蓮田善明とは? わかりやすく解説

蓮田善明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 08:35 UTC 版)

蓮田 善明(はすだ ぜんめい、1904年明治37年)7月28日 - 1945年昭和20年)8月19日)は、日本の国文学者国学研究者、文芸評論家国語教員詩人軍人。出身は熊本県広島文理科大学国語国文学科卒業。文武両道の人として知られる[1]


注釈

  1. ^ 以後の同人紀要雑誌叢書の発行などは全て「日本文学の会」を本拠とした[9]
  2. ^ 創刊の資金は、で、蓮田が編集に携わり、斎藤清衛名義の『作文』という中学校向けの副読本の収入からであった[11]
  3. ^ 『コギト』は1932年(昭和7年)3月に、保田與重郎大阪高等学校の卒業生たちと創刊した雑誌。『日本浪曼派』は1935年(昭和10年)3月に保田が、亀井勝一郎伊東静雄神保光太郎中谷孝雄らと創刊した雑誌である[2]
  4. ^ 蓮田善明が激賞した文章は、生涯にわたって三島由紀夫に影響を与えたものとして、よく取り上げられる[5][21]
    花ざかりの森」の作者は全くの年少者である。どういふ人であるかといふことは暫く秘しておきたい。それが最もいいと信ずるからである。若し強ひて知りたい人があつたら、われわれ自身の年少者といふやうなものであるとだけ答へておく。日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言ひやうのないよろこびであるし、日本の文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであらう。
    この年少の作者は、併し悠久な日本の歴史の請し子である。我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。此作者を知つてこの一篇を載せることになつたのはほんの偶然であつた。併し全く我々の中から生れたものであることを直ぐに覚つた。さういふはあつたのである。 — 蓮田善明「編集後記」(文藝文化 昭和16年9月号)[18]
  5. ^ 中条(陳豊馬)は、父・陳峯吉と母・ヨシの三男として1895年(明治28年)2月12日に誕生。実父・峯吉は文久2年(1862年)生れで、16歳の時に同じ村の岡田家から、陳勇平の養子になった人物で、母・ヨシも高家村出身者である[33]。豊馬は実父母の死後、菓子職人の中条助一の養子となった。中条助一も大分県宇佐郡出身で、対馬で菓子や大を売る店を営んでいた[33]
  6. ^ 蓮田の詩や日記などには、小球体(の実、蜜柑、小)に寄せる思い出、小球体の動態への嗜好と偏執が見られるという。小高根二郎は蓮田が、「(〈大前のさゞれ石〉に連なる)小球体の執心の思い出を一つ一つ蔵いなおすように、一弾……一弾……を留め金に挿入した」と文学的修辞を使っているようであるが、後段では、蓮田が実際に〈さゞれ石〉を実弾として使用したと見られる以下のような記載もしている[8]
    (蓮田は宮前広場の玉砂利を)自分では〈いただきもちて 行く 三粒四粒〉と戦地に携行したのだった。そのうち二粒は中条大佐の射殺に費消し、一粒は自決に用いた。三粒であったら丁度だったし、四粒だったら一粒余った勘定になる。それも二重装填による一粒の捨て弾を計算に入れると、ちょっきりになる。まさに運命の数と言わなくてはなるまい。 — 小高根二郎「蓮田善明とその死」[8]
  7. ^ ちなみに、死亡した中条豊馬大佐は、英軍が必死に探索していた人物であったことが後日判明した[32]上海に不時着したドゥリットル東京空襲部隊の飛行士に、死刑を宣告した判司長が中条豊馬大佐だったからである[8][32]
  8. ^ この約6年数か月後の1953年(昭和28年)3月に伊東静雄は亡くなるが、死の床で伊東は、「蓮田善明が死んでしもうて……あの蓮田も死んでしもうて…」と涙を流していたという[8]
  9. ^ 三島が蓮田を「古代を愛でし君」と呼びかけたのは、蓮田の『神韻の文学』の最期の収められた評論「雲の意匠」を想起してのことである[7]

出典

  1. ^ a b 山内由紀人「三島由紀夫に帰郷――蓮田善明と林房雄をめぐって――」(論集I 2001, pp. 135–147)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 「第一章 三島由紀夫日本浪曼派」(北影 2006, pp. 22–92)
  3. ^ a b 小高根二郎「善明と由紀夫の黙契」(新潮 1971年2月号)。追悼文 1999に所収。
  4. ^ a b 「序章 三島由紀夫の人生は『和歌』だった」(島内 2010, pp. 1–17)。「第二章 学習院という湖――傑作の種の数々は学習院で芽生えた―3 作家へのスプリングボードとしての高等科時代」(島内 2010, pp. 71–92)。「第六章 命を賭けたライフワーク――『源氏物語』を超えて―2 源郷に帰る旅人」(島内 2010, pp. 270–297)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「第三章 三島由紀夫の青春」(再訂 2005, pp. 99–156)
  6. ^ a b c d 西法 2010
  7. ^ a b c d 清水文雄「三島由紀夫のこと」(文學界 1971年2月号)。群像18 1990, pp. 75–77に所収。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj 小高根二郎「蓮田善明とその死」(果樹園 1959年8月号-1960年9月号、1965年5月号-1968年11月号に55回連載)。『蓮田善明とその死』(筑摩書房、1970年3月。島津書房、1979年8月)。文學大系 1970, pp. 461–471に一部掲載(1968年9月号-11月号)。再訂 2005, pp. 99–156、北影 2006, pp. 22–92に抜粋掲載。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 清水文雄「蓮田善明年譜」(文學大系 1970, pp. 480–481)
  10. ^ 第五高等学校に進学したが、肺病のために卒業を待たずして早逝した(『百人が語る丸山学』326頁)
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 栗山理一池田勉塚本康彦の鼎談「雅を希求した壮烈な詩精神――蓮田善明 その生涯の熱情」(浪曼 1975, pp. 106–124)
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「第三章 戦後神話のなかで」(松本健一 1990, pp. 117–175)
  13. ^ 「三島由紀夫」(小林秀雄編『現代日本文学館42』文藝春秋、1966年8月)。「II 三島由紀夫論――三島由紀夫伝」として橋川 1998, pp. 36–73に所収。
  14. ^ 蓮田善明「応召日記」(昭和13年10月18日付)。松本健一 1990, p. 77に掲載。
  15. ^ 「十 戦場に寄せるシンパシー」(詩人伊東 1971, pp. 245–263)
  16. ^ a b 中河与一「魂の高まり」(浪曼 1975, pp. 126–128)
  17. ^ a b c d e 蓮田晶一「父・蓮田善明」(浪曼 1975, pp. 128–130)
  18. ^ a b c 蓮田善明「編集後記」(文藝文化 1941年9月号)。再訂 2005, p. 116、群像18 1990, p. 76に掲載。
  19. ^ 富士正晴「蓮田善明宛ての書簡」(昭和18年5月3日付)。安藤 1996, pp. 56–57
  20. ^ 蓮田善明「平岡公威宛ての葉書」(昭和18年8月16日付)。安藤 1996, p. 58、アルバム 1983, p. 16(現物写真)に抜粋掲載。
  21. ^ 「第一回 三島由紀夫の誕生」(徹 2010, pp. 8–20)
  22. ^ 杉本・目録 1985
  23. ^ 清水文雄「著作目録――蓮田善明」(文學大系 1970, p. 484)
  24. ^ a b c 蓮田晶一「父・蓮田善明」(バルカノン〈特集・文藝文化〉 1972年2月号)。松本健一 1990, pp. 120–122に抜粋掲載。
  25. ^ a b c 蓮田善明「皇居を拝してかへるさ」(文藝文化 1943年12月号)。北影 2006, p. 80に掲載。
  26. ^ 「十二 カタストロフィー・罹災と敗戦」(詩人伊東 1971, pp. 293–312)
  27. ^ a b 「昭和18年10月25日」(安藤 1996, p. 59)
  28. ^ a b 「IV 行動者――『豊饒の海』の完結 訣別」(村松 1990, pp. 469–503)
  29. ^ 「年譜」(昭和19年8月)(三島42巻 2005, p. 94)
  30. ^ a b 蓮田善明「太二・新夫宛ての葉書」(昭和19年8月26日付)。松本健一 1990, p. 169に掲載。
  31. ^ a b c d 小高根二郎「解説」(『蓮田善明全集』島津書房、1989年4月)。松本健一 1990, pp. 17–18に掲載。
  32. ^ a b c d 丸山学「蓮田善明の死」(日本談義 1958年8月号)。松本健一 1990, pp. 18–19、文學大系 1970, p. 468
  33. ^ a b c d e f 「第一章 その死をめぐって」(松本健一 1990, pp. 7–58)
  34. ^ 蓮田善明「日記」(昭和10年1月28日付)。文學大系 1970, p. 463に掲載。
  35. ^ 蓮田慈善「蓮田善明宛ての書簡」(昭和12年)。文學大系 1970, p. 463に抜粋掲載。
  36. ^ 後藤包「故蓮田善明中隊長を偲ぶ」(日本談義 1966年8月号)。文學大系 1970, p. 468に抜粋掲載。
  37. ^ a b c 「十三 戦後から死まで」(詩人伊東 1971, pp. 313–356)
  38. ^ 富士正晴「伊東静雄のこと」(祖国 1953年7月・伊東静雄追悼号)。松本健一 1990, pp. 153–154、文學大系 1970, p. 469に抜粋掲載。
  39. ^ a b c 佐藤春夫「林富士馬宛ての書簡」。(光耀 1946年10月・第2輯)。文學大系 1970, p. 463に抜粋掲載。
  40. ^ 平岡公威「会計日記」(昭和21年11月17日付)。補巻補遺・索引 & 2005-12, p. 531に所収。
  41. ^ 伊東静雄「清水文雄宛ての書簡」(昭和21年11月14日付)。松本健一 1990, pp. 156–157に掲載。
  42. ^ 三島由紀夫「故蓮田善明への献詩」(おもかげ 1946年11月17日)。群像18 1990, p. 76、再訂 2005, p. 152、北影 2006, pp. 87、松本健一 1990, p. 159、橋川 1998, pp. 46、浪曼 1975(現物写真)に掲載。三島37巻 2004, p. 762に所収。
  43. ^ 三島由紀夫「清水文雄宛ての葉書」(昭和21年11月18日付)。『師・清水文雄への手紙』(新潮社、2003年8月)、三島38巻 2004, pp. 607–608に所収。
  44. ^ a b 江藤淳『南州残影』(文藝春秋、1998年3月。文春文庫、2001年3月)
  45. ^ 「年譜」(昭和44年10月25日)(三島42巻 2005, p. 313)
  46. ^ 蓮田善明「神風連のこころ」(1942年11月号)。北影 2006, p. 55に抜粋掲載。
  47. ^ a b 蓮田善明「詩と批評――古今和歌集について」(文藝文化 1939年11月 - 1940年1月号)。文學大系 1970, pp. 296–317に所収。
  48. ^ 千坂恭二「蓮田善明・三島由紀夫と現在の系譜」(東大陸 1993年・第3号)
  49. ^ a b c 伊藤佐喜雄『日本浪曼派』(潮新書、1971年)。松本健一 1990, pp. 91–92、西法 2010に抜粋掲載。
  50. ^ a b c d 「第二章 『死の文化』」(松本健一 1990, pp. 59–116)
  51. ^ a b c 蓮田善明「文学古意」(新潮 1943年5月号)
  52. ^ a b c d e f g 三島由紀夫(中村光夫との対談)「IV 極限状況と文学者、文学と行動の問題、文学の技術について」(中村・対談 2003, pp. 201–209)。三島40巻 2004, pp. 151–157に所収。西法 2010に抜粋掲載。
  53. ^ a b 小高根二郎 編『蓮田善明全集』島津書房、平成元年(1989年)4月、外函記載文。
  54. ^ 蓮田善明(文學 1943年8月号)。安藤 1996, pp. 57–58、北影 2006, pp. 49、橋川 1998, pp. 45に抜粋掲載。
  55. ^ a b c d 三島由紀夫「序」(小高根二郎著『蓮田善明とその死』筑摩書房、1970年3月)。のち「『蓮田善明とその死』序文」として『蘭陵王』(新潮社、1971年5月)、『三島由紀夫評論全集 第1巻』(新潮社、1989年7月)pp.567-569、三島36巻 2003, pp. 60–63に所収。
  56. ^ 「『文芸文化』のころ」(『昭和批評大系2 昭和10年代』月報 番町書房、1968年1月)。『蘭陵王』(新潮社、1971年5月)、三島34巻 2003, pp. 644–646に所収。
  57. ^ 私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日 - 5月23日号)。『私の遍歴時代』(講談社、1964年4月)で刊行。三島32巻 2003, pp. 271–323、文学論集II 2006, pp. 267–328に所収。
  58. ^ 三島由紀夫「小高根二郎宛ての書簡」(昭和34年8月7日付から昭和43年11月8日付)。三島38巻 2004, pp. 220–222に所収。
  59. ^ a b 三島由紀夫「小高根二郎宛ての書簡」(昭和43年11月8日付)。『三島由紀夫評論全集 第2巻』(新潮社、1989年7月)pp.507-508、三島38巻 2004, pp. 221–222に所収。
  60. ^ 「年譜 昭和41年8月28日」(三島42巻 2005, p. 283)
  61. ^ 西法・神風 2007
  62. ^ 池田勉「蓮田善明〈現代作家における神話的世界〉」(国文学 解釈と鑑賞 1972年1月号)。西法 2010に抜粋掲載。
  63. ^ a b 栗山理一「蓮田のこと 三島のこと」(復刻版『文藝文化 全7巻』別冊付録 雄松堂出版、1971年6月。オンデマンド版、2007年5月)
  64. ^ a b 松本徹古今和歌集の絆 蓮田善明と三島由紀夫」。佐藤秀明編集『三島由紀夫――美とエロスの論理(日本文学研究資料新集)』(有精堂出版、1991年4月)に所収。西法 2010に抜粋掲載。
  65. ^ a b 松本徹「日本浪曼派と戦後」(国文学 解釈と鑑賞 1979年1月号)。西法 2010に抜粋掲載。
  66. ^ a b 大久保典夫「日本浪曼派における古典――保田與重郎と蓮田善明」。西法 2010に抜粋掲載。
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  68. ^ a b 大久保典夫『昭和文学史の構想と分析』(至文堂、1971年11月)。西法 2010に抜粋掲載。
  69. ^ a b c 「日々の分れ――死への一里塚」(ポリタイア 1973年7月号)。小島 1996, pp. 25–40に所収。
  70. ^ 蓮田善明「応召日記」(昭和13年10月20日、11月12日付)。松本健一 1990, pp. 79–82に掲載。
  71. ^ 「ペンネーム『三島』生まれた臨場感」(朝日新聞 2016年11月12日号・34面)
  72. ^ a b c d 聖粒会
  73. ^ a b c BLOGOS編集部 (2014年1月20日). “「赤ちゃんポスト」ができるまで〜慈恵病院・蓮田院長が語る 2/2”. LINE Corporation. http://blogos.com/article/78275/?p=2 2016年10月28日閲覧。 
  74. ^ 熊本日日新聞. “「ゆりかご」の蓮田太二さん死去 慈恵病院理事長”. 熊本日日新聞=2020-10-25. https://web.archive.org/web/20201025081710/https://this.kiji.is/692950918877037665?c=39546741839462401 2020年10月25日閲覧。 
  75. ^ 蓮田太二「いのちへのおもい」”. 京都精華大学. 2015年7月14日閲覧。
  76. ^ 日本キリスト教団出版局 (2016年5月10日). “「こころの友」2016年6月号、入荷しました。1面「この人を訪ねて」は、熊本・慈恵病院に2007年「こうのとりのゆりかご」を設置した蓮田太二理事長・院長(カトリック島崎教会信徒)です。”. @bp_uccj. Twitter. 2020年3月14日閲覧。
  77. ^ “[http://bp-uccj.jp/publications/kokoronotomo/k201606/ 『こころの友 2016年6月号』この人を訪ねて 神さまから預かった命のために 医療法人聖粒会 慈恵病院理事長・院長 蓮田太二(はすだ たいじ)さん]”. bp-uccj.jp. 日本キリスト教団出版局. 2020年3月14日閲覧。
  78. ^ カトリック福岡教区報 第608号 カトリック福岡司教区、2008年4月1日発行



蓮田善明

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三島由紀夫」の記事における「蓮田善明」の解説

日本浪曼派系の国文学者陸軍中尉同人雑誌文藝文化』を主宰した。清水文雄通じて三島知り少年時代彼の感情教育の師となった富士正晴三島連れて蓮田宅に行った帰り蓮田がわざわざ駅まで見送り、まるで恋人離れるかのように三島との別れ惜しんでいたとされる蓮田駐屯地マレー半島ジョホールバルで、敗戦時に天皇愚弄した上官射殺後にピストル自決した事件は、三島生涯にわたって影響及ぼした

※この「蓮田善明」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「蓮田善明」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

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