中野 寛也

プロフィール
棋戦主要履歴
受賞歴
その他の活動実績
中野寛也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 15:18 UTC 版)
中野 寛也(なかの ひろなり、昭和44年(1969年)6月3日 - )は、囲碁の棋士。広島県呉市出身、日本棋院中部総本部所属、島村俊廣九段門下、九段。
七大タイトルの挑戦経験が一度ある(十段戦)。中部所属棋士のタイトル王冠戦に2回優勝している。
2011年度前期「NHK囲碁講座」に出演。好戦的な棋風から「戦い王子」の異名を持つ。
経歴
島村俊廣九段に入門。1985年、入段。
1995年、第10期NEC杯俊英トーナメントで森田道博に勝利し優勝、第51期本因坊戦リーグ入り。
1997年、九段。第38期王冠戦で山城宏王冠を破りタイトル奪取。
1998年、第39期王冠戦で山城宏九段を破りタイトル防衛。
2000年、第38期十段戦挑戦者。小林光一十段に挑むも0勝で敗退(後述)[1]。
2010年、通算700勝。第19期竜星戦決勝進出も山下敬吾本因坊に敗れ、準優勝。
2012年、第53期王冠戦挑戦者。
2013年、2年連続羽根直樹王冠に挑むが、タイトル奪取はならず。
第38期 十段戦
小林覚九段に中押し勝ち、大竹英雄九段に1目半勝ち、武宮正樹九段中押し勝ちと七大タイトル複数獲得経験者に勝利し決勝まで進む。決勝で山下敬吾六段に敗れるも、敗者復活戦で羽根直樹七段・趙治勲棋聖に勝利し挑戦者決定戦に進出、再び山下六段と対局し半目勝ちで挑戦手合五番勝負に進んだ。
タイトル保持者の小林光一十段との挑戦手合では三連敗を喫し、1勝もできないまま敗れた。
著書
- 『戦いの“碁力”(NHK囲碁シリーズ)』2011年
脚注
外部リンク
「中野 寛也」の例文・使い方・用例・文例
- 来年中野に行ってみたい。
- 中野印刷有限会社の営業一課のPR担当の石川と申します。
- はい、そうです。あなたは中野さんですか。
- この電車は中野より先は各駅に停車する。
- あなたは中野先生が何歳か知っていますか。
- 入試の化学の出題者は中野教授だということだ.
- 一日中野良仕事をしたので, 衣服は真っ黒に汚れた.
- 中野まではずいぶんある
- 彼女は一日中野外に立って、もみ殻を選り分けていた
- 中野市という市
- しかし,その当時,幹事長として中野寛(かん)成(せい)氏を選んだことに対する大きな反発があった。
- 中野選手と織田選手が主要大会初制覇
- 女子の部で中野友(ゆ)加(か)里(り)選手(20)が優勝した。
- 中野選手はショートプログラムで2位になり,その後フリーで3位になったが,優勝するのに十分だった。
- 「残りの演技に影響しないように,転んだことは忘れるようにした。」と中野選手は後に語った。
- 中野選手が得点を見たとき,その目に涙があふれた。
- 彼女は中野選手にわずか0.18点差で負けた。
- フィギュアスケート女子では,中野友(ゆ)加(か)里(り)選手と村主(すぐり)章(ふみ)枝(え)選手の間で金メダルをめぐる激しい争いがあった。
- ショートプログラム終了後,村主選手は1位,中野選手は2位だった。
- フリープログラムでは,中野選手は初めのトリプルアクセルを飛ばし,かわりにダブルアクセルを跳んだが,演技の残りの部分ではミスがなかった。
固有名詞の分類
- 中野寛也のページへのリンク