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しが-なおや ―なほや 【志賀直哉】
近代日本人の肖像 |
志賀直哉 しが なおや
宮城生まれ。小説家。東京の祖父母のもとで育ち、学習院高等科卒、東京帝国大学中退。明治43年(1910)、武者小路実篤、有島武郎らと『白樺』を創刊し、「網走まで」を発表。その後尾道、松江、京都などに居を移し、執筆を中断した時期を経て、『城の崎にて』(1917)、『和解』(1917)、『暗夜行路』(1921~1937)などを著す。「小説の神様」とよばれ、多くの作家に影響を与えた。 昭和24年(1949)文化勲章受章。
| キーワード | 文学者 |
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志賀直哉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/25 17:18 UTC 版)
志賀 直哉(しが なおや、1883年(明治16年)2月20日 - 1971年(昭和46年)10月21日)は、日本の小説家。
宮城県石巻市生まれ、東京府育ち。白樺派を代表する小説家のひとり。代表作は『暗夜行路』、『和解』、『小僧の神様』、『城の崎にて』。
- ^ 小説家・大岡昇平は「近代文学の最高峰である」と讃えている。
- ^ しかし、志賀自身はフランス語はまったく解することが出来なかった。
- ^ ただし、志賀は小林の人柄には好感を抱いており、小林が拷問死した時の日記に「実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり」と記している他、小林の死の際、実母に弔辞を贈っている。)
- ^ おもに『改造』1946年4月号に寄稿した随筆を指す。「不完全で不便」な日本語をどうにかしなければ「日本が本統の文化国になれる希望はない」として日本語の廃止を提案、「文化の進んだ国」フランスのフランス語を使うのが「一番よささうな気がする」と述べた。またその方法について「それ程困難はないと思つてゐる」「朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう」などと言い添えている。
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