ドストエフスキー【Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy】
ドストエフスキー 【Dostoevskii】
ドストエフスキー
フョードル・ドストエフスキー
(ドストエフスキー から転送)
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フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー[* 1](ロシア語: Фёдор Миха́йлович Достое́вский[* 2] [ˈfʲɵdər mʲɪˈxajləvʲɪtɕ dəstɐˈjɛfskʲɪj] ( 音声ファイル)、1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕)は、ロシア帝国の小説家・思想家である。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。
- 1 フョードル・ドストエフスキーとは
- 2 フョードル・ドストエフスキーの概要
ドストエフスキー(フョードル・ドストエフスキー)
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「静かなるドン」の記事における「ドストエフスキー(フョードル・ドストエフスキー)」の解説
日本への麻薬の密輸出に新鮮組を利用するが後から静也に麻薬を送り返され報復のために取引に利用していた肘方の美術館を爆破。
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ドストエフスキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:19 UTC 版)
作家フョードル・ドストエフスキーは、改宗ユダヤ人ブラフマンの『カハルの書』(1869)から影響を受けた。1873年以降死去するまで評論『作家の日記』や小説でユダヤ人への攻撃を繰り返した。 1873年には、ロシア民衆が飲酒で堕落したままであれば、ユダヤ人は民衆の血をすすり、農村はユダヤ人に隷属させられた乞食の群れとなると警告した。 1876年6月にはユダヤ財界人が利益のために農奴制の復活をもくろんでいるとし、ユダヤ人がロシアの土地を購入し元利を戻そうとして土地の資源が枯渇することを批判すればユダヤ人は市民同権の侵害だと騒ぐだろうが「土地だけでなくやがては百姓も消耗させられてしまうとしたら同権も何もあったものではない」と反論し、ユダヤ人はタルムード的な国家内国家を重視しているとした。また、ロシアがクリミアを獲得しなければユダヤ人が殺到してしまうと危惧し「最近の、いまわしい堕落、物質主義、ユダヤ気質」に挫けないロシア人を称賛した。同年10月には、ロシアでは農村を食い物にする高利貸しユダヤ人が君臨しており「金があれば何でも買える」という歪んだ不自然な世界観の持ち主である商人長者は儲けになればユダヤ人と結んで誰でも裏切り、愛国心がなく、教育で武装したロシア知識人は「汚らわしい取引所的堕落の時代」における物質主義の怪物を撃退できるが、民衆は「すでにユダヤ人に食い入られた」と診断した。同年12月にはロシア知識人には「ユダヤ化した人々」がいて、経済面からのみ戦争の害を言い立て、銀行の破産や商業の停滞で人を脅迫し、トルコに対してロシアは軍事的に無力であるなどと主張するが、彼らは当面する問題の理解が欠けていると批判した。 1877年3月の『ユダヤ人問題』では、ユダヤ人は虐げられていると主張するが、これまでユダヤ人は高利貸し業によってロシアの農民、アメリカの黒人を搾取してきたと反論した。無慈悲で非礼なユダヤ人はロシア人を軽蔑し憎み、ヨーロッパの金融界に君臨して国際政治を操作し「ユダヤ人の完全な王国が近づきつつある」と論じた。 1877年4月には、ヨーロッパで2世紀もロシアを憎んでいるユダヤ人と、ユダヤ人に協力するキリスト教徒はロシアの宿敵であるとした。 露土戦争についてドストエフスキーは、コンスタンティノープルを征服してキリスト教教会を解放するために十字軍を派遣すべきだし、ロシアがスラブ的理念を放棄して、東方キリスト教徒を投げ出すことはロシアの解体絶滅になると論じ、ユダヤ人の手中にあるロシア国民は自分の使命を遂行しなければならないとして戦争を支持した。同年11月には、コンスタンティノープルを自由都市にしてしまうと「全世界の陰謀者の隠れ家となり、ユダヤ人や投機人のえじきとなる」というスラブ主義者ダニレフスキーの見解を正しいと称賛した。 1879年夏にドイツの保養地バート・エムスに療養で訪れた際にドストエフスキーは、湯治客の半分はユダヤ人であり、ドイツはユダヤ化されたと友人の宗務院長ポベドノスツェフに報告した。ポベドノスツェフは、新聞・雑誌、金融市場を支配したユダヤ人は「すべてを侵略し、蝕んで」おり、社会民主主義運動や皇帝暗殺運動を推進していると返信した。ポベドノスツェフは「寄生虫」であるユダヤ人の三分の一を国外へ移住させ、三分の一をキリスト教に改宗させ、残る三分の一は「死に絶える」のがよいと政府に提案し、ロシアではユダヤ人の海外移住が推進された。 小説では、『悪霊』(1872)で改宗ユダヤ人が共犯者を告発し、『カラマーゾフの兄弟』(1880)では、肉欲と物欲の権化であるフュードルがオデッサのユダヤ人に下で金を稼いで貯め込む才覚を磨いたとし、また儀式殺人で快楽を引き出すユダヤ人について描写した。 1880年8月にはアーリア人種の全人類的再結合がロシア人の使命であり、全民族をキリスト教に従って和合させ、偉大な全体的調和をもたらすべきだと主張した。 死の直前の1881年1月には、土地を領有するものは鉄道家や実業家や銀行家やユダヤ人でもなくて、誰よりも農民であるべきだとし、農民は国家の核心であるとした。 ドストエフスキーの反ユダヤ主義とアーリア主義は、ポリーナ・スースロワの夫ヴァシリー・ローザノフや、ドストエフスキーの聖ロシア第三帝国論は、『第三帝国』を著したメラー・ファン・デン・ブルックやヨーゼフ・ゲッベルスなど20世紀初頭のドイツ右翼知識人に多大な影響を与えた。
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