片岡 聡
プロフィール
棋戦主要履歴
- 昭和51年(1976年)
- 大手合第2部2等
- 昭和52年(1977年)
- 留園杯優勝(非公式戦)
- 昭和53年(1978年)
- 留園杯連続優勝
- 昭和54年(1979年)
- 天元戦準優勝
- 昭和56年(1981年)
- 第6期棋聖戦五段戦優勝
第25期首相杯準優勝 - 昭和57年(1982年)
- 第7期新人王戦で依田紀基四段を2-0で破り優勝
☆初タイトル獲得
第8期天元戦で加藤正夫天元を3-2で破りタイトル奪取
☆初の七大タイトル獲得 - 昭和58年(1983年)
- 第9期天元戦で淡路修三八段の挑戦を3-1で退け防衛
- 平成2年(1990年)
- 第12期鶴聖戦優勝
- 平成5年(1993年)
- 第26回早碁選手権優勝
- 平成6年(1994年)
- 第49期本因坊戦挑戦者
- 平成10年(1998年)
- 第31回早碁選手権戦優勝
- 平成20年(2008年)
- 第33期棋聖リーグ入り
第64期本因坊リーグ入り - 平成30年(2018年)
- 第8回マスターズカップ準優勝
受賞歴
著書一覧
片岡聡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/04 07:52 UTC 版)
片岡 聡(かたおか さとし、1958年(昭和33年)8月3日 - )は、囲碁の棋士。千葉県松戸市出身、日本棋院所属、榊原章二九段門下、九段。天元位獲得、本因坊戦挑戦者など。手厚くバランスのよい本格的な棋風。
- 1 片岡聡とは
- 2 片岡聡の概要
カラスヤサトシ
(片岡聡 から転送)
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カラスヤ サトシ(本名:片岡 聰(かたおか さとし)[1]、1973年[1]11月16日[2] - )は、日本の漫画家[2]。大阪府枚方市出身[2]。関西大学社会学部卒業[2]。男性[2]。
- ^ a b c d e f “カラスヤサトシ”. コミックナタリー (ナターシャ) 2022年10月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “カラスヤサトシ(漫画家)”. マンガペディア. 2022年10月29日閲覧。
- ^ 『for Mrs.スペシャル』連載「女の子はみんないつか幸せになれる」上でできちゃった結婚を公表し、それまでの経緯がマンガとして描かれた。
- ^ “雁須磨子が時間をテーマに描くウィングス新連載、カラスヤサトシのカレーマンガも復活”. コミックナタリー (ナターシャ). (2022年10月28日) 2022年10月28日閲覧。
- ^ “「死役所」10周年、作家20人による公式アンソロジーがバンチ付録に”. コミックナタリー (ナターシャ). (2023年9月21日) 2023年9月21日閲覧。
- ^ 「冥途の道」『月刊コミックバンチ』2023年11月号付録「死役所公式アンソロジー」、新潮社、2023年9月21日、59頁、ASIN B0CHC92FZ1。
- 1 カラスヤサトシとは
- 2 カラスヤサトシの概要
- 3 来歴
- 4 外部リンク
片岡聡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:34 UTC 版)
模様派。石田芳夫と対比して「新コンピュータ」と呼ばれるほど終盤の正確さが際立つ。筋のよい碁を打つことでも有名。
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「片岡 聡」の例文・使い方・用例・文例
- 聡明な
- 彼は聡明な学生だったが,その彼でさえハーバード大学に入ることができなかった
- 彼はとても聡明な人だという印象を与えた
- 彼は聡明な知性の持ち主だ
- ランディーはそれほど聡明ではない
- マークはとても聡明だ。
- それは聡明であると言うことです。
- あなたは聡明です。
- あなたの話を聞けば聞くほどあなたが聡明で魅力的だと感じました。
- 眼鏡をかけている貴方は、とても聡明に見える。
- さりげなく聡いこの子にはうかつな事はとても言えない。
- 彼女は美しいばかりか、心も優しく、しかも、聡明である。
- 彼女は聡明な生徒だと分かった。
- 彼女は聡明なだけでなく美しい。
- 彼女の母は聡明であるというよりもむしろ物知りであった。
- 彼は彼女の聡明さに恐れをなした。
- 彼は聡明であるのに、自分の意見を述べることをいつも嫌がっている。
- 彼は聡明だと信じる。
- 彼は若いけれどとても聡明です。
固有名詞の分類
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