1995年3月号)。青海 2000, pp. 264-277
  399. ^ 武田勝彦「谷崎潤一郎」(旧事典 1976, p. 249)
  400. ^ 小林秀雄(三島由紀夫との対談)「美のかたち――『金閣寺』をめぐって」(文藝 1957年1月号)。39巻 2004, pp. 277-297
  401. ^ 神谷忠孝「横光利一」(旧事典 1976, pp. 440-441)
  402. ^ a b c d 「新版への序文」(ネイスン 2000
  403. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 「表層への回帰――三島由紀夫論」(象 1991年8月・第10号-14号)。青海 2000, pp. 9-57
  404. ^ a b 『小説家の休暇』(講談社 1955年11月)。28巻 2003, pp. 553-656
  405. ^ a b c 「芸術にエロスは必要か」(文藝 1955年6月号)。28巻 2003, pp. 481-485
  406. ^ a b c d e f 古今集新古今集」(国文学攷 1967年3月号)。34巻 2003, pp. 335-347
  407. ^ 蓮田善明「鴨長明」(文藝文化 1941年4月号-12月号〈7月号は除く〉)。『鴨長明』(八雲書林、1943年9月)
  408. ^ a b c 「第七章 自決の朝」(島内 2010, pp. 299-326)
  409. ^ 山田宗睦『危険な思想家』(光文社カッパブックス、1965年3月)。年表 1990, pp. 170
  410. ^ a b 「第一章『白馬の騎士』の主題」「第二章 終末感の美学」(野口 1968, pp. 7-62)
  411. ^ a b 「小説とは何か 七」(波 1969年9・10月号)。34巻 2003, pp. 715-721
  412. ^ a b 「三島由紀夫とニーチェ――悲劇的文化とイロニー」(群像 1988年6月号)。青海ニ 1992, pp. 9-67
  413. ^ 「VI『太陽と鉄』」、「その死の場合」から「あとがぎ」(田坂 1977, pp. 243-327)
  414. ^ 「蘭陵王」(群像 1969年11月号)。20巻 2002, pp. 561-571
  415. ^ 「序」(小高根 1970)。36巻 2003, pp. 60-63
  416. ^ 「大団円『豊饒の海』」(奥野 2000, pp. 421-450)
  417. ^ 井上隆史「豊饒の海【研究】」(事典 2000, pp. 339-345)
  418. ^ a b c d 井上隆史「紙上映画『世界の驚異』」(太陽 2010, pp. 16-17)
  419. ^ a b c 「わが魅せられたるもの」(新女苑 1956年4月)。29巻 2003, pp. 179-187
  420. ^ a b 松本徹「書くことが生きることと密接につながっていた」(太陽 2010, pp. 136-139)
  421. ^ a b 川端康成「序」(『盗賊』真光社、1948年11月)。28巻 2003, pp. 95-97、徹 2010, pp. 33-34、太陽 2010, pp. 40-41
  422. ^ a b 「ハロルド・クラーマン氏を紹介されて」(英子 2007, pp. 35-48)
  423. ^ a b 荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」(スクリーン 1956年9月号)。映画論 1999, pp. 157-173
  424. ^ 中村光夫との対談「対談・人間と文学――告白の形式」(講談社、1968年4月)。40巻 2004, pp. 87-88
  425. ^ a b 「戯曲を書きたがる小説書きのノート」(日本演劇 1949年10月号)。27巻 2003, pp. 222-229
  426. ^ 「同人雑記」(聲 1960年10月・第8号)。30巻 2003, pp. 662-668
  427. ^ a b 中村光夫「『金閣寺』について」(文藝 1956年12月号)。新潮文庫版『金閣寺』解説(1960年9月)。『中村光夫全集第8巻』(筑摩書房、1972年)、群像18 1990, pp. 131-141
  428. ^ a b c d e 「問題提起 (一)新憲法における『日本』の欠落」(憲法改正草案研究会配布資料、1970年5月)。36巻 2003, pp. 118-128
  429. ^ a b c d e f g h i j 「問題提起 (二)戦争の放棄」(憲法改正草案研究会配布資料、1970年7月)。36巻 2003, pp. 128-132
  430. ^ a b c d 「『変革の思想』とは――道理の実現」(読売新聞夕刊 1970年1月19・21・22日号)。36巻 2003, pp. 30-38、夢ムック 2012
  431. ^ a b c 西尾幹二「三島由紀夫の死と日本の核武装」(WILL 2011年2月号)[2]
  432. ^ 「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」(茨城大学講堂 1968年11月16日)。防衛論 2006, pp. 299-360、40巻 2004, pp. 271-307
  433. ^ 「武士道と軍国主義」(1970年7月。PLAYBOY 1978年8月号)。36巻 2003, pp. 247-266
  434. ^ 「英霊の聲」(文藝 1966年6月号)。『英霊の聲』(河出書房新社、1966年6月)、20巻 2002, pp. 463-516
  435. ^ 「三島由紀夫氏の“人間天皇”批判――小説「英霊の聲」が投げた波紋」(サンデー毎日 1966年6月5日号)。34巻 2003, pp. 126-129
  436. ^ a b c d e 福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」(論争ジャーナル 1967年11月号)。サムライ 1996, pp. 205-266、持丸 201039巻 2004, pp. 696-728
  437. ^ a b c 「昭和廿年八月の記念に」(昭和20年8月19日付。新潮 1979年3月号)。26巻 2003, pp. 551-559
  438. ^ a b 磯田光一島田雅彦「模造文化の時代」(新潮 1986年8月号)。生涯 1998, p. 308
  439. ^ 「第二章 たった一度の思考的対決――三島由紀夫と福田恆存」(持丸 2010, pp. 25-74)
  440. ^ 「終章 畏るべき天皇」(健一 2005, pp. 194-206)、『畏るべき昭和天皇』(毎日新聞社、2007年12月)
  441. ^ 原武史『昭和天皇』(岩波新書、2008年1月)
  442. ^ 「『女帝』を認めた三島の真意」(鈴木 2010
  443. ^ 「三島は女系天皇をみとめていなかった――男系天皇論者であることは、三島の作品を読んで、その男女観からも明らか」(三島由紀夫の総合研究、2012年6月24日・通巻第662号)
  444. ^ a b c 「付章」(松藤 2007, pp. 191-238)
  445. ^ 高橋新太郎「特攻隊」旧事典 1976, p. 283
  446. ^ 葉隠入門』(光文社、1967年9月)。34巻 2003, pp. 474-540
  447. ^ 「栄誉の絆でつなげ菊と刀」(日本人及日本人1968年9月・10月合併号)。35巻 2003, pp. 188-199
  448. ^ 「お茶漬ナショナリズム」(文藝春秋 1966年4月号)。サムライ 1996, pp. 101-118、34巻 2003, pp. 69-80
  449. ^ 鶴田浩二との対談「刺客と組長――男の盟約」(週刊プレイボーイ 1969年7月8日号)。40巻 2004, pp. 507-515
  450. ^ a b c 「『青春監獄』の序」(宮崎清隆『青春監獄』 東京ライフ社、1955年9月)。28巻 2003, pp. 532-534
  451. ^ a b c d 「愛国心――官製のいやなことば」(朝日新聞夕刊 1968年1月8日号)。34巻 2003, pp. 648-651
  452. ^ a b 「日本への信条」(愛媛新聞 1967年1月1日号)。34巻 2003, pp. 288-291
  453. ^ 「生徒を心服させるだけの腕力を――スパルタ教育のおすすめ」(文芸朝日 1964年7月号)。33巻 2003, pp. 96-101
  454. ^ a b c 「発射塔 古典現代語訳絶対反対」(読売新聞夕刊コラム 1960年7月6日 - 10月26日号のうちの8月31日号)。31巻 2003, pp. 461-462
  455. ^ 島崎 1972
  456. ^ a b c d 「劇画における若者論」サンデー毎日 1970年2月1日号)。36巻 2003, pp. 53-56
  457. ^ 「わが漫画」(漫画読売 1956年3月5日号)。29巻 2003, pp. 166-169
  458. ^ a b 大野茂『サンデーマガジン 創刊と死闘の15年』(光文社新書、2009年4月)
  459. ^ 「現代日本100人の生活と意見」(文藝春秋 1967年4月号)。36巻 2003, p. 646
  460. ^ 輝ける先輩達 第1回戦後大衆文化の旗手(NO.1) ゴジラ(神)を放った男 映画プロデューサー田中友幸(中32回)(大阪府立八尾高等学校同窓会公式サイト)
  461. ^ 「第三章 スーパースター第一号誕生!」(椎根 2012, pp. 145-176)
  462. ^ 「社会料理三島亭――宇宙食『空飛ぶ円盤』」(婦人倶楽部 1960年9月号)。31巻 2003, pp. 359-363
  463. ^ 「一S・Fファンのわがままな希望」(宇宙塵 1963年9月・第71号)。32巻 2003, pp. 582-583
  464. ^ 「小説とは何か 十」(波 1970年3・4月号)。34巻 2003, pp. 732-737
  465. ^ a b c d 噂 1972板坂・鈴木 2010, pp. 78-93
  466. ^ 『斎藤茂吉全集』(岩波書店、1974年)
  467. ^ a b 「フランスのテレビに初主演――文壇の若大将三島由紀夫氏」(毎日新聞夕刊 1966年3月10日)。34巻 2003, pp. 31-34
  468. ^ 今村均『今村均回顧録』(芙蓉書房出版、新版1993年)
  469. ^ a b c 小野繁『平岡家系図解説』(1971年)。越次 1983, pp. 71-140、猪瀬 1999, pp. 113-216
  470. ^ a b c d e f g 「第二章 祖父・平岡定太郎」(再訂 2005, pp. 63-98)
  471. ^ 「第一章 黄金の王国」(生涯 1998, pp. 5-98)
  472. ^ a b c d e 「本籍地」「平岡家の謎」(極説 1997, pp. 79-110)
  473. ^ 仲野羞々子「農民の劣等感―三島由紀夫の虚勢―」(農民文学 第93号1971年2月号)。再訂 2005, pp. 67-68、噂 1972
  474. ^ 礫川全次「厠と排泄の民俗学――補論」(『民俗とナショナリティ』批評社、2004年12月)p.35
  475. ^ a b c 「序章――鹿鳴館の香水」(村松 1990, pp. 28-50)
  476. ^ 「林房雄宛ての書簡」(昭和44年6月13日付)。38巻 2004, pp. 798-799
  477. ^ a b c 大屋敦私の履歴書 第22集』(日本経済新聞社、1964年11月)、『私の履歴書 経済人7』(日本経済新聞社出版局、1980年)。越次 1983, pp. 101-140、村松 1990, p. 19、猪瀬 1999, pp. 140-142
  478. ^ a b 永井亨『永井亨博士回顧録 思い出話』。越次 1983, pp. 101-140
  479. ^ 「第二章 映画『人斬り』と三島由紀夫――田中新兵衛と永井尚志」(戦後 2011, pp. 56-107
  480. ^ 「好色」(小説界 1948年7月号)。17巻 2002, pp. 211-230
  481. ^ a b 岡山典弘「三島由紀夫と橋家 もう一つのルーツ」(三島由紀夫と編集・11三島研究2011年)
  482. ^ a b c d 「特別公開 三島由紀夫未発表原稿・ノート」(没後30 2000, pp. 14-156)
  483. ^ 高丘卓「解説『人間喜劇』エピソード」(『終わり方の美学』徳間文庫カレッジ、2015年10月)pp.226-235
  484. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r のち『源泉の感情 三島由紀夫対談集』(河出書房新社、1970年10月)所収。河出文庫で再刊(2006年2月)、収録内容は少し変更している。
  485. ^ a b のち『夷斎座談 石川淳対談集』(中央公論社、1977年10月、中公文庫(上下)、1981年8月)所収
  486. ^ a b c d e f g h i j のち『尚武のこころ 三島由紀夫対談集』(日本教文社、1970年9月。1986年4月再刊)所収
  487. ^ 高橋和巳『生涯にわたる阿修羅として』(徳間書店、1970年)所収
  488. ^ a b c d e f g h i 41巻2004-09
  489. ^ のち読本 1983, pp. 144-166、『源泉の感情 三島由紀夫対談集』(新版・河出文庫、2006年2月)
  490. ^ 「編集協力」(太陽 2010, p. 192)
  491. ^ 三島由紀夫、没後40年で関連本ラッシュ “仮面”の素顔気さくな一面も (ウェブ魚拓)
  492. ^ 浅野晃「虹の門」(臨時 1971, p. 192)
  493. ^ 浪曼 1975, pp. 32-35
  494. ^ エレノア コッポラ『ノーツ―コッポラの黙示録』(マガジンハウス、1992年8月)
  495. ^ 松田和彦「肉体で描かれた三島由紀夫へのオマージュ――ベジャールの『M』」(論集III世界 2001, pp. 241-256)
  496. ^ 「年譜 昭和45年」42巻 2005, pp. 315-334
  497. ^ a b 芥川瑠璃子「鮮やかに甦るあの頃」(8巻 2001月報)
  498. ^ 安部公房「前回の最後にかかげておいた応用問題――周辺飛行19」(波 1973年5月号)。『安部公房全集 24 1973.03-1974.02』(新潮社、1999年9月)
  499. ^ 安部公房「反政治的な、あまりにも反政治的な……」(『三島由紀夫全集33』月報 新潮社、1976年1月)。事典 2000, pp. 443-444
  500. ^ 安部譲二「解説」(文庫版『複雑な彼』角川文庫、2009年11月)
  501. ^ 柳瀬善治「磯田光一」(事典 2000, pp. 449-451)
  502. ^ 「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死」(文學界 1971年3月号)。磯田 1979, pp. 434-445
  503. ^ 「伊東静雄全集推薦の辞」(果樹園 1960年10月号)。31巻 2003, p. 496
  504. ^ 桶谷秀昭「三島由紀夫『春の雪』」(日本経済新聞 1969年1月12日号)。再訂 2005, p. 129、小高根 1971, p. 281
  505. ^ 「清水文雄宛ての書簡」(昭和17年7月23日付)。38巻 2004, pp. 557-560
  506. ^ a b 伊沢甲子麿「思い出の三島由紀夫」(39巻 2004月報)
  507. ^ a b 村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情―文化・ネーション・革命」(日本読書新聞 1969年12月29日 - 1970年1月5日合併号)。40巻 2004, pp. 608-621
  508. ^ 石原慎太郎「三島由紀夫への弔辞」(週刊現代 1970年12月10日号)。追悼文 1999
  509. ^ 石原慎太郎「三島由紀夫の日蝕――その栄光と陶酔の虚構」(没後20 1990, pp. 116-181)。石原 1991
  510. ^ 雷蔵丈のこと」(日生劇場プログラム 1964年1月)。32巻 2003, pp. 653-654。市川雷蔵『雷蔵、雷蔵を語る』(飛鳥新社、1995年)に序文で再録
  511. ^ 藤井浩明「あとがき」(『雷蔵、雷蔵を語る』飛鳥新社、1995年11月)
  512. ^ 大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵」(三島由紀夫と映画・2三島研究2006年)
  513. ^ 遠藤周作(朝日新聞夕刊 1970年11月25日号)。豊夫 2006-10, p. 113
  514. ^ 「資料編」(憂国忌 2010, pp. 261-304)
  515. ^ 「加藤道夫氏のこと」(毎日マンスリー 1955年9月号)。28巻 2003, pp. 535-537
  516. ^ 「楽屋で書かれた演劇論」(芸術新潮 1957年1月号)。29巻 2003, pp. 417-431
  517. ^ 「第十四章 その鎮魂」(矢代 1985, pp. 211-228)
  518. ^ 「昭和28年12月28日」(日録 1996, p. 163)
  519. ^ 「天狗道」(文學界 1964年7月号)。33巻 2003, pp. 92-95
  520. ^ a b 川端秀子「続・川端康成の思い出(二)」(川端補巻2 1984月報)
  521. ^ 今東光「本当の自殺をした男」(文藝春秋 1972年6月号)
  522. ^ 「第五章 自決の背景」(小室 1985, pp. 121-198)
  523. ^ 「三十二 三島の霊と話をしていた川端康成」(岡山 2014, pp. 159-163)
  524. ^ 「空飛ぶ円盤と人間通――北村小松氏追悼」(朝日新聞 1964年4月30日号)。33巻 2003, pp. 31-33
  525. ^ 神津カンナ『長女が読む本』(三笠書房、1988年7月)。豊夫 2006-10, pp. 54-56
  526. ^ a b 神津カンナ「おじさんはもうすぐ死ぬけれど……」(続・中条 2005, pp. 213-232)
  527. ^ 「現代女優論――越路吹雪」(朝日新聞 1961年7月15日号)。31巻 2003, pp. 604-606
  528. ^ 「六 越路吹雪とのロマンスの行方」(岡山 2014, pp. 42-45)
  529. ^ 「第二章 『楯の会』入会」(豊夫 2006-10, pp. 17-24)
  530. ^ 「清水文雄宛ての葉書」(昭和21年10月12日付)。38巻 2004, pp. 606-607
  531. ^ 「清水文雄宛ての書簡」(昭和18年7月29日付)。38巻 2004, pp. 576-577
  532. ^ a b c 島尾敏雄「多少の縁」(『三島由紀夫全集27』月報 新潮社、1975年7月)。新読本 1990, pp. 30-31
  533. ^ 「三島由紀夫氏を悼む」(ユリイカ 1971年1月号)。澁澤 1986, pp. 67-74
  534. ^ 宮崎正弘「書評」(三島由紀夫の総合研究、2006年12月18日・通巻第106号)。澁澤龍彦・澁澤龍子『澁澤龍彦の古寺巡礼』(平凡社コロナ・ブックス、2006年11月)
  535. ^ 「最新版 三島由紀夫と記憶と精霊たち」(椎根 2012, pp. 5-74)
  536. ^ a b 「第十章 白い錬金術師の家」(椎根 2012, pp. 309-344)
  537. ^ 庄野潤三「昔の友」(『三島由紀夫全集24』月報 新潮社、1975年4月)。新読本 1990, pp. 26-27
  538. ^ 高橋和巳「果敢な敵の死悲し」(サンケイ新聞 1970年11月26日号)。新読本 1990, pp. 130-131
  539. ^ 高橋和巳「自殺の形而上学」(談話筆記 1971年2月)。読本 1983, pp. 87-95
  540. ^ 高橋和巳・野間宏秋山駿の座談会「文学者の生きかたと死にかた」(群像 1971, pp. 152-173)。高橋和巳『自立の思想』(文和書房、1971年)
  541. ^ 花崎育代「武田泰淳」(事典 2000, pp. 520-521)
  542. ^ 武田泰淳との対談「文学は空虚か」(文藝 1970年11月号)。読本 1983, pp. 144-166、40巻 2004, pp. 689-722
  543. ^ a b 安藤宏「太宰治」(事典 2000, pp. 522-523)
  544. ^ 「『仮面の告白』」(奥野 2000, pp. 223-253)
  545. ^ 野口武彦「『道化』と『仮面』の双曲線」(ユリイカ 1975年3・4月合併号)。事典 2000, pp. 523
  546. ^ 「谷崎潤一郎宛ての書簡」(昭和38年1月3日付)。38巻 2004, p. 684
  547. ^ 「『国を守る』とは何か」(朝日新聞 1969年11月3日号)。35巻 2003, pp. 714-719
  548. ^ 団藤重光「三島由紀夫と刑事訴訟法」(日本法律家協会「窓」3号 1971年)。『この一筋につながる』(岩波書店、1986年4月)、『わが心の旅路』(有斐閣、追補版1993年6月)。事典 2000, p. 430
  549. ^ a b 「三島の理解者 堤清二氏が死去」(三島由紀夫の総合研究、2013年11月29日・通巻第773号)
  550. ^ 椿實「三島由紀夫の未発表原稿」(『椿實全作品』立風書房、1982年)。新読本 1990, pp. 42-43
  551. ^ a b 「十七 『憂国』の妻・鶴岡淑子のその後」(岡山 2014, pp. 93-97)
  552. ^ 佐渡谷重信「貴顕」(旧事典 1976, pp. 105-106)
  553. ^ 中井英夫「ケンタウロスの嘆き」(潮 1971年2月号)。追悼文 1999
  554. ^ 田中美代子「解題――愛の処刑」(補巻 2005, p. 646)
  555. ^ 千谷道雄「中村歌右衛門」(旧事典 1976, p. 287)
  556. ^ 三好行雄との対談「三島文学の背景」「(国文学 解釈と教材の研究 1970年5月25日号)。40巻 2004, pp. 622-652
  557. ^ a b 西尾幹二「たった一度だけの出会い」(『三島由紀夫全集3』月報 新潮社、1973年11月)。(西尾 2008, pp. 47-54)
  558. ^ a b 吉田昌志「野坂昭如」(事典 2000, pp. 557-558)
  559. ^ 野坂昭如「ただ喪に服するのみ」(週刊現代 1970年12月12日号)。年表 1990, pp. 230-231
  560. ^ 「橋川文三への公開状」(中央公論 1968年10月号)。35巻 2003, pp. 205-209、防衛論 2006, pp. 81-86
  561. ^ 「狂い死の思想」(朝日新聞 1970年11月26日号)。橋川 1998, pp. 132-134
  562. ^ 川端康成「『悲しみの琴』に献辞」(林 1972
  563. ^ 「『薔薇刑』体験記」(芸術生活 1963年7月号)。32巻 2003, pp. 475-
  564. ^ 日沼倫太郎「三島由紀夫への予言」(読売新聞 1968年7月7日号)。旧事典 1976, p. 336
  565. ^ a b 「日沼氏と死」(批評 1968年9月号)。35巻 2003, pp. 184-185
  566. ^ 深沢七郎「三島由紀夫論」(若い女性 1960年4月号)。岡山 2014, pp. 60-61
  567. ^ 「九 『風流夢譚』事件の余波」(岡山 2014, pp. 59-65)
  568. ^ 「第三章 『奔馬』への旅」(次郎 1998, pp. 137-232)
  569. ^ 岸田今日子「わたしの中の三島さん」(22巻 2002月報)
  570. ^ 「富士正晴宛ての書簡」(昭和22年11月19日付)。38巻 2004, pp. 858-859
  571. ^ 舟橋聖一「三島君の精神と裸体」(群像 1971, pp. 174-178)
  572. ^ 舟橋聖一「壮烈な憤死」(東京新聞 1970年11月26日号)。進藤 1976, p. 507
  573. ^ 「坊城俊民宛ての書簡」(昭和45年11月19日付)。38巻 2004
  574. ^ 細江英公「誠実なる警告」(続・中条 2005, pp. 103-124)
  575. ^ 「『からっ風野郎』」(川島 1996, pp. 149-170)
  576. ^ 藤井浩明「座談会 映画製作の現場から」(三島由紀夫と映画・2三島研究2006年)
  577. ^ 「第二章 第一回パリ憂国忌」(竹本 1998, pp. 45-72)
  578. ^ 「第六章 追悼二十年目の高揚」(憂国忌 2010, pp. 193-212)
  579. ^ a b 「わたしが愛した人々 美輪明宏をもっと理解するための4人」(愛 2002, pp. 242-245)
  580. ^ 「希――青い花々」(紫 1992, pp. 250-281)
  581. ^ 高橋智子「丸山(美輪)明宏」(事典 2000, p. 603)
  582. ^ a b 「出逢いから傍に落ち着くまで」(英子 2007, pp. 12-28)
  583. ^ 「第一章 曙」(火群 2005, pp. 9-80)
  584. ^ a b 「第三章 惜別の時」(彰彦 2015, pp. 137-198)
  585. ^ 宮崎正弘「そして三十三年が経った」(必勝 2002, pp. 263-276)
  586. ^ 「第十一章 その夜の宴」(矢代 1985, pp. 164-178)
  587. ^ 「デカダンス意識と生死観」(批評 1968年6月号)。40巻 2004, pp. 176-203
  588. ^ 「終章 誰が三島を殺したのか」(告白 2001-06, pp. 192-237)
  589. ^ 横尾忠則『インドへ』(文藝春秋、1977年6月、文春文庫、1983年1月)
  590. ^ 高橋智子「吉田健一」(事典 2000, pp. 621-622)
  591. ^ 吉田健一「三島さんのこと」(新潮 1971年2月号)。『詩と近代』(小澤書店、1975年7月)、事典 2000, p. 622
  592. ^ 「ロンドン通信」(毎日新聞 1965年3月25日号)。33巻 2003, pp. 435-438
  593. ^ 「第十一章 死後」(徳岡 1999, pp. 238-269)







三島由紀夫と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

三島由紀夫に関連した本

辞書ショートカット

カテゴリ一覧

全て

ビジネス

業界用語

コンピュータ

電車

自動車・バイク

工学

建築・不動産

学問

文化

生活

ヘルスケア

趣味

スポーツ

生物

食品

人名

方言

辞書・百科事典

すべての辞書の索引

「三島由紀夫」の関連用語

三島由紀夫のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング

画像から探す

キセキレイ

吸気系

ルシーダ・オーレア

B747

CS-12M 海底同軸ケーブル中継装置

ジオカルテ

ハートマンヤマシマウマ

カポック





三島由紀夫のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
三省堂三省堂
Copyright (C) 2001-2016 Sanseido Co.,Ltd. All rights reserved.
株式会社 三省堂三省堂 Web Dictionary
江戸net江戸net
Copyright (C) 2016 財団法人まちみらい千代田 All rights reserved.
MovieWalkerMovieWalker
(C)MovieWalker
キネマ旬報 (c)キネマ旬報社
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三島由紀夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2016 Weblio RSS