宮沢吾朗とは? わかりやすく解説

宮沢 吾朗

宮沢 吾朗

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宮沢吾朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/31 20:22 UTC 版)

宮沢 吾朗(みやざわ ごろう、戸籍上の表記は宮澤 吾朗1949年11月29日 - )は、囲碁棋士北海道帯広市出身。木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。

人物・略歴

経歴

父は衣料店経営の傍ら囲碁の指導をしていたアマチュア強豪[1]で、6歳の頃に兄(宮沢は5男3女の8人きょうだいの末っ子[1])から碁を教わる。11歳でアマ4段くらいになった1961年、木谷實九段が弟子の上村邦夫久島国夫(共に現九段)・高畑(柴田)寛二を連れて帯広にやって来た。そこで高畑と3子で打ち木谷に認められ釧路へ1週間同行することになる。後日木谷道場への入門を勧める手紙が届き、11月、大野正由地方棋士とともに帯広の家を出発。青函連絡船に乗って道場へ向かった。同年に日本棋院院生となる[2]

この頃の木谷道場は弟子の数が最も多く一番活気があり、石田芳夫(現二十四世本因坊加藤正夫(現名誉王座)や趙治勲(現名誉名人)らがいた。学年がひとつ下で後からやって来た武宮正樹(元名人など)にあっという間に追い越されたのが一番刺激になった[2]

その後、1966年に入段。1976年に棋聖戦五段戦で優勝。1980、85年に新人王戦優勝。1981年天元戦ベスト4。1985、86年に棋聖戦七段戦に優勝し、最高棋士決定戦ベスト8進出。1986、89年王座戦ベスト4。1992年の十段戦では勝者組を勝ち抜いて挑戦者決定戦に進むが、小林光一棋聖に敗れる。同年名人戦リーグ入りするが1勝7敗で陥落。1992年九段。1996年本因坊戦リーグで2勝5敗。1997年JT杯星座囲碁選手権戦ベスト4。2000年の棋聖戦リーグでは2勝3敗で残留、翌年も2勝3敗ながら陥落。2005年にもリーグ入りするが5敗で陥落。2009年にもリーグ入り。2011年NHK杯戦ベスト4。

日中囲碁交流には、1981、84、86年に参加。通算成績は860勝583敗6ジゴ(2014年時点)。

1977年の曲励起との第33期本因坊戦三次予選(決勝)の対局は、強烈な戦いの連続の碁であり、『打碁鑑賞シリーズ 宮沢吾朗』に収録されているほか、囲碁将棋チャンネルの番組『記憶の一局』で、下島陽平の「生涯の『記憶の一局』四局のひとつ」として紹介され、また同番組で宮沢吾朗本人も自身の『記憶の一局』の一局としてあげた。

趣味・家族

魚類学者・タレントのさかなクンは実子[3]。趣味は50歳を過ぎて始めたオートバイで、愛車はカワサキ・GPX250R/II。

棋歴と棋風

棋風

石の形や筋がよく、鋭い着眼で猛攻を仕かける剛腕家。アマチュアから高い人気を得ており、心酔するファンも多い。ニックネームは「無冠の帝王」。

ビッグタイトルにこそ恵まれなかったものの、新人王戦2回、3大リーグにそれぞれ在籍するなど、80〜90年代にかけて一線級の棋士として活躍した。

師である木谷が宮沢を初めて見た際、「久しぶりに尾のハネ上がったをつかまえた」と言ったという。打碁集(日本棋院、2005年)の解説には「先生の常識は世の非常識。常識人でありたいのなら、この先生の碁に深入りしてはならない。」とまで書かれた。

棋歴

著作

脚注

  1. ^ a b 囲碁,棋聖戦,上達の指南”. 読売新聞 囲碁コラム. 2022年8月30日閲覧。
  2. ^ a b 内藤由起子(囲碁観戦記者)『それも一局 弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ』水曜社、1969年、49-60頁。ISBN 978-4-88065-396-9 
  3. ^ さかなクン、のん主演映画『さかなのこ』で描かれなかった“酒と暴力”の囲碁プロ父・宮沢吾朗九段との「断絶20年」【下半期スクープ】”. 週刊女性PRIME (2022年12月26日). 2024年5月14日閲覧。

外部リンク


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