世界囲碁選手権富士通杯とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 世界囲碁選手権富士通杯の意味・解説 

世界囲碁選手権富士通杯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/21 08:10 UTC 版)

世界囲碁選手権富士通杯
国際
概要
主催 読売新聞社
日本棋院
関西棋院
後援 文部省→文部科学省
協賛 富士通
優勝賞金 1500万円
持ち時間 2時間
創設年 1988
終了年 2011
記録
テンプレートを表示

世界囲碁選手権富士通杯(せかいいごせんしゅけんふじつうはい)は世界各国・地域の代表選手による囲碁の世界一を決める棋戦。1988年にプロ棋士による世界選手権としては最初に開始され、2011年まで毎年1回、計24回開催された。

  • 主催 読売新聞社日本棋院関西棋院
  • 後援 文部科学省
  • 協賛 富士通株式会社
  • 賞金
    • (1回)優勝1500万円、2位700万円、3位230万円
    • (14-15回)優勝2000万円、準優勝700万円、3位400万円、4位200万円、準々決勝戦敗退100万円、2回戦敗退60万円、1回戦敗退30万円
    • (16-23回)優勝1500万円、準優勝500万円、3位300万円、4位150万円、準々決勝戦敗退80万円、2回戦敗退48万円、1回戦敗退24万円
    • (24回)優勝1500万円、準優勝500万円、3位300万円、4位150万円、準々決勝戦敗退80万円、2回戦敗退45万円、1回戦敗退20万円

出場選手

日本中国韓国台湾北米南米ヨーロッパなどの各国・地域から選抜されて出場、及び前年の優勝、準優勝、3位の選手がシードされる。日・中・韓・台は所属組織毎に選出、北米はプロ・アマチュア混合の予選で代表を選抜、南米、欧州はアマチュアの選手から選抜される。

第1回には、日本棋院5人、関西棋院2人、中国囲棋協会4人、韓国棋院3人、米国囲碁協会1人、ヨーロッパ囲碁連盟1名の16名が出場。第2回からは、前回の1-3位、日本7、中国5、韓国4、中華台北2、アメリカ、ヨーロッパ、南米各1の24名。第24回は32名。

また日本棋院のマイケル・レドモンドが北米代表、タラヌ・カタリンが欧州代表として、韓国棋院の江鋳久が北米代表、スベトラーナ・シックシナが欧州代表として出場したこともある。

ルール

日本ルールで実施される。コミは当初は5目半だったが、第16回より6目半。対戦はトーナメント方式で、決勝戦まですべて1番勝負。持時間は1-23回は各3時間、24回は各2時間

過去の優勝者と決勝戦

(左が優勝者)

  • 第1回 1988年 武宮正樹(日本) - 林海峰(日本)
  • 第2回 1989年 武宮正樹(日本) - 林海峰(日本)
  • 第3回 1990年 林海峰(日本) - 聶衛平(中国)
  • 第4回 1991年 趙治勲(日本) - 銭宇平(中国)(銭病気による不戦勝)
  • 第5回 1992年 大竹英雄(日本) - 王立誠(日本)
  • 第6回 1993年 劉昌赫(韓国) - 曺薫鉉(韓国)
  • 第7回 1994年 曺薫鉉(韓国) - 劉昌赫(韓国)
  • 第8回 1995年 馬暁春(中国) - 小林光一(日本)
  • 第9回 1996年 李昌鎬(韓国) - 馬暁春(中国)
  • 第10回 1997年 小林光一(日本) - 王立誠(日本)
  • 第11回 1998年 李昌鎬(韓国) - 常昊(中国)
  • 第12回 1999年 劉昌赫(韓国) - 馬暁春(中国)
  • 第13回 2000年 曺薫鉉(韓国) - 常昊(中国)
  • 第14回 2001年 曺薫鉉(韓国) - 崔明勲(韓国)
  • 第15回 2002年 李世乭(韓国) - 劉昌赫(韓国)
  • 第16回 2003年 李世乭(韓国) - 宋泰坤(韓国)
  • 第17回 2004年 朴永訓(韓国) - 依田紀基(日本)
  • 第18回 2005年 李世乭(韓国) - 崔哲瀚(韓国)
  • 第19回 2006年 朴正祥(韓国) - 周鶴洋(中国)
  • 第20回 2007年 朴永訓(韓国) - 李昌鎬(韓国)
  • 第21回 2008年 古力(中国) - 李昌鎬(韓国)
  • 第22回 2009年 姜東潤(韓国) - 李昌鎬(韓国)
  • 第23回 2010年 孔傑(中国) - 李世乭(韓国)
  • 第24回 2011年 朴廷桓(韓国)- 邱峻(中国)

各回の結果

第1回

1988年4月2日に1回戦が行われ、2回戦は6月4日、準決勝は7月2日、決勝戦は9月3日に行われた。準決勝での林海峰と聶衛平の対局は、台湾と中国の棋士による、公式の場での初めての対局となった。

 
1回戦2回戦準決勝決勝
 
              
 
 
 
 
曺薫鉉(韓国)×
 
 
 
小林光一(日本)
 
小林光一
 
 
 
白石裕×
 
ユンホー・リム(アメリカ)×
 
 
 
白石裕(日本)
 
小林光一×
 
 
 
武宮正樹
 
張斗軫(韓国)×
 
 
 
馬暁春(中国)
 
馬暁春×
 
 
 
武宮正樹
 
武宮正樹(日本)×
 
 
 
曹大元(中国)
 
武宮正樹
 
 
 
林海峰×
 
趙治勲(日本)
 
 
 
兪斌(中国)×
 
趙治勲×
 
 
 
林海峰
 
徐奉洙(韓国)×
 
 
 
林海峰(日本)
 
林海峰
 
 
 
聶衛平× 3位決定戦
 
今村俊也(日本)×
 
  
 
加藤正夫(日本)
 
加藤正夫×小林光一×
 
 
 
聶衛平聶衛平
 
ロナルド・シュレンパー(ヨーロッパ)×
 
 
聶衛平(中国)
 

第2回

第2回は、第1回の1-3位の3名、日本7、中国5、韓国4、中華台北2、アメリカ、ヨーロッパ、南米各1の、計24名が参加し、1989年4月1、3日に1、2回戦を行い、6月3日に3回戦、7月1日に準決勝、8月5日に決勝戦が行われた。ヨーロッパは12カ国、南米はブラジル、アルゼンチンの2カ国による予選により出場。アメリカ代表で韓国出身の車敏洙のベスト8進出、13歳の韓国の新鋭李昌鎬の出場などが話題を集めた。決勝は武宮正樹林海峰の第1回と同じ顔合わせになり、武宮が2連覇を果たした。

  1回戦 2回戦 3回戦 準決勝 決勝戦
                                     
 車敏洙(アメリカ)  
 山城宏(日本) ×  
   車敏洙  
   大平修三(日本) ×  
 
   
   車敏朱 ×  
   曺薫鉉  
 本田邦久(日本) ×  
 曹薫鉉(韓国)  
   曺薫鉉
   小林光一(日本) ×  
 
   
   曺薫鉉 ×  
   武宮正樹  
 ロナルド・シュレンパー(ヨーロッパ) ×  
 銭宇平(中国)  
   銭宇平 ×
   武宮正樹(日本)  
 
   
   武宮正樹
   劉小光 ×  
 劉小光(中国)  
 梁宰豪(韓国) ×  
   劉小光
   趙治勲(日本) ×  
 
   
 武宮正樹
 林海峰 ×
 陳長清(中華台北) ×  
 徐奉洙(韓国)  
   徐奉洙  
   加藤正夫(日本) ×  
 
   
   徐奉洙  
   王銘琬 ×  
 王銘琬(中華台北)  
 李昌鎬(韓国) ×  
   王銘琬
   聶衛平(中国) ×  
 
   
   徐奉洙 ×
   林海峰  
 フェルナンド・アギラール(南米) ×  
 梁偉棠(中国)  
   梁偉棠 ×
   林海峰(日本)  
  3位決定戦
   
   林海峰  曺薫鉉
   馬暁春 ×    徐奉洙 ×
 淡路修三(日本)  
 陳臨新(中国) ×  
   淡路修三 ×
   馬暁春(中国)  
 
   

第3回

第3回は、日本、中国、韓国、中華台北、アメリカ、ヨーロッパ、南米の、計24名が参加。決勝戦は1990年8月4日に東京プリンスホテルで行われた。決勝では過去2大会で準優勝の林海峰が聶衛平を破って初優勝を果たした。

  1回戦 2回戦 3回戦 準決勝 決勝戦
                                     
 M.マクファディアン(ヨーロッパ) ×  
 大竹英雄(日本)  
   大竹英雄 ×  
   曺薫鉉(韓国)  
 
   
   曺薫鉉  
   山城宏 ×  
 曹大元(中国) ×  
 山城宏(日本)  
   山城宏
   徐奉洙(韓国) ×  
 
   
   曺薫鉉 ×  
   聶衛平  
 江鋳久(中国) ×  
 大平修三(日本)  
   大平修三 ×
   聶衛平(中国)  
 
   
   聶衛平
   車敏洙 ×  
 劉昌赫(中国) ×  
 趙治勲(日本)  
   趙治勲 ×
   車敏洙(韓国)  
 
   
 聶衛平 ×
 林海峰
 張文東(中国) ×  
 坂田栄男(日本)  
   坂田栄男 ×  
   王立誠(中華台北)  
 
   
   王立誠 ×  
   林海峰  
 梁宰豪(韓国)  
 石田芳夫(日本) ×  
   梁宰豪 ×
   林海峰(日本)  
 
   
   林海峰
   小林光一 ×  
 彭景華(中華台北) ×  
 李昌鎬(韓国)  
   李昌鎬
   武宮正樹(日本) ×  
  3位決定戦
   
   李昌鎬 ×  曺薫鉉 ×
   小林光一    小林光一
 D.リー(南米) ×  
 小林光一(日本)  
   小林光一
   汪見虹(中国) ×  
 
   

第4回

第4回は、日本、中国、韓国、中華台北、アメリカ、ヨーロッパ、南米の、計24名が参加。決勝戦は1991年8月3日に東京プリンスホテルで予定されたが、決勝進出者の銭宇平が病気欠場のため、趙治勲の不戦勝による優勝となった。また同日予定の3位決定戦も、準決勝進出者の小林光一が病気欠場で王立誠の3位が決まった。

  1回戦 2回戦 3回戦 準決勝 決勝戦
                                     
 銭宇平(中国)  
 羽根泰正(日本) ×  
   銭宇平  
   林海峰(日本) ×  
 
   
   銭宇平  
   石田芳夫 ×  
 曹大元(中国) ×  
 石田芳夫(日本)  
   石田芳夫
   陳長清(中華台北) ×  
 
   
   銭宇平  
   小林光一 ×  
 徐奉洙(韓国)  
 苑田勇一(日本) ×  
   徐奉洙
   聶衛平(中国) ×  
 
   
   徐奉洙 ×
   小林光一  
 陳臨新(中国)  
 山城宏(日本) ×  
   陳臨新 ×
   小林光一(日本)  
 
   
 銭宇平 ×
 趙治勲 不戦勝
 彭景華(中華台北)  
 S.ワン(南米) ×  
   彭景華 ×  
   M.レドモンド(アメリカ)  
 
   
   M.レドモンド ×  
   王立誠  
 劉小光(中国) ×  
 王立誠(日本)  
   王立誠
   曺薫鉉(韓国) ×  
 
   
   王立誠 ×
   趙治勲  
 馬暁春(中国)  
 武宮正樹(日本) ×  
   馬暁春
   李昌鎬(韓国) ×  
  3位決定戦
   
   馬暁春 ×  小林光一 ×
   趙治勲    王立誠 不戦勝
 劉昌赫(韓国)  
 V.ボグダノフ(ヨーロッパ) ×  
   劉昌赫 ×
   趙治勲(日本)  
 
   

第5回

1992年4月4-6日に日本棋院で1-2回戦、6月6日に富士通関西システムラボラトリで3回戦、7月4日に日本棋院中部総本部で準決勝、8月1日に東京プリンスホテルで決勝戦と3位決定戦が行われた。

第6回

1993年4月3-5日に日本棋院で1-2回戦、6月5日に北京市で3回戦、7月3日に富士通関西システムラボラトリで準決勝、8月7日に日本棋院で決勝戦と3位決定戦が行われた。

第7回

1994年4月2-4日に日本棋院で1-2回戦、6月3日に韓国慶州市で3回戦、7月2日に富士通関西システムラボラトリで準決勝、8月6日に日本棋院で決勝戦と3位決定戦が行われた。

第8回

1995年に開催。

第9回

1996年に開催。1回戦は4月6日に東京の日本棋院、2回戦は4月8日に茨城県つくば市、3回戦は5月31日に釜山市、準決勝は7月6日に大阪市、決勝戦は8月3日に東京九段会館で行われた。

第10回

1997年に開催。1回戦は4月12日、2回戦は4月15日にに東京の日本棋院、3回戦は6月7日に中国棋院、準決勝は7月5日に大阪市、決勝戦は8月2日に東京九段会館で行われた。

第11回

1998年4月に日本青年館および日本棋院で1-2回戦、6月に韓国済州島で3回戦、7月に東洋ホテルで準決勝、8月に九段会館で決勝戦を行い、決勝で李昌鎬常昊に勝って2回目の優勝を果たした。

第12回

1999年4月に日本棋院で1-2回戦、6月に中国棋院で3回戦、7月に東洋ホテルで準決勝、8月に九段会館で決勝戦を行い、決勝で劉昌赫馬暁春に勝って6年ぶり2回目の優勝を果たした。

第13回

2000年4月に日本棋院で1-2回戦、6月に韓国慶州市で3回戦、7月に大阪東洋ホテルで準決勝、8月に九段会館で決勝戦を行い、決勝で曺薫鉉常昊に勝って2回目の優勝を果たした。

第14回

2001年4月に1-2回戦、6月に3回戦、7月に大阪東洋ホテルで準決勝、8月に日本棋院で決勝戦を行い、決勝で曺薫鉉崔明勲に勝って2連覇、3回目の優勝を果たした。

第15回

2002年4月に1-2回戦、6月に3回戦、7月に準決勝、8月に日本棋院で決勝戦を行い、決勝で李世乭劉昌赫に勝って初優勝した。

第16回

2003年4月に1-2回戦、6月に3回戦、7月にに日本棋院で準決勝、決勝戦を行い、決勝で李世乭宋泰坤に勝って2連覇を果たした。

第17回

2004年4月に1-2回戦、6月に3回戦、7月にに日本棋院で準決勝、決勝戦を行い、決勝で朴永訓依田紀基に勝って初優勝した。

第18回

2005年4月に日本棋院で1-2回戦、6月にソウル市で3回戦、7月にに日本棋院で準決勝、決勝戦を行い、決勝で李世乭崔哲瀚に勝って3回目の優勝となった。

第19回

2006年4月に日本棋院で1-2回戦、6月に北京で3回戦、7月にに日本棋院で準決勝、決勝戦を行い、決勝で朴正祥周鶴洋に勝って、初出場で初優勝を成し遂げた。

第20回

2007年4月に日本棋院で1-2回戦、6月にソウル市で3回戦、7月にに日本棋院で準決勝、決勝戦を行い、決勝で朴永訓李昌鎬に勝って、二回目の優勝を果たした。

第21回

2008年4月に1-2回戦、6月に北京の中国棋院で3回戦、7月にに日本棋院で準決勝、決勝戦を行い、決勝で古力李昌鎬に勝って初優勝を果たした。

第22回

2009年4月に1-2回戦、6月にソウル市の韓国棋院で3回戦、7月にに日本棋院で準決勝、決勝戦を行い、決勝で姜東潤李昌鎬に勝って初優勝を果たした。

第23回

2010年4月に日本棋院で1-3回戦、7月にに日本棋院で準決勝、決勝戦を行い、決勝で孔傑李世乭に勝って初優勝を果たした。

第24回

2011年に、東日本大震災の影響のために例年より遅れて8月に日本棋院関西総本部で1回戦-決勝戦を行い、決勝で朴廷桓邱峻に勝って史上最年少の18歳での優勝を果たした。

その他

  • 第19回の準々決勝が北京で行われた際、対局翌日のイベントとして「中日囲棋友誼賽」が開かれ、藤沢秀行名誉棋聖宮本直毅九段、成田勝元富士通宣伝部長の三名に中日囲棋交流功労賞が贈られた。

参考文献

  • 『囲碁年鑑』日本棋院 1989-2012年

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「世界囲碁選手権富士通杯」の関連用語

世界囲碁選手権富士通杯のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



世界囲碁選手権富士通杯のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの世界囲碁選手権富士通杯 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS