松本 武久

プロフィール
棋戦主要履歴
- 平成14年(2002年)
- 第11期竜星戦優勝決定トーナメント進出
- 平成15年(2003年)
-
第12期竜星戦優勝決定トーナメント進出
第52回NHK杯準々決勝進出 - 平成17年(2005年)
- 第30期碁聖戦本戦入り
- 平成18年(2006年)
-
第62期本因坊戦最終予選進出
第31期新人王戦で黄翊祖七段を2勝1敗で破り優勝
☆初タイトル獲得 - 平成20年(2008年)
- 第15期阿含桐山杯本戦入り
- 平成22年(2010年)
- 第3回台日精鋭プロ囲碁選手権準優勝
- 平成25年(2013年)
-
第38期碁聖戦挑戦者決定戦進出
第61期王座戦本戦入り - 平成26年(2014年)
- 第62期王座戦本戦入り
- 平成29年(2017年)
- 第26期竜星戦優勝決定トーナメント進出
受賞歴
著書一覧
その他の活動実績
松本武久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/09 02:59 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動松本 武久(まつもと たけひさ、1980年9月8日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。長崎県五島市福江島生まれ。趙治勲名誉名人門下。
略歴
5歳から父の影響で、囲碁をはじめる。幼少時には、父の転勤が続いたため一所に長いこと居住することはなかったが、東京在住時に緑星囲碁学園に通いその中では弱かったと回顧する。
その後香川県高松市に転居し高松中央小学校5、6年で史上初の少年少女囲碁大会小学生の部で2連覇を果たす。
記念対局で趙治勲に2子局で敗れ、その夜に再度趙が自宅を訪問し2局打ち才能を認め、内弟子に採られ中学1年に千葉県へ転居。内弟子時代に1年先輩の金秀俊、後輩の鶴山淳志らと切磋琢磨し実力をつける。
棋歴
- 1997年 初段、二段
- 1998年 三段
- 1999年 四段
- 2001年 五段
- 2003年 六段
- 2006年 新人王戦優勝
- 2008年 七段
- 2010年 台日精鋭プロ囲碁選手権準優勝(優勝は周俊勲)
- 2013年 第38期碁聖戦挑戦者決定戦に進出も、河野臨に敗れ挑戦ならず。
外部リンク
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「松本 武久」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は松本地区を担当してコンピュータを売っている
- 私は松本市に住んでいます。
- 私たちは来週、松本市に観光に行きます。
- 私は、妻と娘それからペットと一緒に自動車で松本市に行ってきました。
- 私は、妻と娘とペットと一緒に自動車で松本市に行ってきました。
- 私は、妻と娘と一緒に自動車で松本市に行ってきました。
- 私は妻と娘と犬と一緒に、自動車で松本市に行きました。
- 私は松本まで車で行きました。
- 彼は3年間松本市に住んでいたことがあります。
- 彼は3年間松本市に住んでいました。
- 私は長野県松本市に住んでいます。
- その後、私は松本市に家を買いました。
- 私はその後松本市に行きました。
- 彼は長野県松本市に住んでいる。
- 私、株式会社小川金属工業の仕入部の主査の松本と申します。
- 松本清張は1992年に亡くなった。
- 松本市という市
- 松本(西島秀(ひで)俊(とし))と佐和子(菅(かん)野(の)美穂)は深く愛し合っていたが,松本は金持ちの娘と結婚するために佐和子を捨てた。
- 結婚式の当日,松本は佐和子が自殺未遂し,病院にいることを知る。
- 松本は赤い紐(ひも)で彼女の体を自分に結び,行くあてのない逃避行に出る。
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