関 達也
関達也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 06:28 UTC 版)
関達也 四段 | |
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名前 | 関達也 |
生年月日 | 1989年7月26日(35歳) |
プロ入り年 | 2006年 |
出身地 | 新潟県新潟市 |
所属 | 日本棋院東京本院 |
段位 | 四段 |
概要 |
関 達也(せき たつや、1989年7月26日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁の棋士。四段。新潟県新潟市出身。かつては大淵盛人門下であった。
略歴
囲碁を覚えたのはヒカルの碁を読んで興味を覚えた小学5年の頃と、同年同門の堀本満成と同様プロ棋士になるには遅めであった。興味を持ち、囲碁教室に通い力をつける。
2001年8月に囲碁を覚えて1年足らずの新潟市立東青山小学校6年で少年少女囲碁大会全国大会に新潟県代表で出場するも、後に同門となる田尻悠人に敗れる[1]。
その後、大淵盛人の誘いを受け内弟子となり、神奈川県津久井郡相模湖町へ転居。同時に日本棋院東京本院の院生となる。
2003年、院生として棋士採用冬季試験に臨み、予選敗退[2]。
2004年、院生上位として棋士採用冬季試験に臨み、7位に終わる[3]。
2005年、棋士採用冬季試験に臨み、2位で1位の同門堀本とともに入段を果たす[4]。また2005年夏季採用の内田修平は、出場した少年少女囲碁大会の優勝者にして同門かつ同年で、この年度は大淵門下による関東一般棋士入段者独占となった。
活動
昇段履歴
脚注
- ^ 第22回少年少女囲碁大会全国大会
- ^ 平成16年度冬季棋士採用試験本戦
- ^ 平成17年度冬季棋士採用試験本戦
- ^ 平成18年度冬季棋士採用試験本戦
- ^ 大出公二 (2023年6月27日). “囲碁 関達也三段がゆく全国碁会所めぐり コロナで打撃、自腹で応援”. 朝日新聞. 2025年5月10日閲覧。
- ^ “棋士新着情報: 2010年10月 アーカイブ”. 日本棋院のアーカイブ. 2025年5月10日閲覧。
- ^ “【昇段】関 達也三段に昇段”. 日本棋院 (2016年7月15日). 2025年5月10日閲覧。
- ^ “【昇段】関 達也四段に、兆 乾三段に昇段”. 日本棋院 (2024年1月12日). 2025年5月10日閲覧。
外部リンク
- 日本棋院の関達也紹介ページ
- 関 達也 (囲碁棋士) - Note
- 関 達也 (囲碁棋士) (@tatuya00925) - X(旧Twitter)
「関 達也」の例文・使い方・用例・文例
- 理論とは相互に関連した概念の集合のことをいう
- 正義に関する抽象的論議
- 政治に対する学問的関心
- 彼女は玄関を開けて客を入れた
- それは私の問題だ,君には関係ない
- その犯罪に関する2人の目撃者の説明は一致しなかった
- 彼はその問題に関してすべて知っている
- この辞書はすべて英文法に関するものだ
- 税関を通るのに少なくとも30分は見ておくべきだ
- それは明らかに彼女の問題だ.私には関係ない
- 友好関係
- アメリカに関する文献
- 彼女はその事故には全く関係ないと思う
- うわべでは無関心を装いながら
- 彼らは機関銃で武装した
- この本で政治への関心が目覚めた
- 服装については彼は無関心だ
- 私はその法律事務所に関係している
- 身体の調子がよいかぎり,私たちの多くは健康というものにはほとんど無関心である
- 彼は関心をフィールド競技に移した
固有名詞の分類
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