諸侯になるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 04:27 UTC 版)
田氏の先祖は、紀元前672年に陳から斉へ亡命してきた陳(嬀姓)の利公嬀躍(きやく)の子の公子完である。斉では代々、呂尚(太公望)の子孫である斉公に仕えてきた。 斉の景公の時、田乞(田釐子)が税を徴収する時に小さな斗を使用し、粟を民に配給する時は大きな斗を使用して、民の気持ちをつかみ、また、景公が亡くなった時の公位継承争いで悼公を立てた。田釐子が亡くなると田恒(田成子、ただし『史記』では前漢の文帝劉恒を避諱して「田常」と表記)が後を継いだ。父の田釐子とともに悼公を立てた鮑牧が仲違いを契機に悼公を殺害すると、簡公が立てられ、闞止とともに大臣となったが、2人は並び立つことができず、勢力争いをすることになる。闞止の陰謀を知った田成子が先手を取り、闞止に続いて簡公を殺して、平公を立てた。
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