なかい‐ひでお〔なかゐひでを〕【中井英夫】
中井英夫(なかい・ひでお)
1922年(大11)、東京生まれ。祖父はW・S・クラークの弟子、父は植物学者。東京大学言語学科中退。別名流薔園園丁、月蝕領主、碧川潭。
在学中、第14次「新思潮」に習作を発表。
「短歌研究」「日本短歌」「短歌」の編集に従事。
1955年(昭30)、「アドニス」21号より、四回にわたって塔亜蘭名義で、「虚無への供物」の原型を連載。
1957年(昭32)、有馬頼義、松本清張ら文壇作家が結成していた「影の会」の世話人を務める。
1962年(昭37)、「虚無への供物」前半二章までを、塔晶夫名義で第8回江戸川乱歩賞に応募したが、規定枚数を越していたこともあり、次席に留まり、後半を完成させて、1964年(昭39)に刊行。中井英夫の名で刊行したのは、1969年(昭44)。熱狂的なファンを持つ戦後屈指の名作であり、1975年(昭50)には、「週刊読売」推理小説特集のベスト20アンケートで第二位に選出される。。ほかには耽美な幻想小説が多い。
1969年(昭44)、「久生十蘭全集」を編集。
1973年(昭48)に「太陽」に掲載した「悪夢の骨牌」で、1974年(昭49)に第二回泉鏡花賞受賞。
1979年(昭54)、泡坂妻夫、日影丈吉とともに全編暗号で書かれた短編集「秘文字」を刊行し、「薔薇への遺言」を発表。
1980年(昭55)に「オール読物」に発表した「一粒の葡萄もし…」は日本文藝家協会の「ザエンターテインメント 1981」に収録される。
また、竹本健治を見出した。
1993年(平5)、肝不全により死去。
中井英夫
中井英夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
小説家、詩人。三島は、中井の『虚無への供物』出版を祝う会の発起人となった。中井は、三島の自決後に週刊誌が「異常性格者」「ホモだオカマだ」とスキャンダラスに騒ぐ狂乱ぶりを批判し、「死んだのは流行歌手でも映画スターでもない、戦後にもっとも豊かな、香り高い果実をもたらした作家である」と三島を哀悼した。三島が榊山保の筆名で発表した『愛の処刑』(1960年)の自筆原稿ノートは、2005年(平成17年)に中井宅から発見されている。
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