加藤正夫とは? わかりやすく解説

加藤 正夫

加藤 正夫

プロフィール

棋戦主要履歴

昭和42年1967年
四段第23期本因坊リーグ入り
昭和44年1969年
第24期本因坊挑戦者
昭和45年1970年
第7期プロ十傑戦準優勝
大手合第1部優勝
昭和46年1971年
第2期全日本第一位決定戦準優勝
大手合第1部連続優勝
昭和48年1973年
第17期首相準優勝
第21期日本棋院選手権戦準優勝
昭和49年1974年
第21期NHK杯準優勝
昭和50年1975年
12期プロ十傑戦準優勝
第7期新鋭トーナメント戦準優勝
タイトル戦連続8回準優勝
昭和51年1976年
第1期碁聖戦大竹英雄名人3-2破り初タイトル
第14期十段戦林海峯十段3-2破りタイトル奪取
昭和52年1977年
第2期碁聖戦武宮正樹八段3-0破り防衛
32期本因坊戦武宮正樹本因坊4-1破りタイトル奪取
本因坊剣正と号す
第15期十段戦坂田栄男九段3-0破り防衛
昭和53年1978年
33本因坊戦石田芳夫九段4-3破りタイトル防衛
第16期十段戦林海峯九段3-1破り防衛
第4期天元戦藤沢秀行九段3-1破り奪取
昭和54年1979年
34期本因坊戦林海峯九段4-1破り防衛
第17期十段戦橋本昌二九段3-1破り防衛
第5期天元戦片岡聡五段を3-0破り防衛
第27期王座戦石田芳夫九段2-0破り奪取
本因坊十段天元王座聖の5冠獲得
昭和55年1980年
第6期天元戦山部俊郎九段3-0破り防衛
28王座戦石田芳夫九段2-0破り防衛
昭和56年1981年
第7期天元戦小林光一九段3-2破り防衛
昭和57年1982年
30王座戦橋本昌二九段2-0破り防衛
昭和58年1983年
第21期十段戦趙治勲十段3-2破りタイトル奪取
※3勝はすべて半目勝ち
第31期王座戦大竹英雄九段2-0破り防衛
昭和59年1984年
第32期王座戦山城宏八段3-0破り防衛
昭和60年1985年
第33期王座戦小林光一九段3-0破り防衛
昭和61年1986年
第11期名人戦小林光一名人4-0破り初の名人奪取
第34期王座戦3-1林海峯九段破り防衛
昭和62年1987年
第12期名人戦林海峯九段4-0破り防衛
第35期王座戦趙治勲九段3-1破り防衛
12期碁聖戦趙治勲九段3-1破り奪取
第25期十段戦小林光一九段3-1破り奪取
名人十段王座碁聖の4冠王
昭和63年1988年
第35回NHK杯優勝
第36期王座戦武宮正樹九段3-0破り防衛
平成元年1989年
第37期王座戦羽根泰正九段3-1破り防衛
王座8連覇通算10期獲得により名誉王座資格を得る。
平成2年1990年
第38期王座戦羽根泰正九段2-3敗れ昭和51年1976年以来無冠
14年6ヶ月・計5297日七大タイトル保持史上最長記録
平成3年1991年
第10期NECカップ優勝
平成4年1992年
第11期NECカップ優勝2連覇
平成5年1993年
第41期王座戦藤沢秀行王座3-0破り通算11期目の王座獲得
平成9年1997年
第35期十段戦依田紀基九段3-2破り奪取
平成10年1998年
第7期竜星戦優勝
平成11年1999年
第32回早碁選手権優勝
平成14年2002年
第57期本因坊戦王銘エン本因坊4-2で破る。
55歳3ヶ月での史上最年長本因坊となる

受賞歴

囲碁関連受賞履歴

昭和58年1983年
第1回ジャーナリストクラブ賞
平成8年1996年
テレビ囲碁番組制作者会賞

秀哉賞5回 [ 昭和42年1967年)、52年1977年)、53年1978年)、61年1986年)、62年1987年) ]
棋道賞受賞22回 ( 最優秀棋士賞7回 ・ 最多勝利賞5回 ・ 連勝記録賞4回 ・ 最多対局賞2回 ・ 技能賞2回 ・ 敢闘賞1回新人賞 [ 昭和42年1967年) ] )

昭和62年1987年
年間賞ランキング1位
平成8年1996年
通算1000達成
平成14年2002年
通算1200達成
通算1920局1254勝663敗2持碁1無勝負 率.663。通算勝ち数史上3位

その他受賞履歴

平成17年2005年
勲四等旭日授賞追贈

著書一覧


加藤正夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/14 13:18 UTC 版)

 加藤正夫  名誉王座
名前 加藤正夫
生年月日 (1947-03-15) 1947年3月15日
没年月日 (2004-12-30) 2004年12月30日(57歳没)
プロ入り年 1964年
出身地 福岡県 朝倉郡 朝倉町(現 朝倉市
所属 日本棋院 東京本院
師匠 木谷實
名誉称号 名誉王座
概要
タイトル獲得合計 47
通算成績 1254勝663敗2持碁1無勝負
七大タイトル
棋聖 挑戦者 (1978・88・91・93)
名人 2期 (1986-87)
本因坊 4期 (1977-79・2002)
王座 11期 (1979-80・82-89・93)
天元 4期 (1978-81)
碁聖 3期 (1976-77・87)
十段 7期 (1976-79・83・87・97)
テンプレートを表示

加藤 正夫(かとう まさお、1947年3月15日 - 2004年12月30日[1])は、日本囲碁棋士は「劔正」。名誉王座。

人物

同じ木谷實門下の石田芳夫武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金トリオ」と呼ばれ、名人2期、本因坊4期、王座11期など数々のタイトルを獲得。七大タイトル獲得数歴代4位、囲碁棋士の獲得タイトル数ランキング歴代6位。棋道賞最優秀棋士賞を7度受賞(歴代2位タイ記録)。

若い頃は力ずくで大石を仕留める豪腕から「殺し屋」のニックネームがあった(なお、加藤の前に大平修三が「殺し屋」とあだ名されていた[2])が、棋風とは裏腹に穏和で面倒見の良い人柄で人望が厚かった。2004年には日本棋院理事長に就任、日本棋院の改革に取り組むが、2004年暮れに脳梗塞に倒れ、死去した。享年57。門下に大森泰志、岡田伸一郎、鈴木伊佐男、梅沢由香里小山栄美[3]

妻は書家の加藤石泉[4]。妻の両親もそれぞれ書家である佐々木泰南・佐々木月花であり、佐々木泰南は木谷道場に書の指導に来ていた[5]

2005年2月8日、その功績により旭日小綬章追贈。

2023年には日本棋院の第20回囲碁殿堂入り [6]

経歴

1947年、福岡県朝倉郡朝倉町(現朝倉市)にて誕生。1952年、5歳の時に福岡市中央区六本松に転居。1階は店舗で、2階で碁会所を父がはじめる。

1956年、9歳のころに碁を覚える。この頃岡光雄(後にプロ)・上月武志(第1回学生本因坊)・廣畑富雄(九州学生選手権、後に九州大学教授)らの手ほどきを受け上達する。1959年、12歳で木谷實に入門。兄弟弟子たちと切磋琢磨し、徹底的に戦う棋風を身につける。

1964年、17歳で入段。同年、二段に昇段。

1967年、20歳7ヶ月(四段)で本因坊リーグ入り(当時最年少記録)。一次予選(現在の予選Cに相当)からの勝ち抜きでリーグ入りしたのは、この時の加藤と名人リーグでの三村智保のみ。また入段から3年5ヶ月でのリーグ入りは史上最短記録。この頃、すでに木谷道場の仲間からは「殺し屋加藤」と呼ばれていた[7]。同1967年大手合二部優勝[8]

1969年、本因坊リーグを5勝2敗で勝ち抜いて林海峰本因坊への挑戦権を獲得。22歳での挑戦は当時最年少で、また五段での挑戦は初めてのことで注目を集めたが、挑戦手合に2-4で敗れる。また、1970年に行われた、翌25期の本因坊リーグ戦で「布石の高川」と呼ばれた高川秀格九段に対して、黒番の93手で高川の大石を取り、勝利した碁が有名となる[9]

また、五段から七段にかけて大手合28連勝の記録をつくる[10]。この後、各種棋戦で挑戦者あるいはトーナメント決勝まで進むが、タイトル戦で8連敗。「挑戦王」「万年二位」「常敗将軍」と呼ばれるトンネルの時代が続く。また「藤沢秀行に続く、ポカの多い棋士」と呼ばれた[11]

1970年、1971年大手合一部優勝[8]

1976年 (29歳) 第1期碁聖戦で兄弟子大竹英雄を降して初タイトルを獲得。また、林海峰から十段位を奪取、以後4連覇。

1977年 (30歳) 武宮正樹を4-1で破って第32期本因坊位を奪取し加藤劔正を名乗る。以後3連覇。書家・佐々木泰南の四女・泉と結婚[12]

1978年棋聖戦で藤沢秀行に挑戦するが3-4で惜敗。一方で第4期天元戦では決勝で藤沢秀行を破って優勝し、以後4連覇。

1979年、各タイトルを防衛するとともに王座鶴聖のタイトルを手にし、本因坊・十段・天元を含めた五冠王に輝く。

1981年趙治勲名人に挑戦。

1982年橋本昌二から王座を奪取し、以後8連覇。

1983年趙治勲から十段位を奪取。勝った3局は全て半目勝ちで、「殺し屋加藤」から「ヨセの加藤」へとモデルチェンジに成功したといわれた。

1986年小林光一名人をから名人位を奪取。

1987年、40歳で名人、十段、王座、碁聖の四冠を達成。賞金ランキング1位

1988年、小林光一棋聖に挑戦。

1990年羽根泰正に敗れ王座を失う。これにより、1976年の十段位獲得以来続けてきた七大タイトル連続保持の記録が途絶える。しかしその後も1993年に藤沢秀行から王座を奪取、1995年に趙治勲本因坊に挑戦、1997年依田紀基から十段位を奪取し趙治勲本因坊にも挑戦するなど活躍を続けた。

2002年には王銘琬を破って55歳3か月で23年ぶりに本因坊位に復位、史上最年長の本因坊となった。

2002年に日本棋院副理事長、2004年に理事長となり制度の改革などに取り組んだが、2004年12月30日に脳梗塞により死去。生涯通算記録は1254勝663敗2持碁1無勝負。

主な戦績

色付きは現在在位。

他の棋士との比較は、囲碁のタイトル在位者一覧 を参照。

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 名誉称号資格
棋聖 七番勝負
1-3月
4
名人 七番勝負
9-11月
86、87 4 2期 2
本因坊 七番勝負
5-7月
77~79、2002 9 4期 3
王座 五番勝負
10-12月
79、80、82~89、93 14 11期
(歴代1位)
8
(歴代1位)
名誉王座
天元 五番勝負
10-12月
78~81 5 4期
(歴代4位タイ)
4
(歴代3位)
碁聖 五番勝負
6-8月
76、77、87 7 3期 2
十段 五番勝負
3-4月
76~79、83、87、97 11 7期
(歴代1位)
4
(歴代1位タイ)
登場回数合計54、獲得合計31期=歴代4位

1976年〜1990年まで14年6ヶ月にわたって七大タイトルを保持し、これは日本囲碁界最長記録。七大タイトルのうち、棋聖を除くすべてのタイトルを獲得した。 生涯戦績1254勝663敗2持碁1無勝負(勝数史上4位)。

囲碁七大タイトル獲得記録
順位 獲得回数 棋士名
1位 61期 二十六世本因坊文裕*
2位 42期 趙治勲名誉二冠*
3位 35期 小林光一名誉三冠*
4位 31期 加藤正夫名誉王座
5位 24期 張栩九段*
6位タイ 21期 二十三世本因坊栄寿 | 林海峰名誉天元*
8位 17期 大竹英雄名誉碁聖
9位タイ 14期 藤沢秀行名誉棋聖| 山下敬吾九段*
*は現役棋士
2024年4月30日時点
タイトル獲得数ランキング
順位 獲得回数 棋士名
1位 76期 趙治勲名誉二冠*
1位 76期 二十六世本因坊文裕*
3位 64期 二十三世本因坊栄寿
4位 60期 小林光一名誉三冠*
5位 48期 大竹英雄名誉碁聖
6位 47期 加藤正夫名誉王座
7位 41期 張栩九段*
8位 36期 依田紀基九段*
9位 35期 林海峰名誉天元*
10位タイ 24期 二十四世本因坊秀芳* | 武宮正樹九段*
*は現役棋士
2024年4月30日時点[13]

その他

  • 1970年の本因坊リーグで、大家・高川秀格の大石を一直線に取りかけに行き、93手で撲殺。高川を「この石が取られるかねえ」と嘆かせ、ここに「殺し屋」のニックネームが定着した。下図、白の高川が△にツケてサバキに行ったところを黒1から猛然と攻め立て、白の抵抗を粉砕して勝利した。


  • 橋本宇太郎との公式戦で、加藤は形勢を悪くしながらも投げずに打ったところ、橋本に失着が生じ逆転勝ちとなった。感想戦で「早く投げなくてすみません」という若い加藤に、橋本は「ええのや、ええのや」と明るく答えたという。加藤は後年「橋本宇太郎先生のように、70を過ぎても一線で打ちたい」と語っていた。
  • 本因坊在位時の雅号「劔正」は、同郷の参議院議員で後援会長であった剱木亨弘の一字と、自らの名前の「正」を合わせたものである。
  • 趙治勲は来日直後、林海峰に五子局で勝利してのち、木谷道場で兄弟子の加藤に、星目どころか風鈴まで打ち込まれ、悔し涙を流した体験を持つ。加藤没後に放送されたNHKの特別番組では、同様の体験をした小林光一とともにこのことを回顧しつつ、手を緩めずに鍛えてくれた加藤への感謝の言葉を述べた。
  • 2004年の天元戦における、結城聡との対局が絶局となった(加藤の中国流の布石で、結城に勝利)。年少のころ加藤の棋風に影響を受けた結城は、対局後「私は、(加藤に)負けて強くなった」と加藤の人柄と実力に敬意を表した。

棋院改革

2002年7月からは日本棋院副理事長に就任。多忙な日本棋院の理事職に加藤のような一流棋士が就任したことは周りを驚かせた。その背景には1994年から赤字を続ける日本棋院の体質、また若い世代の囲碁離れに対する危機感があったといわれる。連日の激務の中、棋士との二足のわらじを続け、本因坊を奪取した事は大いに称揚された。

2004年6月、利光松男前理事長の退任を受けて理事長に就任。財政赤字の改善、大手合の廃止、予選・昇段制度の改革などに取り組んだが、12月7日脳梗塞で入院、同月30日の午後0時33分に57歳で死去した。共に改革に当たり、加藤の後を継いで理事長代行に就任した工藤紀夫はその死を「殉職でした」と表現している。その生涯は有水泰道著『精魂の譜』(誠文堂新光社刊)に詳しい。

打碁集

  • 『現代花形棋士名局選〈4〉加藤正夫』日本棋院 1976年
  • 『加藤正夫(上)(下)』(現代囲碁大系39,40)講談社 1980年
  • 『加藤正夫 (現代囲碁名勝負シリーズ)』講談社 1986年
  • 『加藤正夫 名局細解』(全六巻)誠文堂新光社 1988年
  • 『名局細解 加藤正夫』誠文堂新光社 2004年
  • 『怒涛の譜―加藤正夫精局集』日本棋院 2005年

著作

  • 『察元・烈元・因淑』(日本囲碁大系)筑摩書房
  • 『石の攻め方殺し方』(日本棋院) 1975年
  • 『殺し屋の戦法』(毎日新聞社) 1980年
  • 『加藤囲碁道場』(全三巻)日本棋院 1982年
  • 『加藤正夫の闘いの極意 (NHK囲碁シリーズ) 』1993年
  • 加藤正夫打碁集 - 上巻『攻めの構図、読みの力[序盤・中盤編]』2004年
  • 加藤正夫打碁集 - 下巻『攻めの構図、読みの力[中盤・終盤編]』2004年

ほか多数

年表

  • タイトル戦の欄の氏名は対戦相手。うち、色付きのマス目は獲得(奪取または防衛)。色付きは名誉称号獲得。青色は挑戦者または失冠。黄色はリーグ成績。
  • 棋道賞は、 : 最優秀棋士賞、 優 : 優秀棋士賞、 特別 : 特別賞、
    率 : 勝率一位賞、 勝 : 最多勝利賞、 対 : 最多対局賞、 連 : 連勝賞、
    国際 : 国際賞、 新人 : 新人賞、  : 秀哉賞
  • 賞金&対局料は、年度区切りではなく1月 - 12月の集計。単位は万円。色付きの年は全棋士中1位。
棋聖 十段 本因坊 碁聖 名人 王座 天元 他棋戦 棋道賞 賞金
対局料
備考
棋聖戦
1-3月
十段戦
3-4月
本因坊戦
5-7月
碁聖戦
6-8月
名人戦
9-11月
王座戦
10-12月
天元戦
10-12月
プロ入りは
1964年
1967年 新人
1968年 技能
1969年 林海峰
xoxxox
敢闘
1970年 技能
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年 林海峰
3-2
大竹英雄
3-2
リーグ
入り
初代王座
1977年 坂田栄男
3-0
武宮正樹
4-1
武宮正樹
3-0
4位 最 哉 三冠
1978年 藤沢秀行
3-4
林海峰
3-1
石田芳夫
4-3
大竹英雄
1-3
プレーオフ 藤沢秀行
3-1
三冠
1979年 橋本昌二
3-1
林海峰
4-1
2位 石田芳夫
2-0
四冠達成
片岡聡
3-0
最 哉 史上初の四冠
1980年 大竹英雄
0-3
四冠終了
武宮正樹1-4 プレーオフ 石田芳夫
2-0
山部俊郎
3-0
1981年 大竹英雄
1-3
趙治勲
xxxx
橋本昌二
1-2
小林光一
3-2
1982年 陥落 5位 橋本昌二
2-0
片岡聡
2-3
鶴聖
1983年 趙治勲
3-2
3位 大竹英雄
2-0
1984年 小林光一
2-3
大竹英雄
1-3
6位 山城宏
3-0
鶴聖 5位
1985年 3位 小林光一
3-0
4位
1986年 小林光一
oooo
林海峰
3-1
名誉王座
鶴聖 2位 名誉称号獲得
1987年 小林光一
3-1
趙治勲
3-1
四冠達成②
林海峰
oooo
趙治勲
3-1
最 哉 1位 史上初の2度目の四冠[注 1]
1988年 小林光一xoxxx 趙治勲
2-3
四冠終了
小林光一
0-3
小林光一
oxxxx
武宮正樹
3-0
NHK

早碁

3位
1989年 6位 羽根泰正
3-1
6位
1990年 陥落 羽根泰正
2-3
7位
1991年 小林光一
oxxoxox
NEC 4位
1992年 NEC 5位
1993年 小林光一
ooxoxxx
6位 藤沢秀行
3-0
勝 連 対 3位
1994年 3位 趙治勲
2-3
早碁 5位
1995年 趙治勲
xoxxx
4位 鶴聖

アコム杯

3位
1996年 3位 鶴聖

アコム杯

6位
1997年 依田紀基
oxxoo
趙治勲xxxx 6位 NEC 2位
1998年 彦坂直人
oxxox
2位 竜星 4位
1999年 5位 早碁 9位
2000年 6位 9位
2001年 6位 竜星 7位
2002年 王銘琬
xxoooo
陥落 5位
2003年 張栩
oxoxxx
桐山杯 8位

脚注

注釈

  1. ^ 現在でも他には井山裕太のみ達成

出典

  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『加藤正夫』 - コトバンク
  2. ^ 三堀将『楽しい囲碁心理学』(日本棋院)P.150
  3. ^ “碁盤はさんだ師匠、怖かった「何度泣いたか」 故加藤正夫名誉王座しのぶ集い”. 朝日新聞. (2016年11月17日). https://www.asahi.com/articles/DA3S12663249.html 2020年7月12日閲覧。 
  4. ^ 書展 吉原由香里のつれづれ日記”. ウェブリブログ. 吉原由香里 (2014年7月4日). 2015年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。
  5. ^ 江崎誠致『昭和の碁』(立風書房)1993年版、P.228
  6. ^ 中村道碩、牧野伸顕、加藤正夫が囲碁殿堂入り(第20回囲碁殿堂表彰)”. 日本棋院 (2023年11月9日). 2024年3月30日閲覧。
  7. ^ 加藤正夫『殺し屋の戦法』(毎日新聞社)P.156
  8. ^ a b 『石の攻め方殺し方』(日本棋院)プロフィール
  9. ^ 柳田邦夫『強豪・木谷一門の秘密』(現代新社)P.110
  10. ^ 『石の攻め方殺し方』(日本棋院)P.156
  11. ^ 江崎誠致『昭和の碁』(立風書房)1993年版、P.232
  12. ^ 江崎誠致『昭和の碁』(立風書房)1993年版、P.239
  13. ^ 公式戦のみ。女流棋戦・地方棋戦(王冠戦関西棋院第一位決定戦など)は除く。

外部リンク

記録
先代
坂田栄男
七大タイトル最多獲得
1986年 - 1996年
次代
趙治勲

加藤正夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)

棋風」の記事における「加藤正夫」の解説

力戦派。圧倒的な戦闘力攻撃力や、死にそうにない大石をもぎ取ってしまうことから「殺し屋加藤」と恐れられた。一時ヨセ正確さから「ヨセ加藤」と謳われた時代もあった。序盤は厚みを重視することが多い。

※この「加藤正夫」の解説は、「棋風」の解説の一部です。
「加藤正夫」を含む「棋風」の記事については、「棋風」の概要を参照ください。

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「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
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