梵字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 15:00 UTC 版)
歴史
インドでは紀元前後にセム系文字に由来するブラーフミー文字とカローシュティー文字の2系統がある。このうちの前者がグプタ文字から発達して6世紀ごろにシッダマートリカー文字となった。さらに7世紀頃ナーガリー文字に発達、10世紀にはデーヴァナーガリーとなった。
今日の日本で悉曇文字(梵字)と呼ばれるものは、シッダマートリカー文字の一変種が仏教とともに中国を経由して伝来し、保存されたものである。数多くの梵字で書かれた文献が伝わっている。この頃のインドにまだ紙はなく、ほとんど貝葉に書かれている。シッダマートリカー文字は現在のインドでは使われておらず、現在、サンスクリットの筆記や印刷に主に用いられるのはデーヴァナーガリーであり、他にはインド南部でグランタ文字が使われている。
日本への伝来・普及
日本で梵字という場合は、仏教寺院で伝統的に使用されてきた悉曇文字を指すことが多い。これは上述のシッダマートリカーを元とし、6世紀頃に中央アジアで成立し、天平年間(729年-749年)に日本に伝来したと見られる。
日本には仏教伝来と共に漢訳された経典と共に伝来したが難解なために、文字自体を仏法の神聖な文字として崇めた。天平期には遣唐使や道璿、鑑真らの唐僧が悉曇梵語に堪能で、徐々に広まっていく。大安寺で唐僧仏哲と天竺僧菩提僊那が悉曇梵語の講義を行うと、日本人僧にも悉曇梵語の読み書きが浸透していく。
平安時代に入ると、最澄、空海らが悉曇梵語の経典を大量に唐から持ち帰る。彼らにより、真言として梵字は一般の人々の間にも広まった。
種子
梵字(悉曇文字)は一字一字が諸仏諸尊をあらわしており、ひとつの梵字が複数の仏を表すことがほとんどである。これを種子(しゅじ)または種字という。一つの仏でも金剛界、胎蔵界で違う文字を使う場合もある(例:大日如来:胎蔵界:a/金剛界:vaṃ)。
ア字(阿字)
全ての梵字の中で基本となるのが右図の「ア字(阿字)」である。師僧から梵字を教わるときも、通常この字から始めるが、この字は種子で「大日如来」を表すため、全ての梵字はこの文字から出生すると説かれる。真言宗では「阿字観」として瞑想にも利用される。
朴筆体
また右図のように、梵字は通常の毛筆を用いた書体(毛筆体)のみならず、「朴筆(ぼくひつ)」と呼ばれる刷毛(はけ)状の筆を用いた独特の書体(朴筆体)で書かれることも多い。
文字
母音
基本
文字(記号) | 転写 (IAST) |
発音 (IPA) |
文字(記号) | 転写 (IAST) |
発音 (IPA) | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
母音字 (子音なし) |
母音記号 (子音あり) |
母音字 (子音なし) |
母音記号 (子音あり) | |||||
○ | a | /ɐ/ or /ə/ | ā | /ɑː/ | ||||
i | /i/ | ī | /iː/ | |||||
u | /u/ | ū | /uː/ | |||||
ṛ | /ɻ/ | ṝ | /ɻː/ | |||||
ḷ | /ɭ/ | ḹ | /ɭː/ | |||||
e | /eː/ | ai | /əi/ | |||||
o | /oː/ | au | /əu/ |
(※「○」は子音字を表す。)
その他
記号 | 名称 | 転写 (IAST) |
発音 (IPA) |
意味 |
---|---|---|---|---|
( ) |
空点 | ṃ | /ⁿ/ | 鼻音化記号。母音を鼻母音にしたり、母音に鼻音を後続させる。 「ँ」は「ं」の強調版であり、とりわけ鼻母音を表すのに用いられる。 |
涅槃点 | ḥ | /h/ | 母音に後続する/h/。 | |
多達(活点) | - | - | 脱母音記号、母音除去記号。母音を除去する。 |
子音
基本
無声音 | 有声音 | 鼻音 | |||
---|---|---|---|---|---|
無気音 | 有気音 | 無気音 | 有気音 | ||
軟口蓋音 | k(a) /k(ə)/ | kh(a) /kʰ(ə)/ | g(a) /ɡ(ə)/ | gh(a) /ɡʱ(ə)/ | ṅ(a) /ŋ(ə)/ |
硬口蓋音 | c(a) /c(ə)/ | ch(a) /cʰ(ə)/ | j(a) /ɟ(ə)/ | jh(a) /ɟʱ(ə)/ | ñ(a) /ɲ(ə)/ |
そり舌音 | ṭ(a) /ʈ(ə)/ | ṭh(a) /ʈʰ(ə)/ | ḍ(a) /ɖ(ə)/ | ḍh(a) /ɖʱ(ə)/ | ṇ(a) /ɳ(ə)/ |
歯音 | t(a) /t̪(ə)/ | th(a) /t̪ʰ(ə)/ | d(a) /d̪(ə)/ | dh(a) /d̪ʱ(ə)/ | n(a) /n(ə)/ |
唇音 | p(a) /p(ə)/ | ph(a) /pʰ(ə)/ | b(a) /b(ə)/ | bh(a) /bʱ(ə)/ | m(a) /m(ə)/ |
接近音 | y(a) /j(ə)/ | r(a) /r(ə)/ | l(a) /l(ə)/ | v(a) /ʋ(ə)/ | |
歯擦音・摩擦音 | ś(a) /ɕ(ə)/ | ṣ(a) /ʂ(ə)/ | s(a) /s(ə)/ | h(a) /ɦ(ə)/ |
結合文字
子音の結合文字は、例えばデーヴァナーガリーなら字母を横向きに結合させるが、この悉曇文字は、チベット文字などと同じく、縦に文字が組まれる。
字母全体を縮小したような半体、あるいは、上半分か下半分を切り取ったような半体を用い、基字の上や下にそれを結合して音を表現する。後ろの字母の横の棒を取り外して、前の字母の下に付くのが一般的な原則である。例えば:
しかし、一部の字母の接続は上述した原則と異なる:
例 接続法 説明 kma ka が前にある場合は、真ん中の棒を省略する rka ra が前にある場合は、「T」のように変形して上に置く ṇṭha ṇa が前にある場合は、特別な形で接続する kya ya が後ろに来る場合は、鎌のような形で下に付く ṅktra ra が後ろに来る場合は、ペン先のように下に付く rkla la が後ろに来る場合は、最後の二筆を残して下に付く
また、同じ字母を二つ重ねると、元の形とすこし異なる場合もある。
- ^ 梵字 - コトバンク
- ^ The siddham alphabet in Chinese brush style, by Kukai
- ^ 空海『梵字悉曇字母幷釈義』。
- ^ 石村、参考文献、pp.11-12。
- ^ a b 小林 2009, pp. 156–158.
- ^ I-Tsing(著)、J. Takakusu(訳) "A Record of the Buddhist Religion as Practiced in India and the Malay Archipelago", Asian Educational Services, 2000年12月, pp.170-171
- ^ 馬渕、参考文献、pp.1-42。特にp.40の表を参照。
- ^ 玄奘『大唐西域記』 巻第二(三国) 。2008年2月11日閲覧。"詳其文字、梵天所製、原始垂則、四十七言也。〔…〕而開蒙誘進、先導十二章。"。
- ^ 義浄『南海寄帰内法伝』 巻第四 。2008年2月11日閲覧。"本有四十九字。共相乗転。成一十八章。総有一万余字。"。
- ^ たとえば田久保、参考文献、第一篇p.76。
- ^ 龍樹『大智度論』 摩訶般若波羅蜜経広乗品(四念處品)第十九、鳩摩羅什訳・釈 。2008年2月11日閲覧。
- ^ Salomon, Richard (1990). “New Evidence for a Gāndhārī Origin of the Arapacana Syllabary”. Journal of the American Oriental Society (110.2).
梵字と同じ種類の言葉
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