しょ‐こう【諸侯】
諸侯
諸侯
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イギリスでは、貴族からではなく国王から直接封土を授かった者(テナント・イン・チーフ)のうち、とくに大きな所領を持ち有力なバロンズ(barons)を諸侯と訳している。 フランスでは、もともとはフランク王国のカール大帝の時代に設けられた地方長官「伯」(ラテン語:comes、フランス語:comte)が、やがて世襲化し、自立化して領域支配をおこない、ラテン語でプリンキペス(principes)と称した。これを諸侯と呼んでいる。フランスでは諸侯のうち有力な者が、公(duc)や侯(marquis)を名乗るようになる。 ドイツにおいては、「伯」(ラテン語:comes、ドイツ語:Graf)のうち、大きな領域を世襲支配し、権限の強かった辺境伯(Markgraf)はじめ、宮中伯(Pfalzgraf)、方伯(Landgraf)や城伯(Burggraf)、大公(ラテン語:dux、ドイツ語:Herzog)などの神聖ローマ皇帝の権力に直属した上級貴族と、大司教や修道院長で、所領を皇帝から直接封土として与えられている諸侯(聖界諸侯)を合わせ、12世紀頃に帝国諸侯(ラテン語:principes imperii、ドイツ語:Reichsfürst)と呼ばれるようになった。
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諸侯
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「アルスラーン戦記の登場人物」の記事における「諸侯」の解説
武将や文官の中にも諸侯はいるが、そのどちらとも言えない者を挙げる。 ホディール 声 - 土師孝也 パルスの諸侯(シャフルダーラーン)の一人。ニームルーズ山中にあるカシャーンの城主。娘が1人いる。逃亡中のアルスラーン一行を迎え入れるが、援助のかわりにアルスラーンを自分の傀儡にすることを企み、彼を懐柔し仲間を排疎しようとし失敗、ダリューンに返り討ちにされる。野心家ではあるが奴隷達には公正な処遇を施してその忠誠を得るだけの政治的センスは持っていた人物だった為、ホディールの死を告げカシャーンの奴隷を解放しようとしたアルスラーンは、逆に主人を殺した恨みを買い、殺されかけた。この経験はアルスラーンに、奴隷解放とは安易に身分の縛りをなくせば実現する問題ではないと身に染みて思い知らせる事件となった。 テオス ナルサスの父でアンドラゴラス三世の旧友。ダイラム地方を領有していたパルスの諸侯。トゥラーン・チュルク・シンドゥラ連合軍がパルスへ侵攻した際の王命に応じて出兵する直前に、階段から足を滑らせて死亡した。 ムンズィル オクサス地方を領有するパルスの諸侯。病のためアルスラーンの檄を受けてペシャワール城に馳せ参じることができないため、代わりに息子であるザラーヴァントをペシャワールへ遣わした。 甥であるナーマルドを溺愛し甘やかしている。実は彼には秘密があり、ファランギース、アルフリードとギーヴの活躍で暴かれることになる。 ケルマイン パルスの諸侯であるムンズィルの異母兄。母親違いだが、容姿が弟のムンズィルに似ていたと言われる。故人。ムンズィルと遠乗りに出かけ、馬とともに谷に墜ちて死に、遺体は獅子に食われたとされていたが、実際にはムンズイルに成り代わっていた。 ナーマルド ケルマインの息子でムンズィルにとっては甥にあたる。ザラーヴァントの従兄弟。 カーゼルン ヤズドガル
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諸侯
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「帝国議会 (神聖ローマ帝国)」の記事における「諸侯」の解説
七人の選帝侯、侯爵、一部の広大な領地を治める伯爵。選帝侯とともにオーストリア大公爵が特別な地位を占めていた。
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諸侯
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「篤姫 (NHK大河ドラマ)」の記事における「諸侯」の解説
徳川斉昭(とくがわ なりあき) 演:江守徹 前水戸藩主。水戸学の思想に根ざした頑強な尊皇攘夷論者で、周囲からも「烈公」と恐れられている。倹約を叫んで大奥を目の敵にしているため、本寿院を始めとする大奥の女性達に嫌われている。 ペリー来航に伴う幕府内の混乱を抑えるため老中・阿部正弘によって海防参与に迎えられるが、その過激な発言で逆に幕政を混乱させる。斉彬達とは気脈を通じてはいるが、篤姫の将軍家輿入れに関しては彼女の出自が低いことに難色を示し、薩摩藩の発言力が増すことを警戒していた。しかし、薩摩藩邸で開かれた花見の席で物怖じすることなく自分に意見を述べる篤姫の人物に感じ入り、また将軍・家定の後継候補に我が子・一橋慶喜を推されたことから一転して篤姫入輿支持に転じた。 アメリカ領事・ハリスの江戸入り・将軍謁見に反対し幕政参与を辞任する。大老となった井伊直弼が勅許を得ぬままアメリカとの間に通商条約を締結すると抗議のために登城するが、逆にこれを罪とされて謹慎処分を受け、さらに戊午の密勅への関与を疑われて永蟄居の処分を受ける。蟄居前、慶喜に「いずれ慶喜を必要とする世の中が来る」と言った。 その後、和宮降嫁問題に対し「慶喜が将軍になっていればこんなことにはならなかった」と、徳川家の衰退と日本の将来を憂いながら急死した。 徳川慶篤(とくがわ よしあつ) 水戸藩主。徳川斉昭の長男。斉昭とともに無断で江戸城に登城した咎で謹慎処分となる。 松平春嶽(まつだいら しゅんがく) (松平慶永→松平春嶽) 演:矢島健一 越前藩主。官位は越前守(えちぜんのかみ)。名は慶永(よしなが)。阿部正弘とともに家定にたびたび進言している。斉彬や伊達宗城とは親しい間柄。 井伊直弼が大老に推挙されると、一橋派の対抗馬として大老に推挙される。大老となった直弼の命で斉昭・慶喜親子と共に処罰され、隠居・謹慎処分を受けた。 隠居後は春嶽と号する。後に島津久光の率兵参府の前に幕府によって慶喜とともに赦免される。その際、薩摩藩の台頭に危機感を覚えた勝麟太郎と交流するようになる。その後、政事総裁職に任命される。慶喜の将軍就任後に開催された列侯会議にも参加している。 慶喜が大政奉還を断行した際は薩長の台頭を警戒しており、また慶喜不在のまま辞官納地が決定すると、慶喜に恭順を促す。 伊達宗城(だて むねなり) 演:森田順平 宇和島藩主。斉彬とは親しく、阿部正弘とともに斉彬の藩主襲封に協力した。後に一橋慶喜擁立運動にも加担する。慶喜が将軍となった後の列侯会議にも参列した。 松平容保(まつだいら かたもり) 演:志村東吾 会津藩主。徳川慶喜とともに薩長軍との戦で指揮を執るが、薩摩軍の謀略によって錦の御旗が掲げられた事に憤慨する。江戸に戻り官軍が接近すると、榎本武揚とともに防戦を訴えるが勝麟太郎に制止され、勝を腰抜けと非難して中座した。 山内容堂(やまうち ようどう) 演:今拓哉 前土佐藩主。島津久光の主導による列侯会議に座列するが、徳川慶喜の言動に憤り、久光とともに会議を後にした。後に岩倉らの謀議によって慶喜の辞官納地が決定されると、その狡猾さに苦虫を噛み潰した。 戸田光則(とだ みつひさ) 演:八波一起 松本藩主。江戸の藩邸で安政の大獄で捕えられた村岡を拘留する。後に幾島が現れた際には村岡との会見を渋るも、天璋院の威光に恐縮する。 徳川慶恕(とくがわ よしくみ) 尾張藩主。徳川斉昭親子とともに無断で江戸城に登城し、それを井伊直弼に咎められる。
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諸侯(秦)
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「キングダムの登場人物一覧」の記事における「諸侯(秦)」の解説
蒲鶮(ほかく) 声 - 平林剛 屯留代官。 騒動前年から屯留に現れた新参者のようで成蟜はおろか瑠衣ですらその存在を知らなかったが、治政能力はあったようで城主である瑠衣の曾祖母からは信任を得ていた。しかし裏で呂不韋と通じており、始皇八年に成蟜軍が趙軍を撃退した前後に瑠衣を拘束した上に、城内で成蟜を拘束した。そして成蟜を首謀者に仕立て上げて、屯留の反乱を引き起こした。 本来の計画では、鎮圧軍が屯留城内に侵入した時点で成蟜の首を刎ねて差し出し、褒美として瑠衣と屯留を手中に収める予定だったが、成蟜に脱獄されて真相露見の危機に陥る。兵と城内を追うも、待ち構えていた成蟜に斬殺された。その後、遺体は成蟜派の家臣達に辱められた。 翡翠(ひすい) 景城城主の娘で、容姿端麗で聡明な美女。 父の死後、権限を氷雷に乗っ取られ策略で蝸牛と結婚させられそうになる。前日に出会った信に諦観と本音を涙ながらにぶつけると信に救出を約束され、信の過去を知ったことで如何なる状況でも諦めない精神力を手に入れた。別れ際に信への想いを心中に隠そうとしたが、信の方から再会を約束されたことで、その日を楽しみに景城城主として堅実に統治する。 氷雷(ひょうらい) 景城代官。翡翠の父である城主の死後、権力を手中に収めて景城を牛耳っていた。翡翠を追い出すために魏と取引して政略結婚させようとしたが、魏将軍・蝸牛に裏切られ一族ごと根絶やしにされた。
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諸侯(趙)
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「キングダムの登場人物一覧」の記事における「諸侯(趙)」の解説
司馬尚(しばしょう) 青歌城城主。得物は大矛。表向きは病弱だとされているが、実際は趙国中枢を嫌って命令を全て無視している。それ故に李牧の推挙による「三大天」の任命すら断り、青歌から動かずにいる。鄴編では、燕軍が青歌に侵攻したことで兵五千を率いて出陣しオルド軍二万と互角の戦いをしている隙に、趙泊軍が燕国国境の二城を攻め落としたことで燕軍を撤退させ、オルドに「大虎」と評された。 李牧が邯鄲を追われた後、李牧からの要請を受け入れて、李牧軍を青歌に受け入れる。 紀彗(きすい) 離眼城城主→灰城城主。 黒羊編では、知勇兼備の名将として慶舎から副将に抜擢され、黒桜軍と対峙。二日目に押されている中央丘の味方の前に姿を現して鼓舞し、反撃して黒桜軍を後退させる。慶舎の死後金毛を説き伏せて継戦したことで実質的な総大将になる。ところが桓騎の非道な戦略で離眼が狙われ、離眼を見捨てられず黒羊から撤退。その後離眼も放棄し灰城へと流れた。 鄴編で李牧によって馬呈と共に召喚され、朱海平原では趙軍右翼の指揮を担う。初日に楽華隊と麻鉱軍によって窮地に陥るも、李牧が麻鉱を討ち取ったことで形勢が逆転し、一気に麻鉱軍を壊滅させようとするが失敗、その後は左翼の将となった蒙恬の策によって膠着状態となる。終盤、右翼軍を率いて秦軍中央軍をかすめるように動いて馬呈を回収し、鄴へ向かうも最終的に敗北したため撤退。 ロゾ 橑陽城城主兼犬戎族の王。自らの軍を徹底的な恐怖により支配しており、敵を味方もろとも討つ策を奇策でなく通常の策として用いる。将兵の家族はすべて人質とし、わずかでも失敗したり怖気づいた将兵は家族もろとも処刑する残虐な性格。悼襄王のことは侮蔑しているが、李牧のことは評価している。 鄴編では、無断で山民族軍を橑陽までおびき寄せた舜水樹を部下に斬殺させようとしたが、彼との取引に応じて山民族軍と戦う。楊端和を捕える寸前まで追い詰めるも、別動隊に橑陽城を落とされ、フィゴ王・ダントとの一騎討ちで、彼に気を取られた隙を突かれ壁に討たれた。 紀昌(きしょう) 前・離眼城城主。故人。紀彗の父で、馬呈と劉冬の育ての親。戦上手で民思いの名君であったが、唐釣に隙を突かれ、離眼城を落とされ、勅命により城内の人質の助命と引き換えに唐釣の手によって火刑で処刑され、紀彗に後を託した。 唐寒(とうかん) 前・暗何城主。故人。圧政を敷いていて、地域の覇権を紀昌と争っていたが、「旦虎の戦い」で紀彗に討ち取られた。 唐鈞(とうきん) 暗何城主。唐寒の子で臆病者だが、紀昌の隙を突いて離眼を落とし、勅命により紀昌達を処刑した。その後、紀彗との争いに敗れる。
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諸侯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 11:07 UTC 版)
諸侯としての邾は、周の春秋時代・戦国時代にわたって存在した国である。代々の君主の爵位は子爵であり、首府は邾・繹(現在の山東省鄒城市)。黄帝の子孫である曹挾が周の武王によって邾に封じられて成立した。
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「 諸侯」の例文・使い方・用例・文例
- 諸侯は藩籍を奉還した
- 彼は諸侯を遊説した
- 国王と諸侯
- 諸侯の家
- 江戸時代,3位以上の諸侯にとついだ将軍の娘
- 江戸時代,3位以上の諸侯にとついだ将軍の娘の住居
- 昔,中国で年末に天子が諸侯に与えた翌年の暦と政令
- (中国で,天子が)諸侯を任命する
- 爵という,中国古代の諸侯の世襲的身分
- 大名など諸侯のあとつぎの男の子
- 大国の諸侯
- 中国古代封建制における諸侯の上にたつ盟主
- 中世西ヨーロッパにおける諸侯の上にたつ盟主
- 諸侯を統御し天下を治める人
- 昔の中国において,諸侯や天子
- 諸侯の封土
- 昔,中国で,諸侯が天子に謁見する
- 封土を受けて諸侯となること
- 江戸時代に諸侯に嫁いだ将軍家の娘
諸侯と同じ種類の言葉
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