内田 修平

プロフィール
棋戦主要履歴
受賞歴
その他の活動実績
内田修平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 07:48 UTC 版)
内田修平 八段 | |
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名前 | 内田修平 |
生年月日 | 1989年9月8日(35歳) |
プロ入り年 | 2005年 |
出身地 | 山梨県甲府市 |
所属 | 日本棋院東京本院 |
師匠 | 大淵盛人 |
段位 | 八段 |
概要 | |
タイトル獲得合計 | 2 |
内田 修平(うちだ しゅうへい、1989年9月8日 - )は、日本の囲碁棋士。八段。山梨県甲府市出身、大淵盛人九段門下。日本棋院東京本院所属。2005年、15歳で入段。主な実績に、新人王戦優勝(2008年)、若鯉戦優勝2回(2009年・2011年)、名人戦リーグ2期など。
経歴
1994年、5歳より囲碁を始める[1]。1998年、甲府市立北新小学校3年で、少年少女囲碁大会に出場し、優勝する井山裕太に敗れる[2]。同小4年で、少年少女囲碁大会に出場し、初戦の下坂美織に敗れる[3]。大淵盛人の通い弟子となる。同小5年で、少年少女囲碁大会に出場し、後に院生となる準優勝者に敗れる[4]。同小6年で、少年少女囲碁大会全国大会優勝[5](準優勝は兆乾)。日本棋院院生となる。
2002年、棋士採用試験では予選通過できず[6]。2003年、冬季棋士採用試験では14位に終わる[7]。
2004年、大淵盛人の内弟子となり、神奈川県津久井郡相模湖町へ転居。夏季棋士採用試験では、10位に終わる[8]。冬季採用試験では、5位となる[9]。
2005年、中野杯U20選手権で4位入賞。院生リーグ戦で3か月連続1位という圧倒的な成績を収め、6月30日付で入段を果たす[10]。2007年8月17日、二段(公式棋戦30勝)に昇段[11]。
2008年、新人王戦で河英一を2-0で降し、優勝。同棋戦はこの年から優勝経験者は「卒業」となるようシステムが変わったとはいえ、二段での優勝はそれまでの記録を大きく破るもので話題を呼んだ[注 1]。
2009年、賞金ランキングにより、三段へ昇段[12]。若鯉戦(非公式戦)で優勝。2010年、賞金ランキングにより、四段に昇段[13]。
2011年、賞金ランキングにより、五段に昇段[14]。10月、第37期名人戦で自身初のリーグ入りを果たす。規定により、七段に飛び付け昇段[15]。11月20日、公式戦となった若鯉戦にて決勝戦で志田達哉を降し優勝する。若鯉戦は抽選時六段以下が参加資格のため、ラストチャンスをものにしたこととなる。棋道賞新人賞を受賞。
2012年8月まで行われた第37期名人戦リーグは、2勝6敗で陥落。2015年にも第41期名人戦で自身二度目のリーグ入りを果たしたが、0勝8敗で陥落となった。
2020年、第45期棋聖戦でファーストトーナメントを突破すると、Cリーグ4勝1敗でBリーグに昇格[16]。2021年、第46期棋聖戦Bリーグでは2勝5敗の7位で降格[17]。
棋歴
獲得タイトル
良績
- 名人戦 リーグ入り2期(第37期2-6、第41期0-8)
- 若鯉戦 優勝(2009年・第4回)※当時は非公式戦
受賞歴
- 棋道賞新人賞(2011年)
昇段履歴
- 2005年夏季 入段(2006年度採用)
- 2007年8月17日 二段(勝数規定)[11]
- 2009年1月1日 三段(賞金ランキング)[12]
- 2010年1月1日 四段(賞金ランキング)[13]
- 2011年1月1日 五段(賞金ランキング)[14]
- 同年10月28日 七段(第37期名人戦リーグ入り)[15]
- 2021年7月30日 八段(勝数規定)[18]
脚注
注釈
出典
- ^ 下島陽平 (2023年2月7日). “下島陽平の おしえて!先生たち~!「シンプル is 内田修平」【囲碁講座】”. NHK出版デジタルマガジン. 『NHK囲碁講座』2023年2月号. 2025年5月10日閲覧。
- ^ 第19回少年少女囲碁大会
- ^ 第20回少年少女囲碁大会
- ^ 第21回少年少女囲碁大会
- ^ 第22回少年少女囲碁大会
- ^ 平成15年度棋士採用試験東京予選
- ^ 平成16年度冬季棋士採用試験本戦
- ^ 平成17年度夏季棋士採用試験本戦
- ^ 平成17年度冬季棋士採用試験本戦
- ^ 平成18年度棋士採用試験
- ^ a b “棋士新着情報: 2007年08月 アーカイブ”. 日本棋院のアーカイブ. 2025年5月10日閲覧。
- ^ a b “棋士新着情報: 2009年02月 アーカイブ”. 日本棋院のアーカイブ. 2025年5月10日閲覧。
- ^ a b “棋士新着情報: 2010年02月 アーカイブ”. 日本棋院のアーカイブ. 2025年5月10日閲覧。
- ^ a b “棋士新着情報: 2011年02月 アーカイブ”. 日本棋院のアーカイブ. 2025年5月10日閲覧。
- ^ a b “棋士新着情報: 2011年10月 アーカイブ”. 日本棋院のアーカイブ. 2025年5月10日閲覧。
- ^ “第45期棋聖戦”. 2020年5月2日閲覧。
- ^ “第46期 棋聖戦”. 日本棋院. 2025年5月10日閲覧。
- ^ “【昇段】内田修平八段に昇段”. 日本棋院 (2021年7月30日). 2025年5月10日閲覧。
外部リンク
「内田 修平」の例文・使い方・用例・文例
- 内田夫人は少しも騒がなかった.
- 内田百閒は夏目漱石門下だ.
- 和歌山県の内田恵介さんが文部科学大臣奨励賞を受賞した。
- 大杉漣(れん)さんがヒロインの父親役となり,内田朝(あさ)陽(ひ)さんがヒロインの婚約者になる。
- 同水族館の内田至(いたる)館長はベルーガの自然の生息地を見るためにグリーンランドへ行った。
- 内田さんはクリーブランド管弦楽団と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏で最優秀器楽ソリスト演奏(オーケストラとの共演)賞を受賞した。
- シャルケのディフェンダー,内田篤(あつ)人(と)選手とインテルのディフェンダー,長(なが)友(とも)佑(ゆう)都(と)選手はともに自身のチームで先発し,フル出場した。
- 内田選手はイングランドのマンチェスター・ユナイテッドとの準決勝に出場すれば,チャンピオンズリーグの準決勝でプレーする最初の日本人となる。
- シャルケのラルフ・ラングニック監督は,内田選手について「彼を知ってまだ数週間だが,とても強烈な印象を受けている。若いのにプレースタイルが成熟している。」と語った。
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