森田 道博

プロフィール
棋戦主要履歴
受賞歴
森田道博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 13:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動森田 道博(もりた みちひろ、1970年10月18日 - )は、日本の囲碁棋士。千葉県出身、日本棋院所属、田岡敬一に師事、藤沢秀行門下、九段。竜星戦優勝など。
経歴
千葉県千葉市生まれ。小学1年の時に新聞の囲碁欄に興味を持ち、入門書で囲碁を覚える。小学3年から碁会所に通い、囲碁ライターの田岡敬一に師事、福井正明の指導を受ける。1981年に少年少女囲碁大会小学生の部で4位入賞。1982年日本棋院院生。1984年入段。1985年棋聖戦二段戦優勝。1987年藤沢秀行に入門。1990年五段。1991年、天元戦本戦入り、21連勝を記録。1992年NEC俊英戦準優勝。1992、93年天元戦ベスト8。1993年七段。1994年、竜星戦の勝ち抜き戦8連勝で決勝トーナメントに進出、決勝で林海峰を破り棋戦初優勝。この年棋聖戦七段戦も優勝し、35勝12敗の成績で、当時棋道賞の新人賞は六段以下の規定だったが、「この欄に森田さんの名前がないということは、将来、(我々が)きっと恥ずかしい」という選考委員の意見[1] で、規定を七段以下に改めて新人賞を受賞。
1995年、十段戦トーナメントで勝者組を勝ち抜いて挑戦者決定戦に進出するが、依田紀基に敗れる。1998年九段。2007年天元戦ベスト4、竜星戦ベスト4。
日中スーパー囲碁では、第2回に2番手で登場するが芮廼偉に敗退。第10回は常昊に敗退。1996年真露杯では1人抜き。
タイトル歴
- 竜星戦 1994年
- NEC俊英囲碁トーナメント戦 1996年
他の棋歴
国際棋戦
国内棋戦
- 棋聖戦 二段戦優勝 1985年、五段戦優勝 1990年、七段戦優勝 1994年
- NEC俊英囲碁トーナメント戦 準優勝 1992、95年
- 竜星戦 準優勝 1999年
受賞等
- 棋道賞新人賞 1994年
- 棋道賞勝率第一位賞(33勝8敗、.805) 2007年
- 棋道賞連勝賞(14連勝) 2008年
注
- ^ 『棋道』1995年3月号
参考文献
- 秋山賢司「飛べ花の59年組」(『棋道』1984年7月号 日本棋院)
外部リンク
「森田 道博」の例文・使い方・用例・文例
- (江戸時代)江戸三座という,中村座と市村座と森田座の三劇団
- 森田療法という,神経症の治療法
- 森田健作議員,国会を去ることに
- 自民党のメンバー,森田健作議員(53)が,次の衆議院選挙に立候補しないことを明らかにした。
- 8月1日,彼はその地位に立候補することを明らかにしたが,自民党の山崎幹事長が森田議員を説得したため,8月4日に決断を撤回した。
- 一方で,森田議員は政治活動からの完全な引退の可能性を否定した。
- 森田議員は有名なテレビタレントで,多くのテレビ番組や映画に出演した。
- 森田美(み)保(ほ)子(こ)として東京で生まれる。
- 暗殺現場の近くで,宅配便配達員の青柳(堺(さかい)雅(まさ)人(と))は大学時代の友人,森田森(しん)吾(ご)(吉(よし)岡(おか)秀(ひで)隆(たか))と会っている。
- 森田は青柳に「お前は首相暗殺のぬれ衣(ぎぬ)を着せられるぞ! ここから逃げろ!」と必死に言う。
- プロジェクトマネージャーの森田泰(やす)弘(ひろ)教授は,「プラモデルのように簡単に組み立てられるロケットを開発しようと努めている。」と話した。
- プロジェクトマネージャーの森田泰(やす)弘(ひろ)教授は「完璧な打ち上げだった。」と語った。
- 展示品の多くはさいたま市大(おお)宮(みや)区の新しい鉄道博物館に移る。
- 鉄道博物館,10月の開館に向けて準備中
- 鉄道博物館が10月14日の正式開館の2か月前である8月10日に,マスコミに一部公開された。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)は,0系車両を10月21日からさいたま市にある鉄道博物館で展示する予定だと先日発表した。
- そして,今年の9月13日に鉄道博物館に運ばれた。
- 京都鉄道博物館がオープン
- 京都鉄道博物館が4月29日,京都市下(しも)京(ぎょう)区(く)に新しくオープンした。
- それは国内最大級の鉄道博物館だ。
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