小林光一 棋風

小林光一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/22 06:06 UTC 版)

棋風

足早にを稼ぎ、ヨセ勝負に持ち込む実利派。

全盛時代に多用した小林流布石は好成績を挙げ、世界で流行布石となった。味や含みを残さず、早々と部分部分の形を決めて打つ「決め打ち」は有名。

家系

木谷實九段
 
 
 
 
禮子
女流名人
 
小林光一
名誉三冠
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小林泉美
元女流二冠
 
張栩 元五冠
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
張心澄張心治
 

趙治勲との角逐

趙治勲とは1980年代から90年代にかけて幾度となくタイトル戦で激突し、囲碁界において「小林・趙時代」を作った。対局は129局(2011年現在)に及び、同一カードとしては史上最多。対戦成績はほぼ五分(2011年現在で小林の63勝66敗)で、現代碁界きってのライバル関係にある。なお、若手時代は石田・加藤・武宮の「黄金トリオ」に対して、趙・小林は「シルバーコンビ」と呼ばれた[7]

本因坊戦には過去4回登場しているが、すべて趙に敗れ、いまだ獲得に至っていない。特に1990年から三年連続の挑戦は、ことごとく趙の大逆転勝利に終わり、大三冠達成を阻まれた(それぞれ2-0、3-1、3-0からの逆転負け)。「大一番に好局なし」という言葉を覆したこのドラマチックな七番勝負は、現代日本囲碁界のハイライトともいわれている。

エピソード

  • 地に辛く、含みを残さずに決め打ちするスタイルのため、同門の武宮正樹に「地下鉄みたいな碁」と揶揄されたことがあった。が、小林は「地下鉄とはうまいことをいう。碁に勝つためには真理だけを見ればよく、他は目に入れる必要がない」と受け流し、直後のタイトル戦で武宮にみごと完勝した。いっぽう武宮は1995年の名人戦登場にあたり、小林を揶揄したことを詫びた上で対戦し、小林から名人位を奪取した。
  • 感想戦では思ったことを率直に口にするところがあり、かつては武宮正樹や趙治勲ともめたこともある。囲碁ライター・小堀啓爾は、「純粋で正直な人なのだけど、その純粋さがときに人を傷つける」と、小林の性格を描写している[8]
  • 前妻禮子は小林より13歳年上だった上、師匠木谷実の令嬢にして、早くから女流の実力者であった。部屋住みの若手棋士との結婚はつり合いがとれないという周囲の反発を乗り越え、二人は三年越しで結婚にこぎつけた[9]。同門の趙治勲は、「マドンナだった禮子さんと駆け落ちした光一さんに復讐しようと、門下生でたくらんでいた」と冗談をこめて語っている[10]
  • 1996年、禮子が乳がんにより他界するまで、小林は妻の病気のことを周囲に一切もらさなかった[11]。その間に棋聖・名人など長期連覇してきたタイトルを次々と失冠していくことになる。
  • かねて知り合いだった15歳年下の女性と再婚した際、『週刊朝日』は「『姉さん』失った小林九段の再婚相手は『妹』」という見出しの記事を載せた。実際、再婚相手は実弟の妻の妹すなわち義妹の妹であり、また実弟と義妹が結婚する縁を作ったのは禮子夫人であった。
  • 2004年7月29日、娘の小林泉美と十段戦本戦敗者復活戦1回戦で史上初の父娘対決[12]を行い、白番中押し勝ちで勝利した。
  • 全盛期には眼鏡をかけていたが、視力矯正手術を受けて眼鏡を外した。
  • 顔や声が萩本欽一に非常に良く似ており、インターネット上で一時話題になった。
  • 愛読書は大藪春彦ハードボイルド。ストーリーと結末の明快さが自分の気質に合っているから、という[13]

  1. ^ NHKテキストview
  2. ^ a b 内藤由起子(囲碁観戦記者)『それも一局 弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ』水曜社、1969年、61-70頁。ISBN 978-4-88065-396-9 
  3. ^ 囲碁年鑑 1994年号
  4. ^ 二十五世本因坊治勲が畏怖した小林光一名誉三冠の姿とは
  5. ^ 紫綬褒章受章者 時事ドットコム、2018年4月28日 アーカイブ 2018年6月24日 - ウェイバックマシン
  6. ^ 公式戦のみ。女流棋戦・地方棋戦(王冠戦関西棋院第一位決定戦など)は除く。
  7. ^ 『坂田栄男と現代強豪20人』(誠文堂新光社)P.188
  8. ^ 小堀啓爾『独り荒野をめざせ 趙治勲物語』(毎日新聞社)、37ページ。
  9. ^ 荒谷一成『囲碁名棋士たちの頭の中』(中経出版)、92-93ページ
  10. ^ 「小林九段「名誉三冠」の偉業祝う」産経新聞2012年9月20日付、同年10月3日閲覧。
  11. ^ 荒谷、前掲書、93ページ。
  12. ^ 「父息子対決」は羽根泰正直樹、泉谷政憲・英雄の2例があり、いずれも息子(後者)が勝利している。碁界ニュース参照。この対決はいずれも予選のものであり、さらにトーナメント方式の場合は1回戦で父子・師弟が当たらないように配慮しているという(asahi.com2004年7月22日付報道による)。
  13. ^ 荒谷、前掲書、99ページ。






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