平岡紀子
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平岡 紀子(ひらおか のりこ、1959年(昭和34年)6月2日 - )は、日本の演出家。父は三島由紀夫。母は平岡瑤子[1]。結婚後は、冨田紀子となった[2]。三島没後20年に、三島の戯曲『葵上』『弱法師』の演出を手がけ[3]、母親の死後は、弟・威一郎と共に三島の著作権保護に努めた[2]。
注釈
- ^ 1958年(昭和33年)10月から建設開始し1959年(昭和34年)4月前に完成したこの大田区の家の住所表記は、1965年(昭和40年)11月の住居表示制度の実施で「南馬込四丁目32番8号」に変更されるまでの間、三島由紀夫が知人らに宛てた書簡や、贈呈本に添付した自身の名刺で「馬込東一丁目1333番地」と記載され(エアメールでは、Magome-higashi)[8][9][10]、三島研究者編纂の全集の年譜や複数の評伝でも町名を「馬込東」と記載しているが[11][12][13]、大田区の住居表示を記録した『住居表示旧新・新旧対照表. 6の2(昭和40年11月15日施行)』の300頁によると、南馬込四丁目32番8号は馬込町東一丁目1333番地に当たり、当地の居住者には平岡公威の名(三島由紀夫の本名)が記載されている[14]。なお、川端康成が書いた三島宛の書簡では1962年(昭和37年)以降に「馬込東」と「馬込町東」の両方の表記が見られる[15]。
- ^ ちなみに、皇太子徳仁親王の母・皇后美智子と、紀子の父・三島は独身時代の1957年(昭和32年)頃、銀座6丁目の小料理屋「井上」の2階で、食事を兼ねた見合いを行ったといわれている[18][19][20]。
出典
- ^ a b 有元伸子「平岡家」(事典 2000, pp. 572–575)
- ^ a b c 「年譜 平成10年」(42巻 2005, pp. 365–366)
- ^ a b 「年譜 平成2年1月17日」(42巻 2005, p. 356)
- ^ 齋藤康一「ファインダーの中の三島さん」(24巻 2002月報)
- ^ 「昭和34年6月、長女紀子誕生、虎ノ門病院にて」(写真集 2000)
- ^ 「裸体と衣裳――日記」(新潮 1958年4月号-1959年9月号)。30巻 2003, pp. 77–240
- ^ 「第三章 薔薇の痙攣」(生涯 1998, pp. 163–232)
- ^ 阿川弘之からGeorge H. Lynchまでの書簡・葉書(38巻 2004, pp. 33–948)
- ^ 浅野晃から平岡紀子までの書簡・葉書(補巻 2005, pp. 198–235)
- ^ 犬塚潔「三島由紀夫の名刺」(研究6 2008, pp. 166–171)
- ^ 「第五章 『鏡子の家』の時代」内(年表 1990, p. 131)
- ^ 「第三章 薔薇の痙攣」内(生涯 1998, p. 198)
- ^ 「年譜」(昭和34年5月10日)(42巻 2005, p. 231)
- ^ 住居表示旧新・新旧対照表 6の2(昭和40年11月15日施行)(国立国会図書館 Online)p.300
- ^ 川端書簡 2000, pp. 152–171
- ^ 「わが育児論」(34巻 2003, pp. 84–87)
- ^ 「昭和40年、自邸にて、家族とともに」(写真集 2000)
- ^ 「第六章 『和漢朗詠集』の一句」(徳岡 1999, pp. 133–156)
- ^ 「美智子さまと三島由紀夫のお見合いは小料理屋で行われた」(週刊新潮 2009年4月2日号)。岡山 2014, p. 31
- ^ 「四 美智子様の御成婚を祝するカンタータ」(岡山 2014, pp. 30–38)
- ^ 「年譜 昭和39年12月」(42巻 2005, p. 269)
- ^ 「年譜 昭和51年7月中旬」(42巻 2005, p. 344)
- ^ 「昭和57年3月20日」(日録 1996, p. 445)
- ^ 「年譜 平成2年9月24日」(42巻 2005, p. 357)
- ^ 「終章」(川島 1996, pp. 231–235)
- ^ 「年譜 平成12年5月23日」(42巻 2005, p. 368)
- ^ “三島由紀夫の手紙無断使用事件 判例全文”. 2016年4月4日閲覧。
- ^ 「平岡紀子宛ての葉書」(昭和35年11月11日付)。補巻 2005, p. 235
- ^ 「川端康成宛ての書簡」(昭和38年10月4日付)。38巻 2004, pp. 295–296
- ^ a b 「子供について」(弘済 1963年3月号)。32巻 2003, pp. 424–427
- ^ a b 「第二章 剣――段級審査」(杉山 2007, pp. 72–81)
- ^ 「第七章」(梓 1996, pp. 233–256)
- ^ 「第四章 憂国の黙契」(生涯 1998, pp. 233–331)
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