モハメド・アリ アントニオ猪木との対戦

モハメド・アリ

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アントニオ猪木との対戦

1972年に初来日。この年の4月1日に東京・日本武道館でマック・フォスターと対戦し、15回判定勝ちを収めた。

1976年の来日では6月26日に日本武道館でプロレスラーアントニオ猪木と「格闘技世界一決定戦」を行う。特別ルールで戦い、3分15回を戦って時間切れ引き分け(詳細はアントニオ猪木対モハメド・アリ)に終わる。アリのテーマソングである「炎のファイター」(通称「アリ・ボマイエ(ボンバイエ)」、作曲: マイケル・マッサー)は、76年に格闘技世界一決定戦を戦った猪木に記念品として寄贈されたということになっており、「イノキ・ボンバイエ」として歌われている。この歌は、翌年公開の映画『アリ/ザ・グレーテスト』のエンディング・テーマ「I Always Knew I Had It In Me」(作詞: ジェリー・ゴフィン)としてジョージ・ベンソンが全く別アレンジのバラードとなって流れる。ちなみにオープニング・タイトルの「The Greatest Love of All」は後にホイットニー・ヒューストンがカバーして大ヒットとなった。

1998年の来日の際には4月4日に東京ドームで挙行されたアントニオ猪木のプロレスラー現役引退試合のスペシャルゲストとしてリングに上がり、猪木を労った。

ベトナム戦争

1966年3月、アメリカ軍ベトナムとの戦いを本格化させていた。軍は徴兵の基準を大幅に下げ始め、より多くの兵隊を召集した。アリがこの情報を聞いたのは報道陣に囲まれているときだった。そして「俺はあいつらベトコンたちに何の恨みもないんだよ」という、とっさに返した答えによって、彼は何年も続く、アメリカに変化をもたらす革命を引き起こした。有名なアスリートが公然とベトナム戦争を非難することは、当時は冒涜に値した。彼がベトコンに対する無関心を公表したとき、国民のベトナム戦争に対する支持はピークを迎えていた。調査会社ギャラップによると1966年の最初の3カ月で、戦争に対する支持率は50%を超えていた。アリは、アメリカの黒人イスラム組織「ネイション・オブ・イスラム」への忠誠、そしてその一員であるという理由から兵役を拒否し、自身が良心的兵役拒否者だと述べた。

イスラム教に改宗し、カシアス・クレイという名前を捨てたアリは、すでに議論を巻き起こしていた。加えて徴兵拒否という行為によってアリは、瞬く間にアメリカで最も嫌われている有名人へと仕立てられた。アリほどの著名な人物で、他に徴兵を拒否したものは誰一人いなかった。アリの一見ふざけたような戦争反対の姿勢は、国民、政府、そしてボクシング界から嘲笑された。デイブ・ザイリンが著した『アメリカ民衆のスポーツ史』によると、彼にモハメド・アリの名前を与えたネイション・オブ・イスラムは、攻撃的な抵抗を繰り返す彼との関与を否定した。黒人初のメジャーリーガーであり、現役中、引退後も活動家であったジャッキー・ロビンソンは、黒人の兵役軍人を失望させたとして、アリを批判した。そして大多数の黒人兵士たちもロビンソンの意見に賛成した。

以降4年にわたって、アリはリングではなく法廷で自分の信念のために戦い続けた。そして1967年、徴兵を回避した罪で有罪判決を受けた後、州のボクシング・ライセンスを剥奪された。プロアスリートの全盛期である25〜27歳の間、アリはつまはじきにされ、彼のボクシング・キャリアは事実上の終わりを迎えた。

白人上流階級のために貧しい黒人アメリカ人が戦争に行かされている状況にすぎなかった。「金持ちの息子は大学に行き、貧乏人の息子は戦争に行く。そんなシステムを政府が作っている」と、彼は言った。アリを擁護した人はみな、身の危険を感じることになった。スポーツジャーナリストのジェリー・アイゼンバーグは、兵役拒否をしたばかりのアリの話を聞こうとしたところ、爆破予告や苦情の手紙を大量に受け取ったという。その一方で、メディアの大多数は悪意のある報道を繰り返した。

転換

しかし、反戦派のアリの孤独はそう長くは続かなかった。裁判が続いていた中でも、アリは反戦的な発言を止めなかった。アリの発言は、1960年代の公民権運動と同じく、構造的な階級差別と人種差別を非難するという主張に基づいていた。アリの「俺は何の恨みもない」発言の直後、ベトナム戦争を支持する声は下火になった。そのセリフが報道陣に伝わってから1カ月後には、戦争支持率が50%を初めて下回った。アリが兵役拒否したことで投獄された1967年6月の2カ月後、戦争を支持するアメリカ人はたった27%になっていた。これはリンドン・ジョンソン政権下で最も低い数字だった。1967年の夏頃には、多くの、特に黒人のアメリカ人がアリの味方となった。公民権運動の前進、そして戦争の支持率の低下へと導いた。

アリは上訴していた1968年ごろ、大きな経済的負債を抱えていた。そのため、ボクシングをしていたら稼げていたであろう何百万ドルの代わりに、お金を稼ぐため大学のキャンパスで何百もの講演をはじめた。

何年も続いた上訴の後、連邦最高裁は1971年6月、アリの有罪判決を破棄した。その頃には、州が彼のボクシングライセンスを回復させる手続きを始めていた。彼の戦争に対する見解が、アメリカ全体の戦争に対する見解となり、人々は、自分たちの英雄がボクシングに復帰する準備を整えた。そして3年半後、アリはリングに戻った。1970年10月、アリはアトランタでジェリー・クゥオーリーを倒した。

やがてアメリカ中に、アリがキャリアを犠牲にしてまで貫いた信念と、彼への支持の輪が広がった。以来、これほどの社会的インパクトを残したアスリートはいない。アリが「ベトコンには恨みがない」と言ってから50年後、プロアスリートたちは社会問題について立派に意見を述べるようになった。自らの選手生命を賭けたアリはアメリカに国の歴史上最も多くの犠牲者が出た戦争に関わる、階級問題と人種問題に抗議する「声」をもたらした。[19]

私生活

モハメド・アリの子
  • ベリンダ・ボイド(Belinda Boyd)との子
    • マリアム(Maryum、1968年生)
    • ジャミラ(Jamillah、1970年生)
    • ラシェダ(Rasheda、1970年生)
    • モハメド・ジュニア(Muhammad Jr.、1972年生)
  • パトリシア・ハーヴェル(Patricia Harvell)との子
    • マイア(Miya、1972年生)
  • ワンダ・ボルトン(Wanda Bolton)との子
    • カリア(Khaliah、1974年生)
  • ヴェロニカ・ポルシェ(Veronica Porché)との子
    • ハナ(Hana、1976年生)
    • レイラ(Laila、1977年生)
  • ヨランダ・ウィリアムズ(Yolanda Williams)との子
    • アサド(Asaad、1986年に養子縁組)

アリは生涯に4回結婚し、娘7人、息子2人をもうけた。

アリはハーバート・ムハンマドからカクテル・ウェイトレスのソンジ・ロイ(Sonji Roi)を紹介され、最初のデートの後に結婚を申し込んだ。2人は約1か月後の1964年8月14日に結婚式を挙げた[20]。ソンジはムスリムになることを拒み、2人は口論になった[21]。アリは、「彼女はやるべきことをやろうとしなかった。彼女は口紅をつけていた。バーにも行った。露出度の高い服を着ていた」と語った[22]。ソンジとアリは1966年1月10日に離婚した。2人の間に子供はいなかった。アリの弟のラーマンによれば、アリはソンジのことを真に愛していたが、ネーション・オブ・イスラムがアリに離婚を迫り、アリはそれを乗り越えられなかったという[21]

1967年8月17日、アリはベリンダ・ボイド(Belinda Boyd)と結婚した。ベリンダは、ネーション・オブ・イスラムに改宗した夫婦の子供である。結婚後にカリラ・アリ(Khalilah Ali)に改名したが、それ以降も古い友人や家族からはベリンダと呼ばれていた。カリラとの間には4人の子供がいた。作家でラッパーの「メイメイ」(May May)ことマリアム(Maryum、1968年生)[23]、双子のジャミラ(Jamillah)とラシェダ(Rasheda、1970年生)、モハメド・アリ・ジュニア(1972年生)である。

アリは1970年代初頭、ニュージャージー州チェリーヒルに住んでいた[24]。1974年、32歳のアリは16歳のワンダ・ボルトン(Wanda Bolton、後にアイシャ・アリ(Aaisha Ali)に改名)との不倫を始めた。ワンダとの間には1974年にカリア(Khaliah)が生まれた。アリはイスラム教の儀式によりアイシャと結婚したが、ベリンダとの婚姻が解消されていない時期であり、この婚姻は法的には有効なものではなかった。カリアによると、カリアとアイシャは、ペンシルバニア州ディアレイク英語版にあるアリのトレーニングキャンプ英語版で、ベリンダ(既にカリラに改名していた)やその子供達の住むキャビンの隣で暮らしており、カリラとアイシャは仲が良かったという[25]。1985年1月、アイシャは未払いの慰謝料を求めてアリを訴えたが、アリがカリアのために20万ドルの信託金を用意することで和解した[26]。この他、パトリシア・ハーベル(Patricia Harvell)とも不倫をしており、パトリシアとの間には1972年にマイア(Miya)が生まれた[27]

1977年の夏、アリの度重なる不倫によりカリラと離婚し、女優・モデルのヴェロニカ・ポルシェ英語版と結婚した[28]。結婚の時点で、既に2人の間には娘のハナ(Hana、1976年生)がおり、ヴェロニカは第二子を妊娠していた。1977年12月、レイラ(Laila)が誕生した。1986年、アリの不倫が原因で、ヴェロニカと離婚した[28][29]

1986年11月19日、アリはヨランダ・"ロニー"・ウィリアムズ(Yolanda "Lonnie" Williams)と結婚した。ロニーとは1964年にルイビルにいた時からの友人だった。2人は生後5か月のアサド・アミン(Asaad Amin)を養子として迎えた。[30]

1988年、キウルスティ・メンサ=アリ(Kiiursti Mensah-Ali)は、自分が母バーバラ・メンサ(Barbara Mensah)とアリが20年前に関係を持ったときにできた娘であると主張し、その根拠として写真と親子鑑定を持ち出した[31][32][33][34]。キウルスティによれば、アリはそれを認めたものの、アリが4番目の妻のロニーと結婚した後、アリ側からの接触が全て断たれたという。アリの死後、キウルスティは葬儀に参列させてほしいと熱烈に訴えた[35][36][37]

2010年には、オスモン・ウィリアムズ(Osmon Williams)がアリの実子であるという主張が現れた[38]。テミカ・ウィリアムズ(Temica Williams、レベッカ・ホロウェイ(Rebecca Holloway)とも名乗る)は、彼女が12歳の時にアリと性的関係を持ち始めたと主張し、1977年に生まれたオスモンはアリの子供であると主張して、1981年にアリに対して300万ドルの慰謝料を求める訴訟を起こした[39]。テミカはさらに、アリはもともと彼女と息子を経済的に支援していたが、4年後にそれをやめたと主張した。この訴訟は、既に時効であるとして却下された.[40]。ヴェロニカによれば、アリはテミカとの関係は認めたが、オスモンが自身の息子であるとは信じていなかった。しかしヴェロニカは、「トレーニングキャンプにいた皆は、彼女の主張に同意している」と述べている[41][42]。アリの伝記作家であり、友人でもあるトーマス・ハウザー英語版は、この主張は「信憑性が疑わしい」と述べている[43]

アリはその後、ロニーとともにアリゾナ州スコッツデールに住んでいた[44]。2007年1月には、1975年に購入したミシガン州ベリン・スプリングス英語版の自宅を売りに出し[45]、ケンタッキー州ジェファーソン郡東部の自宅を187万5千ドルで購入したことが報じられた[46]。どちらの家もアリの死後に売却され、ロニーはアリゾナ州パラダイスバレーにあったもう1つの自宅に住んでいた。ロニーは20代後半にカトリックからイスラム教に改宗した[47]

アリの娘レイラは1999年から2007年までプロボクサーとして活躍していた[48]が、父親のアリは女子ボクシング自体に反対していた。1978年、アリは「女性は胸や顔を殴られるように作られていない」と述べていた[49]。後にアリは娘の試合に参加するようになり、レイラに対して自分が誤っていたと認めた[50]

アリの娘ハナは、総合格闘家のケビン・ケイシー英語版と結婚した。ハナは父親について次のように語った。「彼の人々に対する愛情は並々ならぬものでした。学校から帰宅すると、ホームレスの家族がうちのゲストルームで寝ているのを見つけました。彼は、路上で彼らを見つけては、ロールスロイスに乗せて家に連れて帰ってきました。彼は彼らの服を買い、ホテルに連れて行き、数か月分の宿代を前払いしていました。」ハナはまた、マイケル・ジャクソンクリント・イーストウッドなどの有名人がしばしばアリを訪問していたと述べた[51][52]。1997年にアリが自身のファンというレズビアンのカップルと出会った後、友人のハウザーに笑顔で「二人は幸せそうだね」と話していたという。ハウザーはこの話について「(彼が出会ったレズビアンカップルの)リズとロズが幸せだと思ったことが、モハメドを喜ばせた。アリは人々が幸せになることを望んでいた」と語った[53]


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