西尾幹二
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西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20日 - )は、日本のドイツ文学者、評論家。ニーチェの研究でしられる。学位は文学博士(東京大学)。電気通信大学名誉教授。
注釈
出典
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- ^ “平成27年春の叙勲受賞者名簿”. 内閣府. 2022年6月10日閲覧。
- ^ ドイツ語学文学振興会賞授賞論文
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- ^ a b 三島由紀夫「推薦文」(西尾幹二『ヨーロッパ像の転換』新潮選書、1969年6月)。35巻 2003, p. 492に所収。
- ^ a b c d 「第二章 一九七〇年前後の証言から」(西尾 2008, pp. 38–81)
- ^ a b 「第三章 芸術と実生活の問題」(西尾 2008, pp. 82–169)
- ^ 「行為する思索」(中央公論社)に収録。
- ^ 小林秀雄(江藤淳との対談)「歴史について」(諸君! 1971年7月号)。西尾 2008, pp. 75–77に抜粋掲載。
- ^ 小林秀雄「感想」(新潮 1971年1月・臨時増刊号)。読本 1983, pp. 56–57、西尾 2008, pp. 78–79
- ^ a b c d e 「第四章 私小説的風土克服という流れの中で再考する」(西尾 2008, pp. 170–223)
- ^ 『人生の深淵について』解説
- ^ 「日本ショーペンハウアー協会会報」42号
- ^ 中島義道 『哲学の教科書』(講談社、1995年5月)
- ^ 西尾幹二「不自由への情熱」(新潮 1971年2月号)。西尾 2008, pp. 230–262に所収。
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- ^ 「会創設にあたっての声明を出した同会呼びかけ人(一九九六年十二月二日)声明文」 『西尾幹二全集 第17巻』国書刊行会、2018年12月25日。
- ^ 西尾幹二「なぜ私は行動に立ち上がったか―新しい歴史教科書の戦い」 『西尾幹二全集 第17巻』国書刊行会、2018年12月25日。
- ^ 貝裕珍. “「新しい歴史教科書をつくる会」のExit, Voice, Loyalty” (PDF). 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部. 2022年6月13日閲覧。
- ^ 斉加尚代『教育と愛国―誰が教室を窒息させるのか』岩波書店、2019年5月30日、22-23頁。
- ^ 『<狂気の首相>で日本は大丈夫か』 [要ページ番号]など
- ^ a b c d e 三島由紀夫(福田恆存との対談)「文武両道と死の哲学」(論争ジャーナル 1967年11月号)。のち『源泉の感情』(河出書房新社、1970年10月)、39巻 2004, pp. 696–728に所収。
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- ^ STIMMT ES, DASS DIE SS IM KZ BUCHENWALD LAMPENSCHIRME AUS MENSCHENHAUT ANFERTIGEN LIESS?
- ^ 西尾幹二 (2005年6月). “韓国人はガリバーの小人--真実を薄々知っているがゆえに子供っぽく大騒ぎする”. Voice (PHP研究所): p. 74-81
- ^ 米下院外交委員会への「抗議書」
- ^ 抗議書への賛同者一覧
- ^ 『GHQ焚書図書開封』[要ページ番号]
- ^ 西尾幹二「目覚めよ、保守派! 経産省の幻想に由来する原発事故は鉄道官僚が暴走した中国の新幹線事故と共通する」『SAPIO 2011年8月17日・24日号』、小学館、2011年9月5日、2012年9月18日閲覧。。後にその脱原発論を著作や雑誌で展開し、「左派的論理からではない脱原発論」を模索している。西尾幹二『平和主義ではない「脱原発」―現代リスク文明論』 文藝春秋、2011年。[要ページ番号]
- ^ 西尾幹二・竹田恒泰『女系天皇問題と脱原発』飛鳥新社、2012年、262/264頁。
- ^ 中川『脱原発のウソと犯罪』、『撃論』Vol.3『脱・原発」を叫ぶ“福島瑞穂のペット”西尾幹二』
- ^ お知らせ―中川八洋氏に対する名誉毀損裁判の途中経過報告 西尾幹二のインターネット日録2014年8月13日。なお後にオークラ出版とは自身の要求を飲ませる形で和解成立
- ^ 『諸君!』2009年6月号座談会
- ^ 『西尾幹二のブログ論壇』 [要ページ番号]
- ^ (日本語) 【無料版】小川榮太郎大放談プチ 右も左も「変なこと」を言う人だらけ編 2021年8月21日閲覧。
- ^ 2011年1月8日の「坦々塾新年会」で公表し、2月6日付で正式発表。※インターネット日録及び内容見本も参照。最初に第5巻、以後は1巻目より刊、最終2巻は2分冊。
西尾幹二
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ドイツ文学者、ニーチェ研究家。三島は、西尾の初期の著作『ヨーロッパ像の転換』(1969年)に推薦文を書き、その後の『文学の宿命――現代日本文学にみる終末意識』(1970年)にも注目した。西尾は三島宅を訪問した時のことを述懐し、礼儀正しく物言いは率直ながらも、無名で年下の人間にも分け隔てなく、友人のように接する三島の偉ぶらない物腰に感銘を受けたと語っている。三島が嫌いな文化人の悪口を言っても、からっとしていて陰湿さがまったく無く、小田実が六本木のレストラン前に立っているのを見て、その辺りの空気がいっぺんに汚れているように感じて一目散に逃げ出したという話も面白く聞かされ、大笑いしたという。
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